4.兎消ゆ
「はぁ……」
イリスは彼女らしくもなく、溜め息をついた。学院の新年度が始まり、緊張した面持ちの新入生を横目に、指定席である窓際最前席に手持ち無沙汰に座ったままだ。彼女の座席の後ろは次席のユイが座るが、2人の間に言葉は少ない。
ユイはユイで、図書館棟で借りてきた符術の本だけではなく、戦略論や戦術論、戦史における戦術などについても借りる本の範囲を広げており、ファロス島2層の彼女の部屋は、書物による要塞化が進んでいると、イリスは母リリーから聞いている。
本来、ユイは13歳で通常クラスへの編成となり、イリスとは待機教室が変わるはずであったが、新年度から学院のカリキュラム編成が大きく変更となり、14歳以上と14歳未満に分かれた。これにより、通常クラスから年少クラスへの一部移動があり、今年の年少クラスは例年にもまして雑然としている感じなのである。
年少クラス第三席であるユーリアの姿は、クラスにはない。初日に登校して以来既に連続4日目の欠席であった。
昼食の時間を目前とした時、不意にユイは顔をあげて立ち上がる。イリスも同様に立ち上がると、言葉もかけずに歩き出す。目指すはサロンの予約室だ。
*****
サロンの予約室には、既に先客がいるらしいが、2人は気にせずにドアを開け踏み込む。
「やれやれ、ノックも無しに訪問するとはらしくありませんよ、御二人とも……」
朗らかに挨拶してくるアレクシスと異なり、隣には憮然とした表情のオリバーが座っている。イリスの表情はいつも見せていた、勝気な女子の顔ではなく、人形の様に無表情だ。対してユイは、珍しい事に感情を爆発させる寸前といった様子である。
サロンのメイドさんが、2人分の紅茶を置き、ドアが閉まったとたんイリスが口火をきった。その声は絶対零度の温度を伴っていた。
「今日は私達のお招きを受けてくれて、大変嬉しく思いますわ。当然お招きした理由は判ってらっしゃいますね?」
「……なんの事だ。俺はアレクシスに昼飯を奢ると言われて着いて来ただけだ。何の事か判らんな。」
オリバーの言葉はにべもないが、口調にはいつもの覇気がなかった。ユイはティーカップを手にとり、冷静を装っているが、カップを持つ手は細かく震えている。
(事今回の事に至っては、かなりのお怒りですね。)
アレクシスはそう判断するしかない。なにより、今回の件で衝撃を受けたのは、オリバーも含まれていたのである。王である父に言われたとおり、伴った教団関係者とアレキサンドリアの上層部が面談する機会を取り持ったに過ぎず、その要求内容も知らされていなかったのだから。
会話が成立する見込みも無かったので、アレクシスは事前にオリバーに確認していた内容を、2人に説明するしかない。元より、その情報を手に入れたのはアレクシスだという事も隠す必要はなかった。ニュースソースについての追求は拒否したのは、アレクシスなりの情報提供者である赤髪の女子に対する配慮である。
「つまり、アレクシスが手に入れたクロエに関する情報が、エリクシア王家を通じてルキウス教団に流れ、王の承認の元にクロエの身柄要求をしたという事でいいのね? ありもしなかった洗礼名までご丁寧に作り上げて。」
イリスの問いに、アレクシスも推定ですがと前置きして、肯定するしかなかった。よもやあの程度の情報から、こういった手段を使うとはさすがにアレクシスも想像がつかなかったのである。アレクシスは内心で、自国の宗教関係者でも同様の処置を採るであろうことを心に刻み込んだ。
「それで、お2人はクロエさんの所在をご存知なのですか?」
「知っていれば、わざわざ貴方達を呼んだりしません。貴方達のした事の結果がこの状況を生んだんですよ。判っているのですか!!」
アレクシスの言葉に、ユイが珍しく声を荒げ、テーブル上を白く細い指をもった手が激しく叩いた。そんなユイの手を、イリスの右手が触れた。一瞬冷たさを感じたが、それと同時に自分でも驚くほど心が落ち着く。
「ユイ、術師は常に冷静に状況を見なくてはいけないわ。激高して相手の手に乗るのは下策でしょ?」
イリスの言葉に、嫌味などなく、淡々と事実を述べるだけだった。それは彼女と母リリーに共通する医術を探求する際の、一切の感情を廃してサンプルを見る際の瞳。既にオリバーとアレクシスは、イリスにとって知己ですらなくなっている。そう感じさせずにはすまない、そんな瞳であった。
ユイもイリスの言葉を聞き、冷静さを取り戻す。そう、目の前の2人は、いずれアレキサンドリアの前、自分達の前に立つ時が来る存在である。その時、今日の会談を突かれて激高し、自軍の勝機を失わせるような事が有っては、クロエが最後に自分に託した魔道具に申し訳がない。
現時点で、アレキサンドリア全ての魔道具の中の最高傑作とエリックに言わしめたソレを使いこなす事が、ユイの今の生活の全てとなりつつあるのだ。かつての知己だった2人の男性を見るユイの瞳も、冷たいものへと変わっていく。
「俺は次の新年祭は自国で迎えねばならない。その後は美しき婚約者殿の為に、武勲を挙げるために血眼にならざろう得ないんでな。お前等と遊んでる暇は無くなったんだ。俺はこれで帰るぞ。」
そう言って席を立ち上がり出て行くオリバーを、アレクシスと2人の少女は見送った。
「なるほど、突然のカリキュラムの変更はその為ですか。これは僕ものんびりしていられませんね。お嬢さん方、この場の費用は僕が持たせていただきます。では、僕も失礼しますよ。」
アレクシスもそう言って部屋を出て行き、イリスとユイは2人残された部屋で、冷めた紅茶を手にする。
「どうやら、時間は無くなったみたいね。そして、最後の言葉は私達へのお詫びも含めていたのかしら……」
イリスの淡々とした声が、室内に響いた。ユイは左掌を上に向け呟いた。
「《展開 64卦》、《三十八卦.闇在鬼》」
ユイの左の掌に、クロエが作った『太極六十四卦球 ユイEdition1』が瞬く間に出現し、続く一言で一枚の符がユイの足元に飛び、徐々に黒い小鳥を形作る。
「闇在鬼、オリバーに伴い、より多くの情報を集めなさい。」
その一言に頷いた小鳥は羽ばたき、二人の周りを一周すると窓ガラスをすり抜け消えてゆく。
「《収納 64卦》。……『式』を常時展開します。呪力の消える半年先まで、『式』は情報を私に送り続けますから。」
一言で消えた魔道具とその後のユイの発言を聞いて、イリスが呟いた。
「やっぱり、ユイはあの娘に優遇されてるじゃない。『式』なんて反則よ。」
「イリスさんやクロエさん達の魔道具と違って、太極六十四卦球は相手を直接攻撃する能力は並ですよ。術師としての支援能力が最大の特徴なんです。今の私では、性能を100%使いこなせても、運用能力が低くて宝の持ち腐れです。可能なら4ヶ月で、もっと使いこなせるようにならないと……、」
オリバーの最後の言葉、『新年祭を自国で迎え、その後武勲をあげる』という言葉は、彼として最後に与えられるだけのギリギリの情報だったのだろう。早ければ4ヵ月後、帝政エリクシアはアレキサンドリア共和国に対し、戦線を布告するという暗示であった。
そして、2人が確信した事がある。クロエは必ず帰ってくると。クロエが帰ってきたときに、その足手纏いにな為らない為に、残り4ヶ月の月日は長いとはいえない。帰りには、ユーリアの元に寄ってこの事を伝えなければならない。エマ、ジェシーを含めて、6人で再び冒険する為に……




