9.瞼を開かねば見えるものも見えないまま
目が覚めると、もう外は真っ暗だった。カイザはミハエルを抱き締めたまま眠りに落ちたことに気付く。彼は仰向けになって、大きく息を吐いた。
「夢……」
懐かしい夢だった。彼女の言葉も顔も鮮明に映し出された古い記憶。カイザは隣で横たわるミハエルを見た。記憶のままの寝顔。違うのは、寝息が聞こえないということだけ。
「あ、やっと起きてきたな。寝坊助」
食卓を囲む三人にツカツカと歩み寄るカイザ。
「自分の分は自分で……」
クリストフの言葉を遮り、カイザはテーブルに右手を叩きつけた。顔を背けていたフィオールも、驚いてカイザを見つめた。ガトーは落ちそうになった皿をテーブルに戻し、クリストフはフォークを片手にカイザを睨んだ。
「…何のつもりだ」
クリストフが聞くと、カイザは握っていた右手を緩める。すると、そこにいる三人が言葉を失い、固まった。
「やっぱり、これがエドガーの鍵なんだな」
緩めた拳から出てきたのは、カイザがミハエルから受け取った揃いの鍵。皆それを凝視していた。
「クリストフ、」
名前を呼ばれ、少女は顔を上げた。
「俺は俺の目的を果たす。業輪を探し出し、この手でミハエルに捧げたい」
威嚇にも似た鋭い視線で少女を貫くカイザ。この時ばかりは、少女もあまりの威圧感に思わず笑ってしまった。
「…どうやら、覚悟ができたようだな」
「覚悟はしていたよ。昨日は、少し疲れていただけだ」
少女の生意気な笑顔に、カイザも強気な笑顔で返す。そんな二人のやり取りを面白く思わなかったのが、
「待てよ、カイザ」
フィオールだった。
「盗品を見つけたらエドガーから手を引くって約束は、お前を争いに巻き込まないためのものだ」
「…わかってる」
カイザは辛そうな顔をして、テーブルの鍵に視線を落とした。貰った時よりくすんで黒くなっているが、きめ細やかな装飾は欠けていない。
「わかっていて争いの元になる業輪を探すのか! お前は、死んでる人間と生きてる自分、どっちが大事なんだよ!」
「……」
「生きてる俺の言う事を、聞いてくれよ!」
俯くカイザに切願するフィオール。張り詰めた沈黙を破ったのは、カイザだった。
「…前なら、フィオールの言うことなんてどうとも思わなかったのに」
辛そうな顔で、小さく笑うカイザ。それをフィオールは真っ直ぐに見つめる。
「フィオールはリノアまで追いかけて来て、バンディからも守ってくれた。あの時お前がいなかったらと思うと……ぞっとする」
カイザはフィオールを見て、言った。
「やっと気付いたんだ、お前は俺にとってかけがえのない大事な友人だと」
「だったら……」
「でも、ミハエルもお前と同じくらいに大事な存在なんだよ」
互いの気持ちをぶつけ合う二人だが、どちらも譲る気はない。それは、当人達もわかりきっていた。フィオールは視線を外して立ち上がった。そして、カイザに背中を向ける。
「ごめん」
沈む空気の中、クリストフが冷めきった表情で煙管を咥えながら言った。
「フィオール、もう諦めろよ。こいつがどんな思いで決意したと思ってんだ」
「わかってる! そんなこと!」
フィオールが声を張り上げた。そして、少し間を置いて振り返る。カイザは目が合うとさっと下を向いてしまった。誰かを友人だと認めること自体初めてだというのにその友人の言葉に逆らおうというのだ、どんな顔をしたらいいのか、わからなかった。
「…探し物なら、情報屋が必要だろ」
「フィオール、」
「あー、ったく!」
頭を激しく掻き毟りながら、フィオールは席についた。
「付き合ってやるよ! 乱世の結末まで!」
自棄になるフィオールを見てクリストフはヘラヘラと笑う。
「お前はカイザに甘いよなー」
「うるせぇ!」
クリストフにからかわれるフィオールを見て、カイザは複雑な笑顔を浮かべる。
本当は、彼が何処かへ逃げてくれることを望んでいた。自分の目的のために危険に巻き込みたくなかったのだ。しかしそう思う反面、明るく真っ直ぐな性格でカイザを支えてきてくれた彼が離れてしまうのも不安だった。彼の決断はよかったような、よくなかったような。
どちらにせよ、リノアを出て塞ぎ込んでいたカイザは笑みを取り戻すことができた。それは彼がいたからに他ならない。
「ガトーに甘々なクセしてよく言うな!」
「息子なんだから当たり前だろ」
「だいたい、お前ら親子が視界に入るだけでこっちは混乱すんだよ!」
熱くなってゆく言い合いに、カイザの笑顔がだんだんと苦笑いになってゆく。
「不老の身体は成長が止まる歳が決まってるわけじゃないんだぞ? お前は馬鹿か」
「それ以前に! お前みたいな糞生意気で可愛げのない奴がこんなできた息子を生むなんて……逆立ちでもして分娩したんだろ! そうだろ!」
クリストフはフィオールの額にフォークを刺した。フィオールが悲鳴を上げて額を抑える。カイザはすっかり呆れていた。
「あの、」
一部始終を大人しく見守っていたガトーが恐る恐るクリストフに話しかけた。
「なんだ? できた息子」
にっこりと笑うクリストフに、ガトーは困ったような笑顔を返す。
「皆さんも結束したようですし、俺は一足先に……」
「ああ、そうだったな」
ガトーは立ち上がって一礼すると、振り返ることなく部屋から出て行ってしまった。
「なんだ、ガトーの奴」
フィオールは額を抑えながら、ガトーが出て行った扉を訝しげに見つめた。
「あいつには逃げ延びた山賊のところへ行ってもらった。これからのことを伝えるためにな」
クリストフはフィオールを刺したフォークを端に寄せて、ガトーのフォークを手に取った。カイザはふと、鍵を見た。もう、戦いは始まっているのだと自分に言い聞かせながら。
「残った俺たちは、他にやるべき事があるんだな」
「カイザは話が早くて助かるよ、そこの馬鹿と違って」
フィオールがクリストフを横目で睨んだ。少女は鼻で笑うと、フォークをくるくる回しながら言った。
「まず、北の魔女ダンテを探すぞ。もしかしたら既にあいつが業輪を持っている可能性もある」
「リノアで言っていた手掛かりって、ダンテのことだったのか。じゃあ墓を荒らしたのも……」
身を乗り出して話すカイザの口に、クリストフは人差し指を当てた。
「最後まで聞け。そんな単純な話じゃないんだよ」
渋々と大人しく首を縦に振るカイザ。少女は笑顔で人差し指を引っ込め、話を続けた。
「リノアで確かにあたしは、手掛りがないわけじゃないと言った。だが、それはとても不確かな手掛りだ」
カイザもフィオールも、じっと聞いていた。
「業輪は人を選ぶんだよ。そして、必ずどんな形でもあたし達四人のうちの誰かの手におさまる。不思議なことにな」
「だから、今度はダンテの手に?」
「さあ……ヤヒコもいるしなあ。まだ業輪は何処かを巡り巡ってる最中かもしれないし、ふとしたことであたしの手に転がり込んでくるかもしれない。とにかく、最初に掘り起こした奴がずっと持ち続けるなんてことは不可能なんだ」
馬鹿と言われて黙り込んでいたフィオールが口を開いた。
「いいな! 業輪! この戦争は勝ったも当然じゃねぇか。エドガーの鍵はカイザが持ってるし、お前らの誰かが手にしたらエドガーに供えてやりゃあいい。そしたらカイザも満足だろ?」
カイザはこくんと頷くが……どこか不安そうな顔をしている。それだけでは、何も解決しないような気がしたのだ。
「優位な立場なのは確かだけどな、恐らくそう上手くはいかないだろう」
クリストフはフォークで芋を刻み始めた。
「なんでだよ。お前らはそれぞれ部屋も鍵もあるし、エドガーに業輪を供えることに異論はないだろ?」
「ないよ。問題はそこじゃないんだ」
溜息をついて芋を刻み続ける少女。見ているカイザは、何処となく不安が大きくなってゆく。
「伝説の伝わり方は曖昧で地域や国によっても違うんだが、まるであたし達を見ていたんじゃないかってくらいに詳しく、正しく言い伝えている民がいる」
クリストフはフォークを持つ手を止めて、言った。
「東の国の連中だ。そして、伝説を広めたのも東から来た正体不明の旅人……」
「それがなんだよ。俺に伝説の話をしてくれた奴も東の国に行って聞いたらしいし、東禊神話なんて言うくらいなんだから当たり前だろ」
「その旅人が生きていた時代がおかしいんだよ。あたしやヤヒコが生まれる前だぞ」
フィオールは首を傾げる。カイザは俯いたまま動かない。クリストフの言おうとすることが、薄々わかっていたからだ。そこから導き出される答えも。
「それに、伝説では美女の一人が死せる時、それを巡って大きな争いが起きるとある。おかしいとは思っていたが、エドガー背負ったカイザを見て確信した」
カイザは、顔を上げた。
「伝説になぞらえた御伽噺かと思いきや、これは伝説や言い伝えなんかじゃなくて……」
「これから起きることを予言したもの、だろ」
言葉を遮られた少女が驚いた顔でカイザを見た。その表情は、極めて険しい。
「…本当に、話が早くて助かるよ」
無表情のクリストフ。一言発して黙り込むカイザ。そして、何かに気付いて表情を曇らせるフィオール。
「待てよ、じゃあ、何だ? 予言だって言うなら、世界の秩序が乱れるとか裏と表が一つに溶け合うとか……そんなんも避けようのない現実になるってのかよ!」
フィオールはテーブルを叩いた。クリストフはフィオールを睨んで、フォークを思い切り肉に突き刺した。
「それをどうにかしようってんでこれから動くんだろうが! あたしでさえ何が起こるかわからねぇのにてめぇが騒ぐな!」
「どうにかってどうすんだよ! 業輪見つけてどうにかなんのか?!」
テーブルをバンバン叩くフィオールと肉をぐさぐさ突き刺すクリストフを横目に、カイザは話を切り出した。
「…で、何で北の魔女を探すんだ。業輪の有無を確かめに行くだけじゃないんだろ?」
睨み合っていた二人はピタリと落ち着きを取り戻して互いに顔を背ける。
「エドガーが死んだことを伝える。そしたらこっちの手助けをしてくれるだろうし。それに」
少女の声が、沈んでゆく。
「クロムウェル家も近い」
カイザの表情が引き攣る。どんな真実からも逃げないと覚悟をした彼だが……最後まで、知ることを恐れていたのが自分自身のことであった。
「この際だから話しておこう。カイザ、ギールはお前のことでとても悩んでいたよ。どうしたものか、と」
カイザは膝下のナイフを握り締め、俯く。マスターのことを思うと泣きたくなってしまう。
「あいつは確かにクズ盗賊だったが、少し捻くれてたんだろうな。盗賊になりきれない正義漢だった。お前のことも身代金が入ったら早々に返してやるつもりだったらしい」
フィオールは遠い目をして眉を顰めている。彼はこの話に心当たりがあるようだ。
「クロムウェル家の主人はもう乱心寸前で、国中がお前の捜索で大騒ぎだった」
「それなのにマスターは……両親が俺を捨てたなんて言って俺に嘘をついた。あの人は、何がしたかったんだ」
ナイフをきつく握り締めるカイザ。憎しみや罪悪感が入り混じるマスターへの感情が溢れてくる。そんな彼を見て、少女は優しく訴えかけるような声で言った。
「…何かしたかったわけじゃない。さっきも言っただろう。ギールはな、どうしていいかわからなかったんだ」
クリストフは悲しそうな顔でカイザを見つめる。
「身代金を要求しても、クロムウェル家は払わないの一点張り。しかし捜索は続けていた。だからもう一度、身代金を要求したら……」
突然、フィオールが立ち上がった。驚いたカイザが彼を見上げると、彼は目を泳がせて何か言おうとしていた。
「クリストフ、それは、ギールが……」
「マスターが、なんだよ」
カイザが聞くと、フィオールは何も答えずに窓際に向かって歩いてゆく。クリストフは一息ついて、言った。
「もういいだろ。こいつもガキじゃないんだ」
「……」
フィオールは窓の縁に手を置いてじっと立ち尽くす。カイザは二人が何を言おうとしているのか、全くわからない。聞いたら絶望してしまうようなことなのかと、少し身構えた。
「ギールがもう一度身代金を要求したら今度は、殺してしまっても構わない、と言われたそうだ」
カイザは呆然とクリストフを見つめる。フィオールはまだ窓の外を向いたまま。
「身代金は払わない、殺しても構わないと言いながら、お前を捜索するクロムウェル家にギールは困惑していた。もし見つかってしまったら、カイザは殺されるんじゃないか、ってな」
「だから、だから何だって言うんだ。殺せばよかっただろ!」
「まだわからないのか。ギールはお前を救ったんだよ」
わかっていた。ブラックメリーのことを知った時から。わかってはいたが……
「…あいつはお前を哀れんで匿ったようだが、こいつは賢いし器量もいいから、ブラックメリー史上最高のマスターになるかもしれないと自慢ばかりして……」
「やめてくれ!」
カイザは俯きながら怒鳴り声を上げた。声は、しん、と部屋を響いて壁に吸い込まれる。残ったのは悲しい静けさと、クリストフの溜息。
「…話は逸れたが、クロムウェル家の動向はおかしい。ついにはお前の墓まで建てる始末だ。その墓に入っていたのがよりによって」
「…ミハエルだった」
ボソリと、カイザは言葉を返す。
「そうだ。だからまずは北へ行く。クロムウェル家がこの争いに大きく関わってくるかもしれないからな」
カイザは、頷くので精一杯だった。そんな彼を見つめながら、煙管を咥えるクリストフ。フィオールはまだ、背を向けていた。
マスターは何一つ嘘をついていなかった。唯一の隠し事も、幼いカイザを気遣ってのものだった。知れば知る程、カイザの中で何かが大きく音を立てて崩れてゆく。勘繰ったり、疑ったり、誰かを犠牲にしたり。盗賊としては当然の生きる術。フィオールの存在で小さな亀裂が入っていたそれらが、マスターを殺した罪悪感でガタガタと壊れゆく。頭に浮かんだのは、ミハエルの言葉だった。
ーーあなたはもっと光で溢れたところに住みなさい。沢山の仲間に囲まれて、笑顔と、優しさに満たされて……ーー
掃き溜めのような暗い場所でも、温かな光はあった。心配してくれる友人に、幼い命を拾い上げてくれた育ての親……光を今まで閉ざしてきたのは、自分だったのだ。




