22.蒼竜マー・アズーロ①
激しい雨と風が波を掻き立てようとも、深い穴の底である我の寝床を濡らす事は無い。風の音さえも届かぬ深い穴の底、海水に満たされた寝床で、我は目を覚ました。
(……なんだ? この異様な感じは……)
知覚できる距離ギリギリから感じる何か。それは荒波荒れ狂う海面上を、この嵐の中でも真っすぐにこちらに向かってくる。
意識をそちらに向け、探ってみると魔力をまとった巨大な何かだとわかった。物理的な体積・質量も、我よりも大きく重い。マー・アズーロは考えてみる。
(この世界で、竜族よりも巨大な存在は多くはない。大蛸や大亀ではないな。奴らから感じる魔力とは異なるし、そもそもここまで巨大ではない……まして、海上に在る理由があるまい)
大亀であれば、海上を島のように浮き、移動するモノもいないわけではないが、マー・アズーロとてこの海域を統べる蒼竜である。彼の知覚している近海で、このような巨大大亀は知らなかった。
(魔力を放出して威嚇すべきか? しかし、この魔力……しばし様子を見てみるか)
ちなみに、マー・アズーロのねぐらとしている縦穴は、海底火山の噴火口であったものを、彼が手を加えたものである。古き時代より数千年の長き時間を過ごしてきたこのねぐらには、コロラドアイトや胆礬などの希少鉱石も少なくなく、硫砒鉄鉱や雄黄、辰砂などの巨大な原石すら存在する。
辰砂とは、別名『賢者の石』と呼ばれることもある赤く、竜の血を意味する名前を持つ鉱石であり、朱漆や漢方薬として処方されることもあるが、実体は単体の物としては最も毒性の強い鉱物である水銀の主な原鉱である。加熱によって致死性の水銀蒸気を発生させる危険なものであり、コロラドアイトなども通常の生物には危険な鉱石ばかりであった。昆虫すら近寄らない穴倉は、彼にとっては快適な住処であったのだ。
嵐の中をそれと距離がつまって、マー・アズーロはそれを人が乗る船だと判断する。巨大な魔力をまとったそれは、マー・アズーロが知覚できる限界付近の魔力を有しており、まとう魔力の気配は森の精霊樹の気配に近い。そして多くの人族……人族の中でも、平均以上の魔力を持つものが多数いる事がわかる。
(……まさか、人族に我の住処が知れたのか? 奴らは我を狩る『竜狩り』を生業とする者たちなのか。いずれにしても、奴らに姿を見られるわけにはいかんか……)
人族というより、生物であるかぎりこの穴倉で火魔法を使用することは死を意味する。周囲の鉱石は、火に反応するものが多く、致死性の毒は彼らを殺すだろうし、竜族であるマー・アズーロには毒は通じない。この場で戦うのであれば、絶対的な自信はあるが、連中も自分のねぐらにたどり着けるものはいないだろう。
マー・アズーロのねぐらには、島の頂上からの縦穴を下ってくるか、海底深くに穿たれた横穴を通ってくるしかなく、人族には岩壁と海水という二つの壁が立ちふさがっているのだ。壁伝いに降下してくる人族には、風魔法を使うだけで疑われることなく落下死を演出すればよい。
そう考えていたマー・アズーロは、自身の発する魔力を極限まで抑えて様子をうかがっていたのである。
やがて、島に近づくにつれて、それは人族の乗る巨大な船であることを知り、マー・アズーロは人族に初めて恐怖を抱いたのだ。
(馬鹿な……人族が我よりはるかに巨大な船を作っただと。精鋭の魔法師団を、海を越えて移動させる手段を人族が得たというのか……ありえん。しかし、我が住処と海を隔てる岩壁を超える事はできまい……)
そして、マー・アズーロの考えはあっさりと打ち破られた。あろうことか、島の内海へと入った魔力をまとった巨大な船は、空を飛ぶ小型の飛翔体を使ったのだ。
(なっ……、小さき人族の気配、それがこの速度で空を飛ぶだと……、飛竜どもの手を借りずに、人族が道具だけで空を飛ぶというのか……しかも、なんだこの気配は……魔力が測れぬ存在に、強い魔力を持つ人間? いや人間だけではないな、得体のしれない、人型のモノが三体だと……)
空を飛ばれてしまっては、岩壁は障害にはならない。縦穴の上をそれらは飛ぶことは無かったが、穴の存在は確認されてしまったであろう。
次の行動を考えているうちに、高速の飛翔体は海面上にいる巨大な船に戻ってしまい、しばらくすると新たな飛翔体を島の上空へと飛ばしてきたのだ。そればかりではなく、巨大な船からは小型の船や、水中を進む乗り物が分離して、周囲で何かを探しているような気配である。
(馬鹿な……水中すら人の手が及ぶとは……)
水中で竜族と闘える人族といえば、人魚族しかいない。魚人族は個体あたりの攻撃力は低く、竜族の防御は抜けない。人魚族は強靭であるが、個体数に限りがあり、本格的に竜族と敵対することはなく、竜族が彼女たちを襲ったりした場合にのみ戦闘は発生していたが、地上にいるはずの人族が海底に進出してくると、いずれは話が変わってしまう。
人魚族に陸人と呼ばれる人族は、個体の寿命は短い代わりに、戦闘にしろ魔法にしろ、圧倒的に技術がすぐれている。個体のみならず、技術や技の継承が行われ、一度彼らに優勢に立てれてしまうと挽回は常に厳しい。
個体の力で劣る人族に、力で優る魔物や魔族が人族に損害を与えつつも狩られる理由はそこにあったのだ。
マー・アズーロは気配を殺しつつ、山頂を訪れた人族の様子を窺っていたが、人族の中に竜族と縁を結んだ者が存在することが確認できる。
(フム、この者は緑竜cacciatoreに所縁のある者か……ならば、我らに仇をなす事はすまい……)
マー・アズーロは気付いていなかった。竜と人との交流が完全に途絶えてから十数年ではあるが、大陸のほとんどの地域では竜と人の間に交流があったことなど、既に伝説のうちにしかなかったことを。
そして、交流のあった際には竜に直接呼び出される事が光栄なことであったが、今ではただ単に一人の少女を拉致することに相違ないことに。
そして、マー・アズーロは魔法を使い、クラリスをこの場に召喚したのだが、他の竜に所縁のある者を呼び出す場合、本来その竜に話を通しておかねばならない事を、失念していた。この事が、後ほど厄介事を引き起こした事を、蒼竜マー・アズーロは後ほど航海するが、それは後日の話である。




