5.異国の人の目には……
「……これがレギニータの母国の海……」
「すごいな、同じ海なのに、開放都市でみた海と、こんなにも違うものなのか」
クラリスとコリーヌは、目の前の海の色や空の色、気温に絶句していた。
二人はともにアルべニア北方の山岳国家の出であり、真夏でも暑さに苦しむことはない。魔術技術学院【スクオラ・ディ・テクノロジア(Scuola di tecnologia)】の学生募集に応募・選考に合格し、開放都市に学生として招かれることがなければ、その生涯で海というものを見る事さえないはずの人間であった。
この時代の多くの人は、自分自身の村を生涯出る事すらなく死んでいくものも多いのだ。故郷を離れるのは、商人や鍛冶・石工などの職人ギルドに身を置くか、冒険者として故郷を離れる者だけである。そしてその者たちですら、じぶんの母国を離れる事はほぼない。
そのため、訪れた国や町・村によっては、旅人は棄民として、国から捨てられた民としての扱いを受ける場合も多く、冒険者ギルドなどに所属している証明がなければ、町や村に入る事さえできない場合もあり、時と場合によっては殺されてしまう場合もあったのである。旅が一般的ではない世界では、やむを得ない事ではあった。
そして今二人の目の前に広がる青い海では、絶え間なく押し寄せる波は、あくまでも透明であり、南国の植物は母国のものと全く異なっている。
しばし呆然と海を見ていた二人だが、夏の日差しに汗ばんでおり、強烈な日差しはじりじりと肌を焼いている。
周囲を見渡せば、既に水着姿に薄手の上衣を羽織った女性たちが、思い思いに南国の海を楽しんでいた。女性ばかりで気安いとはいえ、母国ではいまだに肌を見せる習慣のない二人だが、冬服でいるのにも限度もあり、あわてて更衣室と言われた部屋に荷物を持ち込んで着替えるのであった。
アイオライトでも地球の中世と同じで、『海水浴のための特別な衣服』を用意するという事は一般的ではない。人々は、下着姿や着古した普段着、場合によっては裸で海につかるのが一般的であった。
さすがに、古いドレスで水に入る人はいないが、アレキサンドリア以外では、上下そろいの肘までの袖があるゆったりした上衣に、ひざ丈のゆったりしたパンツが上流階級では一般的であった。
アレキサンドリアは少し状況が異なっていて、昨年夏にアレクシアが一部の女性にプールを利用したダイエットを、しぶしぶ開示したため、従来の水着では運動しにくいので、ワンピース型の水着が一般的にとなっている。
水から上がった時に身体の線を隠すために羽織る、上衣もセットとなっており、地球との違いはレースやフリルなどの使用はほぼなく、デザインも色もおとなしめで淡色が多いくらいである。
コリーヌたち二人に用意された水着は、アレキサンドリアに準じた水着であったが、二人は水着自体を知らないので、こんなものなのだろうと用意された水着に着替える。
コリーヌはクリーム色、クラリスは黄緑色をベースとしたワンピースの水着に、肘までの長さの袖の上衣がセットとなっている水着であり、2人の髪色と合わせて店長がコーディネートしたようである。
二人は最初は身体の線がはっきり出てしまうので、恥ずかしくて上着をまとって歩いて前かがみになって歩いていたが、周囲を歩く人々とすれ違うたびに違和感もなく、だんだん慣れてきて胸を張って歩けるようになってきていた。
浜辺に設置されていたパラソルの下にあるビーチチェアに座ると、すぐに女性がやってきて飲み物の注文をとっていく。二人はとりあえず店員おすすめのソーダ水を頼むと、すぐに冷えたソーダ水が届けられ、ゆっくりと飲みながら、礁湖を見ながら話した。
「これって、夢を見ているんじゃないですよね。目が覚めたら、母国の自分の部屋のベッドの上だったとか考えると、泣けてきそうです」
「……確かにそうだな」
そうクラリスの独り言に答えたコリーヌであったが、そこに声をかけたものが居る。
「それでは、夢でないことの証明を貴女がたにも差し上げますよ」
そう言って、『思い出』という店の店員がとってくれた二人の写真は、パラソルの下、南海の海を背景に、はにかむ様な笑顔の二人の写真であった。
記録結晶と呼ばれる魔石のようなものに記録され、現在の二人の姿をそのまま鏡に映したかのように記録してくれている。
後ほどプリントアウトしますねと言われ、プリントアウトとはどのようなものかをたずねたコリーヌに、店員がサンプルを見せてくれた。その見せてくれたサンプルに写るのは、10歳くらいの小さな女の子2,3人が映ったものであっったが、二人はそれを見て笑ってしまったのである。
サンプルの中に映った笑顔の少女たち、それは明らかにユイ、イリス、クロエの面影のある少女たちだったからだ。
今日の二人、いやここに来た全ての人達との思い出は、きっと1枚のプリントアウトされた写真をみれば、いくつになっても思い出されるであろう。
夢でなかったという確たる証拠として、母国に帰った後も。いや、きっと自分自身が死ぬ寸前まで、コリーヌとクラリスというお互いの存在を忘れる事はないだろう。
開放都市でさえ、母国の多くの少女・娘たちには夢の世界である事を二人は知っている。
だが『アレキサンドリア』という国は、まさに魔法の国なのだという事を、2人は心に刻み込んでいたのであった。
*****
「ほぇ~」
間の抜けた声をもらしたレーナであったが、他の面々も似たようなものであった。まだ、現状を受け入れたレーナの方がましであろう。
「お嬢様方、しっかりしてくださいよ」
かけられたレーナの言葉で、ようやく現実に戻ってきた3人の令嬢は、初めて周囲を見渡し、取り残されているのは自分たちだけであることに気が付いた。
「……これがアレキサンドリアでは普通なのでしょうか」
フローラの言葉は、自分たちを含めた外国人だけが呆然としているのに対し、アレキサンドリアの国民は当然のように状況を受け入れているからだ。ただ単にクロエ達の引き起こす騒動に慣れているだけの話ではあるが、そこまで彼女達にはわからない。
「どうみても、ここははるかに南の国ですわね。暑くてたまりませんわ」
そういったエリーゼは、ちらりと更衣室とよばれた着替えをする小屋の前にできている行列を見て、うんざりした顔をみせた。手にした荷物を下ろし、中から水着を取り出すとその場で着替えだした。
あわてたのはレーナを含めた取り巻きである。あわてて三人で周囲を囲み、他人の目からエリーゼの姿を隠して叫んだ。
「ちょっと、お嬢。こんな場所で肌をさらすなんて……」
「あら、私邸では貴女がたに入浴や着替えで肌をさらしていますもの、今更ですわ。それに、私隠すような恥ずべき身体は持っておりませんし」
「あ~、そういう事と違うと思います。慎みとか品位とかですね……」
「社交界でならそれは期待できるが、この場所でエリーゼにそれを求めるのは無理だろう……」
フローラの困惑した声と、ヘルガの諦めたような声に、レーナは頭を抱える。北部エリクシアに居た時から。型破りな主人たちであったが、場所を変えてそれは変わらないようである。
エリーゼが着替えた水着は、生地こそ良いものを使用しているが、肘までの袖と、ひざ丈のパンツを組み合わせた一般的なデザインの物である。エリクシアでは違和感のなかった水着ではある(開放都市行きが決まって仕立てたものである)。
しかし、この場にいると周囲の水着と比べて、古臭いデザイン・色使いに見えてしまうのはやむをえない。周囲をあるく水着姿の女性を見て、エリーゼは鼻を鳴らした。
とりあえずエリーゼの護衛にヘルガを残して、レーナとフローラの二人は着替えに向かう。エリーゼと異なり、2人は衆人環視の中で着替えるような胆力は持ち合わせていなかったから……
ヘルガは防寒用の上着を脱いで、傍らにまとめた荷物の上に置いている。トラキヤより南にあるとはいえ、開放都市はそれなりに寒かったが、ここでは服を着ているだけで汗ばむ陽気である。質の良いブラウスのボタンを胸元まであけて、フローラたちの戻るのを二人は待っていた。
そんな二人の傍らを、通り過ぎようとした二人の女性が、エリーゼの着けている水着をみて立ち止まり、声をかけてきた。二人の女性がつけている水着も、アレキサンドリア風である。
「あの~、エリクシアの方ですか?」
声をかけられたヘルガは、警戒しながら二人をみると、質素ながらもそれなりに洗練されたデザインの水着をつけている。
「あぁ、私たちは北部の出でな。君たちは……」
「ほらな、やっぱりエリクシアの人間やったろ。服と水着のデザインが帝国流なんだよな~」
「いやいや、まずは質問に答えないと、私たちは東部属領のゾムニのニトラと申します。こちらは同じくゾムニのリカです。ほら、リカさんもきちんと自分で挨拶してくださいよ。
私たちは、リネンを紡ぐ技術を魔術技術学院【スクオラ・ディ・テクノロジア(Scuola di tecnologia)】で教えながら、こちらのデザインや布地の勉強をさせてもらっています」
ニトラと名乗った素朴そうな娘に促され、リカという娘がしかたなしに答える。年齢は明らかにニトラのほうが若いのだが、リカよりはよほどしっかりしてそうである。
「あ~、うちはリカっていいます。ゾムニ一番の織子ティティス姉さんの店で売り子をしていますが、お嬢様方の水着や服装がちょっと懐かしくなって声かけさせてもらいました」
そういうリカは悪びれもしない。「もうっ」と隣でニトラがむくれているが、全く気にしない。
「ほぉ、着ている服だけで解るものなのかい?」
問われたリカはどや顔を浮かべながら笑って答える。
「えぇ、うちみたいにその道のプロになれば、服のデザインや生地である程度わかりますよ。ちなみにそちらのお嬢様は、シルクの生地に北部独特の意匠が入った……貴族特、有……」
まじまじとエリーゼの水着を見ていたリカの声は尻すぼみに小さくなり……
「……失礼しましたぁ! ほら、ニトラもしっかり頭さげぇ」
「え?なんで、って痛いよリカさん」
二人のやり取りを聞いていたエリーゼが吹き出し、ヘルガはため息をついた。
「さすがはプロの目だな、良い目を持っている。私たちはトラキヤのエリーゼとヘルガという。私たちは今開放都市で遊学していてな。今後会うこともあるだろうが、その時はプロの目で服を見立ててもらおう」
「はいぃ、ほらニトラいくで」
リカという娘は、あわててニトラの手を引き、浜辺へと走って行ってしまう。途中、ニトラという娘がこちらを向き一礼していくのを、2人はしっかり見て取った。
「意外とエリクシアからも一般の人が招かれているのですね」
エリーゼの言葉にヘルガもうなづいた。周囲の人々は、既に水着や夏の装いをしており、武器を隠したりすることは難しい。そういう面ではここは安全なのだろうとヘルガも納得する。
折よく着替えをおえたフローラとレーナも戻り、今度はヘルガが着替えに行ったが、3人は浜辺ではしゃぐ人々の方向に歩き出した。
「なんというか、ここは別世界ですね。夢の世界のようですわ」
フローラの言葉にエリーゼもレーナもうなづいた。帝政エリクシアでは型破りで行動的なエリーゼではあるが、過去に出向いた先は当然、帝政エリクシア国内の北領と王都、アレキサンドリアの下層街くらいである。
それでも、外交を担う貴族でもない限り、通常他国になど出向かないのだから、かなりの型破りだが、ここまで立場と無関係な場所にくるのは初めてのことである。
「どうやらあちらには休憩用の場所があるようですね」
フローラの指さす方向には、パラソルの下にいくつかのビーチチェアやテーブルが並べられ、複数の人影が談笑したりしている。その先には椰子のつくる木陰で、いくつかのハンモックが風に揺れていた。三人は、強烈な日差しを避ける為、パラソルの下へと移動を始めたのであった。




