試合当日
祭り当日。街に出たエレインは、その非日常的な光景に目を輝かせていた。
朝八時にも関わらず、煌びやかに彩られた通りには、食べ物の屋台がズラリと並ぶ。一つ一つから食欲をそそる香りが発せられ、腹の虫が鳴った。
その代わり、人の数も平時の比ではないが、そんなことはお構いなし、という様子だ。
「ヴィルハルトさん!」
「試合まで時間はある。適当に時間を潰せばいい」
せびられる前に、先んじて彼女に金を持たせるヴィルハルト。三千エラの入った袋を渡され、エレインは笑顔の花を咲かせた。
「ありがとうございます!! それじゃあまずはあのお店にーーってヴィルハルトさんも来てくださいよ!」
何処かに立ち去ろうとしたヴィルハルトを引っ張って止めると、彼は観念したように黙って彼女の後に続く。
彼女が最初に興味を惹かれたのは、川魚の串焼きだ。魚を一匹丸ごと串に刺し炭火で焼いた、至ってシンプルな料理。
しかし、エレインは知っている。この国のーーアルマイレの魚は美味いということを。
四百エラを支払い焼き立ての魚にかじりついたエレインは、期待以上の味に思わず唸った。
まさに旬を迎えた魚は、外はパリパリ、中はフワフワの絶妙な食感。身を噛めば、ほのかに山の爽やかな香りが鼻の奥を通り抜ける。本来苦いはずの腸も、苦味を感じる事なく頂くことが出来る。
「うぃふはふとはん! ほれほひひいへふ!」
「美味いのは分かったから、せめて飲み込んでから喋れ……」
屋台飯の味を知り、食欲に火がついたエレインは、雲のようなフワフワの飴などの未知の味を堪能した。
そんな彼女の背後に、一つの影が近寄る。
「エレインーー」
この人混みだ。スリやひったくりがいても不思議ではない。その手の輩と思い、締め上げようと動いたヴィルハルトだがーー
「それ美味しそうね、エレインちゃん。アタシにも一口くれる?」
「アリナさん!」
人影の正体は、アリナだった。何処かの屋台で手に入れたらしい変なお面を身につけ、青いワンピースを身に包んだ彼女は、生来のスラリとした長身と整った顔立ちを際立たせていた。
荷物を減らす為によそ行きの服をヴァンドラムに置いてきた彼女が、唯一所持しているオシャレ用の服だった。
「どうよ、中々綺麗なモンだろ?」
後ろから聞き慣れた声と共に、肩に手を置かれた。振り返れば、何故かドヤ顔のロイドがいた。
「ふむ、こういうのを何と言うんだったか……」
「『馬子にも衣装』か?」
「ああ、それだ」
「ロイド? 今何か言った?」
「いや、オレじゃねえよ!? ヴィルハルトだよ!」
「まあいいわ。ヴィルハルト、エレインちゃん借りていい? 試合の前には返すから」
「エレインに聞け。俺としては、最終調整に時間を割ける方が良いがな」
「むぅ……ヴィルハルトさんも一緒に回りましょうよ」
不満げに頬を膨らませるエレインを見ても、ヴィルハルトの態度は変わらない。
「俺は肉以外食べる必要が無い。屋台を回る意味が無い。お前こそ、調整しなくていいのか」
「それはそうですけど……じゃあ、お昼まで! お昼までアリナさんと一緒にいます!」
「そうか」
「何か今日のヴィルハルトさん、いつもより不機嫌じゃないですか?」
「いや、これは気合い入ってるだけだろ」
ヴィルハルトはさっさと踵を返し、小屋へと歩いて行った。
「互角以上の相手だから、万全の調子を維持したいんでしょうね。ほら、エレインちゃん。あっちに美味しい屋台見つけたから、元気出して?」
「は、はい……」
真剣そのものなヴィルハルトを見て、少し前のはしゃいでばかりだった自分の姿を思い出し、少しばかり罪悪感を募らせるエレインだった。
*
著名な芸術家によって生み出された、無数の芸術品に満たされた部屋。アルマイレの王城にあるその客間は、他国の政治における重鎮など、超大物の為に用意された場所だ。価値のわかる者からすれば、まさにこの世の楽園といえるその場所で、瞑想に耽る男がいた。
その男ーールドルフ・ヴァルトシュタインは、完全に心を無にし、座していた。元々調度品に興味の薄い男だったが、今の彼からすれば数千万エラの壺も、路傍の石と変わらない。心の中にあるのはただ、己だけだった。
ヴィルハルトとの戦いを数時間前に控えた彼は、しかしいつもと変わらず日課の瞑想を行なっていた。日課と定めて三十年程経つが、一日足りとも忘れた日はない。己を超える偉業を成した弟子との勝負を目前に控えても、一度心を無にする所から、彼の一日は始まる。
そろそろか、と眼を開けた時、目の前にはロザリアがいた。
「あっ……邪魔してしまいましたか?」
「いや、終わったところだ。眼を開けるまで気がつかなかったよ」
どうやらシャワーを浴びていたらしく、父譲りの赤い髪はしっとりと水気を帯びていた。
「城下では祭りが開催されている。試合は夕方だから、まだ時間はある。行きたければ、行ってきてもいいぞ」
「本当ですか!? では行ってきます! と……言いたいところですが、私も叔父様と一緒に、訓練させて下さいまし」
「……いいのか?」
行ってきてもいい、と言われた時、ロザリアは嬉しそうな顔をした。しかし、それを振り切るように彼女は頭を下げた。
ルドルフからすれば、昨日の時点で既にロザリアは完璧であり、これ以上何かをする必要はないと感じていた。そんな彼女からの申し出に、ルドルフは少し驚いた。
「今回の御前試合、言うなれば私たちはヴァンドラム代表。国の威信を背負う身です。なればこそ、勝負の時まで気を抜く訳にはいきません。それだけではありません……」
ロザリアが顔を上げると、決意に満ちた瞳でルドルフを真っ直ぐ見つめた。
「言ったはずですわ。ヴィルハルト・アイゼンベルクーーあの冷血動物に、吠え面をかかせましょう、と!」
「……フッ」
思わず笑みを溢して、ルドルフは立ち上がった。
「よし、では準備運動からだ。それが終わり次第、基本のパターンから始めるとしよう」
「はい!」
御前試合まで、八時間。四人は、それぞれの思いを抱いて試合までの時間を過ごした。




