120.マシューと飼育員と宮廷大工
「マシュー、先に挨拶回りをしていなさい。あとから、昨日伝えておいた御令嬢を紹介しよう。」
リソー国軍が主催する、夜会の初日。メインホールの端で、マシュー・ルイスは父親に話しかけられていた。
「不要です。」
父親は、いつも温厚で従順な息子の言い捨てるような返事に、目を見開いた。
「……どういう意味だ?」
「挨拶回りはしますが、誰も紹介して頂かなくて結構ですと言ったのです、父上。」
マシューは、父親を睨みながらそう言うと、引き止めようとする父親の手を振り払い、メインホールの中央へ、歩いて行った。
立食形式で、豪華な料理が供される華やかなメインホールには、軍服姿の軍人達がひしめき合っている。そういう自分も、もちろん軍服だ。マシューは、足を止め、ため息をついた。
軍の夜会は、もちろん貴族家の社交の場でもあるが、軍人同士の情報交換が、一番の目的とされる──いや、一番の目的は明日……夜会2日に行われる広報部のイベントでの軍資金調達か──彼女は、毎回その場面のみ、出席を許されている。
王都に有る、夜会用に建てられたこの会場に今夜居るのは、出席を許された軍人達と、その関係者だ。出席する軍人の、配偶者や婚約者達は綺麗なドレスを身に付け、楽しそうに世間話をしている。軍の高官は、貴族令嬢として適齢期となった自分の娘を着飾り、他の高位貴族家に紹介している。
マシューは、煌びやかな会場で目を伏せた。
彼女は……この現状をどう思っているのだろう。ガルシア家の長女で…貴族令嬢でありながら、ドレスを着る事も許されない。今日は、所属する中隊が野営訓練中の為、免除されているものの、当て付けの様に、夜会初日は毎回警備担当として、会場周りを警備させられている。そもそも、王都の夜会であれば、王都に勤務する軍人が警備すべき筈なのに。
ただ……ここ数年は、軍服の彼女が一度夜会に顔を出そうものなら、会場にいる令嬢達は、1人残らず黄色い声をあげながら、彼女の元へと行ってしまう。そして、我先にと彼女にダンスを申し込むのだ。最近は、人気が出過ぎて、ダンスは抽選制にしたのだったか……
そして今夜も、「軍人令嬢ジルベールは居ないのか?」と令嬢達が係員に聞く声を、既に何度も耳にした。
─あっちに行けっ!!─
ジルベール……銀色の髪を逆立てて、自分に対して子どもの様な文句を言う彼女の姿を思い出す。彼女は、腕を組み、軍服を着てこちらを睨みつけてくる。軍人令嬢ジルベールを支持する令嬢達には、想像も出来ないだろうが……これが彼女のありのままの姿だ。そして、こういった彼女の姿は、俺だけのものだ。
どう言えば……彼女を怒らせずに、思いを伝えられるのか。特に最近は、毎回怒らせてしまう。
「ご挨拶が遅くなりました、ノア殿。少佐になられたそうで───」
「こちらこそ、ご無沙汰しております。」
少し先で、聞き慣れた声がした。声のする方には、ノア従兄さんの姿があった。
ノア従兄さんの周りには、軍服の人間しか居ない。
2歳年上の従兄は、幼い頃から、武神の生まれ変わりと称され、その人生の殆どを軍人として生きている。皆に期待される通り、その従兄は、凄まじい早さで、軍人としての階段を駆け上がっていった。
だが、それ以外の事については、一切何の感情も持ち合わせていないかの様な振る舞いで、とうに高位貴族としての適齢期を過ぎても、婚約者どころか、女性の影さえ感じなかった。ジョセフが、従兄さんの見合相手として取り付けた、同じく名家の令嬢達に、一切愛想笑いさえする事もなく、もれなく全ての相手を怒らせたらしい。何でも見合いの席で、一言も喋らず紫煙草を吸い出した、とか──本当なら、流石に笑える。
ノア従兄さん程の容姿で、尚且つ、アイゼン家の人間ならば、愛想良くしていれば、ルーカス従兄さんみたいに公爵令嬢とだって、結婚できるはずだろうに。あそこまで割り切れるのも、凄いと思う。結婚なんか、しないつもりなのだろうな。
死ぬ程好きな相手に思いが伝わらない事や、家のしがらみなどで、悩む事さえ知らないのだろう。
───と、少し前まで、そう思っていた。
───マシュー……貴様は…軍人でありながら、自分が何をしたのか分かっているのか⁈ルイス家の嫡男が、とんだ醜聞だぞっ⁈───
───金銭でどんな要求にも応じる……傀儡だ───
───あの2人には、今後一切関わるな───
先日、ノア従兄さんと、父に言われた言葉だ。ここ数日、何度も思い出す。父の言う意味は、よく分からないが──再度問いただすと、ジルベールの事を聖母だと言い出した。が、だとしても関わるなと言って、俺の言い分等聴く耳も持たない───ノア従兄さんの、彼女に対する態度に……俺は違和感を覚えて仕方無い。
ノア従兄さんは、佐官になってから──26で佐官かよ…正直こちらはプレッシャーがすごい──下士官までの兵に寛容になったと噂されている。事実、そうだろう。俺の小隊のオーウェン達に対して、以前からは想像も出来ない程優しいからな。だが、ジルベールに対するあの態度は、上官だから、では無いと思うのだ……
「ノア・アイゼン少佐、前線も守備は順調の様ですね!流石、ジョセフ殿の御子息だ、わはは……このワイン、もう飲みましたかな?美味しいですよ!」
「頂きます。おかげさまで、閣下……ですが、そろそろ私も一度前線に赴かなくてはならなさそうで。なかなか戦局は難しい所ですね。」
「そうですか、まあ、貴方が居れば大丈夫でしょう⁈そういえば、普通科以外も、兼任されているので?」
「はい。特科連隊ですね。」
「何て事だ!大変でしょう、あの連隊は、曲者揃いでなかなか言う事を聞かないと耳にしますが?」
「いえ、可愛いものですよ。しっかり鎖にでも繋いでおけば問題ありませんから。」
「おぉ!流石だ、ノア少佐!冗談もお上手ですなぁ!わははは……」
ノア従兄さんは、未だひっきりなしに挨拶に来る者達と、会話を交わしている。今、俺もあの輪に入って行けば、挨拶回りも一度に済むのだが……そんな気にはなれない。
マシューは、ノアが見える位置で、一人そっと、柱にもたれ掛かった。
「どーも、どーもー!お一人様⁈」
柱にもたれ掛かっていると、いきなりポンポンと肩を叩かれた。振り返ると令嬢が一人で立っている。いや、令嬢なのかは分からない。その女性は、大工の格好だった。
「悪いけど、ちょーっと退いてもらえる?」
「ああ……申し訳無い。」
俺が柱から離れると、大工の女性はその周りと天井を確認し、手にしていた用紙に、何やらメモをしている。そういえば……今日の夜会では、大工を数人見かけたな。軽く会場を見渡すと、この女性と同じ格好をした大工達が数人おり、仕事をしている様だった。
「お仕事お疲れ様です……補修工事か何かですか?」
俺が話し掛けると、大工の女性は、ペンを走らせる手を止める事無く、返事をしてくれた。
「そーなのよー。国内の建物は、補修工事が必要な物が多くてさ。立て込んでるのよね。うちは、教会や学校関係の補修を優先してるし、どうしても、こんな夜会用の会場は、後回しよね。あっ!ごめんねー、出席者に向かって失礼だったかな!」
「いえ、お気になさらず。仰る通りですから。」
俺がそう言うと、大工の女性はにこっと笑った。屈託の無い笑顔に、一つに纏められた金髪が良く似合っている。少し、青みがかった黄色の瞳……
屈託の無い、その女性の笑顔は、数年前までのジルベールを思い出させた。よく、こんな風に笑ってくれていた……まあ、ジルベールはいつも酷い隈があって、その点はこの女性の表情とは違うな。
そういえば、最近ジルベールの隈は無くなっている。野営訓練も、余裕になってきたのだろうか。
「本当は、夜会の無い日に来たかったんだけどさ…ほら、私の他にも会場に何人か居るでしょ?皆、私のチームの大工。どうしても今日しか都合が付けられなくて。ごめんね、邪魔しちゃって。」
「そんな。お仕事ですから、誰も邪魔だなどと、思いませんよ。」
俺が笑い返すと、大工の女性はまた笑ったかと思うと、急に声をひそめた。こんな仕草も、以前のジルベールに良く似ている。彼女は、表情がころころ変わるからな。
「実はね……半分は本当だけど、半分は違うんだ。あのさ、今日来たら、ジルベール様に会えるかと思ってね。」
「あぁ…彼女は明日しか出席しません。貴女もファンなのですか?」
流石だな、ジルベールの人気は……しかし、大工の女性の返事は、少し訳ありそうだった。
「いやぁー、ファンっていうかね。まあ、ファンではあるんだけどさ。私の兄貴が、だいぶジルベール様にお世話になっちゃったからね……直接お礼を言いたくて来たんだけど。そうなんだよねー…今日は居ないって聞いてさ。本当残念。」
「お兄様は、ジルベールと面識がおありなんですか?」
「そーそー。ほんっ……と、口の悪い兄貴でね。ジルベール様に迷惑かけちゃって。」
「……そうですか。ジルベールは、あまり気にしないと思いますから。お気になさらず。軍で会ったら、伝えておきますよ。」
「えー!ありがと!宜しくね。」
大工の女性は、またにこっと笑うと、言葉を続けた。
「本当、口は最悪の兄貴なんだけどさ……でもあの人、誰よりも優しい人だから。軍人さん、ジルベール様と知り合いなの⁈だったら良かった!これ、ジルベール様に渡して貰える⁈うちの住所。兄貴が、いつでも懺悔に来るの、待ってるから。宜しく伝えてね!」
「え?懺悔?」
「じゃ!よろしくね〜!」
「えっ!あの……ちょっと!」
状況を理解出来ない俺に、大工の女性は紙切れを一枚、無理矢理押し付けて、あっという間に人混みの中に消えてしまった。
「何て一方的な……逃げ足の速さもジルベール並みだな。」
何だか、あっという間の事で、俺は彼女が去ったあとの柱を見て、少し呆然とした。
「すまない、給仕係殿。」
ノア従兄さんが何か喋る声が聞こえ、俺は我に返った。ノア従兄さんの周りは、遂に人集りが消えている。挨拶が、やっとひと段落したのだろう。ノア従兄さんは、会場の給仕係を呼んでいた。そして、ノア従兄さんが何か話すと、給仕係は微笑みながら、大きな四角の容器を4つ程、ノア従兄さんに手渡した。
何だ……あの容器は……
すると、ノア従兄さんは、もの凄い速さで、会場の料理を、その容器に詰め出した。並べられた料理は、容器に吸い込まれるかの如く、どんどん消えて無くなっていく。
「なっ……ノア従兄さん、一体何を───」
俺は声を掛けるべきか迷ったが、見つからない様にそっと覗き見を続けた。
───ババババババババ───
ノア従兄さんの勢いは、あまりに凄く、俺の所まで効果音が聞こえる気がする……
そして、料理を容器に詰め終わったノア従兄さんは、容器を両手に持ち歩き出した。会場の外に出るのか……?俺はこっそり、あとを付ける事にした。
ノア従兄さんは、ツカツカといつも軍で見かける時と同じ歩き方で、足早に会場の出口へと進んで行く。もう外は、すっかり月が昇っている。そして、そのまま会場を出ると、庭園へと続く大階段を降り、垣根を曲がった。
「!!」
垣根の陰、夜の闇の中の庭園に、街灯の灯りに照らされて、人影が見えた。あれは……紛れもない、俺の部下。オーウェンと、その分隊の奴らだ。
ジルベールもいる。彼女の横には、大きな軍馬が一頭。あれは…ノア従兄さんの愛馬じゃないか?
ノア従兄さんが、手にしていた容器を差し出すと、オーウェンがそれを受け取った。そして、他の者達に向かってそれを高々と掲げると、全員歓声を上げ、飛び跳ねている。
ノア従兄さん……飼育員か……?
もはや餌やりだ。
ジルベールも、フレデリックの横で、両手を上にあげ、体を横に揺らして小躍りしている。
そして、ノア従兄さんが何か告げると、ジルベールとフレデリックをその場に残し、他の者達は帰って行った。
そして、残されジルベールにノア従兄さんが何か話しかけたと思った次の瞬間、ノア従兄さんは腰を屈め、ジルベールの前髪にキスをした。
「なっ…………」
見間違いでは無い。はっきりと、この目で見た。
見間違いであって欲しいと心底願いながら。
ジルベールが、嫌がる素振りを全くしない事が、世界が崩れる様な気分で、その場に立っていた俺に、追い討ちを掛けた。
そして、ノア従兄さんは、またジルベールを残し、会場へと戻って行った。
「ノア従兄さん………ジルベールに渡すのですか?」
俺は気が付くと、再びあの四角の容器に、凄い速さで料理を詰め込むノア従兄さんの横に立ち、話し掛けていた。会場の料理は、ノア従兄さんが戻って来る間に、補充されている様だった。
「マシューか、」
ノア従兄さんは、小さくそう言うと、容器に料理を詰め続けながら、言葉を続けた。
「ああ。ジゼルは……兄のテオドール程では無いが、良く食べるからな。特に肉と卵料理が好きだから、今日この会場に出ているその系統の料理は、全て網羅したい所だ。彼女は、同窓の者と、酒を飲みたがるが……流石に酒は……いや、駄目ではないのだがな……私室で酔っ払われても困るし、野営訓練に支障を来たすだろう?せめて訓練が終わるまでは、我慢させたい。その代わり、食べたがる物は何でも食べさせたいと思って───」
ノア従兄さんは、凄い速さで料理を詰めながら、凄い速さで喋り出した。こんなに喋るノア従兄さんは、初めてだ。
「ノア従兄さん、ジルベールと………一緒に……食べるのですか?」
ノア従兄さんは一瞬俺を見て、目を見開き、すぐにその紺色の目を緩めた。
「そうだ。」
その、短い返事の中は、初めて見るノア従兄さんの幸せで溢れている様に思えた。
そして、容器を抱えて再び会場を後にしたノア従兄さんは、もう会場へは戻って来なかった。
俺は、大工の女性に渡された紙切れを開いた。そこには、王都にある高名な教会の名前と住所が、書かれていた。雑音が響く夜会の中で、ただそれを暫く眺めていた。
夜会初日の夜、ジルベールの私室。
「フレデリックを連れて行って正解だったな。お陰で早目に帰って来れた。」
「そうですね、少佐!」
ジルベールは、そわそわしながら、ソファーに座っている。テーブルの上は、ノアが夜会から持ち帰った料理達で埋め尽くされていた。
「少佐!早く食べたいですっ!」
「そう急かすな、ジゼル。ほら、東方の茶だ。」
ノアは、温かいお茶を淹れ、ジルベールに手渡した。そして、自分も彼女の横に座り、お茶の入ったティーカップを、テーブルの上に置いた。
「それじゃあっ!頂きまぁ〜す!」
元気よく手を合わせるジルベールを見て、ノアは笑うと、自分も持ち帰った料理を口にした。
「美味しい〜!ありがとうございます、少佐!」
ジルベールは、どんどん料理を頬張っている。
「…………」
「もぐもぐもぐもぐも……ごくん。あれ?少佐、どうかしました?」
料理を一口食べて固まるノアを、心配そうにジルベールは覗き込んだ。
「いや………美味いな。ちゃんと味がする。」
ノアはそう言うと、目を丸くしてジルベールに向き直った。
「え………?やだー!当たり前じゃないですか、少佐、あはは!夜会の料理ですよ!やっぱり凄く美味しいですね!」
「いや、確かに今までは無味無臭だったのだが……」
「そんな訳ないですよ〜もぐもぐもぐもぐ──」
「コックが変わったのだろうか……」
「ごっくん。それは有り得るかもしれませんね!」
ノアとジルベール、オーウェンとその分隊の者達はその夜、皆満腹になり、幸せな顔で眠りについた。




