第零話 災具の魔女 クロノ・ソーカ
魔力灯の淡い光が、夜の聖都アストラルを照らしていた。祈りの街を包む静けさを裂くように、場違いなエンジン音が轟く。
ぶろろろろろろろろろっ!!
神殿街に響いていい音ではない。大神殿前の石畳を震わせながら、黒い鉄の塊が夜を駆け抜けていく。その前方から伸びる無機質な白光が、魔力灯に照らされた石畳を乱暴に塗り替えた。
それは、この世界には存在しないはずの乗り物。前世の日本で見慣れた、黒い大型スクーターだった。
通りは一瞬で騒然となる。犬が吠え、兵士たちが振り向き、家々の窓が勢いよく開く。寝間着姿で顔を出した人たちは、ぽかんとこちらを見ていた。
たぶん全員、同じことを思っている。
――なんだ、あれは。
それもそうだ。大神殿へ続く大通りを、鉄の塊が爆走しているのだ。音も、光も、速さも、この街にはあまりに場違いだった。
そして、その車体に跨っているのは、私たち姉弟だ。
「マーク! 左! 次そこ曲がって!」
「了解! 姉ちゃん、しっかり捕まって!」
ハンドルを握っているのは弟のマーク。最初はぎこちなかった運転も、今ではだいぶ形になっている。私は学院の制服の上に濃紺の外套を羽織り、その背中に必死でしがみついていた。
石畳の振動が、足から背骨まで突き抜ける。お尻は痛いし、舌は噛みそうだし、普通に怖い。
それでも、バイクは馬より速かった。
ただ、聖都の街並みはまっすぐ走るには向いていない。狭い路地に、急な曲がり角。石畳には段差も多い。少しでも操作を誤れば、車体ごと壁に叩きつけられる。
背後からは、蹄の音と怒号がしつこく追ってきていた。
私はマークの背中にしがみついたまま、恐る恐る後ろを振り向く。
追ってきているのは、ただの兵士じゃない。
白銀の鎧をまとった騎士たちが、馬に乗って列を組み、石畳を蹴立てて迫ってきていた。掲げられた神殿旗が夜風にはためき、蹄の音が通りいっぱいに響いている。
法国でもっとも神聖とされ、もっとも厄介な武力組織――神殿騎士団。
しかも、その馬列の先頭には、白馬に乗った司教服の男がいた。夜目にもわかるほど、異様な気配をまとっている。胸元に下がる銀の審問章が、月明かりを受けて冷たく光った。
異端を裁く者だけが身につける、あまり見たくない印だ。つまり、ただの司教じゃない。
異端審問官である。
遠目に見れば、彼らこそ正義そのものに見えるのだろう。神殿旗を掲げ、罪人を追う騎士団。問題は、その罪人が私だということだった。
「逃がすな! あれは魔女だ! 神の理にない災具を呼ぶ、禁忌の召喚士だ!!」
司教の怒声が夜気を裂いた。
――魔女。
その言葉に、喉の奥がひくりと引きつる。
召喚士と言われるのは、まだわかる。やっていることだけ見れば、たしかにそう見える。
でも、魔女は違う。だって私は、魔力を練れない。火も、水も、治癒の光も、何ひとつ出せない。魔法が使えないことを隠して、必死にごまかして、ここまで来た。それなのに、よりによって魔女として追われている。
その時点で、だいぶ意味がわからない。
「魔女は言いすぎでしょぉぉぉ!!」
私が叫んだ瞬間、司教が言い捨てた。
「魔力の流れを持たぬ災具など、神の御業を汚す異物よ!」
それは怒りというより、断罪だった。
そして、司教は杖を掲げた。杖先には、すでに赤い火が滲んでいる。詠唱の前から魔力を練っていたのだと、遅れて気づく。並の使い手ではない。
「火よ、神意に従い、罪人を灼け――」
詠唱に応えるように、杖先の火が細く伸びた。炎はねじれながら、槍のように鋭くまとまっていく。本物の槍ではない。言霊によって火を束ね、撃ち出すための魔法だ。
やばい。これはガチのやつだ。離れていても熱気が伝わってきて、背中に嫌な汗が浮かんだ。
「マーク、来る!」
「姉ちゃん、なんとかして!」
「わかってる!」
私は身体をひねり、片手を背後へ突き出した。詠唱はいらない。頭の中で、銀色の筒を思い描く。
形。
色。
重さ。
安全ピン。
そして、弾けた瞬間に広がる白い光。
――“向こう側”へ手を伸ばす。
「限界具現――閃光手榴弾!」
空気が、びりっと歪む。次の瞬間、手のひらに冷たい金属の重みが落ちた。
「また訳のわからぬ道具を!」
「警戒せよ! 魔女の災具だ!」
私は安全ピンを引き抜き、追手の馬列の手前へそれを放り投げた。
「マーク、前だけ見て!」
「了解!」
叫ぶと同時に、私はマークの背中へ顔を伏せ、ぎゅっと目を閉じた。
次の瞬間、背後で夜が弾けた。まぶた越しにもわかるほどの白い光。耳の奥を叩くような破裂音。放たれかけていた炎の槍は狙いを逸れ、石畳の脇で爆ぜた。
「うわああああっ!?」
「馬が暴れるぞ!」
「なんだ今の光は!?」
「目が、目がァァァ!!」
騎士たちの隊列が、一気に崩れる。馬は跳ね、騎士は叫び、無人の屋台が巻き込まれて盛大にひっくり返った。
効果は抜群だった。魔法なら、騎士たちにも身構えようがあったのかもしれない。けれど今の光は、彼らの知っているどんな魔法とも違っていた。
「姉ちゃん! 今のやつすごい! あとで三個くらいちょうだい!」
「雑に追加注文すな! こっちは精神削って出してんの!」
マークがハンドルを切った。
バイクは狭い路地へ滑り込み、壁すれすれを駆け抜ける。左右の家々が、ものすごい勢いで後ろへ流れていった。路地を抜けた先に、月明かりの差す広場が見える。
広場の中央では、石造りの噴水が静かに水を吐き、水面に映る月光を揺らしていた。
右手には、灯りの残る市場通り。店じまいした屋台が、行儀よく並んでいる。
左手には、東門へ続く石畳。その奥で、巨大な門影が闇に沈んでいた。
逃げるなら、左。
東門へ抜けるしかない。このまま振り切る。
そう思った瞬間、マークが叫んだ。
「姉ちゃん、左ふさがれてる!」
「うそでしょ!?」
広場へ飛び出した瞬間、右の市場通りから騎士が二騎。左の東門通りからも、別の騎士が三騎、こちらへ回り込んできていた。さらに背後の路地からは、さっきの司教と本隊が迫っている。
前には噴水。左右には騎士。後ろには追手。
完全に挟まれた。
「マーク、止まって!」
「くっ……!」
急ブレーキをかけたバイクが、石畳の上を短く滑る。タイヤが嫌な音を立て、私はマークの背中に額をぶつけそうになった。
「うわ、ほんとに囲まれた!」
「姉ちゃん! なんか出して!」
「なんかって何よ! 雑すぎるでしょ!」
左の東門通りを塞ぐように、三騎の騎士が馬首を並べていた。
「止まれ! 災具の魔女クロノ・ソーカ!」
「止まれって言いながら刺す気満々じゃん!?」
先頭の騎士が、馬上で槍を構える。槍先はまっすぐ、こちらの命を狙っていた。
「マーク、噴水の左を抜けるよ!」
「塞がってるって!」
「だから、いけるようにする!」
今ほしいのは、派手で、相手がびっくりして、できれば死ななくて、馬もなるべく傷つけないやつ。
我ながら条件が多い。でも命がかかっているので仕方ない。
私はもう一度、“向こう側”へ手を伸ばした。
「限界具現――消火器!」
指先の向こうで、空気がまた小さく歪んだ。
次の瞬間、見慣れた赤い金属の塊が、ずしりと両腕に収まる。重い。でも、使い方は覚えている。
「なにそれ、爆弾!?」
「消火器!」
「ショウカキ!?」
「火を消すやつ! ごちゃごちゃ言ってる暇ないから!」
「火、出てないけど!?」
「これで道を作るの!」
私は安全ピンを抜いた。狙うのは騎士じゃない。馬の目の前の地面。東門への道を塞いでいる三騎の足元へ向けて、消火器を噴きつけた。
ぶしゅううううううっ!!
白い粉が、三騎の前方を一気に覆った。
「なっ――!?」
「白い灰だ!」
「毒か!?」
「前が見えん!」
「馬を抑えろ!」
「無理です! 馬が怯えています!」
その一頭が前脚を上げたのをきっかけに、隊列が崩れた。騎士同士の馬がぶつかりかけ、誰かが「下がれ、下がれ!」と叫んでいる。噴水の左脇に、その混乱がそのまま隙間として残った。
「マーク!」
「姉ちゃん、しっかりつかまって!」
バイクが吠えた。
先頭の騎士が、白い粉の向こうから槍を突き出す。狙いは私たちのいた場所――でも、もうそこには誰もいない。槍先は虚しく夜気を裂いただけだった。
白い粉の雲を裂き、バイクは噴水の左脇へ突っ込んだ。混乱する騎士たちの隙間を、ためらいなく抜けていく。
風が頬を叩く。後ろで騎士が何かを叫んでいる。むせる声、馬のいななき、そして怒りに震える司教の声。
「追え! あの唸る魔獣を逃がすな! 魔女の災具をばら撒く前に捕らえろ!」
魔女の災具、ね。
ついこの間まで、似たような道具を見て、奇跡だ、祭具だと持ち上げる人たちがいた。同じ道具でも、立つ場所が変われば災具になる。誰かを助けるための物でも、見る人が変われば凶器になる。
奇跡と呼ぶのか、災いと呼ぶのか。
その名前を決めるのは、いつだって私ではなかった。
⸻
バイクは、夜の都を食い破るように走っていく。
「姉ちゃん!」
「今度はなに!?」
「このままセレスティアの屋敷に戻っても、たぶん追ってくるよ!」
「だろうね!! もう父さんと母さんに全部話して、王国に逃げるしかない!」
半分やけくそで叫びながら、歯を食いしばった。全身が痛いし、息も上がっている。
「……ほんっと、なんでこうなったのよ!」
泣きそうになりながら叫ぶと、マークが妙に冷静な声で言った。
「姉ちゃん、無茶するたびにだいたいそれ言うよね」
「うるさい!」
反射で言い返したけれど、思い返してみれば、確かに何度か言っていた気がする。
「それに今回は、わりと最初から心当たり多いでしょ?」
「……否定できないのがつらい」
心当たりは多い。
でも、どれも結局、同じ答えに辿り着く。
魔法が使えないのを、ごまかしてきたこと。
すべての始まりは――。
あの信号が、青に変わった瞬間だった。




