黒閃の魔人と変化した日常
「アハハハ! 何よ、アンタ達すっかり人気者じゃない」
「何も面白くない」
昼時、ヴィルハルトとエレインは王都の中心に位置するレストランで戦士と魔導士の二人と落ち合っていた。
魔導士の女――アリナ・ヴァーミリオンは二人からここに来るまでの話を聞いて愉快そうに笑っていた。隣に座っている戦士の男――ロイド・スティングレイも喉をクツクツと鳴らして笑っている。
「あのヴィルハルトが良い意味で街の注目の的なんて。ちょっと有り得なさ過ぎて面白いわ。ねぇ、ロイド」
「いやいや、魔将倒したんだからある程度人気は出るだろ。ここまでとは思わなかったけどよ」
ヴィルハルトの幼馴染である二人は、わざわざ故郷を離れて追ってくる程にヴィルハルトを意識していた。その彼らだからこそ、今のヴィルハルトの状態にはギャップを感じて面白がっていた。
苦虫を嚙み潰したような顔のヴィルハルトとは対照的に、エレインはニコニコしながら椅子の外に足を出して、プラプラと振っている。
「さっき、おばあさんにキャンディ貰っちゃいました」
「お前は目を離した隙に何をしている」
「良いじゃないですか。美味しいですよ、キャンディ」
「味を気にしているんじゃない」
マイペースで快活なエレインと、口数が少なく冷徹なヴィルハルト。一見すると正反対な二人だが、これで案外相性は悪くない。両者とも根本が『自分の想いに従う』という生き方なので、そういった点で通じ合うものがあるからだ。
「重ねて言うが、何も愉快ではない。あれだけ陰口で盛り上がっていた奴らが、こうも掌を返してくると、一周回って憐れみさえ覚える」
「一般市民ってそういうモンよ。勝手に期待して勝手に失望して、また期待して……そういう人を守って来たのが兄さんなんだけどね」
「アリナが言うと説得力が違ぇな。ま、そういうこった。今まで通りやりゃあいいだろうよ、ヴィルハルト」
「言われずともそうする。ただ少し気に食わなかっただけだ」
らしくない言動を飲み込むように、ヴィルハルトは手元の水に口をつけた。
ほんの少し前なら、こんな風に愚痴を溢すなんて考えられなかった。
そう思うと、アリナは口元が綻ばずにはいられなかった。とはいえーー
「アンタ、食事は一緒じゃないのね」
三人の目の前に、それぞれ注文した料理が置かれたにも関わらず、ヴィルハルトの領域には水だけが置かれている。
「ああ、お前達には説明していなかったか。俺はーー」
「いや、違うわ。それは知ってるの」
肉体の半分が魔物の細胞で構成され、その上魔物の核を頭部に宿すヴィルハルトは、エネルギー効率が人間と全く異なる。食事は一日一度、肉を食べれば充分なのだが、アリナが言いたいのはそういうことではない。
「タイミング合わせるとか、そういうのよ。今必要な量の半分を食べて、後でもう半分食べるみたいな。そういう融通効かない?」
「一度で良いものを二度に分けるのは面倒だ」
「ああ……まあそういう奴よね、アンタは」
諦めたアリナは、一つため息を吐いてからフォークを手にした。酸味のある果物を使ったソースで味付けされた白身の魚。それを一口食べると、その淡泊な身を彩る味わい深いソースの調和に舌を巻いた。
「というか、肉ばっか食べてるようだけど飽きないの? 偶には魚とかどう? 魚だって広義には肉よ?」
「……魚は要らん。骨を取るのが面倒だ」
「ハッ、子供みてぇなこと言ってんな」
ロイドがヴィルハルトをスプーンで指差し、茶化す。彼の手元には、まだ手をつけられていない野菜のシチューがあった。
「効率の話だ。食事など栄養が取れればいい。なら出来るだけエネルギーを多く摂れる肉一択になる。俺がお前なら、シチューなど頼まんな。猫舌というのも難儀だな、ロイド?」
「何だよ、知ってんのか」
からかいを皮肉で返され、しかしロイドは上機嫌だ。ヴィルハルトを友人と言い張る彼からすれば、このようなやり取りでも、彼と会話出来るのが嬉しいらしい。
「ヴィルハルトさ~~ん、こっち向いてくださ~~い」
歌うような声が聞こえた。反応したヴィルハルトが声の方向を向くと、スッと魚の身が刺さったフォークが差し出された。
エレインだ。ニコニコした顔で、甘辛く味付けされた煮魚をヴィルハルトの口元に近付ける。
「骨、ちゃんと取っておきました。これでヴィルハルトさんも、お魚食べられますね?」
「お前は何を言っている」
「骨があるから、お魚が苦手なんでしょう? だから私が取り除いておきました。さ、どうぞどうぞ。美味しいですよ?」
「いや……待てエレイン。お前の行動の動機に皆目見当がつかない。説明しろ」
突飛なエレインの行動に、あのヴィルハルトがたじろいでいた。不愛想が服を着て歩いているような男である、ヴィルハルトが。その状況のレアさに、アリナとロイドはエレインに突っ込むことを忘れて趨勢を見守ることにしていた。
「このお魚、すっっごく美味しいんですよ。だからヴィルハルトさんにも、それを知って欲しくて」
「それがお前に何の得があるという」
「好きなものを好きな人と共有出来たら、嬉しいと思って」
曇りの無い宝石のような瞳が、ヴィルハルトを真っ直ぐに見つめている。魔物に対して無双の強さを誇る彼だが、ロイド曰く『真面目』なせいか、純粋な好意でゴリ押しされると断りづらいのかもしれない。
やがて観念したように、エレインのフォークから――ではなく、皿の上から身を少し取り、口に運んだ。
「どうですか、ヴィルハルトさん!? 美味しいでしょう!?」
「……不味くはないな」
フォークを無視した事には頓着せず、エレインはヴィルハルトの感想に喜んでいた。
「ねえ、ロイド。どう思う、アレ」
完全に呆れ顔のアリナがロイドに意見を求めた。
「良いんじゃねえの、親子っつーか兄妹みてぇだな」
「あぁはいはい、そうですか」
望んだ通りの意見が得られず、アリナは口を尖らせた。
やけに二人の距離が近いことに、アリナは妙に心がざわついていた。まがりなりにも幼馴染である自分たち二人より、エレインがヴィルハルトと打ち解けていることに対する敗北感かもしれない。それとも、別に理由が――
「はは~~ん、そういう事か」
彼女の思考を断ち切るように、ロイドがパチリと指を鳴らした。顔はいつもより一層にやついており、明らかに嫌な予感しかしない。
ロイドはおもむろにスプーンをシチューに潜らせ、ホワイトソースを纏った芋をスプーンに乗せてアリナに差し出した。
「こうしたかったんだよな? お前負けず嫌いだから、エレインちゃんとヴィルハルトに負けてると思ったんだろ? ま、それなら心配ないって。オレとお前は幼馴染でパート――ぬぐぁ!?」
ロイドの眉間にアリナの拳が突き刺さる。驚いて椅子ごとひっくり返り、スプーンを床に落としたロイドに、顔を耳まで真っ赤にしながらアリナは絶叫するように怒鳴る。
「何考えてんの!? バカじゃないの!? いやバカでしょ!? バ~~カ、バァ~~~~~~カ!!!」
何が起こったのかとヴィルハルトは瞠目し、エレインは猛るアリナを慌てて取り押さえる。
彼女の静止を聞かずアリナは吠え続けた。しかし、この時既に、彼女の胸から先ほどの騒めきは跡形もなく消えていた。




