第4章22話 やり直し
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日が昇っている内は人波が絶えることのない大広場はすっかりと物静かになっていた。幾何学的に並べられた二色の石畳には災禍の爪痕が残っており、所々に転げ落ちるほどの大穴が顔を覗かせていた。
激しい損傷が見られる箇所もあるが教会本部に近い区画へと被害が集中していた為、広場は逃げ遅れた者や負傷者にとっては貴重な避難場所になっている。
そこに集まった多くの人々は希望を失っており、静粛に祈りを捧げていた。
その中でひたすらに動き続けている者達もいる。教会が救援を命じた聖騎士達である。危機が去ってから駆けつけた彼らはというと、けが人の応急処置や救助に追われていた。
他にも多くの騎士が投入されていたが、甚大な被害への対応を十全に行うには手が足りないのは火を見るより明らかである。
だが彼らはとても幸運である。
何故ならば、天地をひっくり返すほどの強力な助っ人が間もなく到着するからだ。
広場と教会本部の中ほどの場所。がらがらのメインストリートを一台の馬車がすいすいと進んでゆく。
「にしても、ひっ捕らえた男に修道服を着せて引きずり回すなんて、まともな奴の発想じゃないわね」
カタカタと揺れる車内には四人の美しい女性の姿があった。
花も恥じらう令嬢二人に妙齢ほどのメイドが一人。そして、麦畑のように綺麗な金髪と傷一つない琥珀のような瞳を持つシスターである。
ちなみにギルバートは残務があるので教会に残った。
今頃はもう彼にとって楽しい楽しい取り立てが始まっているだろう。
「なにをおっしゃいますか。エリさんだって、リップオイル塗りましょ。絶対エロくなるわよ、とか言ってノリノリだったじゃないですかぁ」
口をとがらせたラズの反論は斜向かいの席にいたシスターの顔を僅かに朱に染めた。
彼女はリップオイルは付けたことがなかったし、耳の横の髪を可愛らしく編んだこともなかったし、ベールを被ったこともなかった。
もちろん修道服を着るのも初めてだ。
なぜなら彼女は彼だったからである。
「仕方ないでしょ。ただカツラ被っただけで美少女になったのよ? 本気でカスタマイズしたらどこまでいけるか試したくなるじゃない」
「どこからどう見ても可憐で清楚なシスターそのものですね」
「ラズ様には及びませんが、世の男性が放っておかないくらいには良好な仕上りであると自負します」
今回のメイクアップはリタにとっても会心の出来栄えであった。相変わらず変化のない顔でも心なしか自慢気である。
「……メイド、今すぐ目立たぬ変装にしてくれ。どうにも心許ない」
頬こそ薄く赤らんでいるが、レグルスは普段の仏頂面を保っていた。ギリギリではあるが感情をきちんとコントロールしているのは彼が持つ強い精神力の成せる業だ。
しかし、彼を彼女にした元凶はその泣き言をスパッと切り捨てる。
「あうとです!」
「アウト……!?」
驚いたレグルスがオウム返しをすると、人差し指を立ててラズがダメ出しをする。
「★いいですか。貴方は今、清純無垢な金髪美少女シスターなんですよ。もっと愛想よく可愛らしく喋ってください!」
「お言葉ですが聖女様……なぜ性別まで偽る必要あるのですか?」
変装の必要性は重々理解していたが、わざわざ女装でなくてもいいのではないかという思いがあった。女性の真似事をするなど彼にとって容易なことではないし、そういった趣味もない。
だが、その考えはすぐに安直な発想であった事に気付かされた。
「だって見た目を派手にしても声や口調が同じだと、知ってる人は貴方だと気づいちゃいますよ。特に教会関係者には特徴が知れ渡っていますよね」
「……そうです」
「地味な見た目になんてしたらかえってわかりやすくなるので却下です。なにがあっても身元が割れる事態だけは絶対に避けなくてはなりません」
「色々とぶっ飛んでる癖に急にどうしようもないくらいの正論で抉ってくるから本当に厄介よね、あんた」
なんの反論も浮かばないレグルスにエリーゼは本気で同情した。ふわふわした見た目と口調からなにも考えていなさそうなラズだが実際には思慮深い。
「せめて新しい生き方が見つかるまでは女性として過ごしていただくのが素性を隠蔽する最良の手段です。勤勉な聖騎士イメージを持っている方ほど今の姿を疑わないでしょうから。今回の救護活動の最中に万が一怪しまれることがあるようなら、王国に入ってからの貴方の行動に制約を課さなくてはなりません」
ラズは一旦言葉を切ると、一拍置いて、ですが、と話を続ける。
「わたくしのエゴかもしれませんが貴方には色んなことに触れた上で、自分の進む道を選んでほしいのです。過去のしがらみにとらわれることなく生きてゆけるようにしたいのです」
教会の転覆を企てたのはレグルスだが、そうしなかったとしてこの襲撃を防ぐことが出来たわけではない。というのも『闇厄竜』はレグルスよりも遥かに強いのである。
群れを用意した人物がその気になれば、聖都はとっくに更地へとなっている。
最終的にレグルスが反旗を翻したことで発生した被害はラズの在庫とギルバートの剣ぐらいなのだ。
目的は教会の断罪で、彼がそれを決意するだけの事を教会はしたとラズは思っている。
だからこそ、もっと正しい選択があったにせよこの事件を引きずって欲しくはないのだ。
「度し難く浅慮な私をどうかお許しください。崇高なる思し召しに従い、当面の間は人前に出るときはこの姿にいたします」
明かされ理由は納得の行くものであったらしく、座したままレグルスは深く頭を下げた。
「ご不満かもしれませんが、ほとぼりが冷めるまでの辛抱です。数年も経てば貴方が生きていたと気付く人もいなくなるでしょう」
膝の上にあったレグルスの握り拳に手を添えて、ラズが柔らかく微笑む。それだけで肩にこもっていた力がふっと抜けた。
「……なぜですか?」
「はい……?」
「なぜ、ここまでしてくださるのですか。私がどうなろうと貴女にとってはなに一つ影響がないというのに」
どこか不安げなレグルスの問いに、ラズは深く考えこむ。
困っている人を助けるのに彼女は理由を必要としない。腹を空かせている子供がいれば迷わずで施しを与えるし、けが人がいれば惜しげもなく光魔法を行使する。
しかし、今回の行動がそれと同じであるかと問われるとそうではない。漠然とした感覚だが、衝き動かされた行動であったのは確かだった。
喉に刺さった小骨のようななんとも言えない自分の気持ちが気になったラズは更に頭を巡らせる。
――失踪事件の前に話を聞いた時からなんとなくもやもやしていましたが、なんかすっきりとしないんですよねぇ。この間はナーバスになるような心当たりもないのに、いまさら前世の夢なんか見ちゃいましたし〜。って、ああ。前世ですか……
つい数日前に見た夢はかつての自分が死に絶える直前の光景だった。その時に燻っていた思いを鮮明に呼び起こした。
殉ずることすら許されなかった前世の自身が抱えていた感情の記憶が胸につかえていたものをストンと落とす。
――ああ、わたくしはただ生きてやり直す機会をレグルス様にあげたかっただけだったんですね。
転生という奇跡によって過去の無念を晴らすチャンスを得たことをラズは心から感謝していた。誰に感謝してよいのかはわからなかったが、とにかく彼女にとってこの上ない幸運で間違いない。
そして、死を経てようやく病床から解き放たれたラズだが出来ることなら、転生という形ではなく自力で元気になりたかった。病を克服して、優しくしてくれた人達に恩返しがしたかった。
なりふりかまわず人助けに勤しむのもそれが叶わなかったことへの、はらいせなのかもしれない。
この世に生まれ落ちた時から背負った運命に向き合うのが簡単ではないことはラズが一番よくわかっていた。その時は死以外の道など残されていなかった。
だがレグルスには命を絶たずとも、それ以外の生き方を選ぶ自由があることを知って欲しかったのだ。
もしレグルスが聖騎士として死ぬことを本望としているなら、生き残ることが新たな後悔になるかもしれない。静かな死を望んでいるなら、それも一つの道である。
それでもなぜレグルスに手を貸そうとしているのかといえばラズにとっては助けを求めていた時の自分をみているようで、ほっとけなかったからである。
つまりは自己満足だ。
わかってしまえば単純だったが、なんとも言えない答えに着地し、ラズは思わず苦笑いを浮かべた。
「貴方は怒るかもしれませんがこれは自分の為です。行動しないとわたくしが後悔するので、このような措置を取らせていただきました」
前世の自分を見せられているようでつい手助けしたくなった、とは言えなかったラズがぼかして答えると、自分を慮った言葉と勘違いしたレグルスは目を見開いて涙を流す。
「ああ……貴女は本当にどこまでも慈悲深く高潔なお方だ……! 私達を引き合わせてくださった主に深く感謝しなくては!」
「そのとおりです。ラズ様は頭頂から爪先まで全てが尊い至高の存在そのものです」
「ええっと、そうじゃないんですが……まあ、いいです。それよりも、もう少し柔らかく丁寧な口調と表情にしてください」
「はっ……!? 申し訳ありません……」
叱られて少しシュンとなったしおらしいレグルスを見て、エリーゼがにやにやしながら満足そうに頷いた。
いかなる時も厳かな態度を崩さない聖騎士として過ごしてきた彼が感情を表に出すシスターに豹変したギャップがツボに入っただけである。
「そういえば、名前はどうすんのよ。新しいの考えとかないと不便よ?」
その指摘はもっともで、今も馬車の中ではあるがレグルスの実名を伏せて会話している状態だ。偽名どころか改名になるが、新たな名が必要なのことは本人もわかっていた。
「出来ることなら、聖女様に名をいただけたらと……」
「ええっ!? センスないですよ?」
「なにとぞおねがいします」
「そうですねぇ……」
指名を受けたラズは頬に手を当てて悩む。
――レグルス様に似合う新しい名前は何でしょうかね。青空のように美しい髪はしばらく隠すことになりますから、かつらの金色からとりますか。瞳も少し暗い黄色ですから、近い感じですね。う〜ん……金……ゴールド……金星…………星? スター……あっ!
興奮した面持ちで両手を勢い良く合わせると、胸の巨砲が大きく揺れる。
「貴方は夜空を飾る星のように美しい瞳ですから、ステラ、というのはどうですか?」
「ステラ……ステラ」
同じ言葉を口に出して反芻を繰り返したレグルスは無邪気な笑みを浮かべた。
「もったいないくらい素敵なお名前をくださってありがとうございます。これからはステラと名乗らせていただく……きます。ああ、油断するとボロが出そうです……!」
「いえ、その調子なら大丈夫ですよ?」
ラズが首をかしげてそう言うと、エリーゼもその言葉に同意する。
「それこそラズみたいな感じで能天気に笑ってればそこら辺の女よりもかわいいから自信持ちなさい」
「それはそれで複雑……です」
レグルス改めステラが苦笑いをすると、ちょうど馬車が停止する。
「では、参りましょう。ここからは歩いて回りますので、ステラが先導してください」
「はい!」
目的の場所に到着した四人は速やかに外へと降りて行動を開始した。
「ああ……フローラーリア大広場がなんて事に……」
洗練された美しさを持つ大広場の変わり果てた姿に胸を痛めながら、ステラは一行の先頭を進む。
「地上からじゃ周囲の様子はわからなかったけど、結構やられてるわね。それでも街を優先して攻撃されていたらこの比じゃなかったんでしょうけど」
祈りを捧げる軽症者の集団を見ながらエリーゼが呟くと、ステラは顔を伏せた。
被害が及んでいることは初めからわかっていた。だが傷を負った人や損壊した街並みを改めて近くで見ると、罪の意識はより一層膨れ上がっていった。
「貴方にすべての罪がある訳ではありません。むしろ絶望の淵にあっても教会以外を標的にしなかったことで、救われた人も大勢います」
「……しかし、私は――」
複雑な表情を浮かべたステラの反論にラズはですが、と言葉を重ねた。
「それでも胸に痛みがあるというのであれば、顔を上げて今やれることに手を尽くしましょう。それがきっと貴方にとっての贖罪になるでしょう」
「っ、はいっ……!」
「さあ、そろそろいいですかね。『全癒域』」
こともなげに行使したのは光魔法の極致である範囲完全回復魔法である。魔力と引き換えに生み出された聖なる光は幻想的な輝きとともに人々の目を奪った。
「なんだ、この光は!?」
「傷が……傷が治っているぞ!」
「わたしも治っているわ!?」
「奇跡だ……女神様のご加護だ!」
口々に上がる驚嘆と歓声が入り交じる広場を顔色一つ変えることなく、ラズは次の負傷者の所とは進んでゆく。
「ラズ……まさかとは思うけど片っ端から回復させるなんて言い出すんじゃないでしょうね?」
「いえ、そのつもりです」
「魔力容量は足りるかもしれないけど、どうやっても日暮れまでに終わらないわよ。いくらなんでもあんたがそこまでしてやる筋合はないと思うけど」
エリーゼが声を掛けてもラズは構わず突き進むので仕方なく一緒に横を歩き出した。
実のところラズの行使した回復魔法の有効範囲はさほど広くない。
そのため治療して回るという行為は、決して軽い労力ではない。
まして、高度な飛行操作を長時間に渡って繰り返した疲労も確実に蓄積しているというのに、治療の不要な軽症者まで魔法を使って回るのはラズの負担が大きい。
それこそ自分達の不始末なのだから教会が懐を痛めて、聖水をばら撒けば良いだけの話だ。
だが、その理屈がまかり通らないのがラズという人間なのだ。
「これは報いなんです」
「報い?」
「かつて……弱々しかったわたくしは色んな人からたくさんのご恩をいただきました。ですがそれを返すことは叶いませんでした」
同じ転生者である彼女はその言葉の端から前世の話であることを察し、押し黙ってしまった。
「それでもわたくしはいただいたものを返したいだけなんですよ。ですから、どうか気の済むまでやらせてください」
疲れなど一切見せず、儚げに笑いかけたラズを見て、エリーゼは盛大にため息を吐き出した。
「ったく、瘴気災害の時もそうだったけど、あんたはやり過ぎなのよ」
「そうですかね?」
「そうよ。こっちがむかついてくるぐらいだわ」
「ええ〜……?」
「……大地よ、『地創』」
話の途中でエリーゼは一瞬で魔法少女風のフル装備に着替えて土魔法を発動する。無残にも広場に空いた大穴をあれよあれよという間に綺麗さっぱり元通りにすると、三日月があしらわれた短杖を肩に担いで不敵に笑う。
「だから魔力が尽きるまでは付き合ってあげるから感謝しなさい!」
威勢のよい親友の言葉に感激したラズは大きな桜色の瞳を潤ませながら、ぷるぷると震えたあとエリーゼに抱きついた。
「エリさん……!」
「ちょっ、なにすんのよ!?」
「この戦いが終わったら結婚しましょう!」
「いやいやいや、私にそんな趣味はないわよ、馬鹿!? うっとうしいからいい加減離れなさいよ!」
ステッキでバシバシ頭を叩いても真竜を締め殺すことも可能な熱い抱擁は緩む気配を見せない。
「え〜、減るもんじゃないんだし、いいじゃないですかぁ〜」
見かねたステラが眉をハの字にして「日暮れどころか夜通しになってしまいますよ……」と諌めるまでラズはエリーゼに絡みついたのであった。
後日、闇翼の禍災と名付けられた無数のドラゴンによる聖都襲撃事件は後の世まで長く伝わることになった。
やがて御伽として語られるようになり、大人から子供まで広く知るその話を要約するとこうだ。
"ある日、聖都は空を覆うほどの黒竜の群れに襲われてしまった。だが、三人の従者を引き連れた聖女様によって竜達は討ち滅ぼされる。
そして、瑞々しい桃色の目と髪を持った聖女様は傷付いた人々を癒やし、紅蓮のような髪の少女の従者は壊れた街を直し、メイド服を纏った従者が食事をこしらえて、黄金のような髪の修道女がそれを慰めながら配った。
恐怖と絶望のどん底にいた人々は明るさを取り戻して、街に平和が訪れのであった。"
喉が枯れ果てるまで優しい声を掛け続けた修道女の正体に誰ひとり気付くことはなかったのである。
次のお話でこの章は最後になります




