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「侯爵夫人を5年演じた私が離縁を決めたら、今さら愛していると言わないでください」  作者: マサキ


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第四十二話 再会【ソフィア視点】

第四十二話 再会【ソフィア視点】


 セイルが置いていった紙を、ソフィアは何度か読んだ。


 薔薇が咲いたら、知らせてほしい。


 一行だけだった。用件でも、挨拶でもない。ただそれだけが、几帳面な字で書かれていた。


 マリアから受け取ったとき、ソフィアは少し黙った。それから、小さく笑った。


「どうされましたか」


「いいえ。……らしいと思って」


 マリアが少し首を傾けた。


「言葉が少ないところが、あの人らしい。でも、言いたいことは伝わる」


 マリアは何も言わなかった。ただ、目が少し和らいだ。



 それから二週間が経った。


 セイルからは、その間に一通手紙が来た。仕事が片付きつつあること、屋敷の薔薇庭園の芽がさらに伸びていること、近いうちにまた来ること。前回より少し長い手紙だった。少しずつ、言葉が増えている。


 ソフィアも返事を書いた。


 こちらの薔薇はまだ蕾だということ。エミリアの薬草店で新しい薬草の名前を覚えたこと。老人から早咲きの株の世話を少し任されたこと。


 書きながら、不思議な感覚があった。


 五年間、王都からアーデル家に送っていた手紙は、当たり障りのないことしか書けなかった。だが今、セイルへの手紙には、日常のことを書いている。薬草の名前を覚えた、薔薇の蕾が出た。そういう小さなことを。


 それが自然にできていることが、少し不思議だった。



 セイルが三度目の訪問に来たのは、手紙から十日後だった。


 今回は、来ることが分かっていた。手紙に日取りが書いてあった。ソフィアは朝から、特別なことは何もしなかった。いつも通り薬草店の仕事を手伝って、昼前に戻った。


 扉を叩く音がした。三回。


 マリアが出た。セイルが入ってきた。


 旅の埃が、今回は少なかった。前回より丁寧に身支度をしてきたのかもしれない。気づいたことを、ソフィアは顔に出さなかった。でも、気づいた。


「来ました」


「ええ、ようこそ」


 短い挨拶だった。でも、最初の訪問のときとは空気が違った。扉を叩く前の緊張が、今回はお互いにない。


 お茶を出した。食卓に座った。


「手紙、ありがとうございました」


「こちらこそ。薬草の話が、想像より面白かった」


「面白い?」


「カモミールとラベンダーの見分け方を三行かけて説明していた」


 ソフィアは少し顔が熱くなった。


「……書きすぎましたか」


「いや。続きを読みたかった」


 セイルの言い方は相変わらず素っ気なかった。だが、続きを読みたかった、という言葉は、素っ気なくても本当のことだと分かった。



 しばらく話してから、セイルが言った。


「外を、少し歩けますか」


 ソフィアは少し驚いた。これまでの訪問は、いつも食卓だった。


「どこへ」


「広場に、薔薇の株があると聞いた。見てみたい」


 手紙に書いたことを、覚えていた。


「ええ、行きましょう」


 二人で外に出た。


 春の光が、石畳を白く照らしていた。町は昼の顔をしていた。荷馬車が通り、子どもが走り、薬草店の前に客が立っている。いつもの昼だった。


 並んで歩いた。


 王都の屋敷で、二人が並んで歩いたことが何度あっただろう。社交の場では隣に立った。だが、ただ並んで、どこかへ歩いたことは——ほとんどなかった気がした。


 広場に着いた。


 薔薇の株のそばに、今日も老人がいた。水差しを持って、ゆっくりと水をやっていた。ソフィアの顔を見て、目を細めた。それからセイルを見て、少し頷いた。何も聞かなかった。それがこの老人らしかった。


「これが」


 セイルが、株の前に立った。


「ええ。早咲きの株だそうです。もう少しで蕾が開くかもしれない」


 セイルはしばらく、株を見ていた。


 芽は先週より伸びていた。葉が開いて、緑が濃くなっていた。蕾らしいものが、一つ、枝の先に見えた。


「……屋敷の庭も、そろそろ咲く頃だ」


「庭師さんが手入れをしてくれているそうですね」


 セイルがソフィアを見た。


「カトリーナから聞いたか」


「ええ」


「……来たのか、ここまで」


「来てくれました。あなたのことを、伝えに」


 セイルは少し目を伏せた。それから、また薔薇の株を見た。


「余計なことをする」


「余計ではなかったです」


 ソフィアははっきりと言った。


「伝わってよかったと、私は思っています」


 セイルは何も言わなかった。でも、その横顔が、少し柔らかくなった。


 二人は並んで、薔薇の株を見ていた。


 老人は水やりを終えて、のんびりと広場の奥へ歩いていった。


 春の風が通った。薔薇の葉が、さわさわと揺れた。


——並んで、外を歩いた。


 それだけのことが、今日は特別に思えた。


 王都の屋敷では、こういう午後がなかった。並んで、どこかへ歩いて、何かを一緒に見る。そういう時間が。


 これから作れるかもしれない、とソフィアは思った。


 答えはまだ出していない。でも、こういう午後が嫌いではない。そのことは、今日はっきりと分かった。


 薔薇の蕾が、春の光を受けて、かすかに輝いていた。


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