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夜鴉の求愛  作者: 神代きい
エピローグ

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22/22

穏やかな日々へ

 天使達が住む天界と魔族達が住む魔界との中間にある狭間の地、そこで様々な種族が入り雑じり暮らす街の一つがエグシスだ。

 エグシスに住む者達の事情は多種多様だ。天界や魔界から居場所を失いエグシスに居着いた者、あえてエグシスを好んで住み着いた者。

 そして、主君から密命を受けて身分を隠し駐在している者。

「……」

 ここは多彩な店舗が立ち並ぶバザールにあるカフェバー。今日は定休日だが、マスターは身綺麗な姿で冷静にカップを磨いている。

 大事な来客の予定があるのだ。

 磨き終えたカップを置いてふぅと息を吐いていると、視界に深紅の光が走った。

 光はマスターが目を向ける僅かな間に店内の床に魔法陣を描き、二人の人物が姿を現す。

 その姿にマスターは驚いて軽く目を見開く。来客はわかっていたが、まさかこの姿で来訪するとは思わなかったのだ。

 素早く動揺を鎮めたマスターは、胸に手を当てて来訪者に頭を垂れた。

「偉大なるフリューゲルの翼にご挨拶申し上げます」

「構わん、頭を上げろ。調子はどうだ?」

 親しげに話し掛けられて、マスターは更に深く頭を下げた後に姿勢を正す。

 そこにいるのは自身の主君であり魔界の広大なフリューゲルを治める夜鴉公(よがらすこう)。しかも普段エグシスを訪れる際に使っていた《擬態》の魔法がない姿だ。

 見る者を惹き付ける圧倒的な存在感。整った顔立ちに均等の取れた体躯。宵闇にさえ映える鴉羽色の長髪はどこまでも艶やかで、どんな宝石よりも美しい深紅の瞳はこの世全ての存在を魅了してしまいそうだ。

 主君の隣にいるのは小柄な女性だ。綺麗な黒髪に茶色の穏やかな瞳。この姿では初めて相対するのだが……、その元気そうな様子にほっと安堵の息をついた。

「番様もお元気そうで何よりです」

 マスターの挨拶に顔を赤らめた女性はワタワタと両手を振った。

「マ、マスターに番様呼びをされると何だか恥ずかしい……っ」

「キラ、なんで恥ずかしがっているんだ? レン達に呼ばれるのには慣れただろう?」

「なんか違うのっ! 正体を隠していた私に親身になってくれていた人だしっ」

「何だよ。俺より頼りになったってことか?」

「ちっがーうーっ! 妬いて張り合わないでよ、ディーっ!」

「あははっ!」

 主君は快活に笑いながらポカポカと叩く女性の拳を軽く受け流している。その様子からも二人の仲睦まじさが伝わってきて、マスターは思わず顔を綻ばせた。

 そんなマスターに気付いた女性が「と、とにかくっ!」と咳払いをする。

「マスター、ご無沙汰していますっ。あと、ご心配とご迷惑をおかけしましたっ!

 ……ディー、その物言いたげな視線はやめてね。自分の配下に私が敬語を使うのが気に入らないディーの気持ちはわかるけど、今はあえて敬語を使っているのっ。お世話になったマスターに従業員としてちゃんとお礼を言いたかったんだからねっ!」

 主君に対して拗ねたように唇を尖らせた女性を見て、マスターは安堵のため息をついた。

 ……あぁ、本当に良かった……。

 マスターは天界から出奔してこのエグシスへとやって来た彼女を主君の命令で見守ってきた。このバーに雇うという形でそれとなく衣食住を支援し、彼女が人生初の自由を謳歌できるように支えてきたのだ。

 少年の姿に《擬態》した彼女は慣れない生活に苦戦しながらも充実した日々を送っているようだった。そんな彼女に自分はまるで保護者のような感覚を感じ始めていた。

 事件が起きたのはバーの定休日のこと。自分の目が離れた僅かな隙に、彼女はバドから獲物を物色に来ていた賊の目に留まり、襲われたのだ。

 彼女を見失って血の気が引いた。その後に主君から事の顛末を聞いた瞬間、自分は死罪を覚悟した。

 だが。主君から受けた罰は叱責と、より厳格な諜報活動の命令のみ。

 彼女を襲った賊達は主君の手で手足を捥がれ、生き地獄へと突き落とされている。その事実を主君の無邪気な番は知らないのかもしれない。

「番となられましたこと、心よりお慶び申し上げます」

「おう。もっと盛大に祝っていいぞ」

「もーっ! ディーは調子に乗らずに自重してっ! 私はエグシスで一生懸命に《擬態》していたのに、最初からマスターもディーとグルで知っていただなんて、私は本当に恥ずかしいんだからっ……!」

「そこで腹を立てるんじゃなくて照れるのがキラだよなぁ。ああっ、俺のキラは本当に可愛い」

「さりげなく私の腰を抱き寄せようとしないで自重してッ! マスターっ、ディーが黙らせる物を何か飲ませてよっ!」

 顔を真っ赤にしながら注文した女性は、いと気高き偉大な夜鴉公(よがらすこう)をズルズルと引きずってカウンター席に座らせた。まさに番相手にしか許されない暴挙だ。

 大人しく席に着いた主君は嬉しそうに笑いながらカウンターテーブルに頬杖を突いた。

「酒はいらんぞ。この後はキラと二人でデートだからな。酒精が入った状態で街中を歩く真似はしない」

 デート。その言葉が主君の口から飛び出したことが新鮮だ。

 マスターは微笑みながら「承知致しました」と返事をして、茶葉の準備を始めた。

 扉の外、バザールは今日も大賑わいだ。だがこのバーの店内はマスターの結界に区切られたこのバーの店内は完全に外からの音と視線を遮断し、落ち着いた雰囲気が漂っている。

 コポコポと湯が沸く音に、茶葉と茶器を扱う音。そして、主君とその番である女性が仲良くじゃれあっている声。

 マスターの家系は代々フリューゲルの主、すなわち夜鴉公(よがらすこう)に仕えてきた。現当主である兄ジルはフリューゲル城の家令であり、主君の右腕とも呼べる地位にいる。

 それに対し、自分は諜報要員として主君に仕えている。主君の命令でこのエグシスに潜み、天界魔界問わずに各地の情報を集めているのだ。

「えーと……。ディーからマスターの名前を聞いちゃったんだけれど、呼んでも大丈夫?」

 魔族は真名を大切にする生き物。他者から呼ばれる名前には必ず偽りの名(あざな)を使っている。

 偽りの名とはいえ、名前は名前だ。そして魔族はチカラ関係がハッキリとしているため、自分が認められない存在から名前を呼ばれることは不愉快だし、失礼な行いだとされている。

 だが、この女性ならば話は別だ。

 彼女は己の君主である夜鴉公(よがらすこう)の番。名前を呼ばれることに不愉快どころか栄誉すら感じる。

「もちろんでございますとも。番様が我が名をお呼び下さるとは光栄でございます」

「もーっ! マスターに畏まられると何かムズムズするからやめて欲しいっ。前みたいに態度を崩してよっ!」

「だ、そうだ。寛いで構わんぞ。キラが落ち着くようにしてやれ」

「——はい。わかりました」

 苦笑ぎみな主君に促されて、マスターは一つ息を吐いてから表情と気配を緩ませた。

 馴染みのあるそれらに安堵したのか、女性もまたはぁとため息をついている。

「それでえぇと。マスター——ううん、ゼスさん」

「……」

 態度を崩して良いとは言われたが、主君の番からさん付けをされるとは……。

 主君もまた物言いたげな表情で苦笑している。

「キラ」

「わかっているけど、今はさん付けするからね! お城での再会なら話は別だけど、このお店ではさん付けするっ!」

「ふふっ……、まったく。お前の好きにしていい」

 そんな二人の様子にマスター——ゼスは再び安堵した。

 生まれてからこれまで人に敬われることを知らなかった彼女は、今ではフリューゲルの女主人という立場。そのギャップに戸惑うこともあるだろうし、下手をすれば相対した相手から侮られて見下されることもあり得るのだ。今後夜鴉公(よがらすこう)の番として相応しい立ち振舞いが求められる場面も増えてくることだろう。

 だが。彼女の様子を見るに、今の環境と立ち位置に少しずつ慣れてきているようだ。おそらく城で日々学びを得ているに違いない。

 彼女は彼女なりに自分の在り方を考えている。それを主君は肯定して見守っている。本当に良好な関係だ。

「お待たせしました」

 準備を終えたティーセットを主君と女性の前にセットする。今日は陽気が暖かいので、この後の外出に備えてゆっくり寛げるようにとアイスティーを用意した。

 女性は綺麗な琥珀色のアイスティーをコクンと飲んで、ふにゃっと表情を崩した。

「んー、美味しいっ。やっぱりお茶って淹れる人で味が変わるんだね。レンのお茶も好きだけど、マスターのお茶も好きだなぁ」

「キラ、俺が淹れた茶は?」

「ディーはお茶よりもカクテルが好きー。そもそも私はディーが作ったカクテルしか飲んだことがないからね」

「ゼス、命令だ。今後絶対キラにカクテルを作るな」

「もうっ! そこで張り合うのはやめてよ」

「あははっ!」

 主君は番に肩を揺さぶられつつ自然な笑顔で朗らかに笑っている。本当に幸せそうだ。

 主の喜びは配下である自分の喜び。心が暖かくなってくる。

「お二方は本日ゆっくりと過ごされるのですか?」

 ゼスの問いに女性が「うんっ」と嬉しそうに頷いた。

「ディーが溜まっていた半年分の執務を片付けて、まとまった休暇を取ってくれたんだ。今日はエグシスを歩いて、明日はお城でのんびりして、明後日はフリューゲルの城下町を案内してもらうの」

「そうだな。明日は俺の部屋でのんびりしような」

「普通にのんびり過ごすだけだからね?! フツーにッ!」

「ふふっ、俺の番が何やら妄想をして赤くなっていて可愛いなぁ」

「誰のせいだと思っているの?!」

 主君は顔を真っ赤にした番に肩をポカポカと叩かれつつゼスに視線を投げつけた。

「なぁゼス、俺の番は本当に可愛いらしいだろう?」

「はい、もちろんですとも。主様と番様は大変お似合いでございます。羨ましい限りです」

「フッ。そうだろう、そうだろう。もっと誉め称えて羨んでも構わんぞ。思う存分に吹聴しろ」

「恥ずかしいからやめて……」 

 顔を両手で隠してしまった女性だが、真っ赤な耳が丸見えだ。可愛らしい。

 そんな番の頭を優しく撫でている主君の眼差しはとても愛おしげだ。こんなに穏やかな夜鴉公(よがらすこう)の表情は見たことがない。

 主君と番の仲が良好なことは兄ジルから話は聞いていた。ジルは「執務の合間に隙あらば惚気を披露されるのだ」と苦笑していたが……。なるほど、理解した。 

「さて。キラ、そろそろ行こうか」

 お茶を飲み終えた主君はカップをカウンターに置くと、番の背中をポンポンと撫でて離席を促した。

 対して彼女はむぅと拗ねたように唇を尖らせていたが、主君にさりげなく求愛の口付けをされると「もうっ!」と慌てて席を立った。

「骨董品マーケットで珍しいアンティークビーズとかがあったら買ってね、ディー」

「もちろん、お前が欲しい物は何でも買ってやるとも。俺の財布はお前の財布、つまりフリューゲルの財は全てお前のものだ」

「まったくもうっ、またそういう無責任なことを適当に言うんだから。はぁ……、魔界の物価とか魔族の正しい金銭感覚とか勉強しよう」

 主君はやれやれと苦笑する番に再度求愛の口付けをすると、魔法を使って自身と番の姿を《擬態》した。

 今ゼスの前にいるのは黒髪黒目の青年と栗毛の少女。少女の姿にはかつて彼女が《擬態》していた少年の面影が窺えた。

「それじゃあゼスさん——ううん、マスター! お茶をご馳走さまでしたっ!」

「——はい。またのお越しをお待ちしております」

 仲良く腕を組んだ若い番は、活気あふれるバザールの雑踏へと消えていく。

 ゼスはその幸せな後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、静かに笑んで目を閉じた。

 本作『夜鴉の求愛』をお読みくださり、誠にありがとうございます。

 この度、無事にエピローグを迎えることができました。



 無事に番となったキラとディーですが、番の縁を結んで「はい、ゴール」とはなりません。


 大天使から上位魔族へと変じたディーは、純粋な魔族以上に長命な存在。

 彼が築いたフリューゲルに住む魔族は全て彼よりも年下です。

 ディーは多くの民達の生誕から最期の時までを見届けてきました。

 そのディーの番となったキラもまた、ディーの隣に寄り添いながら、この先長い年月を生きていくこととなります。


 この先、自分達に何が待ち構えているのか?

 今のキラとディーにはそれを知る術はありません。


 ――ああ。

 そういえば。


 天界に住む天使や大天使は魔法が使えません。

 彼ら彼女らに使えるのは、魔法とは異なる聖なるチカラなのですから。


 ならば。

 キラが天界で入手したあの魔法道具は、一体何だったのでしょう?


 キラがフリューゲル城で目覚めた時には、すでに彼女の手元からなくなっていましたね。


 ディーは気絶したキラの手元から取り上げたアレをどうしたのでしょう?


 そもそも。

 何故天界にあのような物があったのでしょうね……?



 それでは。また、お会いしましょう。

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