新しい生活
朝はいつも忙しい。
洗濯をして、それを干して、朝食を作って。
二人を起こし、揃って朝食を食べて、片づけをして、出勤の支度をして。
家の掃除にまでは手が回らないから、それは休日にやる。
でも今日は、洗濯をする必要はないから、ちょっと楽だ。
その分、出勤時間が早くて、急がなきゃならないけど。
寝坊なんかしてしまったから、余計に急がなきゃならない。
「ああ、もう、時間がない……っ。て、きゃ!?」
「おはよう、アカネ。……どうして今朝は、君じゃなくユフィルが起こしに来たのかな?」
パタパタと慌ただしくキッチンで朝食を作っていると、ふいに後ろから抱きすくめられ、不満そうな声が上から降ってきた。
「……おはようヴェル。どうしてって、時間がないからに決まってるでしょ? 見てわかる通り、まだ朝食できてないんだよ? ……ヴェルのせいだからね? 明日の朝は早いんだから、今夜はやめようって言ったのに、聞いてくれないからこんな事になったんだよ? 遅刻したら、団長様にはヴェルが一人で怒られてよね」
顔を上げ、ヴェルを軽く睨み、唇を尖らせて責めるように言葉を紡ぐ。
するとヴェルは申し訳なさそうに眉を下げ、抱きしめる腕を解くと私の隣に移動した。
「すまない。以前我慢していた反動か、夜アカネが隣にいると理性が働かないんだ。……手伝うよ。何をすればいい?」
「なら、盛りつけに入るから、お皿をテーブルに運んで。……あれ、そういえばユフィルは?」
「ああ、すぐに来るよ。邪魔したくないから、数分ずらして行くと言っていたから」
「なっ……。もう! 今日はそんな気を使うような事をしてる時間ないんだからいいのに! すぐに呼んできて!」
「はは。わかった。呼んでくるよ」
顔を赤らめた私がそう言うと、ヴェルは笑ってリビングを出て行った。
笑い事じゃないよ、もう。
私は熱くなった頬を片手で数回仰いだあと盛りつけを再開し、戻ってきたヴェルとユフィルがお皿をテーブルに運んで、揃って席についた。
あの日、私が荷物を置いた白い家は、予想通りヴェルが土地を買って建てた家だった。
とは言っても、実際土地を買って家を建てる手続きをしたのは、ヴェルのお兄さんだ。
なんとヴェルは、魔王を倒したあと……正確には捕縛したあと、まだ帰国する旅路の最中に実家に手紙を出し、騎士団寮を出る手続きと、土地を買い家を建てる手続きをお願いしていたらしい。
つまり、帰国した時にはヴェルのご家族には既に、私がヴェルと結婚する事を知らされていたのだ。
思えばあの日は大変だった。
何しろ、あの後謁見の間から出たその足で、ヴェルに連れられ、何の心の準備もないままに実家のご家族と対面させられ、結婚相手として紹介されたのだから。
突然の事に頭が真っ白になっていた私は、その時の事をよく覚えていない。
おかしな事はしてない……と、思う。
きっと……たぶん……恐らく……。
……とにかく、そんなわけでヴェルと結婚した私は今、あの白い家にヴェルと、そしてユフィルと一緒に住んでいる。
ユフィルは騎士団に入ったし、私は騎士団副団長補佐官なるものに任命されて、ヴェルのサポートをしている。
仕事の伝達で獣士団の所にも行く為、アレクにもよく会う。
魔王を倒した一行の一員という事で注目され、帰国してからというもの女性にモテて困っていると、先日溜め息をついていた。
そこでふと、ユフィルからはそんな話を聞かないな、と思って家に帰って聞いてみれば、うんざりした顔をされた。
どうやら状況は同じらしい。
『ならもしかしてヴェルも?』と話をヴェルにも向けてみたら、ヴェルは『俺にはアカネがいるからね。心配はいらないよ?』と柔らかく微笑んで私を抱きしめてきて……ユフィルがそっと部屋を出ていく事態になった。
……ユフィル、いつもごめん。
★ ☆ ★ ☆ ★
「すみません、遅くなりました!」
「申し訳ありません、団長」
「すみません」
「遅いぞ、シルヴェルク!」
時間ぎりぎりに集合場所へ着くと、団長様の叱責の声が響いた。
「アカネ、シルヴェルクを甘やかすな。ユフィル、新婚夫婦でも遠慮はいらん。次からは叩き起こせ。シルヴェルク、理性を持て。控えろ」
「……はい」
「……し、承知、しました」
「…………は」
的確に事態を読んだ団長様の言葉に、もう頷くしかない。
団長様の後ろではヨーゼ閣下とマオさんが苦笑している。
「さて、では行くぞ。出発!」
団長様の号令で、馬に乗った騎士団員達が一斉に動き出す。
今日から数日、ヨーゼ閣下の視察のお供で、国のいくつかの街や村を巡る。
かつての旅では立ち寄らなかった場所ばかりだから、楽しみだ。
「ねぇヴェル、短いけど空き時間、あるんだったよね? 観光につき合ってくれる?」
「もちろん、そのつもりだよ。アカネには初めての場所だから、きっと見て回りたいだろうと思ってたからね」
「ふふ、お見通しだね。ありがとう」
そう言うと、馬に揺られる体を、よりかかってヴェルに預ける。
小さく欠伸をして、目を閉じた。
やっぱり眠い。
少し、眠らせて貰おう。
馬上だけど、ヴェルが支えてくれてるから、怖くない。
温かな体温を背中に感じながら、私は穏やかな気持ちで、夢の中へと、おちていった。
これにて完結です。
お読み頂き、ありがとうございました!




