56.晴れ間の階段
雪影が舞う静かな廊下を歩く間、ずっと無言だった。
歩みはひどくゆっくりで、ザインなりにあたしに気を遣ってるのは伝わってくる。
階段に差し掛かった頃には多少落ち着いていて、今の自分の状況を客観的に見ることができた。
……あたしはまるで子供みたいにザインに手を引かれている……。
その事実に気付いた瞬間、コウセイさんの手の温度を思い出して、バッと手を離してしまった。
ザインが驚いた顔をして振り返り、あたしの顔を見て疲れたような顔をする。
「……何なんだよ、急に」
「も、もう手は良いわ。一人で歩けるから、案内だけして頂戴」
「大人しく甘えてりゃいいのに。……ほんっと可愛げがねーよな、今も昔も」
思わずザインを睨んでしまった。ザインが笑って肩を竦める。
「わかってるっつーの。俺様に見せるような可愛げはねぇんだろ?」
「わかってるなら蒸し返さないで頂戴」
さっきの落ち込みはなかったように振る舞うとザインもそれに合わせて軽口を叩く。
ザインに見つかってしまうなんて不覚――けど、ジェイルたちだと過剰に騒ぎそうだったから、返って良かったのかも知れない。そう自分を納得させながら、再び歩き出したザインの背を追いかける。
階段に差し掛かり、二人でゆっくりと降りていった。階段を降りる靴音が、やけに響く。
ようやく頭も回ってきて、やらなきゃいけないことを考えることができた。
本当は全くやりたくないし、このまま目を背けていたい――。
けど、そうするとさっきのコウセイさんとのやり取りが無駄になる。彼は何の弁明もせず、あたしの言葉をただ肯定していた。諦めて欲しい気持ちもあったけど、無理なことだと理解している。
だからこそ、彼に引導を渡す役目があるなら――それは、ヒロインじゃなくて、あたしのものにしたい。
そう思いながら、静かにザインの背を見つめた。
「……そう言えばカミルは?」
「ディディエと一緒にいる。流石に呆れてたわ」
「そう」と短く答える。
引導と渡すなんて言っても、あたしは直接何もできない。だから、動かすならザインたち――もっと言えばカミルだわ。
けど、動かすにしてもどうすればいいか……。
考えながら歩いているせいで足元が疎かになり、階段を踏み外しそうになった。
「きゃっ?!」
「っおい!」
何とか手すりに捕まってバランスを取る。
ザインがあたしを抱き留めるために手を伸ばしていて……まぁ、その手は特に用をなさなかったわけだけど……何故かザインはもう一度あたしの手を取って階段の踊り場までゆっくりと下りた。
階上からも、階下からも、覗き込まないと見えない位置。
ザインの意図が読めなくて、まじまじとその顔を見つめてしまった。
「……おめーさー、兄貴のどこが良かったの?」
「……は?」
突然の質問にやや間の抜けた声を発する。
”何言ってるのよ”とはぐらかそうとしたけど、ザインの目に一切の疑念はなかった。確信してると言わんばかり。
今この時ばかりは、あたしの動揺と心臓の音が伝わりそうなくらい静かだった。
「リーダーシップや責任感もあってしっかりしてて、基本明るいけど……暗いだろ、ちょっと」
暗い――……。
どこか遠くで雪が滑り落ちる音がした。
ザインに言い当てられたのは癪だったけど、妙に腑に落ちる。”良かった”と思う理由について。
あたしは何故か、「ふふ」と小さく声を出して笑っていた。
急に笑い出すあたしに目を丸くするザイン。触れる手が緩んだ。
コウセイさんには全く似てない彼の弟――ザインの顔を真正面から見て、口の端を持ち上げる。
「陰のある男が好きなのよ」
不思議とスッキリした気持ちで答えた。
ザインの手がするりと離れたタイミングで彼の横をすり抜け、下に続く階段を二段ほど降りた。そこからザインを見上げて、ふっと笑って見せる。
面食らっていたザインだけど、すぐに笑って肩を竦めて追いかけてきた。
「陰、ねぇ……」
「あんたには無縁の話ね」
「明るく見せてるだけで、俺様にも色々あるっつーの」
軽口を叩くザインを鼻で笑い、ひとつ下の階に降りる。そして、横に並ぶザインを見た。
傍にあった窓からは陽の光が差し込んでいる。雪は止んで、ようやく晴れ間が覗いていた。
「で? どこに行くのよ」
「俺様の部屋。ディディエをカミルが押し込んでるから」
ザインの部屋、と聞いてちょっとだけ嫌な顔をしてしまった。
とは言え、行かないわけにもいかず、渋々ザインの後をついて廊下を歩くことになる。
そして、辿り着いたザインの部屋。
「……何よ、このチャラい部屋」
「チャラいって言うなよ。センスがあってサイコーだろうが」
あたしはザインの部屋に入るなり、思わず眉間に皺を寄せる。
妙に暗い照明に照らされているのはよくわかんないポスターとか写真とか、謎の置き物が飾ってある棚、実用性なさそうなデザイン家具の数々、極めつけは鹿(?)の角のオブジェ。なんかサーフボードもある。
部屋は広々としていて、流石六堂家の人間って感じの広さだった。
窓際にあるソファにディディエが座っていて、カミルが何か話しかけているのが見えた。ディディエの顔は浮かない。
ザインは「こっち」と言いながら歩くので、静かに追いかけていく。
……コウセイさんの部屋は少し寒かったけど、この部屋は暖房がちゃんと効いていて少しホッとした。
「ディディエ」
「……ザイン」
「連れてきてやったんだから、後はおめーが何とかしろよ」
ポケットに手を突っ込んで、偉そうに言うザイン。……これがポーズだと言うのはわかる。カミルは一歩下がって、あたしに向かってぺこりと頭を下げた。
ディディエが無言で立ち上がり、これ以上なく気まずそうな顔をしてあたしを見る。
あたしは無表情を装い、じっとディディエを見つめ返した。
エアコンから出てくる風の音だけが部屋を支配する。
沈黙を続ければ続けるほど、ディディエの気まずさが増していくのがありありとわかった。
けれど、あたしから声をかけてやる義理はないし、ザインもカミルもフォローに回る様子はない。
一分くらいの沈黙の後、ディディエがようやく口を開く。
「……ロゼリア。……さ、っきは……悪かった」
「何が?」
腕組みをして聞いてみる。
ディディエは動揺し、言葉に詰まった。躊躇いながら視線を伏せて先を続ける。
「お前の境遇を知りながら、恵まれていると言ったことだ。
……仮に知らなくても、あんな言い方をすべきじゃなかった。……反省、している」
そう言って、ディディエが小さく頭を下げた。
あたしと同じか、それ以上に謝り慣れてないのが伝わってくる。
コウセイさんの件があったせいでディディエからのダメージはかなり薄れている。けど、あの発言をなかったことにできるほど、あたしは優しくない。それに、多分あたし以上にザインが怒っている。
――自分を世界一不幸だと思い、他人の痛みに鈍感なディディエに。
あたしは頭を下げるディディエを見つめたまま、心の中でゆっくりと五秒数えた。
「良いわよ。本当に反省してるみたいだから謝罪は受け入れるわ」
「……感謝する」
ディディエが顔を上げ、ほっとした表情を浮かべる。
……こういう顔をするとコイツも可愛いのよね。ゲームでも常に不機嫌そうなディディエが微笑みを浮かべるスチルは、悔しいけど良かったし……。
一区切りついたところでザインがディディエの後頭部をべしっと叩いた。ディディエがザインを振り返り、ギロリと睨む。
「おめー、まじで言動改めろよな。……コイツみてぇに許してくれるヤツばっかじゃねぇんだから」
「わ、わかっている」
「本当に? ディディエ兄様は失言が多いから心配だよ」
珍しく真面目なトーンのザインに、からかうような口調のカミル。二人に挟まれて別の気まずさが続いているディディエ。
ゲームの弟ルート、って感じだわ。これ。
ふとゲームでの三人を思い出し、三人を見つめてしみじみしてしまった。
そうか。ゲームではないし、あたしはヒロインじゃないけど、実際は弟ルートに入った感じなのね。
……あら、それはそれでなんかすごく微妙な気分だわ……。
三人を眺めながら、心底微妙な気分に陥っていると――不意にカミルがあたしを見て、人懐こく笑った。
「ロゼリアさん」
「何?」
「ほら、以前麻雀で負けた時の――何でも言うことを聞くって話、あったでしょう?
まだ何も言われてませんけど……どうしましょう? 今ならディディエ兄様にも言うことを聞かせられますよ」
「おい、カミル!」
ディディエが慌てて名を呼ぶけど、カミルは「あはは」と悪気なさそうに笑うばかり。
ザインも妥当だと言わんばかりに笑っている。
――三人に、言うことを……。
どうやってカミルを動かそうか悩んでいたあたしは、思わずポンッと手を打っていた。




