余談6 小さな礼拝堂の訪問者
ニ゛ャァァァァァ!
余談書くの楽しいニ゛ャァァァァ!
救いを与える神様なんているはずがない。
ひねくれ者の俺は昔からそう思っていた。
理由は単純明快である。もし実在したらもう少しマシな世の中になっているに違いないからだ。
本当に偉大で尊い精神の持ち主だというのなら、藁にでもすがりたい程に苦しんでいる人間がいるのに見ぬふりをする筈がない。
地上は今日も争いが絶えず、飢えは容赦なく襲いかかり、はした金を求めた物取りが罪なき者の喉を切り裂く。
答えは一つだ。
神はいないか、あるいは人を救うつもりなどないか。
少なくとも信ずるには値しない。
今ももちろんそう思っているし、なに一つ考えは変わっていない。
ところがどうして驚いたことに天使は存在した。
「神はいない」と言っておきながらその使いたる「天使はいる」というのは甚だおかしい話だが、目の前に実在する以上は仕方ない。
「こんにちは、ライナス様。今日もいらしてくださったんですね」
そう。彼女を初めて見かけた時から俺は天使が舞い降りたのだと信じてやまない。
曇天のような色のベールの隙間から顔を覗かせた黄金色の艷やかな髪は今日も星屑のように美しい。
全身を修道服に身を包んだ姿は清楚で神々しく、跪いて彼女に祈りを捧げたくなる衝動をグッと堪える。
天使のように麗しい彼女の名前はステラ。
長らく神官が不在であった礼拝堂へとつい最近派遣された聖光教会の若きシスターである。
騎士科の訓練場の一番はずれにある小さな白い小屋。周りを樹高数十メートル以上の伸びすぎたトウヒで囲まれ、ひっそりと佇む三角屋根の建物から突き出した低い塔には大きな鐘が吊り下がっている。
それが礼拝堂であると知ったのは偶然の事だった。最低限の手入れはなされていたらしいが、あまり小綺麗ではなかった。
たまたま、訓練で走り込みをしていたところ、彼女がたった一人で外壁にへばりついた苔を落として磨き上げている姿を見かけたのだ。
内部の掃除も隅々に至るまで彼女一人で行ったとか。
ほぼ身一つで荒れ果てた聖堂の再建へと志願したらしい。その気高さには感服するところである。
「学院を出ればいつ死ぬかもわからない苦渋の日々が口を開けて待っていると思うと、今の内から少しでも長生き出来るよう神頼みでもしておこうと思っただけさ」
これは嘘とも本当ともつかぬいい訳である。
俺の実家である王国の北に位置するセプテントリオン家は帝国との国境に接した紛争地帯なのだ。
それでも年に数度だけこちらにちょっかいを出して来る程度だったのだが、数年前に一度だけ戦いが激化して両者ともに大きな被害を出した。
向こうは当主を失ったが、こちらは跡継ぎであった長男を含む二人の兄が帰らぬ人となった。
おかげさまで三男なのに次期当主へと繰り上がってしまった。同時に将来の夢であった平和な王都を警らする気楽な騎士への道は完全に閉ざされた。
争いなどと縁遠い悠悠自適な日々はもはや夢物語と成り果てた。
俺を待っているのは辛く苦しい国境防衛戦だけだ。これより少しでもマシな生き方が出来るなら、祈るどころか女神の靴を舐めるぐらいのことは平気でやる自信がある。
そんなお先真っ暗な俺の唯一の癒やしこそ彼女なのだ。
「邪魔になるようならまたの機会にするが」
顔を見たい一心でやって来たが、どうやら忙しそうである。こっちに気付く前は掃除でもしていたのか、踏み台に乗って背伸びをしながら灯具に向けて手を伸ばしているところだったのだ。
飽きもせず毎日礼拝堂に顔を出す者など王国にはそういない。
……我ながら下心丸出しで呆れるが、なりふり構ってもいられない。
彼女に会えない日は今や絶望と言える。その日一日心が曇る。
反対に彼女を視界に映し、声を聞くだけで胸は温かく、世界は明るくなる。
とはいえ、絶対に嫌われたくないので不快に思われるくらいなら引く他ない。
だが、彼女は嫌な顔一つすることもなく柔らかな笑みを浮かべた。
まさに天使!
「どうぞ私の事など気にせず、中へお入りください。これほど熱心に通ってくださっているのですから女神様もきっとお喜びになっていますよ」
「だといいんだがな」
信心深さなどパサランの極小魔石ほども持ち合わせていないので、全肯定されても逆に心苦しいということがわかった。
まあ疎まれるより遥かにいいが。
「それで……君はそんなところでなにをしていたんだ」
「ああ、これはですね。いつもどおり掃除をしようと思いましたら、灯りの1つが消えていることに気がついたんです。それで中を覗こうとしたのですけれど、どうやらこの踏み台では高さが足りなかったみたいです」
恥ずかしそうに頬をかいた彼女は苦笑いをしながら台の下に降りようと足を踏み出したその時だった。
「あっ!?」
一番上の踏み板から二段目に足を掛けようとした瞬間にステラがバランスを崩してしまう。
頭から仰向けになるように落ちてきた彼女を慌てて受け止める。
その拍子にバラのようないい匂いが鼻孔を走り抜け、俺の頭を蹂躙する。
「ご、ごめんなさい。うっかり裾を踏んでしまいました……」
抱き抱えられたまま眉をハの字にして申し訳無さそうにする彼女の顔がすぐそこにあった。
「っ……!」
瑞々しそうな唇に目を奪われた瞬間、顔が火炙りにでもあったように熱くなる。思わず声が出そうになるのを抑えてすぐに彼女を床へと降ろしてやった。
女性の中では比較的背は高い方だが、身体は華奢だ。それでも咄嗟に支えられたのは日頃の鍛錬のおかげか。
文字通り死活問題だから昔よりは真面目に鍛えるようになったわけだが思わぬ形で役に立った。だが次からは精神も鍛えるべきであるとはっきりわかった。
そうであれば彼女の温もりをもう少しだけ味わう事が出来たはずである。実にもったいないことをした。
「そっ、そういうこともある。気にするほどの事じゃない。とりあえず灯具は俺が確認しよう」
上ずった声で申し出て、返事も聞かずに踏み台を登る。
「すみません。お願いいたします」
これ以上意識しないように注意を無理やり不調の灯具へと移した。ガラスの蓋を外して、中を覗くと魔法陣の描かれた石が台座にはまっていた。
これを一度外してはめ直し、後ろを振り返る。
「試しに起動させてみてくれるか」
「はい。わかりました」
元気の良い返事と共にぱたぱたとステラが離れていく。
明かりをつけるためのレバーと魔石は入り口の近くにあり、その一箇所を起動するとすべての灯具が点灯する仕組みだろう。
「入れました。どうですか?」
柱の影からひょこっと顔だけ出した彼女がこちらを見て尋ねる。
うん、非の打ち所がないくらい可愛い。
「問題なくついているよ。どうやら接触が悪かったらしい」
「ああ、良かったです。本当にありがとうございました。ライナス様はとても頼りになるお方なのですね」
家柄は男爵家と言えども、ろくな産業はない上に国防ばかりでウチは本当に貧乏だ。
使用人に混ざって屋敷を修繕するくらいのことは日常の一部である。
「これくらいなんでもないさ。掃除でも補修でも、手が必要なら言ってくれ。いつでも君の力になる」
むしろ積極的に呼んでくれても良いくらいだ。
彼女の助けになれるなら、俺はどんな雑用でも喜んで引き受ける。
しかし、良かれと思って提案したのに、彼女はなぜか目を見開いて固まっていた。
そして、頬を伝う一筋の煌きが顎を経由して床へと吸い込まれた。
「なっ……どうしたんだ!? どこか痛めたのか!?」
「ごめん……なさい。大丈夫です。驚かせてしまってすみません」
再び溜まった涙を指で拭うと彼女は照れくさそうに笑った。
……天使どころか女神なんじゃないか、彼女は。気を抜いたら今すぐ抱きしめてしまいそうだ。
「ここへ来る前はなんでも自分で出来ると思っていました。でも、一人では出来ないことが世の中にはたくさんあるのだと今は痛感しています」
謙虚で誠実な彼女にしては意外だ。そんな感想が浮かんだが、すぐに考えを改める。俺は彼女のことをまだ何も知らない。
ここに来る前はなにをしていたのか。どんな食べ物が好きなのか。休みの日はどうやって過ごしているのか。
色んな事をもっと知っていきたいと切に思う。
「ですから、そんな風におっしゃって貰えたのが凄く嬉しくて、つい感極まってしまいました。ライナス様のような心優しいお方に出会えた事を女神様に感謝しなくてはいけませんね」
健気にも明るく振舞っていた彼女だがどこかで孤独を感じていたのだろうか。
彼女自身、うら若きシスターがこんな古ぼけた礼拝堂へとたった一人で送られてくるくらいにはきっと訳ありなのだろう。
もしかすると穏やかな表情の裏で大きな傷を抱えているかもしれない。それでも、こんな陳腐な言葉一つで喜びを顕にする彼女の心は本当に純粋で美しいと俺は思う。
「そうだな。祈るついでに俺からも厚く礼を言っておこう。奇跡をねだられるばかりでは女神様もいい加減うんざりしているかもしれないからな。たまに感謝を伝えるのも悪くない」
冗談めかしてそう言うとステラは目をぱちくりさせ、やがて口元を押さえて笑い出した。
その市井の人とは思えぬ流麗な仕草に思わず息を呑む。
「ふふふっ、それはそうかもしれませんね」
俺はガラス製の半球形をしたカバーを灯具に付け直す。上背があるとこういう時に役に立つ。
「あ、お気をつけてください」
作業を終えて踏み台から降りようとしたそのタイミングでステラはダンスにエスコートでもするように上向きの手のひらを差し出してきた。
これは捕まれということなのか?
しかし、あの細腕では仮に俺が落ちても支えるのは難しいと思うが……
「一応言っておくが俺は転ばないぞ?」
「えっ? あっ!? 間違えました!?」
なにとだ。
「すみません、癖で」
なんのだ!?
いや、やめておこう。身の上話を聞くのはまだ尚早だ。彼女にとって話したい内容であるかはわからないのだから。
「まあ、折角だから手を借りるとするよ」
「はい!」
にっこりと晴れやかな笑みを浮かべた彼女の手はなぜか一部が硬かった。
これはまるで……
「熟練の剣士のような手の平だが、もしかして剣の心得があるのか?」
「い、いえいえ、ないです! まったくないですよ! これはきっとあれです……そう、料理! 料理のし過ぎですから!」
その言い訳は無理があるとは思うが……
思わず苦笑を浮かべてしまうと、ステラは更に慌てて頭を抱える。
「そ、そ、そうだ。今度のお休みの日に私の手料理をごちそうするなんて、どうですか!?」
「あ、ああ……ならお言葉に甘えるとしよう。だが無理はしなくていいぞ」
よし! それは最高の褒美だ。
「無理なんかしてませんよ! 腕によりを掛けますから、楽しみにしてください! 全身全霊でご用意します」
両腕を肩の高さまで上げて拳を握り、意気込む姿も可愛いな。
それから女神の石像の前で祈りを捧げたあと、また少しだけ雑談してから俺は自分の部屋へと帰った。
彼女についてはまだまだ謎ばかりだったが、それよりも俺の頭の中は彼女が自分の為だけに作ってくれる手料理についてで占められていた。
今日、俺は本気で神に感謝したのだった。
次回もこの話が続きます




