第16話 今日は支えた
〜Side Liszt〜
宿に戻ると、鳥人のおばさんが美味しそうな夕飯を用意して待っていてくれた。
「ハイハイお疲れサマ、ビスカ諸島はドウ?ステキなとこデショウ」
「はい、とっても素敵です!綺麗なお皿買っちゃいました」
結局彼女は市場でカトラリーを買っていた。初日なのに。これからも目を引くものが現れる度に荷物を増やすつもりだろうか?
まあ、そういう所も彼女らしくていいと思う。そういう素直さに僕は…いや、それはいいとして。
リアナと別れ、食卓につく。結局手を繋いでいたことはバレた。気づいていないフリをしてくれたが、恥ずかしくて仕方なかった。
…でも、彼女から手を繋いでくれたということは、少しは期待していいのだろうな。
「このスープすごく美味しいね」と無邪気な笑顔を向ける彼女は、僕の気持ちには気づいていないだろうけれど。
それはそれ、確かにこのスープは美味しい。トマト味の優しい味わいと、入っている豆の食感が調和して、一口飲むだけでほっとする。
どこか懐かしい気がする。昔旅行で来たときに飲んだことがあるのかもしれない。
あの頃はまだ幼くて、いつも母の影に隠れていた。兄2人に置いていかれて、べそをかいていたものだ。
…今でも置いていかれてはいるのかもしれない。それでも泣かなくなったのは、僕にもいいところがあると教えられたから。
ウィストでの暮らしは穏やかで、モステラに住んでいたころよりも時間がゆっくり流れる気がする。
「ごちそうさま。…何か外が騒がしいな」
「ごちそうさまでした。ほんとだね、なにかあったのかな?」
少し外に出てみると、大きなトカゲのような生き物が大通りをひたひた走っていくのが見えた。
あれは覚えている。ビスカオオカナヘビだ。固有種の極めて温厚な中型モンスターで、たまにああして人里に降りてくる。
危害を加えられる恐れはないが、光るものや色鮮やかなものを集める習性があるので、たまにライトなんかを取られる屋台もあるそうだ。
そう教えようと思って彼女のほうを向くと、真っ青な顔で固まっていた。
「ど、どうした?顔色が悪いぞ」
「あれって…トカゲ、だよね?大きかった…」
「…爬虫類、苦手なのか?」
できる限り優しい声でそう聞くと、彼女は弱々しくうなずいた。
昔から苦手なのだという。子供はだいたい草むらの生き物が好きだから、苦労しただろうな。
宿に戻ろうかと提案しようとしたその時、彼女はふと気がついたように大通りへと歩を進め、しゃがみこむ少年に話しかけた。
しばらく少年と話すと、慌てた様子でこっちに駆け戻ってくる。どうしたのだろう。
「リストくん大変!あの子、さっきのトカゲに荷物取られちゃったんだって!」
「なんだって!君、本当か!?」
蜂虫人の少年は泣きそうな顔でうなずいた。彼も観光客で、物珍しくて近づいたら荷物を取られ、取り返そうと大きな声を出したら逃げられたらしい。
「どうしよう…あのカバン、お姉ちゃんが買ってくれたのに…」
「…リストくん、わたし…」
「仕方ないな…。君、そこで待っていてくれ。僕たちが追いかけて取り返してくる」
そう少年に告げ、僕たちは駆け出した。
自分も怖いだろうに、自らトラブルに飛び込んでいく。あまりにもお人好しすぎる。
だけど、荷物を盗られたと聞いた時点で彼女ならそうするだろうと思っていた。…いつも見てきたから。
そういう人なんだ。だから好きなんだ。
「いた!あそこのトカゲ、なにか黄色いのくわえてる!」
「よし、驚かせないように近づくぞ」
2人で音を立てないようにゆっくり忍び寄る。ビスカオオカナヘビはこっちに気づいたが、逃げる様子はない。
鮮やかな黄色のカバンをくわえたまま、丸い瞳でこっちを見ている。警戒しているのだろうか。
しかし、残り数メートルというところで、彼女の足がぴたりと止まった。よく見ると、震えている。
改めて近づくと怖さが復活してきたのだろう。ただでさえ爬虫類は苦手なのに、3メートル近くもあるのだから当然だ。
僕はそっと彼女の背に手を置き、落ち着けるようにさすった。
「よく頑張った。あとは僕に任せて」
「……」
ビスカオオカナヘビに近づき、優しく頭を撫でる。敵意がないと伝わったのか、目を細めた。くわえていたカバンを引っ張ると、少し抵抗したが、やがて離してくれた。
急いで少年のところに帰り、カバンを返してやる。少年は涙を滲ませ、「ありがとう」と何度も頭を下げた。
その間も、彼女はずっと寂しそうな、悔しそうな笑顔を浮かべていた。
どう言葉をかけようか迷っていると、宿の前に木製のベンチブランコを見つけた。二人がけだ。
背を預けると、少しきしんだ音がした。
「気に病むことないよ」
「…でも…わたし、役に立たなかった」
「そんなことはない。君が彼を見つけなかったら、僕はあのカナヘビが荷物を取っていったことも知らなかった。彼はずっと、カバンをなくしたままだったかもしれない」
「ごめんね」
「そうじゃない。彼も言っていただろう。君にかけられる言葉は『ありがとう』、それだけだ」
「……うん」
ようやく少しだけ、いつもの笑顔を見せてくれた。
少し迷ったけれど、彼女の頭に手を乗せた。柔らかい栗色の髪を撫でる。途端に、彼女の頬がみるみる赤く染まっていった。
なんとなく、彼女はなんでも努力すればできてしまうような気がしていた。そう思わせるのは、なんでも果敢に挑戦していくからだろう。
実際はそんなことはないのに、勝手に完璧だと思い込んでいたのは僕の悪い癖だ。僕とは違うだなんて、神格化してはいけない。
彼女は何度も、"完璧じゃなくていい"と伝えてくれたのだから。
今度は僕が支える番だ。何度でも、そのままでいいと伝えよう。
〜Side S〜
頭を撫でられた。
それだけなのに、身体中が沸騰しそうなほど熱い。
さっきの沈んだ気持ちなんて、夜風に流されていつの間にか消え去っていた。
宿の窓から漏れる光に照らされたリストくんの紫紺の瞳が輝いて、愛おしげに揺れている。
リストくんって、ほんとにわたしのこと…
そう思うと、また心臓がうるさくて、頭に触れられる手の感触がはっきりしてくる。
わたし、どうしちゃったんだろう。…もしかして、いや、それって。
「よし、今日はもう戻ろうか。先に行ってるよ、おやすみ」
やけに上機嫌で席を立つリストくんを、見送ることしかできなかった。
ブランコが揺れる。ふわふわして落ち着かない。
冷たい夜風に当たろうと思ったのに、頬を冷ますには十分じゃなかった。この島は、夜も暖かい。




