第7話:ずるい答弁と、解けない指先
「戻って来るって言ったよね、なんで帰ろうとしてんの!?」——。
短気で臆病な彼女が見せた、剥き出しの焦燥と激しいジェラシー。
店を変えても解かれない指先が、二人だけの狂おしい夜を物語っていた。
立ち込める夏の終わりの湿った空気が、街の喧騒を重く包み込んでいた。
『ETERNAL』の深く沈むボックス席。テーブルの真ん中に置かれた透明なボトルから、細やかな黄金色の泡が立ち上っている。
『ルイ・ロデレール クリスタル』
「頑張るしかないよ」という彼女の強がりの奥にある疲れやSOSをLINEから汲み取り、薫が静かに選んだ極上の答え。
しかし週末の店内は混み合い、杏奈は何度も席を外した。一人取り残され、グラスの泡を見つめる時間が増えていく。他の席へ向かう彼女が見せた、いつもと違うキリッとしたプロの横顔。気を遣って「混んでるから帰るよ」と席を立とうとすると、お会計のタイミングで戻ってきた彼女の感情が跳ね上がった。
「戻って来るって言ったよね、なんで帰ろうとしてんの!?」
えらい剣幕で怒り、勝手に伝票を下げさせてお会計をキャンセルする彼女。もともと気が短く臆病な彼女の、プロの仮面を脱ぎ捨てた生の感情。さらに、世話焼きな元キャストの黒服・レイナさんへの露骨な嫉妬まで爆発させる。
「薫さんって、レイナさんのこと好きでしょ。今度レイナさん指名で来ようとしてる? レイナさんは黒服だから無理だよ!」
「そんなことないよ」となだめても、
「嘘だ、もう本気で怒ったからね」と収まらない。短気で強がりな性格の裏にある、去られてしまうことへの臆病な焦燥。黒服からの呼び出しがかかっても、「いいの!」「まだ大丈夫!」と無視して薫の隣にしがみつき、絶対に動こうとはしなかった。
(……怒った顔も、やっぱり可愛いな)
薫は心の奥で自嘲気味に呟いた。胸を突き上げる愛おしさと、夜の街という壁に阻まれる切なさ。けれど、そのどちらの感情も、杏奈という存在がここにいるからこそ生まれるものだった。
店を出た後も、彼女の熱は冷めなかった。
「ご飯は食べられないけど、どこか行こう」
そう言って杏奈と向かったのは、別のキャバクラだった。二人だけの空間を少しでも長く引き延ばそうとする、彼女の強い独占欲。賑やかなボックス席で、杏奈は一度握った薫の手をけっして離そうとはしなかった。
フリーの女の子が入れ替わりで着くたび、薫は隣の彼女を指さして、誇らしげに言った。
「ねえ、この子めちゃくちゃ可愛いでしょ?」
女の子たちが
「本当だ、めちゃくちゃ可愛い!」
と頷くと、杏奈は真っ赤になって
「そんなことないよ!ちょっと、やめてよ……」と必死に薫の袖を引っ張る。
「……だって、本当に恥ずかしいんだもん」
そう言ってそっぽを向くものの、テーブルの下で繋がれた指先には、ぎゅっと強い力が込められる。照れ隠しの言葉とは裏腹に、全身で愛を伝えてくるその狡さと愛おしさ。
(強がらなくていい。もっと俺に、寄りかかればいいのに……)
繋いだ指先から伝わる熱が、言葉以上の愛を語っていた。どんなに歪で切ない夜であろうと、目の前で強がるこの手を、薫はもう二度と離さないと心に誓っていた。




