43.バック・グラウンド・ノイズ ~害意の所在~
ディディエと共についた先は大きなビルだった。
雪のせいか、人はまばらでビルの規模に対して人は少ない。ただ、ディディエとともにビルに入っていくと否が応でも人の視線を集める結果となった。この手の視線を受け慣れてないので居心地が悪く感じる。
ディディエは慣れているらしい。視線を気にすることなく「お前は部外者だから入館手続きが必要だ」と言い、エントランスの中にある窓口へと向かった。
そこで名前等を記入して、ゲストカードを受け取り、ようやくエントランスの先に進むことが許される。
道中、ディディエはほぼ無言だった。
聞きたいことはあったが、ジェイルから話しかけることもできず、双方無言のままエレベーターに乗り込む。
そこで初めてディディエが真っ直ぐにジェイルを見た。どうやら人目を気にしていたらしい。
「雨宮。何故今日オレについてくるなんて言い出したんだ?」
「お嬢様のご意向です」
「話はどこまで聞いている?」
まるで尋問のようだと感じる。
だが、ディディエの立場からしたら急にジェイルが「一緒に行きます」と言い出したのは意外だっただろう。
ジェイルは無言で首を振った。
「いいえ、自分は何も聞いていません」
はっきり答えるとディディエは目を丸くした。やがて眉間にゆっくりと皺が刻まれる。
「……ロゼリアから聞いてないのか? ……何も?」
「ええ、聞いていません」
「……その状況でよくオレについてくるなんて言えたな」
ディディエは呆れ半分といった様子でため息をついた。ジェイルは思わずふっと笑ってしまう。
「自分でもそう思います」
ロゼリアから直接何かを言われたわけではない。
ただ、目配せをされただけ。
たったそれだけでロゼリアが何を望んでいるのかわかってしまった。
無論、応接室でのザインとロゼリアの密談、庭でのロゼリアの言葉、直前のザインとディディエのやり取り――推測できる要素は色々あった。
知らんふり、気付かないふりをすることもできたが、ロゼリアがそれだけ自分を頼っているという事実が嬉しかったのだ。我ながら浅はかだと思うものの後悔はしてない。
ディディエが黙り込む。
エレベーターは目的の階に到着し、ジェイルは扉を開けてディディエを外へと促した。
眼前の壁には『ARCEN』のロゴが飾られており、このフロアが『ARCEN』の事務所であることを物語っている。
このフロアはエントラスよりももっと静かで、人の気配が感じられない。
誰もいないのではと感じつつ、歩き出すディディエの後を静かについていった。
やがて、ディディエがゆっくりと話し出す。
ジェイルを振り返らず、まるで独り言のように。
「……ザインは色々気にし過ぎだ。周囲の興味が上三人にしか向いてないのは、誰の目にも明らかなのに。
仮に、オレが今日事故に遭ったとしても何も疑われず普通に事故として処理させるだろう」
「それは、どういう――」
「ただの独り言だ」
とは言え、明らかにジェイルに聞かせる意図を持っている。
しかし、ディディエがこう宣言する以上はジェイルも口を挟めなかった。黙って聞け、という意味だろう。
「わざわざオレたちがロゼリアを訪ねた理由は、その目を借りるためだ。
”こんな状況”で他の会の、しかも『後継者候補』に会うならアリバイにもなる。屋敷に籠もっているよりいくらかマシだろう。
久々に会えばあいつの記憶にも残るだろう、というのがザインの言い分だった」
淡々とした語り口だった。
フロア内をゆっくりと歩き、奥にある部屋まで向かう。内装は流石老舗ブランドを思わせる作りだった。あちこちにポスターが貼られている。
辿り着いた先はデザイナー専用の執務室らしかった。
ディディエは鍵を使って扉を開け、中へと入る。ジェイルは扉の前で立ち止まったが、「中へ入れ」と言わんばかりに顎で部屋の中を示され、一緒に入る以外の選択肢は取れなかった。
室内は机がいくつか置かれており、机の上にあるものは持ち主の個性が出る。
綺麗に片付いている机もあれば、紙やペン、布のサンプルなのが置きっぱなしの机もあった。
「そのへんに適当に座っていてくれ。オレ以外のやつは多分来ない」
「……お待ち下さい。まさか、仕事とは――」
「今日の午前中に打ち合わせが入っているんだ。それに、スケジュールが押してるのは嘘じゃない。
打ち合わせの相手は間違いなく来る。……まぁ、恐らくこの雪で遅れるだろうが……」
その言葉に少し安堵した。そして、部屋の隅に置いてあるパイプ椅子に腰掛ける。
ジェイルの予想通り、ディディエは一際綺麗に片付いた机の元に向かい、椅子に腰掛けた。
引き出しからスケッチブックを取り出して眺めている。デザインが描かれているのだろうか。
視線を落としたまま、口を開く。
「……ロゼリアに会うことは、オレは反対だった。あいつにはいい思い出がないからな」
ディディエの口調は苦々しく、表情にも苦いものが混じっている。
これまでの言動からディディエが特にロゼリアを嫌っているのは伝わってきた。その理由はジェイルも知っているので、しょうがないことだと思っている。
「だが、……ザインは唯一交渉できる相手だと言って譲らないし、カミルは会ってみたいとまで言うし……。
ならオレはついて行かないと言ったんだが……無理やり連れて行かれたんだ」
「仲がよろしいのですね」
思わず口を挟んでしまった。しまったと思っても後の祭りだ。
スケッチブックを捲る手が止まり、ディディエがジェイルに静かに視線を向け、またスケッチブックに戻してしまった。
何も言われなかったことに安堵する。
「そうだな、仲は、いい。と思う。
……多少苦手に思うこともあるが、姉さんや兄さんのことだって嫌いなわけじゃない。
だが……」
ディディエが言葉を切る。
スケッチブックを捲る手も止まっている。
何か言いかけてはやめて、ということを繰り返していた。
(これは、自分が聞いていい話なのか?)
ディディエの話に耳を傾けつつ疑問に思うジェイル。
ついさっきジェイルの言葉に反応した時点で、ディディエの独り言ではなくなっているのだ。ディディエもそう感じているからこそ、言葉をつまらせているのだろう。
――部外者に聞かせていい話なのか、を。
一方で、”できることを見つけた”と言っていたアリスの言葉を思い出す。
(……いや、何がお嬢様の欲しい情報が何なのかわからない手前、聞けるものは何でも聞いておくべきだろう)
ジェイルはディディエを見つめ、その先を促すような言葉を探した。
「……何か、気がかりなことでも……?」
静かに問いかけると、ディディエの指先がピクリを動く。
スケッチブックから手を離して俯いてしまった。
「……相手を害したいと思うほどに憎悪する気持ちが、オレにはわからない」
静かに、僅かな苦みとともに吐き出された言葉。
その意味するところが全くわからず、ジェイルは混乱した。先程の「だが」に続く言葉には到底思えない。
――しかし、残念ながらジェイルには誰かを憎悪する気持ちがわかる。
ユキヤが父親を殺そうとする瞬間を見たし、ハルヒトも継母に恨まれて危険な目に遭っていた。
そして、何かが一歩間違っていれば、ジェイルだってロゼリアを――。
そんな気持ちを払拭するようにジェイルはディディエを見つめた。
「ディディエ様、それは……いえ、何でもありません」
誰のことを言っているのか。それを聞こうとしたが、聞いても答えるとは思えなかったので撤回した。
ディディエは自嘲気味に笑いながら顔を上げ、ちらりとジェイルに視線を投げてくる。
「ザインの不安は最もだが、多分的外れだ。だからロゼリアに会うことは無意味だとも言った。
あいつはあれで身内を疑おうとしないから……オレの考えはきっと意味不明なんだろう。
……まぁ、漠然とした違和感を覚えてるだけで、何の証拠も根拠もないからな……話しようがないんだ、オレには」
そう言ってディディエは口を閉ざしてしまった。
誰のことを言っているのか。何のことを言っているのか。
ニュアンスから”誰か”のことを指し示しているのは感じ取れたが、ジェイルには全く理解できない言葉の数々だった。
ロゼリアには話すが――何か意味があるのだろうか。
しかし、またもアリスの言葉を思い出す。
”パスルのピースを探して、ロゼリアさまにお渡しするだけ”。
確かにその通りだと言い聞かせ、ディディエの『独り言』を忘れないようにするのだった。




