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スマイルテイクアウト  作者: 佐伯俊哉


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第4話:檻の敗残兵

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第4話:檻の敗残兵


 WFC B棟2F事務所システム保守課。

 厚い防音扉の向こうにあるサーバー室からは、精密機械を冷やす空調の低い唸りが微かに漏れ聞こえてくる。その隣に位置する「システム保守課」のモニタールームは、本来、静寂とブルーライトに支配された俊哉の聖域であるはずだった。


 「パチン、パチン、パチン……」

 だが今、その静寂を切り裂いているのは、商品管理課長・高橋茂が爪を切る音だ。俊哉のデスクのすぐ隣、パーテーションの隙間から、デリカシーもなく深爪するほどに爪を弾き飛ばしている。高橋のデスクには、飲みかけの微糖缶コーヒーと、吸い殻が山をなす携帯灰皿。加齢臭を誤魔化すための安物のアロマ芳香剤が、コーヒーの饐えた匂いと混ざり合い、この閉鎖空間に不快な停滞感をもたらしていた。


 高橋は苛立ちを隠そうともせず、ズズッと音を立ててコーヒーを啜った。モニターには1Fピッキングエリアの映像が映し出されている。


 (佐伯の奴、いつまで俺の権限を舐めくさっているんだ)


 高橋は、隣で淡々とキーボードを叩く佐伯俊哉の背中を忌々しげに睨んだ。俊哉は高橋が立てる不快な音など存在しないかのように、冷徹に画面を見つめている。その「インテリの成れの果て」特有の静かな拒絶が、高橋には我慢ならなかった。


 高橋はモニターを切り替え、特定のカメラをズームした。1Fの出荷準備エリア。そこには、数人の女性パートが残って検品作業を続けている。

 ターゲットは松野さんだ。彼女は先日、子供の入院を理由に、来月の土日休みのシフト優遇を訴えてきた。


 「……これだよ。これがあるから、この仕事はやめられねえ」


 高橋は、黄色く濁った歯を見せてニチャリと笑った。他人の弱みを握り、それを慈しむように弄ぶ。それこそが、彼がこの「鉄の檻」で手に入れた、唯一の娯楽だった。


 高橋は立ち上がり、音を立てて椅子を引いた。

 「佐伯、俺は現場(1F)を回ってくる。数値に異常が出たらすぐに報告しろよ。……あと、爪くらい切らせろよ。お前、潔癖症か?」

 無神経な言葉を投げ捨て、高橋は事務所を抜け出した。


 ***************************************


 (思い出すのは、あの頃の冷たい風だ)


 1Fへ降り、防火扉の向こうに広がる広大な倉庫の通路を歩きながら、高橋の脳裏に13年前の光景が蘇る。


 2012年。彼は全財産を注ぎ込み、念願だった「高橋運輸」を立ち上げた。

 最初の相棒は、中古の三菱ふそう・キャンター。冬の夜明け前、凍えるハンドルを握り、エンジンの重低音が体に伝わるたび、「自分の力で生きている」という熱い実感が胸を満たした。


 当時の高橋は、積み荷の向こう側にいる「人」を見ていた。だが、2017年。資金繰りに窮した彼の前に現れた加藤貴志は、その誇りを無価値だと切り捨てた。城を奪われ、部下たちは自動搬送ロボットに取って代わられた。今の彼は、自分が憎んだはずのシステムの一部となり、自分より弱い者を踏みつけることでしか、自尊心を保てなくなっていた。


 ***************************************


 「……はぁ、はぁ……」

 1Fピッキングエリアの隅、死角になった通路で、松野さんが肩で息をしていた。


 高橋は足音を殺して近づき、至近距離で彼女の背後に立った。

 「松野さん。熱心だね、こんな時間まで。……最近、少し痩せたんじゃない? 苦労してんだな」


 松野さんが弾かれたように振り返る。高橋は逃げ場を塞ぐように壁に手を突き、彼女の顔を覗き込んだ。タバコ臭い息が、至近距離で彼女に浴びせられる。


 「あ、高橋課長……。すみません、あと少しで終わりますから」

 「いいんだよ。無理して倒れられたら、俺が加藤CEOに怒られちゃうからねぇ」

 高橋は励ますような仕草で、松野さんの肩を不自然に長く、ネチャリと撫でた。


 「ところで、来月のシフトだけど。AIが『効率低下』の判定を出しててね。俺が手動でネジ曲げてやらない限り、君はフル出勤だ」

 「そんな……。でも、子供の入院が……」

 「わかってるよ。だから、相談に乗ってやろうって言ってるんだ」


 高橋は、顎でさらに奥にある薄暗い一角を指した。

 「あそこの備品倉庫、梱包資材の予備が届いてるはずなんだ。悪いけど、検品に付き合ってくれないか?……人目もないし、二人きりでじっくりと、君の将来について『相談』に乗ってやるから」

 拒絶する間も与えず、高橋の分厚い手のひらが、抵抗できない松野さんの腰を強引に引き寄せた。


 ***************************************


 その瞬間だった。

 倉庫中のスピーカーから、鼓膜を突き刺すようなけたたましい警告音が鳴り響いた。


 「な、なんだ!? 何事だ!」

 高橋は狼狽え、ポケットからハンディ端末を取り出した。端末は火を噴くかのように激しく振動し、画面には『致命的なシステムエラー:全ライン停止』の深紅の文字が躍っている。


 その光景を、2Fのモニター越しに見つめる男がいた。佐伯俊哉。

 高橋が管理者権限を使って「シフト管理システム」に不正な操作を試みた瞬間、俊哉が仕掛けたデバッグ・トラップが発動したのだ。高橋の浅ましさそのものが、自らを断罪するトリガーとなった。


 「……高橋課長。あなたはかつて、荷を守るために戦っていたはずだ」

 俊哉の声は、静まり返った事務所で冷徹に響いた。


 高橋は、無様に震え続ける端末を握りしめ、薄暗い倉庫の真ん中で立ち尽くしていた。その姿は、かつて加藤に蹂躙された男の屈辱を、さらに深い泥沼へと沈めていくようだった。

 俊哉は、モニターの向こうで狼狽える小者の残骸を見据えたまま、次のコマンドを打ち込んだ。


 (高橋、お前の時間はここで終わりだ。……さて、次は『彼女』のログを確認するか)


 俊哉の瞳に、再び冷徹な、かつての辣腕エンジニアとしての光が戻っていた。


最後までお読みいただきありがとうございます。


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