26.ディランの憂鬱(ゆううつ)
嵐を無事やりすごした特別療養室の中で、ディランはレギニータから朝食を受け取って、食事をとっていた。エリオットとのケンカは、クロエ艦長(実際はクイーンだが)直々に体罰を受けた事によって、当事者への考課上の罰は与えない事が通知されていた。ただし、今回の乱闘騒ぎに加担した者は、所属・氏名・階級が左舷展望室内に掲示されており、一カ月の酒精の配給停止の処分がなされる事となった。
また、左舷展望デッキでの酒精の提供が、六日間の停止と表明されており、さらに一度の食事での酒精の提供上限が、四分の一ガロン(約一.一五リットル)と定められてしまい、勤務時間終了後のエールを楽しみにしていた者達からの白い目で見られることは確実であった。
朝食は堅パン数枚と野菜スティックのサラダ、コップ一杯の水に少量の塩のみという簡素なもので、懲罰房と同等の食事であった。どうやら、朝食までが懲罰の対象だったようである。
その後ディランは、軽い健康診断というか、診察をうけた。ディランの場合、脳震とうによる意識消失は五分以内であり、外傷性健忘は無かった。そのために、脳震とうの重症度は中程度と診られ、原隊復帰まで一週間と診断された。
これは、頭痛や頸部痛などが発生する可能性があるために、経過観察が必要とされたためである。飛行中に頭痛などが発生すれば、程度によっては墜落も免れないため、必要な処置である。
ディランは、レギニータに今後一週間は、当直時間はトレーニングにあてて、頭痛などの症状がでたら医療班を訪れるようにと、言い渡され解放されたのである。
現在時を確認すると、本来であれば一時間後に一班の当直時間となる。つまり、現在時間は本来であれば就寝時間ではあるが、ある意味では強制的な睡眠をとった後なので眠いわけでも無い。ディランは誰も見ていないにも関わらず、肩をすくめて、両手をあげてやれやれとジェスチャーをしめすと、しかたなくトレーニングルームへと艦内通路を移動していった。
トレーニングルームでは、二班の数名が汗を流していたが、ディランの姿を見ると顔をしかめて部屋を出て行ってしまう。当然彼らは左舷デッキでの乱闘騒ぎをしっており、トレーニング後の冷えたエールを味わえない原因を作ったディラン達に対して批判的であった。
もともと好かれているわけではない事を自覚していたディランではあるが、こうも露骨な反応を受けるのは初めてであった。
「くそっ、僕が一体何をしたっていうんだ……」
ディランとしては、自分の操縦技術を披露して、その腕前を艦長であるクロエや、船務長のユイ、衛生科班長のイリスに見せつけただけであった。そして、それは途中までは上手くいっていたのだ(あくまでも、ディランの視点ではであるが……)。
(アイツの所為で、こっちまで悪者扱いかよ。とはいえ、あのデカ物とやりあったのを艦長に止められたのはまずかったな……)
ディランには、クロエとクイーンの区別がついていない。現実的に、クイーンは普段は姿を現さないし、クロエとの違いも瞳の色だけであったので、大多数の乗組員も区別できていないどころか、クイーンの存在を知らないのだから当然である。
とはいえ、本来は彼にとっても気をひくことを狙っている相手である。ディランは百八十センチを超える高身長であり、百五十センチに届いていないクロエとは三十センチ以上の身長差があり、さらにクロエにしてもクイーンにしても、制帽を常時被っている為に、上から見下ろす事になるディランは、その顔をよく知らないのである。
まあこの男にとって、女性は自分を囲む花であり、どの花を摘むか愛でるかはディラン側にあるという程度の認識に過ぎないのだから、仕方がないのかもしれない。
何とはなしに、格納庫への通路を選んで進むディランの耳に、船務長による艦内放送が耳に響いた。
『本艦はこれより艦体洗浄作業に入ります。飛行甲板等のデッキ要員は、直ちに待機所に避難して下さい。一分後、艦外へのドア及び隔壁は一時閉鎖されます』
ちょうど当直の交代時刻も近づいているために、艦内通路を行き交う者も多い。とはいえ、ディランは当直勤務から外されており、飛行科の待機場所に行ってもやる事はない。行く場所もなくさまよう中で、ディランはふと艦橋下部の舷窓へと向かった。艦体洗浄作業というものに、純粋に興味があったのだ。
舷窓から見える飛行甲板上は、何ヶ所もあるスプリンクラーより真水が放水され、嵐による甲板上の潮や海草などの漂着物を洗い流している。現在の場所では甲板上に日が差さないために、放水されている水しかみえないが、日の光の下であれば輝く虹が各処に見られていたであろう。
しばらく見ていたディランの目の前で、艦橋前のデッキサイド型エレベータが下降していった。数分後に、エレベータ周辺の散水が止まり、再びエレベータが上昇してくると、見たことのない機体がエレベータ上に鎮座している。
ドーナツ型の本体に操縦席と客室を備え、六機のプロペラを装備したDM2号であり、機体横には艦長のクロエとその護衛二名の姿が見えた。
「……なんだよ、あれは……、まさか艦長の専用機なのか……」
他にもVF-1ヴァルキリーも搭載しているのだが、昨日はディランはベッドに拘束されていたためにその存在を知る事はなかったのは幸いである。ディランは自分自身を、アレキサンドリアで一番の操縦士であると思っており、優秀な乗員には、よりよい機体が与えられて当然だと考えているからだ。
ディランが舷窓越しに見ている事に気づかずに、クロエは航空指揮所を見上げて手を振ると、機体後部の搭乗口からDM2に乗り込んだ。やがて軽やかにローターが回転しだすと、ふわりと機体が上昇を始め、すぐに舷窓からその姿は見えなくなってしまう。
あわてて飛行甲板へのハッチを開いて、甲板上からその姿を追おうとしたディランであったが、ハッチは閉鎖されており外に出る事ができない。クロエが乗機で艦を離れた事を知っているのは、艦橋要員とディランのようにたまたま外を見ていた者だけであろう。
「……艦長特権って奴なのか? くそっ、僕にも専用の機体があれば、もっと活躍できるのに……」
そうつぶやきながらディランは、艦体洗浄終了のアナウンスが聞こえると共に、解放されたハッチをでる。真水にぬれた飛行甲板上を、後部へと歩いていたディランは、そこで後部デッキサイドエレベータ上から飛行甲板上に移動された一番機と、整備員に混じって作業をしているライラを見かけた。
本来、地上・艦上にある機体の管轄は整備班であり、操縦士・砲術士であり、例え自機といえど整備班の許可なく機体に触れる事は許されていない。
操縦士と砲術士が、艦を離れた機の性能を、百パーセントを発揮できるために作業を行うのが整備班である。
竜族が人を乗せて空を飛行した時代もあったというが、既にそれは時の彼方へと過ぎ去り、神話の世界の話となっている中で、人族をその技術力だけで空を飛ばせている彼らのプライドも高く、実際ライラが整備班に混じって調整など、当初はできなかったのである。
しかし、整備士からみれば、自分の思い付きだけで機体の負荷を考えもしない、雑なディランの操縦を、ライラは細心の注意を払い、機体への負荷を抑えている事は整備士たちから見てもよく知られていた。ライラは機体整備のプロとしての整備士たちの意見を受け入れ、その指導を仰いでいるからであった。今では、ライラ一人でも軽整備は十分可能となっているが、整備士たちへの気遣いは忘れないために、ライラと整備士たちの関係は良好といえていた。
ライラは、後部座席に座り各部の調整を済ませたかと思うと、整備員と共に搭載された魔導砲の照準調整を行ったり、機体各部の破損や傷みの予兆が無いかなどを確認している。
整備班の面々も、自分たちが整備を行った後に再チェックをしているライラを見ても、気を悪くした様子さえなく、質問や調整作業を手伝っていた。
ディランはそんなライラを見て肩をすくめると、一番機の方に歩み寄ろうとしたが、それに気づいたライラと整備班の面々に止められてしまった。
「……ディラン、貴方は六日間の飛行禁止命令を受けているはず。乗機できない貴方が、機体に触れる事は許されない……」
「悪いが機体に触れる事ができるのは、整備班と当直の操縦士と砲術士のみだ。今のお前さんは、当直から外れているんだから機体に触らせるわけにはいかん」
「面倒をかけさせてくれるなよ……、それ以上近寄れば、また保安員の世話になるぞ。そうなれば、本気でお前はおしまいだ」
ライラと整備班の面々の言葉に、ディランは立ち止まるしかない。指摘されて初めて気が付いたディランであったが、一週間機体に触れる事さえできないのは、操縦士としては致命傷になりえた。
俗に『勘が狂う、勘が鈍る』という。操縦桿の操作と機体の挙動は、操縦士が風を読み、わずかな操縦桿の操作による機体の挙動の変化を身に沁みつくほどの訓練を行った結果できまる。一週間もの間、操縦から離れれば、そういった感覚は壊滅的な程ディランの操縦の勘を鈍らせるだろう。
当然ワイアットも、ディランの勘が鈍る事は承知している。それでも今回の措置に対して、ワイアットが何も言わずに処置を受け入れたのは、既にディランを当てにしていないからである。つまり、ディランの席は一週間後には存在しないという事を、やっと気付いたのだ。
「待ってくれ、そうなると一番機の操縦士はどうするんだ。砲術士だけでは、こいつは飛ばせないだろう…… 医療班に確認して、次の当直には入れるようにするから……」
ライラはディランから視線を逸らしうつ向いてしまう。そのまま話す声は、ディランには寂しそうに聞こえた。
「……貴方は天狗になり過ぎた。それに貴方は気付きもしなかった事がある。優秀な操縦士の育成には時間がかかるけど、学院の卒業生には初の飛行科の学生がいる。彼らは始めから操縦士になるために得選ばれた逸材……」
顔をあげたライラの視線の先には、成人に成り立ての少年が二人……
「馬鹿な……あんな子供が僕よりもこいつを飛ばすのがうまいだって……? ライラ、君の冗談は笑えないな……」
前髪を指ではじいて、ニヤッと笑ったディランであったが、彼自身もその行為にカッコよさを感じてはいなかったのである。




