優しさと温かさと喜びと
エノクは気さくで話しやすい。
王子が入団するまでの第二騎士団の団長はエノクだった。レイが直々に任命した強者。
指導稽古は終わることなく、まだ続いている。
「あ……」
私とエノクが話していることに気を取られた王子に鋭い突きが入った。
「稽古中に余所見をするとはな。私の指導が悪かったか?」
「い、いえ。すみません」
何を話しているのか聞こえないけど、容赦されていないのはわかる。
厳しい、か。なるほど。確かにそうだ。
訓練とはいえ集中を欠くなんて団長にあるまじき行為。
痛いはずなのに、それを顔には出さずに構える。
鍛えてるといっても筋肉ムキムキのマッチョってわけでもないのに。
──騎士はタフじゃなきゃなれない職だね。
「エノクもレイを尊敬してるの」
「当然です!」
エノクだけじゃない。王子も他の騎士もみんな、目が少年のようにキラキラ輝いている。
憧れのスポーツ選手を生でみたような。そんな感じ。
とても饒舌に語ってくれる。レイアークスという人間を。
宰相の仕事はもちろん、ポーション作りに薬草の採取。
第二騎士団入試試験を担当し、騎士達の訓練に付き合うこともしばしば。
更には文官の育成。
王宮図書館の管理。貸出利用者リストの作成、本の破損の確認。本の入れ替え等が主な内容。
たまに外交。
──なんかやること多くない?
一人に押し付けすぎだよ。
「それに。魔法と魔力を扱うための講義も週に一度ですが開いています」
「え。だってそれは学校があるんじゃ」
「リーネットにはありません。ない国もありますし、不思議ではありませんよ」
ハーストで経験していたことは世界にとっての常識ではない。
学ぶことは大切だけど、無理強いすることを嫌っていた歴代の王が学校制度を廃止。
王族や貴族は魔力が高いため、魔法を暴走させないためにもある程度の基礎は教えてきた。
騎士を目指す人は必須条件。剣術と魔法は使いこなさなくてはならない。
「レイだけ忙しすぎない?」
ポロっと出てしまった。エノクは答えることなく、段々と視線が逸れていく。
思ってはいるんだ。忙しいと。
仕事を手伝おうにも本人から断られているから何も出来ない。
スウェロ殿下は親の威光を使い、補佐の座を得た。
──何気に仕事増やしてるよね、あの人。
図書館の管理なら他の人でも任せられるんじゃないかな。
本の貸出手続きと、返ってきた本が破損していないかのチェックだけでしょ。
他の仕事を断られている手前、言いづらいのなら、それとなく私から言ってみようか。
なんなら私がやってもいい。
面倒を見てもらっているのだから、手伝いぐらいはしないと。
「我々も提案はしたのですが……。本は中で読む分には手続きが必要ないんです」
そういえばそうだ。
私は授業以外で図書室に足を運ぶことはなかったし、本に借りることは義務ではなかったため利用方法をあまりよく覚えていない。
「ん?待って。それってつまり……」
「読んでいるうちに誤ってページを破いたり、内容を写しているときに汚してしまう人がいるんです」
破損とは返ってきた本ではなく、棚に置いてある本だったのか。
すぐに謝ればいいものを、悪いことをしたらつい隠してしまうのが人間の性。
次に取った人に濡れ衣を着せないように一日に一度は調べる。
一冊ずつでは効率が悪いため本棚を鑑定すれば、一緒に本の状態までわかる。
鑑定魔法を持つレイにしか出来ない仕事。
レイが管理するようになってから、本が破損することはなくなった。
しなくなったら気が緩んで雑に扱うのかもしれないけど。
忙しすぎるあまり倒れてしまわないように大量のポーションが必要となり、自分で作るようになったら、いつの間にか他の人の分も作るようになったと。
──いや、それは自分達で作りなさいよ。
ポーションといえば回復薬のイメージだったけど、この世界では違う。
疲れを取るための栄養ドリンクに近い。徹夜の披露感も一本飲めば解消される。ただ、過剰摂取は体に毒。
厄介なことに空腹も紛れるため、ポーションばかり飲んで栄養失調で倒れた人も過去にはいる。
作り手によって効き目も異なり、やはりと言うべきか。レイが作る物が一番良く効く。ポーション作りを習っていない私は詳しいことまではわからないけど魔力も使うため、薬草の他に絶妙なさじ加減に調整するのは本当に難しいらしい。
「あ、あの。女神様」
遠慮がちに声をかけられ「女神」と呼ばれたことについ顔をしかめた。
「お前ら。名前でお呼びしろ。シオン様だ」
「はい!申し訳ございません!シオン様。怪我をしたので治して頂きたいのですが」
「いいで……」
深い。思っていたよりも傷が。
木刀と同じ感覚で振り回したらダメでしょ。死ぬよ、ほんと。
怪我をさせた本人は力加減を間違えたと猛烈に反省していた。
ダラダラと流れる血に体が固まる。手が震えているのは気のせいじゃない。
死んだ日がフラッシュバックする。
早く治さないと。体から多くの血が失われると人は死ぬ。
震える手を傷口にかざす。
その後が……出来ない。
力が強すぎて腕ごと消えたらどうしよう。制御したらしたで、治らないだろうし。
成功するイメージが湧かない。目の前が真っ暗。
「レディー。落ち着け」
王子の木刀を空中に弾き飛ばしたところで稽古は終了。レイは私の元に来てくれた。
「まずは深呼吸で肩の力を抜くんだ」
言われた通りに大きく息を吸っては吐くを繰り返す。
視界がクリアになってきた。
震えも止まった。
「シオン様。大丈夫です。失敗しても。腕がなくなっても魔法があれば戦えます。ただ、所属団が変わるだけですので」
──かなり責任重大なんですけど。
レイに憧れたから討伐が前身の第二騎士団に入隊したんでしょう?
そこで戦いたいから頑張って努力したんじゃないの。
「我々で良ければ、いくらでも練習台になりますから」
仮に失敗しても彼は笑って許してくれる。私を責めない。
他の団に移って、そこからまた頑張るのだろう。
──ああ、嫌だ。
自分の全てを懸けてでも叶え手にした夢を、私が壊すなんて。
「腕全体を飲み込んでいい。ただし、意識だけは傷に向けるんだ。余計なことを考えずに、集中しろ」
中途半端では意味がない。
闇が覆う。太い腕も真っ赤な血も。
近くで。遠くで。全員が見守る中で魔法は成功した。
イメージが大切っていうのを、ようやく理解したか。
大きな魔法ほど威力は大きい。長兄もこうやって私を焼き殺そうとしたわけか。
「言っておくが。治す度に全体を飲み込んでいたら魔力はすぐに切れる。傷だけを飲み込むコントロールの訓練は必要だ」
心が見透かされている。
この方法を使えば訓練しなくてもいいじゃんって思っていたのに。
温かみのある瞳が急に冷たくなった。厳しいレイが出てきた。声がいつも通りなのが余計に怖い。
「まずは魔法を安定させるところからだな。しばらくは今のままでいい」
「うん。わかった」
「叔父上。本気出さないで下さいよ」
「出していないが?」
「そうですか。それは失礼しました」
手首をさすりながらこちらに来る王子は私に治して欲しそうな雰囲気。
「あれは無視していい」
「叔父上!?」
口を尖らせていじける王子は可愛い。末っ子だなぁ。
甘やかされて育ったわけではないけど、兄よりも少しワガママを言いやすい立場ではあった。
「というか。叔父上は仕事大丈夫なんですか?祭りの準備もありますし」
なんか仕事が一つ増えた。
祭りの準備って一人でやるものだっけ?
みんなで協力した記憶しかないんだけど。
レイは何も言わずにため息をついた。
「もう一週間もないですけど、間に合いますか」
「多少は終わらせている」
誰も手伝わないのは、“手伝えない”からなのかもしれない。
こんなにも慕っている人が仕事に追われているのに、ただ見てるだけなんて。何も出来ない歯がゆさ。
シンと静まり返る。空気がどんよりして重い。
【みゃー】
愛らしい鳴き声。
一人一人の顔を覗きながらグルっと一周したノアールは何をするでもなく、元の場所で日向ぼっこを楽しむため体を丸める。
もしかして今、空気をリセットしてくれた?
ノアールが神獣でないと、信じていないわけではない。心が沈んたときやネガティブ思考に陥ったときはいつも、心を晴れやかにしてくれる。
ノアール自身に自覚があるのかはわからない。
野生の勘、なのだろうか。それとも、人間の表情から感情を読み取っているのか。
どちらにせよ。ノアールのおかけで空気が変わった。
一年中、討伐と訓練ばかりの騎士に癒しはないようで。ノアールは囲まれ陽射しは遮られた。
驚いて顔を上げたら馴染みのない人達に囲まれていたら恐怖。
【シオンーー!!】
小刻みに震えながら私の胸に飛び込んでした。
体が小さいから僅かな隙間から脱出成功。
大の大人が「あ……」と悲しそうな声。
震える背中を見て怖がらせていたのだと瞬時に理解し、サッと距離を取った。
「大丈夫よ。みんなノアールが可愛いから見てただけ」
ピクリと耳が動く。
【可愛い?】
「ノアールは私が見てきた動物で一番可愛いわ」
【やっ!カッコ良いがいい!】
今まで散々、可愛いを連呼してきたのに?
頭をグリグリ押し付けてくるノアールに可愛いと言うのは酷いだろうか?
「ノアールは可愛くてカッコ良い。つまり最強なの」
【さいきょう?】
「一番強いってこと」
【強い!?】
耳がピクピクしたあと顔を上げた。キラキラ光線が目から出てる。
【じゃあじゃあ!シオンのこと、守れる!?】
ノアールにとって私の傍にいることと守ることは優先すべきこと。
果物を持ってきてくれたり、辛く苦しいときに片時も離れなかったり、長兄に立ち向かったり。
「ノアールはずっと私を守ってくれてるわ」
【そっか!】
尻尾が激しく揺れる。嬉しさが最高点に達した。
上機嫌になったらしく自分から彼らの中に行き、それぞれの足に擦り寄る。
小動物の扱いに慣れていないようで、見るだけならいいけど触れるとなると、あたふたし始めた。
細身でも筋肉質であり、パワーはある。間違って踏んでしまわないように下半身は硬直。上半身だけでオロオロしているから面白い。
「それって魔法を意味してるんだよね」
レイは懐中時計を取り出した。
「よくわかったな」
蓋には月と太陽を中心に赤、青、緑、黄、茶の星が描かれている。
闇と光。五大魔法を表しているのだろう。
レイはシンプルが好きそうだから柄が入っているのは珍しい。
誰からのプレゼントとかかな。レイがあんなに大切にしているならきっと、兄である王様からだ。
「ナンシー。悪いが迎えに来てくれ」
懐中時計に話し出した。
ついに頭がパンクしたと心配していたら、懐中時計に通信魔道具を組み込んでいた。
普段から持ち歩いている物なら邪魔にならないし、どこかに忘れることもない。
団長と副団長も持っていて、制服のループタイに組み込んでいるらしい。魔道具があるなら通信魔道具だってあるよね。
しかも!なんと!GPSのように位置がわかる優れ物。
一つ二役はどの世界も大人気。
「レディー。触れてもいいか」
空間が開き、戻ろうとする直前で思い出したかのようにクルリと反転した。
そういう言い方をするときは私に対して触れるとき。決してノアールにではない。ちゃんと学習したのだ。
断る理由がないから頷くと、綺麗な手が伸びてきた。成功したことを褒めてくれるんだと期待する。
でも、予想を大きく裏切って髪を耳にかけただけ。
ナンシーに声をかけられるまで私を凝視していた。
今の行動が何を意味するのか。教えてくれないままレイは、祭りの準備があるからと今日の訓練は終わった。
レイの都合で祭りの期間だけは訓練を休ませて欲しいと申し訳なさそうだった。
イメージして意識を集中させてたら傷は治せる。
この方法ならレイがいなくても大丈夫な気はするけど、魔力が暴走したら取り返しのつかないことになってしまう。レイはそれを恐れているから、決して勝手なことはするなと念を押された。
王子に向けていたような凍てつく瞳で。
激しく首を縦に振って逆らわないことを示す。
「すまない。ありがとう」
謝るのもお礼を言うのも私だ。
私がもっと優秀なら、ううん。そもそも、私がいなければレイの時間を奪うことはなかった。
ただでさえ激務をこなしているのに、私の面倒まで見なくてはいけないなんて。
「私にも手伝えることはない!?」
断られるだけだとしても、甘えるのが当たり前になりたくない。
眺めているだけでは失礼だ。私はもう、彼らと同じ線の中にいるのだから。
役に立つまではいかなくても、お礼はしたいと言葉にして伝える。
「気持ちだけ受け取っておく。……いや、頼みたいことがある。スウェロと話して、私の真似をすることをやめさせて欲しい」
疲れたというより、教えることの難しさに悩んでいる様子。
詳しいことは家まで送ってくれる王子から聞くことになり、今日はこれで解散。




