第1話 悲鳴の夜
悲鳴が聞こえたのは、祖父の見舞いの帰り道だった。公園沿いの、人通りのない暗い道。
「――やめて!」
考えるより先に、足が動いていた。
街灯が途切れた先で、黒いパーカーの男が、誰かの腕を掴んでいる。深くかぶったキャップに、白いマスク。顔は闇に沈んで、まるで見えない。
腕を掴まれているのは、うちの制服を着た女の子だった。
「その子を離せ!」
自分のものとは思えないほど、掠れた声だった。
本当は怖かった。追いついた瞬間、膝が笑っているのが自分でも分かった。それでも、目の前で震えている子を見捨てるという選択肢だけは、頭のどこにもなかった。
僕は二人の間に体をねじ込み、彼女に背中を向けて、両腕を広げた。男の舌打ちが聞こえる。睨みつけてくる視線を、歯を食いしばって受け止めた。
一秒。二秒。
やがて男は何も言わず、身を翻して走り出した。足音が、闇の奥へ遠ざかっていく。そこでようやく、息の仕方を思い出した。その背中が闇に溶けきるより先に、背後で、誰かが崩れ落ちる気配がした。
振り返ると、女の子がその場にへたり込んでいる。同じクラスの、水野穂乃香だった。教室では、ほとんど話したことがない。内気で、いつも周りの顔色をうかがっているような子だ。
とっさに、彼女の手を掴んで支えた。
「水野さん、僕だよ。神谷。もう大丈夫だから」
その瞬間だった。
「いや……! 来ないで……!」
穂乃香は、悲鳴のような声を上げた。
「あなたが……あなたが……!」
何かを訴えようとして、言葉にならないまま、彼女は泣き崩れた。パニックのせいだろう、と思った。あんな目に遭った直後なのだ。無理もない。僕はそれ以上触れないように、少し離れた場所に腰を下ろして、彼女が泣き止むのを待った。
「警察、呼ぼうか」
そう聞くと、彼女は激しく首を横に振った。
「……一人で、帰れます」
「そっか。……気をつけて」
とても大丈夫そうには見えなかった。けれど、無理に食い下がって、これ以上怖がらせたくなかった。
彼女が家の門をくぐるのを、離れた場所から見届けてから、僕も自分の家へ向かった。
誰もいない、暗い家。
明日、先生に相談しよう。そう決めて、布団に入った。
誇らしさなんて、少しもなかった。ただ、間に合ってよかった。それだけを思いながら、眠りについた。
――知らなかったのだ。
暗がりの向こうから、その一部始終を、レンズが見つめていたことを。




