19.流水の如く至る場所へ落ち着く
轟音と共に、何やら騒がしくなる扉の向こう。カイザは耳を澄ませてその場に立ち尽くす。
「また賊だぞ!」
「さっきの奴らの仲間か!?」
バタバタと兵士が走る音が聞こえた。そして、
「カイザ! クリストフ! 何処だ!」
カイザは眉をピクリと動かし、慌てて鍵を開ける。そして、勢いよく扉の向こうに飛び出した。
階段の下を見ると、そこには兵士達と荷物一つで応戦するフィオールがいた。
「フィオール! 何でここに!?」
カイザが下に向かって叫ぶ。遠くて顔は見えないが、フィオールの帽子頭は確認できる。その頭がカイザの方を見た。
「無事か!」
「ああ! だが、クリストフが!」
気配を感じてカイザが後ろを振り返ると、一人の兵士が剣を振り上げていた。
カイザは振り下ろされる剣を紙一重で避けて、距離をとる。兵士は兜の下で、何やら笑い始めた。
「昨夜はよくもやってくれたな、盗賊の若造」
「…?」
カイザが首を傾げると、兵士は兜を外した。兵士は昨晩カイザに金の腕章や剣を奪われ、クリストフに蹴り飛ばされた男だった。不気味に笑う男を見て、カイザは、あ、と小さく声を出した。
「…お前は、」
「一対一で正々堂々!」
兵士はカイザに斬りかかった。殺気を纏い、激しく剣を振る。やはり、兵を率いていただけあってその太刀筋は鮮やかだ。ナイフや道具を奪われた丸腰のカイザは、一向に避けた。すると、先程の扉まで追い詰められ、逃げ道を塞がれてしまった。
「くそっ!」
左手のアーマーで兵士の剣を受け止めたカイザの視界に、兵士のあいた左手に握り締められている、もう一本の剣が飛び込んできた。カイザはハッと息を飲む。
「終わりだ!」
剣の切先が、カイザの心臓目掛けて伸びてくる。カイザは動けずに、素手の右腕一本で凌ごうとした。その時、
「どけ!」
フィオールの声がした。兵士とカイザが思わず横を見ると、下層から最上階まで火柱が上がった。そして、その中からフィオールが飛び出して来た。
「うわ!」
驚きのあまりよろめく兵士。カイザは、兵士の緩んだ手元を蹴り上げた。左手の剣が弧を描いて手摺を越え、火の海になっている下層へと落ちてゆく。
兵士が右手の剣を握り直す……が、続け様に繰り出されだ蹴りによろめき、手摺を越え、真っ逆さまに下層へと身を落としてしまった。そして、危機一髪のところで形勢逆転し、男の悲鳴を耳にしていたカイザに……
「…どけって!」
フィオールが突っ込んできた。正面からぶつかりそのまま壁に激突する二人。
「いってぇ……」
「わりーわりー」
フィオールはよろよろとカイザの腕を掴んだ。
「いや、助かった」
カイザは腕を引かれながら立ち上がり、下層を見下ろした。火はだいぶ小さくなり、パチパチと音を立てて石の壁に焦げ目をつけてゆく。
「この火、お前がやったのか?」
「ああ。ニアが教えてくれたんだ。火の魔法、だそうだ。この指輪が俺の魔力を増幅させてくれる」
フィオールは左手の甲を向けてその小指に光る金の指輪をカイザに見せた。
「クソみたいな魔力しかなくても、この指輪があれば……」
フィオールは左手をギュッと握り締めて、階段の向こうに拳を向けた。カイザはそれを見つめていた。フィオールは、その拳をゆっくりと開く。すると、彼の手の中で小さな火が円になってぐるぐると走り、それは一気に大きく燃え上がった。
「ちょうどいいところへ兵士が来やがったな」
階段の向こうから兵士がぞろぞろとやってきた。フィオールは左手に火を宿したままニヤリと笑う。火に照らされて影を帯びるその横顔が、カイザには恐ろしく見えた。金の指輪をしたフィオールが何か、人外のものになってしまったような気がしたのだ。
「さあ、一気に蹴散らして……」
フィオールが踏み出そうとした、その時、
「カイザ!」
「ぶっ!」
後ろの扉が勢いよく開いた。フィオールは開いた扉に挟まれ、一瞬にしてカイザの視界から消えた。驚いたカイザが声の主に目をやると、そこにはフードを深くかぶって嬉しそうに笑う少年と、牢で会った男がいた。
「お前らは……」
「よかったあ、まだここにいてくれて」
少年は手枷をガシャガシャ鳴らしながらカイザに歩み寄ってその手を取った。カイザは困惑気味に男を見た。男も困ったような顔をしている。そこへ、扉の裏から額を抑えたフィオールがゆっくりと出てきた。
「いってぇな、いきなり開けると危ないって母ちゃんから習わなかったのか?! え?!」
フィオールが少年に向かって怒鳴るが、少年はニコニコと笑うばかり。見兼ねた男が話し出す。
「悪った。こいつはシド、俺はバッテンライ。カイザに話が……」
「シド?」
フィオールの表情が、変わった。
「そんなのはあとにしようよ。あいつら、やればいいんでしょ?」
シドと呼ばれた少年は階段を下りてくる兵士を指差した。カイザは面倒くさそうに溜息をついた。
「俺に構うな。脱出するなら今すぐここを出ろ。下層はフィオールが粗方片づけたから」
「そう言わずに。僕があいつらをやるから、カイザは看守室に行きなよ。どうせ持ち物全部とられて丸腰なんでしょ?」
「……」
兵士の群れを見ているシドを、カイザは訝しげに見つめる。バッテンライも複雑な顔をしてその汚い頭を掻いていた。シドはニッコリと頬笑み、踵を翻した。
「…なんだあいつ」
手枷をしているとは思えないほど軽やかに階段を駆け上るシドの背中を見つめ、カイザは首を傾げる。そんなカイザに、バッテンライは言った。
「あいつは、殺し屋だ」
バッテンライは嫌そうな顔をしてシドの背中から顔を背ける。
「カイザ、あんたのことを気に入ったらしい」
「俺? 何で」
「知らないが、関わらない方がいい」
「……」
カイザはバッテンライの真っ直ぐな視線を正面から受け止めた。
「…俺に、何かできることは」
「ない」
「そうか。じゃあ、俺は行くよ。どこかでまた会えることを願っている」
「…その時は、酒の一杯くらい、付き合ってやるよ」
カイザはそう言ってバッテンライに背を向けた。バッテンライは少し驚いた顔をして、小さく笑った。カイザの背中から滲む、かつての恩人の面影を見ているかのように。バッテンライは何も言わずに、階段を下って去って行った。背を向け合ったとしてもまた正面を向いて言葉を交わす運命にある二人は、こうして出会って間もなく、別れたのだ。
「看守室に行くんだろ? それはいいとして、クリストフとニアの旦那と娘は」
フィオールがカイザに話しかけた。カイザの視線の先では、シドが戦っている。軽快な身のこなし、狙いの正確さ、そして、残忍な笑顔。
「看守室には、俺が一人で行く。フィオールはクリストフ達をなんとかしてくれ」
「クリストフ達?」
「あいつら3人は最上階の一室に閉じ込められている。しかも、魔法で封じられた部屋だ。解除魔法というのが必要らしいんだが……」
「わかった。解除魔法は知らないが、なんとかしてみる」
「頼む」
フィオールは力強く頷いて、ふっと小さく息を吐いた。すると、火の橋が最上階に向かって伸びてゆく。
「気をつけてな」
そう言って、フィオールは火の橋に足を掛けた。彼が乗ると、火は彼を乗せたまま最上階に向かって消えていった。
「…本当に、魔法って便利だな」
カイザは無表情でそう呟き、看守室へと向かって走りだした。すると、何やらもう一つ足音が聞こえてきた。さらに、ガシャガシャと鉄が擦れる音もする。嫌な予感がしながらも、カイザはゆっくりと振り返った。
「僕も行く」
やはり、シドがニコニコしながらついてきていた。カイザは眉を顰めて前に向き直る。
「来るな。バッテンライはもう行ったぞ」
「僕は君について行こうと決めてたから。あのおっさんはどうでもいいよ」
カイザは看守室の前に立ち、扉に手を掛けた。その後ろにぴったりとくっつくシド。
「…おい、どっか行け。お前が何をどう決めようと勝手だが俺に関わることだけは許さない」
「なんで?」
カイザはシドを見下ろした。
「俺はお前に興味ない」
「僕はあるんだ」
「邪魔なんだよ」
「そんなことないよ、僕は役に立つと思うなあ」
カイザは舌打ちをした。
「いい加減にしろ! ついてくるな!」
そして、カイザは看守室の扉を荒々しく蹴り飛ばした。飛び散る木片、窓から差し込む光。
「…なんだ、これ」
血が飛び散る室内。四肢が散乱し、天井まで赤く染まっている。かつてクリストフが投げ飛ばした机の上に、一人の人影が見えた。逆光だが、明らかにその横顔は……
「化け物?」
シドが呟くと、その男がカイザの方を見た。その手には長い刀剣と、血が滴る兜が。中には、きっと……
「……」
やりあってはいけない。カイザは盗賊の勘でそう感じていた。しかし、ここに来たからには奪われた荷物だけは取り返さなくてはならない。その中に、ブラックメリーも含まれている。カイザは立ち尽くしたままに、男を見つめていた。その狭い視界の中で、荷物を探す。
「…カイザ、僕がとってきてあげる」
カイザがシドを見ると、少年はにっこりと笑っていた。
「…やめろ」
カイザの呟きも聞かずに、シドは部屋に駆け込んだ。そして、部屋の奥の棚にある荷物を手にした。
「シド!」
カイザが身を乗り出した瞬間、男は机から飛び上がって兜をカイザに投げつけた。カイザがそれを払うと、シドの背後で刀剣を振り上げられている。
「カイザ!」
シドは荷物をカイザに投げ渡し、振り下ろされた刀剣をその手枷で受け止めた。しかし、少年の笑顔は、消えた。ギッと小さく音がしたかと思うと、鎖はバラバラに砕けてしまったのだ。
「死んじゃう」
シドは、やはりニッコリと笑った。その小さな身体が頭から裂かれると思われた、その時。男の頭に兜が飛んできて男は棚に向かって倒れ込んだ。バサバサと棚に収められていたものが男の上に落ちてゆく。その隙に、シドはカイザの元へと戻った。
「ありがとう、カイザ」
カイザは荷物からブラックメリーを取り出して、構えた。
「もういい、行くぞ」
「僕も一緒に行ってもいいの?」
「……」
カイザは少し考えた。もぞもぞと人影が動き、キラリと刀剣が陰の中で光る。
「わかったよ、とりあえず今はついてこい」
「やったあ!」
シドは無邪気に笑って走り出すカイザの後を追いかけた。
「……」
窓から光が差し込む部屋で、唯一息をしている男は、ゆっくりと立ち上がった。そして、その仮面を外して窓の外を見た。
「見つけた。運命の至る場所……俺の、至るべき場所」
肩まで伸びた黒い髪の頭頂部はまだ白く、光を激しく反射している。そして、男は仮面をつけた。