第8話 今日はオーディションに出た
〜Side Liszt〜
朝が来るのは、少し苦手だ。
夢の中では、僕は完璧でいられる。だけど朝は必ず訪れて、全てを幻に変えていく。
光に照らされて、頭のパンジーが揺れた。
不安をそのまま映すように、花弁が震えている。
外からは、もう朝のざわめきが聞こえてきた。王都の人達の生活が始まる。
昨日飲んだコーヒーの味が、ふと頭の中に蘇った。彼女の成長が感じられる味だった。
……僕は、成長できているのだろうか。
─
朝食を済ませ、持ち物の最終チェックを行う。
書類に衣装、コスメ、それから彼女のコーヒーが入った水筒。「よかったら休憩の時飲んで」と渡してくれたものだ。
彼女は本当にお人好しだ。体に染み付いているのだろう。…別に感謝しないこともないけど。
僕がオーディションに出ている間、店長と王都を見て回るらしい。彼女も王都の煌びやかさに圧倒されることだろう。
会場の前までみんなで行った。別に着いてこなくてもよかったのに。
「リストらしさを見せつけて来な」
店長がそう言って送り出してくれた。彼女は「リラックスしてね」と声をかけてくれた。
一歩会場に入ると、空気が一瞬で張り詰めたものに変わる。
登録を済ませ、控え室に向かった。
衣装を着替えていると、すぐ近くでガーベラの花人が座り込んでいた。体調は大丈夫だろうか。
「君、大丈夫か?気分が悪いのか?」
「だ、大丈夫です。ただ、その…僕なんかが出てもいいのかなって…」
聞けば、友達に勝手に応募されたらしい。そういう奴が受かったりするんだよな。
しかし、彼は自信なさげにしょぼくれている。着替えを再開しながら、僕は励ましてやることにした。
「自信を持ちなよ。君のガーベラ、とても状態がいい。毎日きちんと手入れしているんだろう?」
「それは…まあ、そうですけど…」
「君らしさを出せれば十分さ。それでも不安なら、記念だとでも思えばいい」
半分自分に言い聞かせるように、言葉を紡いだ。
彼は少しだけ元気が出たようで、ゆっくりと着替えを始めた。
僕も着替えを終えて、ひと息つく。王都で買った、黄色のフリルシャツ。少し背伸びしたけれど、これくらいやらないと勝てない気がした。
水筒を取り出して、コーヒーを蓋のカップに注ぐ。まだ少し温かい。
すでに椅子は埋まってしまっているから、少し行儀は悪いがここで飲んでしまおう。
そんな時、隣で着替えていたガーベラの彼がズボンを履こうとしてふらついた。
バシャッ!
衣装に茶色い染みが広がっていく。黄色が汚れて、泥のような色になっていった。
「うわぁっ!ごごご、ごめんなさい!せっかくの衣装が…!」
「……なんてことだ」
彼は必死に謝る。頭の花が取れそうな勢いでぺこぺこ頭を下げるものだから、なんだか可哀想になって許してしまった。
しかし、今から洗っても乾きそうにない。このまま出るなんてもってのほかだ。
不安で視界が滲む。涙なんてこぼしてやるものかと、上を向いた。
天井の光が視界を満たす。そんな時、ふと頭に声が蘇ってきた。
『リストらしさを見せつけてきな』
『完璧じゃなくても、ちゃんときれいだよ』
「…そうだ」
そして、オーディションが始まる。ランダムに決められた僕の番は、真ん中より少し後くらい。
他の奴らは見ないことにした。見たら、絶対に真似したくなる。
だけど、ガーベラの彼だけは気になってつい覗いてしまった。彼はさっきの自信なさげな態度が嘘のように、胸を張っていた。…よかった。
やがて僕の番が近づく。着ているのは、藤色のシンプルなシャツ。
ここに来る前ウィストの町で買ったものだ。なんとなく切り捨てられなくて、持ってきていた。
僕の魅力は、王都で見つけたものじゃない。ウィストで育ったものだ。あの言葉で、それを思い出せた。
名前を呼ばれ、ステージに立つ。照明が眩しい。
審査員たちの視線が、体に突き刺さってゆく。
だけど、不思議と緊張はしなかった。
『Monday』での朝、花壇に水をやる時間。彼女がコーヒーを淹れる香り。店長の背中。そのすべてが、僕を作り上げてきた。
深呼吸をする。パンジーの花弁が、ふわりと揺れた。舞台袖から、誰かの息を飲む音が聞こえた。
自然と、笑顔になっていた。
─
〜Side S〜
「それで、結果はどうだった?その場でわかるんだよね?」
「落選だったよ。ガーベラの花人が受かっていた」
「そっか…残念だね。リストくん、きれいなのに」
「だけどね、審査員に褒められたんだ。『非常に自然体で、君らしさが現れていた』って」
落ちたというのに、リストくんは晴れやかな顔をしていた。
もしかして沈んで帰ってくるんじゃないかと心配していたけれど、杞憂だったみたいで安心した。
「君たちのかけてくれた言葉で、僕らしさを思い出せた。だから、その……あ、ありがとう」
そっぽを向きながら、リストくんはそう言ってくれた。少し耳が赤いのが見えた。
帰りの馬車はわたしたち3人だけで、のんびりした旅になりそうだった。
「ふたりとも、いい顔してる。王都、行ってよかったかもな」
店長が少し微笑んで呟いた。わたしはコーヒーの修行ができたし、リストくんも満足そうだ。
王都の城が、夕陽の中でゆっくりと遠ざかっていく。この街は、わたしたちに沢山の経験をくれた。
…気がつけば、リストくんは眠ってしまっているようだ。疲れているのだろう。わたしもなんだか気が緩んで、ゆっくり目を閉じた。
馬車の揺れが心地いい。充実した旅だったな、と思ったのを最後に、意識を手放した。




