姉妹のお別れ
ぽたりとどこかで水滴が跳ねる。
無骨な石壁の造る通路は薄暗く湿っぽい。
物寂しい光景にロージアは己の死に場所となった一軒家を思い出した。
異母妹も今、あのときの自分と同じような孤独を感じているのだろうか。
エレクシアラの話では死刑囚とは思えないほど元気ということだけれど。
(あの子に会うのは久しぶりね)
──年の瀬の神殿裁判から一ヶ月。アークレイ家は爵位と財産を没収され、エリクサールには廃位が告げられ、慌ただしい日が続いたが、神国は少しずついつもの平穏を取り戻していた。
ロージアの周辺でもあれ以来重大な危機は起きていない。職を失ったナナはエレクシアラに拾われたし、ハルエラとアキオンも仲睦まじく暮らしている。セイフェーティンやセレ兄弟も民間兵の叙任準備で忙しい。
特筆すべきことと言えば獄中で父が狂死した件くらいだ。
オストートゲには判決が耐えられなかったらしかった。牢の壁に何度も頭を打ちつけて死んでいるのが見つかった。
意外なほどに感傷はない。ただ最後まで謝ってくれなかったなと思うだけだ。謝罪があっても受け入れたかどうかはわからないけれど。
(お父様は結局わたくしのことなど一度も見ていなかったのよね……)
かぶりを振って地下を進む。人気のない長い通路を。
面会を希望してきた異母妹の独房はもうすぐだった。
「あら、本当に来てくださったんですのね。お姉様」
鉄格子の向こうからロージアを迎えたのは明るい笑顔。
正直理解できなくて無意識に眉をしかめてしまう。
「お姿を拝見できて嬉しいですわ。スープを飲めば会えると聞いて、わたくしお皿まで舐めたんですのよ」
誰がこのツヤツヤした肌と金髪の娘を見て明日処刑台に立つ罪人だと思うだろう。己の中の常識が粉砕された気分である。
リリーエもまたロージアに詫びなかった。強敵に勝負を挑んでみたかったという信じがたい動機を打ち明けた後でさえ「反省は敗北に関してのみしかしておりません」とのたまったのだ。
呆れを通り越して感心する。なるべく来世は草や花に生まれてほしい。
「……で、どうして今更わたくしを呼んだの? 処刑場でのマナーを聞きたいなんて冗談言わないわよね?」
面会希望の理由を問うとリリーエはうふふと笑う。
「やはりお姉様は鋭いですわ。ほとんど正解に近いです」
両手の指先をそっと合わせて異母妹は華奢な上体を揺らした。彼女が纏うと囚人服さえ夏用ドレスに見えてくるから不思議だ。
「なぞなぞを解きに来たのではないのよ。早く用件を述べなさい」
「ええ、実は明日に備えて確認したいことがあって。お姉様は死後も魂の形を保っておいででしょう? わたくしも同じようになれるのかしらと」
無邪気な問いにロージアはしばし本気で頭を抱えた。霊体になって何をする気でいるのだと心の底からぞっとする。
「残念ながらあなたはわたくしと同じにはなれないわ。そうね、数秒程度なら自我を保っていられると思うけれど、たちまち溶けて生命の河へと流れていくでしょうね」
デデルの最期を思い出しつつ答えるとリリーエは「なるほど。数秒もあれば十分です」と嬉しげに微笑んだ。
本当に度しがたい女だ。どんな思考をしているのか一つも掴める気がしない。何か悪さを企んでいるのでなければいいけれど。
「そう言えば今夜はわたくしお母様と同じ独房で眠ってもいいのですって! ね、これはお姉様が取り計らってくださったのでしょう? 深い慈愛に心から感謝しますわ」
星のごとき目に見つめられ、ロージアはうっと仰け反った。
いっそ憎まれていたのならこちらも憎み返せるのに、心はただ複雑だ。
「礼を言われる筋合いはないわ。用が済んだならわたくしはもう行くわよ」
ごきげんよう、と踵を返す。リリーエは鉄格子に頬を擦りつけてロージアを見送った。
「明日はきっと広場までおいでくださいね! 是非とも最前列中央に!」
地下通路の暗がりに少女の声がこだまする。同じ屋敷で仲のいい姉妹として暮らしていた昔と少しも変わらぬ声が。
アークレイ家の解体がほんのひと月で進んだのは、リリーエが取り調べにて洗いざらい己の罪を打ち明けたゆえだった。
負けたのだから突きつけられた要求には従うべきだと彼女は至極あっさりしていた。新たに捕らわれたカニエもまた「すべて娘の言う通りです」と頷くのみで。
理解できない。あのまま皆で穏やかに家族をやっていくこともできたのに。
何もかも駄目にするかもしれなくても命を燃やしたかったなど、己には到底。
(リリーエ……)
殺された恨みや怒りはほとんど残っていなかった。
今はもっと静かな虚無が胸にある。もっと早くに彼女の性を知っていたなら違う道を選べただろうか。
(いいえ。あの子はわたくしに挑戦したわ。生きている限り何度でも)
ロージアは振り返ることなく地上へと引き返した。
深緑のドレスの裾を翻して。
***
翌日。正午の鐘が響くと同時に二つの首が転がった。
一つはペテラスを騒がせた天真爛漫な悪女のもの。
一つはそんな彼女を愛した女のもの。
ロージアは断頭台の傍らでリリーエの謎かけの意味を知る。
屍から抜け出した異母妹の霊体はなんでもないように立ち上がると自然な所作でスカートを摘まみ上げた。
ぺこりと一礼。そして面を上げる前に溶けて崩れて消えていく。
厳密にはお辞儀は謝罪ではなかった。しかしそれに似た何かだった。
名付けるとすれば敬愛とか、勝利の継続を願う祈り。──そんなような。
「……まったく」
ロージアはぽつりと小さく毒を吐き、公開処刑の後始末を指揮する王太女のもとへ飛んだ。
奇跡の季節は短いのだ。次になすべきことをなさねば。
冬空はどんよりと暗く曇っている。しかし雲の切れ間から清らな光が差している。
春にはまた美しい薔薇が咲くだろう。
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