圧倒する力
新たに与えられた木剣を手に、ルドルフは先の事態を思い出して目を細める。
「叔父様?」
ロザリアが怪訝な瞳を向けるが、彼の意識は過去の記憶に移っていた。
ヴィルハルトが自分の元で修業をしていた頃、木剣で打ち合った事は数えきれない程にあった。剣術の基礎や理論より、彼が実践を好んだが故である。その際、当然木剣が折れることも多々あったのだが――記憶にある限り、ルドルフの剣が折れたのはこれが初めてだ。
「年甲斐もなく、熱くなったのかもしれんな……」
二人の剣が折れた時、果たしてあれはただ彼の攻撃を捌く為に必要だったのか。
結果として、ルドルフとロザリアは小休止の時間が取れた為、損はしていない。しかし、それは結果論であり、そんな打算で打ち合ってはいなかった。
『それでは、全員最初の位置に戻ってください』
実況のアナウンスを聞き、所定の位置についたルドルフ。
「叔父様、どう動きますか?」
「向こうの出方次第だな。それと、タイミングは任せるが……狙えるか?」
「確実とは言えませんが……やってみますわ」
ロザリアが消極的な態度で頷いた。ルドルフが頷き返すと、実況が開始の合図を告げた。
『さあ、試合再開! ちなみに、追加ルールのお知らせです。今後、片方の木剣が折れても試合は続行。もし両方の木剣が折れた場合は中断するが、次は刃を潰した鉄の剣を使用する、とのことです』
『そうなりゃ怪我のリスクは段違いになるが……まぁ、仕方ねえな。でもこれ、実質折れた方が負けるくね?』
『そうですね。一応、両戦士とも武術の心得はあるとのことですが。しかし、これは……両戦士、動きません』
『お互い、相手の出方を伺っているって感じだな。っと、これは……』
周辺の空気が変わったのを、解説のロイドは察知した。実況のリリーも魔導士ゆえ、肌で感じたらしい。
『これは……エレイン氏、宣言無しでの『整調』を?』
『珍しいな。整調みたいな維持するのが目的の魔術は、宣言有りで使うのが殆どなのに』
『え~~、観客の皆さんに解説しますと。練体術と魔術は、術を使う前に名前を宣言する場合としない場合があるんです。宣言ありの場合、イメージをより強く固定出来るので、強度と安定性が増します』『ただし、発動には宣言の終わりを待つ必要がある。だから発動は遅くなるのさ。その上、より強い術を実現する為に、注ぎ込まれる魔力の量も増える。宣言無しの場合は逆だな』
エレインがアリナから魔術について習った時、この知識も教わった。通常、『整調』や『重力増加』のような効果を長時間持続させる術は宣言有りで、『黄雷』のような瞬時に発動し、終了する術は無しで行使される。練体術も持続させる術に数えられるが、緊急回避などの状況では宣言無しで使われることも少なくない。
だが、エレインはあえて宣言無しで整調を行使した。その狙いを最も強く図ろうとしているのは、ロザリアだ。
(ここにきて魔力の節約を……? いえ、ヴィルハルトの特性を考えれば、長期戦に持ち込む程、あちらは有利になる。それなら――)
「『整調』!」
ロザリアもまた、『整調』を行使した。宣言無しなら、彼女の整調を上回れると判断したからだ。スタミナ勝負に持ち込まれれば、こちらは確実に不利。その心理からの行動だったのだが――直後、巨大な五つの火球がルドルフとロザリアを襲った。
「これは……!?」
ロザリアが整調を用いたと見るやいなや、即座に整調を解除したエレインが『赤炎』を行使したのだ。その瞬間、ロザリアは悟った。自分が、釣られたことを。
彼女が後悔する間もなく、ステージ上を五つの火柱が彩る。
「身体強化、《三重》」
その炎の合間を縫って、白髪の魔人がルドルフに肉薄していた。ヴィルハルトは突きの構えでルドルフを間合いに入れ――超神速の五連突きを放った。
「『個群彗星』……おのれ」
しかし、流石は『剣聖』ルドルフといったところか。五発の刺突は全て木剣を盾とした守りに阻まれた。しかし、彼はそのヴィルハルトの後方から、光の球が飛来してくるのを察知した。
「『陽光』……くぅっ!」
光の球が弾け、辺り一面を眩い光が包んだ。
『陽光』。術者の任意のタイミングで弾け、強力な閃光で目くらましをする光の球を形成する魔術。発動速度が遅い、光って目立つ為見つかりやすい、味方まで被害を受ける。
三つの欠点故非常に扱いづらい術であり、敵の妨害なら『黄雷』で事足りる為、使われることは少ない。
事実、発動の際に目を閉じた為、ルドルフとロザリアの視界を奪うことはほぼ出来ていない。では何故、エレインがこの術を使ったのか。その理由は――
「身体強化、《四重》」
眼を開けた瞬間、かつて目にしたことのない速度で叩き込まれる刺突。直撃を受けたルドルフは、ステージの端まで一気に吹き飛ばされた。
初めて視覚的に分かりやすいダメージが入ったこと、ヴィルハルトの明らかに異常な速度。これら二つの光景が、今日最大の歓声を観客席に響かせた。
『な、何だ今のは!? 私の耳が正しければ、今ヴィルハルト氏は、身体強化を四重に掛けたのでしょうか!?』
『ああ、その通りだ。あの野郎、ここにきて切り札を切りやがったな』
『今のは、頭に当たったのでしょうか? ……え、当たってない!? 審判によりますと、先の一撃、ギリギリで頭部を避けたとのこと!』
『いやマジかよ……完璧に決まったと思ったぜ……』
左右の鎖骨の間に受けた一撃の威力に、ルドルフは膝を着いて何度も咳き込む。
頭部を外せたのは殆ど奇跡だった。
ジュリウスさえ超える四重の練体術。陽光は、彼が隠していた切り札を打たせる為のものだった。
「叔父様!!」
「来るな、ロザリア! まだ私は……戦える!!」
全身に波及する衝撃に、膝が笑う。だが、木剣を杖として立ち上がった。
ルドルフ・ヴァルトシュタイン。かの『崩れの日』を最前線で生き延びた男は、決して衰えぬ闘志を眼光に宿し、弟子を睨んだ。
『しかし、ヴィルハルト氏。追撃しません。これは一体……』
『しないんじゃなくて、出来ないんだろ。四重の身体強化なんて前代未聞の神業、何秒も維持出来るモンじゃねえ。ヴィルハルトの精神的な消耗も図りしれない。それにだ……見ろ、アイツの剣』
ロイドがヴィルハルトの木剣を指し示した。彼の手に握られたそれは、無数のヒビが入っていた。




