遺されるもの、燃やされるもの
ウルスラ・マージリント。魔導士として、彼女が持つ力は余りに強大だった。その身に宿す莫大な魔力から、手加減しても並の魔導士の全力を軽く凌駕する。戦士としてある程度の名声を持っていた父ですら、幼いウルスラの魔術一つで容易く命を散らせた。
強すぎるが故の孤独。ウルスラにとって、人も物も、容易く壊れる硝子も同然だった。
だからこそ、彼女は求めた。触れても壊れないモノを。彼女が永遠の命に対して憧れを抱いたのは、そうした経緯だった。
そんな中、エカテリーナとジュリウスは、彼女が初めて会った同等の存在だった。同じ時代に二人も外れ値の怪物がいた事は、彼女にとって幸運だった。
彼らには言わなかったが、ウルスラは二人に対して、幾らか夢を見ていた。二人と共に、永遠というものを実現出来ればいい、と。
エカテリーナと戦い、ジュリウスを失う事となった『崩れの日』。実はウルスラは、あの時点ではあまり気にしていなかった。エカテリーナは永遠の命と同時に『星を喰らう怪物』への対抗策を編み出しただけで、ジュリウスも神剣の機能を考えれば、未来で復活出来る。問題は――自分自身の寿命。
ウルスラはそれを克服するため、完成させた。彼女なりの不死の魔術を。自分の若い肉体の作成、魂という不可視の存在を引き寄せる魔道具の開発。どちらも並大抵の業でないが、ウルスラはやり遂げた。そして四十を過ぎた折、寿命の前借りのような生活のつけを払う事となる。彼女にとっては、実験の一環に過ぎなかったのだが。
誤算だったのは、復活の過程で記憶が抜け落ちた事。その結果、エレインという人格が生まれた事。そして彼女が出会ったのが、ヴィルハルト・アイゼンベルクという強者だったこと。挙句、力の使い方まで忘れていたせいで、強過ぎる故に壊すという経験をしなかった事。エレインのウルスラと似ても似つかない快活さは、そうした環境の果てにあるものだ。
だからこそ、気に入らなかった。自分にもそんな生き方があったと、実例として示されているようで。とうに戻れぬ道の先に、美しい花畑があると言われたようで。
『エレイン・アーネット……』
ウルスラが頼れるのは、力だけだった。だから自分の力を示して、エレインに絶望を叩きつけようとした。
その彼女が――自らに、頭を下げていた。
「ウルスラさん……私達の世界を『終わらせない』為に――力を貸してください」
ウルスラはエレインが嫌いだった。だから、断ればそれまでだ。
だが、ウルスラは知っていた。そんな意地で跳ね除けても、エカテリーナは満足いくまで実験を続けるだろう。そしてここでヴィルハルトが負ければ、ジュリウスが託した物の意味がなくなる。
ならば、代わりに自分が出れば? 恐らくエレインの言う『力を貸す』というのはそういう意味で、そうすればエカテリーナにも後れを取らないだろう。
だが、あの『英雄』に教えられていた。真の信頼とは、力の大小で揺らぐものではない、と。ウルスラがやるのではなく、エレインがやるから意味があるのではないか。
『私はお前が嫌いだ。私からお前のような人格が生まれた事が、今でも解せん……』
『変わらないというのは、在り続ける事じゃない。受け継ぐ事だ』
ジュリウスは恐らく、ウルスラにこう言いたかったのだ。『俺はずっと、この世に在り続けている』と。この世に彼を崇める人間が無数にいること。重圧に潰される事無く魔導士として生きる妹。そして――あの半人半魔の男。ジュリウスが遺した魂は、彼が死んだ後も多くの人間が受け継いできた。
ならば自分は――何を遺す。
『だが……ヴィルハルト・アイゼンベルクには、お前こそが最適だ』
力だけが、彼女の拠り所。ならば、遺せるのもそれだけ。だが、彼女が望んだ上でなら――それも悪くない。
『お前自身でやり遂げろ。腐っても私から生まれたんだ、無理とは言わせん』
ウルスラは、エレインに全てを渡した。これまで自分が積んできた経験、技術、知識の全てを。いきなり手足のように使いこなせるかは別だが――少なくとも、今よりはかなりマシになるだろう。
『私がやれるのはこれだけだ。後は好きにやれ』
「ウルスラさん……ありがとうございます」
相変わらず無垢な返事をするエレインに、ウルスラはいっそ清々しい気分だった。
『元よりお前は、私の実験から生まれた存在だ。ならば、お前の功績は私のものも同然。だから渡した……それだけだ』
全てを彼女に託したという事は、即ち彼女の自我もエレインに統合されるということ。ウルスラは、エレインと一部となる。もう、こうして会話をする事もないだろう。
薄れ行く意識の中、ウルスラはもう一度、あの英雄の事を思い出していた。
『ジュリウス……私も、お前のように――』
*
エカテリーナを追う最中、ヴィルハルトは身体が唐突に軽くなったのを感じた。同時に反射で『身体強化』を掛けると、一度の跳躍で容易く彼女に追いついた。
練体術の効果が、段違いに上がっている。突きを放つと、音を置き去りにして、エカテリーナの左腕を貫いた。そこから間髪入れず横に振るい、左胸のコアを両断する。もう一撃――というところで、二体目のエカテリーナの攻撃に右腕を切断される。両者の視線が交差した時――業火と爆発に、強制的に距離を離された。
ヴィルハルトが左手で神剣を掴みつつ着地すると、すぐ隣にエレインがいた。
「ウルスラ……? いや、エレインか……?」
ヴィルハルトの隣に立つエレインは、静謐なオーラを纏っていた。ウルスラの精神が宿ったかのような鋭い瞳でヴィルハルトを見ると、胸に手を当てた。
「ウルスラさんが、私に遺してくれました。ヴィルハルトさんと一緒に戦える力を」
ヴィルハルトの周囲に、超高密度の魔力が集合している。これまでのエレインとは桁違いの精度の『整調』。
ウルスラの記憶と知識、そして技術。彼女が持つ全てが、エレインの力となっていた。いきなり100%までは使えないが、これまでヴィルハルトと共に戦ってきたエレインのサポートなら、ウルスラの時と同等以上の力を振るえる。
エレインの強気な笑みに、ヴィルハルトは敢えて何も返さず、再びエカテリーナへ剣を構えた。
「ウルスラの弱点は、協調性が低かったこと。別人格に力を与える事で、自分の弱点を克服したのね」
「協調性などと貴様が言えた義理か」
「だから戦士と組んだ事は一度も無いのよ、私」
エカテリーナ二人による波状攻撃を、ヴィルハルトは余裕で凌いでいた。攻撃を躱しつつ、合間に隙を突いて一撃を入れる。それを二、三度繰り返した時ーー不意に、ヴィルハルトの動きが止まった。
「……もう限界が近いみたいね。今までメンテナンスも無しに無茶な戦いをしてきたもの。仕方ないわ」
同時に、エカテリーナも動きを止めた。彼女は憐れみを湛えた目で、ヴィルハルトの大きな罅が入った顔を見る。ただでさえ消耗の大きい神剣の使用は、耐用限界を迎えつつあったヴィルハルトの核と肉体には、大きな負担となっていた。
魔物や魔将の核も、決して不変の存在ではない。使えば使うほど消耗する。エカテリーナを含む魔将たちは、定期的に核の修復を行うため半ば不老不死の状態だ。だが、一切のメンテナンスを行っていない上、最初期のモデルであるヴィルハルトの核は、そうはいかない。壮絶な戦いでフル活用されていた核は、もはや崩壊寸前。余命幾ばくもない状態だった。
しかしーーそれでもヴィルハルトは止まらない。
「ならーー全てここで出してやる。身体強化ーー『五重!」
前人未到、五重の身体強化。神剣の力までも加わった一撃により、彼の眼前にいたエカテリーナは一瞬で何十もの肉片となった。無論、二つの核もほぼ同時に斬り刻まれ、肉片と混ざり合っている。
一人目のエカテリーナを撃破すると、即座に後方の空間に浮く二人目に狙いを定めた。
しかし、ヴィルハルトは一度斬り込むのをやめた。何故ならそこには、二人目どころか――何人ものエカテリーナもいたからだ。
「貴方がその気なら……私も出し惜しみはしないわ」
「今いる私全員で、貴方たちの力を引き出してあげる」
「一人残らず殺して見せて。貴方たちが本当に『英雄』なら、出来ない筈がないわ」
口々に勝手な理想を語る、合計六人のエカテリーナ。先程微塵切りにされた彼女を含めれば、合計七人。複製されたエカテリーナの全てが、この空間に集結していた。
最初から全員で掛からないのは、不意打ちの手を残す為か、或いは試験のつもりだからか。
どの道、ヴィルハルトにとって、六人のエカテリーナが居る光景は、悪夢としか言いようがない。
「英雄か……」
ヴィルハルトの元に、六人のエカテリーナが死の光線を浴びせる。ヴィルハルトはそれに対し、立ち止まることなく一体のエカテリーナに向かって跳躍、胸に神剣を突き刺した。そのまま切り上げ、頭をも真っ二つにする。
「俺が……そんなモノに見えるか?」
残り五人となったエカテリーナが見たのは――全身を光線に焼かれながら、驚異的な速度で再生していくヴィルハルトの姿だった。
核の耐久度、燃費。それら一切を無視した、限界以上の力。それは魔将としての性質にも影響し、最早致命傷以外のダメージは即座に再生するレベルとなっていた。
「貴方はそれでいいでしょうね。けど……エレイン、貴方はいいの?」
エカテリーナの一人が、エレインの元へ移動していた。
「ヴィルハルトが消えれば、貴方は一人になるわ。ヴィルハルトの願いは私を倒す事だけれど――貴方が望むのは、もっと先の未来の事なんじゃないかしら。誰だって……子供は親に長生きして欲しいものね」
少女に対する、言葉による揺さぶり。或いは、本当にただ疑問に思った事を訊いただけかもしれないが。どちらにせよ意味の無い行動だった。
「それがヴィルハルトさんの望んだ事なら……魔導士として支えるだけです」
エレインの中にあるのは、かつてのヴィルハルトの言葉。
『魔導士の役目は、戦士に役目を果たさせること』。それを今ここで、全力で果たす。エレイン・アーネットには今、一切の迷いというものが存在しない。自らの元人格、ウルスラから受け継いだ力は、彼女の精神にも影響を与えていた。
放たれた『赤炎』で眼前のエカテリーナを吹き飛ばした。飛ばした先には、ヴィルハルトがいる。即座に体勢を立て直した彼女の腕ーーが変化した刃と、ヴィルハルトの凶刃が交差する。
ヴィルハルトの振り下ろした剣は、一撃でエカテリーナの核二つを砕いた。一方彼女の刃はヴィルハルトの頭部ーーその右を掠めただけだった。
残った四人のエカテリーナを睨んだ瞬間、頭部の亀裂が更に大きくなった。刻一刻と迫る、命の限界。
しかし止まらない。それどころか、更にヴィルハルトの力は高まっていく。瞬く間に四人目を灰塵に変えた。幾ら魔王と言えど、何度も殺せば慣れもする。ヴィルハルト自身が剣と化したような、冷徹で莫大な殺意。魔王ですら容易く斬り裂く、魔人の刃がそこにはあった。
「最高だわ……」
恍惚の表情を浮かべる三人のエカテリーナ。左端の彼女が、ヴィルハルトによって切り裂かれる。
「命を燃やして戦う物はいつだって強いけれど……貴方は格別ね。貴方に憎まれても、嫌われても……それでも強くあって欲しい。私の願いが、ちゃんと叶ったわ」
相も変わらず、ズレた想いを語るエカテリーナ。右側の彼女は既にヴィルハルトの手に掛かっていた。残ったのは一人だけという状況にも関わらず、エカテリーナは何処までも嬉しそうだった。
「文句なんて何もない。合格よ。さあ、ヴィルハルト。私をーー」
言葉を紡ぎきる前に、神剣の斬撃が、最後の核を破壊した。




