#16
母の細い両腕は少し痛かったが、けして気分を害するものではなく、むしろ心地よい。そして母の胸元はいい匂いがして照れくさかった。
顔がますます胸に触れると、裕也は自分に巻かれた包帯とケガの存在を改めて思い出した。
そして同時に、新しい友達の白い兎の存在と、何をしに来たのかを。
「お母さん、チョット出かけてくるね」
裕也は母の胸から顔を引っぺがして言った。
母は少し疑問顔で裕也を見る。
「あら、お出かけ?寝てなくていいの?」
「大丈夫だよ。友達も来てるし、すぐ帰るから」
裕也はまだ部屋の入口でたたずんでいる、幾分おおきな白い兎を振り返る。
「あら、お友達?裕也ってば変わったお友達が居るのね」
右手を胸に当て、英国を思わせる立ち振る舞いで会釈する。二本足を交差させて立ち、モダンダンスの始まりのような、貴賓ある会釈をして見せる白い兎は、何も言わなかったがルビーのように赤い両眼を数回ぱちくりさせて二人を見つめた。
裕也はニッコリ笑いながら母の腕を離れる。
数歩、振り返る。
「いってきまーす」
「ご飯までには帰るのよー」
「はーい」
裕也は小走りに駆けた。
白兎の横をすり抜けて部屋から飛び出すと玄関に向かって足を向ける。
白兎が後を追う。
さっきまで水が流れていたはずの畳も廊下の床も乾いており、一滴の雫も見当たらなかった。ただ一つ、母の足元に置かれたマクラだけがしっとりと濡れていたのだが、軽快にスリッパを脱ぎ捨て運動靴に履き替える裕也に、それを知る事は出来なかった。
「行こうクレイバー!」
「何処へなりとご案内しましょう」
「夢鏡が見たい」
「了解しました。ドアを開けたらジャンプして下さい、次の夢へと跳びます」
「こうかっ!?」
開け放つ玄関の扉を出ると、夜闇のビル群が広がる街に向かってマンションの廊下を蹴る。安全柵を跳び越えて二人は夜空に躍り上がった。
丸い月はそれを静かに見ていた。
1話目の終了になります。
続いて2話もお楽しみ下さいませ。