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訳あり魔法騎士団長様と月の聖女になる私  作者: 安野 吽
最終章 節刻みの舞踏会と封印の終わり

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エピローグ


 窓から吹きこむ気持ちのいい風が、机の上の書類をめくる音がしている。

 魔法騎士団・執務室の団長席で――柔らかい日差しに瞼の上から照らされ、リュアンは目を覚ました。


「……眠ってしまっていたか」


 朝からずっと座り仕事を手がけていて、昼が過ぎた頃、少しだけと目を閉じたら意識が落ちていた。気付けに頬を叩くと、リュアンは首を左右に傾け肩を鳴らす。


 今、室内には誰もいない。キースが座っていたはずの机は、今は別の人物が使っている……。


 リュアンが、預かりものの手鏡で身だしなみを整えようとした時、執務室の扉が前触れもなく開いた。


「帰りましたよ。……団長、もしかして寝てました?」

「ね、寝ていないぞ……。何を根拠に言う?」

「涎の跡が左側に」

「な、なにっ!?」

「やっぱり寝てたんじゃないですか」


 慌てて確認するリュアンにラケルは冷たく告げた後、どさりと副団長席に腰掛ける。あれ以来、ラケルは少し性格が暗くなった……根本的な優しさは変わっていないはずなのだが、素直さや純粋は失われてしまったように感じる。後、ちょっと愚痴っぽくなった。


「僕、ちょっとキースさんの後釜に据えられたこと後悔してますよ。あの人、どうやってこれだけ大量の仕事をこなしてたんだか……。魔物の被害も少しずつ減って来てるっていうのに」


 ラケルの目には薄い隈が浮かんでいる。彼はつい半年前にキースに代わり副団長職に就いたばかりだ。だが、リュアンや他の団員がカバーしていても、多岐にわたる仕事は彼の背中の上に重くのしかかっている。それだけ、この団に置いてキースの存在が大きかったという事だ。


 十九になった彼は少し背が伸び、顔だちも大人びて来ている。中々の美男子に育ち、今では彼も多くの婦女子たちの視線を欲しいがままにしているようだが、もっとも本人はそれに構ってやるつもりもないらしい。彼の首にいつも巻かれているスカーフが誰から送られたものなのか、噂する者も多いという。


「おい、そんな事言ってると……」

「――そうそう。私が現われますよ!」

「いっ!?」


 次いで扉を開け放ち、現れたのは、白い制服に身をキースだ。

 ラケルが手に持った書類を落としそうになり、慌てて抱え直す。


「お、驚かさないで下さいよ! キースさん! このタイミング……戻ってきた時に何で声を掛けてくれなかったんですか!」

「いや~その方が面白いかと思ってね。御機嫌よう諸君! 仕事は捗っていますか?」

「ぐっ……まあまあです」


 意地を張るラケルに忍び笑いを漏らした後、リュアンは立ち上がり、キースの肩を叩いた。


「相変わらず間がいいな、キース。どうだ? 向こうで苦労してるんじゃないか?」

「はっはっ、あなたがたやんちゃ坊主に比べたら、向こうの彼らなど借りてきた猫のようなものですよ。とはいえ、大所帯は目の届かぬところも多いですがね。それでもどうにかなっています」


 そう、キース・エイダンはリュアンの成長を見届けた後、この度正騎士団団長に返り咲くことになった。封印の際に素早く魔物たちの被害に対応した功績を認められ、王太子……今や国王に即位したレオリンに推挙されたのだ。先代の正騎士団長が偽イーデル公爵と癒着していたことも原因の一部で、今ではそう言った貴族との悪しき関係を正すため辣腕を振るっている様子だ。


「ただ、向こうではゆっくり茶を嗜む相手にも恵まれなくてね……おっと」

「開けて~。へっへぇ……今日は奮発しちゃった。お茶、入れて来たよ」


 軽いノックをして扉を開けてもらい、大きなトレイを両手持ちにして入って来たのはロージーだ。そこにはお茶とケーキが並んでおり、キースはたちまち笑みを深くする。


「いい香りだ。これは……」

「あんたの言ってたなんちゃらプラチナムよ。メイアナさんから分けてもらったんだ」


 自慢げに彼女は、応接テーブルに集まった三人の前にお茶を置いてゆく。そして自分もキースの隣に座った。


「では……ご相伴に預かりますか……。……うん、美味い。腕を上げましたね」

「でしょ~。色々教えてもらってるんだから」


 ロージーの師匠となってくれたメイアナの下には、ふたつの国に起きた事件以来、オーギュストからこれが届くようになったのだという。こんな風に、人が生きてゆく限りまた、数多の絆が育まれてゆくものなのだ。


「どうしても、この面子だと二年前を思い出してしまいますね……」

「そうだな……そんなに経ったか。いや、まだ二年、だな」


 キースは、感慨深そうに言うリュアンに目をやったが、彼は表情を暗くしておらず、軽い冗談を飛ばす。


「それはそれと、もし今あいつが帰って来たら、一番弄られるのはラケルだぞ? お前絶対……誰って聞かれるからな?」

「……うるさいな。大人になったんですよ」

 

 顔を背け憮然とするラケルに、一同は笑った……。




 ――そう、もう二年の時が経った……セシリーが消えて。

 

 闇と、ふたりの女神やその眷属たち……そしてセシリーが姿を消した後も、全ての脅威が去ったわけではなかった。一旦増加してしまった魔物たちによる被害は増え、所属の区別なしに騎士団員たちは東奔西走してそれらに立ち向かう日々。それらが落ち着き一件落着に思えたものの……別の問題がふたつの国を待ち受けていた。


 わずかずつだが、魔石の産出量が減り始めているという報告が上がったのは、つい最近のことだ。それ以外にも、ガレイタムで行われている人口魔石の作成に使われているという、様々な鉱物中の魔力濃度が低下していることから、少しずつ身の回りの魔力が減り始めていることが分かった。魔導具の動作不良が増えたとか、魔法が使いにくくなったような気がするとか、そう言った噂があちらこちらで聞かれるようになっている。


 原因は、闇と女神が消えたことに間違いないのだろう。彼らが存在することで供給されていた魔力が途絶え、ふたつの国は、ゆっくりと五百年前の元の状態へと戻りつつあるのだ。少なくとも、五十年か百年か、そのくらい後には魔法も魔道具も意味をなさなくなってしまうだろうという話を、彼らはレオリンから聞かされた。


 また、魔物の出現も治まるだろうと見込まれ、それに際し、役割の少なくなってしまう魔法騎士団と正騎士団との垣根をなくし、元通りに統合していく計画が立てられているという。


 それに関してはリュアンは残念さを隠せなかった。


「せっかくこれからだって時だったんだが……キース、そうなった場合俺たちの処遇はどうなるんだ?」

「なんともですね。ですが、今回の件を収めるにあたって、あなたたちの働きも高く評価されていますので……それを無下にはしないはずです。統合後いくつかに団を分け編成し直すのではないでしょうか。第一、第二騎士団といった形に」

「といっても、団長も僕も喧嘩してただけなんで、偉そうなことは言えませんけどね」

「だな。セシリーが一番の功労者だ」

「あ~あ。早く帰って来ないかな、セシリー……」


 図星を付いたラケルにリュアンは肩をすくめ、やや関係性の変わったふたりを見つめつつロージーは寂しそうに言った。あの後、入団希望者も増え人手不足は解消したものの……彼女も物足りなさを感じている様子だ。たった二カ月余りの大変な日々が……今もなおここにいる全員の胸に、深く刻まれている。


「しんみりしてても仕方がないでしょ。さ、僕はもうそろそろ出ます。あの人の様子も見て来なけりゃなりませんし」


 思い思いの沈黙を断ち切るように立ち上がったのはラケルだった。彼はこの後ガレイタム王国に行く予定だという。目的地は月精の森だが、その途中にリズバーン砂丘にも立ち寄るらしい。


「……うまくやっているのか?」

「何とかやっていけてるみたいですよ。砂丘にも少しずつ緑は増えてますし、噂を聞いて、少しずつ人も流れて来るみたいです。しかし結局、あの土地ってどっちの国の所属になるんですかね?」

「さあな。まだ答えは出ていない」


 リュアンは首を捻った。ジェラルドとレオリンの間で話し合いは成されているが、かつて国が存在したというあのリズバーン砂丘の所属国家が決まるのは、しばらく先だ。だが、きっとそこで育まれてゆく新しい生命をふたりの王はないがしろにはしないだろう。もう、あそこは忌むべき土地ではなくなったのだから。


「魔女、って言われてる。いや……自分でそう言わせてるみたいですよ、あの人。そんなことをしても、誰も裁こうなんて人はいないみたいですけどね。食い詰めた人やら、病気の人やら誰彼構わず助けてるみたいだから」

「そうか……そのうち俺も、あいつと一緒に会いに行かなきゃな」

「――それじゃ、僕は出ます。……あれ、何だ君たち、声くらいかけたらいいのに。入りなよ」


 外套を羽織りながら言葉少なに伝えたラケルは扉を開け、外にいたふたりの女性を招き入れ去ってゆく。新しく働き始めた世話係の女性たちは、しばし彼に見惚れた後、ロージーを手招きする。


「あっ、副団長お疲れ様でした――。皆さんお邪魔してすみません。ロージーさん、ちょっとちょっと」

「教えて欲しいことがありまして……」


 そんな彼女たちの声を受け、ロージーは大きく背を伸ばして立ち上がった。


「ごめんごめん。ん~~~、さぁて、あたしもそろそろ仕事しますか!」

「男ふたりで顔を突き合わせるのもなんですし、私もそろそろお暇しますかね。おや、可愛らしいお嬢さんたちですね。お名前は?」

「えっえっ? もしかしてと思ったんですけど、正騎士団長様……?」「素敵! 握手して貰えますか!?」

「キース! あ・ん・た・はとっとと出る! 仕事の邪魔しない!」

「いたたたた……! 何ですかロージー、焼きもちですか!? まったく、構って欲しいならそうと言ってくれればいくらでも……」

「ちゃうわ! とっとと自分の騎士団に戻らんか!」

「いーな―ロージーさん」「待って下さいよ~」


 ロージーに耳を掴まれ引きずられて行くキースと、それに着いていった世話係のふたりの姿を見ながら、リュアンはひとりになるとこらえきれずに吹き出す。


「くくっ……ははははは! 相変わらずでいいなぁ、あのふたりは……」


 彼としてはもう少し、思い出話に花を咲かせたかったのだが、皆忙しいのだから仕方がない。ひとしきり笑った後、静まった室内に少しだけ寂しさを感じながら、リュアンが目をやったのは一枚の手紙だ。


 オーギュストからのもので、それには彼の近況が書かれていた。イーデル公爵の賠償や、セシリーの功績による国王の手厚い支援によりクライスベル商会が持ち直した後、彼はルバートやチャドルに経営を完全に任せ、ひとり北へと旅立った。


 以前譲渡を受けた領地も魔物が減ったことでいずれまた人が住み始める。それを見越して伯爵としての責任を果たしに行った彼は、新しい領主としての仕事に勤しんでいるのだろう。しかし、そんな慣れない作業で忙しい中であっても彼は週に一度の手紙は忘れない。セシリーが帰ったらくれぐれも一報をと書き連ねた手紙からは、娘への溺愛ぶりが健在なのを窺わせた。

 

「俺も負けてられない、か……」


 気合を入れ直すと、彼は机の上に書類を広げる。


 ほとんどが以前と変わらず、各市街に出張して行っている任務の決済や報告書の確認、各支部の人員の編成についての提言などだが、最近は王国軍の周辺国に向けた防衛網などに着いて、意見書などを求められることも増えた。


 近い将来、ファーリスデル、ガレイタムともに他国に対し、魔法という技術により得ていた優位性が失われることになる。必ず、関係性を考え直したいと考える国が出てくるはずだ。その時に向け、この国を守れるようになるために、各騎士団は大きく変革を迫られている。


 今頃レオリンやジェラルドも他国との会談に明け暮れ、周辺各国とより固い結束や、技術協定を結び、万一の事態に備えるために精力的に動いているだろう……。


 あまりに激務が続き過ぎており、彼らについては新婚夫婦の関係性を保てているのか危ぶむ声も多かったが、それは杞憂のようで、ガレイタムでは先んじてレミュール王妃から、そしてファーリスデルでもフレア王妃から第一子が誕生したらしく、王都周辺では未だめでたい雰囲気に溢れ……教会に結婚を申し込む恋人たちも多く、国内は非常に明るい雰囲気に包まれている。


(この先、ずっとこんな平和が続くといいんだがな……)


 リュアンは、たまにしか会えない妻に小言を言われるジェラルドの姿を想像して苦笑しながら、内容を確認しサインをしてゆく。


 その机の上には、いつもひとつの髪留めが置いてある。それはいつも丁寧に磨かれ、彼の表情を映していた。それを目にする度に、彼は指を添え、心の中で語りかけている。


(セシリー、元気にしてるか? ゆっくりでもいい。いつかまた戻って来てくれ。会わせたい人、話したいこと、いっぱいあるから……)


 ほのかに輝く宝石の表面に、少しだけ温もりを感じた気がして彼は目を開けたが、変化はない。気のせいだと思ってふっと笑い、羽根ペンを動かす作業に戻る。


 外から妙な物音を聞きつけたのは、そのすぐ後だった。


「――ウォン!」

「…………ウォン?」


 ガリッとペン先で紙を削らせ舌打ちしたリュアンが……はて、今魔法騎士団では犬は飼っていないはずだがと、幻聴でも聞こえたように耳を叩くと……。


「――ニャン!」

「……ニャン?」


 こんどはニャンと来た。ここまではっきりと立て続けに聞こえるとなると幻聴ではあるまい。リュアンは迷い犬や猫でも忍び込んだのだと思い、執務室を出て入り口側に回る。


 すると、ガサゴソと何かが動く音がした。


 かつての主を失った後も、定期的に掃除され綺麗に保たれた狼小屋――音はそこから聞こえる。一体何奴が暴れているのかと、リュアンはそれを覗き込もうと跪く。


 そして、耳を疑った。


「――きゃあ!」 


 それは間違えようもない――あまりにも懐かしく、心待ちにしていたあの声。


「…………っうっそだろっ!?」

 

 心臓がばくっと跳ね、リュアンが堪らず自分から狼小屋に頭を突っ込んだ。

 そこには三段重ねで声の主たちが、詰め込まれており、一斉にリュアンを見る。一番下に白い狼。挟まれるように小さな黒猫、そして、一番上からバランスを崩してごろんと地面に転がったのは……。


「セ、セシ……セシ……!」

「あたっ。あ……れぇ? おかしいな、こんな記憶なかったはず」


 頭をふらふらさせ、混乱しながら手を伸ばした女性と白狼、黒猫を犬小屋から引きずり出すと、リュアンは彼女とお互いの顔をぺたぺた触り合う。


「これは、夢か? 俺はまた机の上で眠ってしまったのか……?」

「あれれ、おかしいな、触れる。感触がある……。私今、自分で体動かしてる、よね? ……本当の本当に? 夢だとしたら残酷すぎる……でも嬉しい。覚めないでほしい」


 ひとしきり確認し終えた後、ふたりは緊張の面持ちで互いの名前を呼んだ。


「本物の……セシリーか?」

「ここ、現実ですか? 現実の、リュアン、なの?」

「ワウッ!」


 のしっと背中から、リルルがのしかかり、それを肯定するように元気よく鳴く。黒猫サニアは、ぶんぶんと素早く左右を見回すと、すぐさまどこかへと駆けていった。


「お前……」


 くしゃっと、リュアンの顔が歪む。放心していたセシリーは、未だ現実感もないのに、顔が勝手に緩み、じわっと暖かいものが胸から込み上げてくるのを感じた。


「ちゃんと、帰ってくるって言ったでしょ?」

「――わかってたよ! わかってたけど……でもさ、長かった。寂しかったんだ……!」

「ごめんなさい……本当にごめんなさいっ」


 リュアンはセシリーをそのまま強く抱きしめ、頬に涙を伝わせた。

 

「お前だけに……色々背負わせて、すまなかった」

「ううん。今はそんなこと、どうでもいいや。信じて待っていてくれて、ありがとう……」


 しばし言葉も交わせずふたりは固く抱き合っていた。だが、それを祝福するようにリルルが遠吠えを上げたことで、しばらくセシリーを独り占めするつもりだったリュアンは目の端を拭って慌てた。


「リルル馬鹿お前……そんなことしたら!」

「えっ?」


 異変に気付いた各所の窓がバンバン開いてゆき、魔法騎士団の団員たちが一斉に顔を出し始めた。


「なんだぁ? ……おいウィリー、あれ……セシリーちゃんじゃねぇ!? リルルもいるぞ!」

「んだと!? ティビー、俺にも見せろ!」

「帰って来たのか? 本当だ! お~い!」

「団長と抱き合ってるぞ! ヒュー!」

「うっそぉ……セセセセセセシリー!? ちょっと!」


 口笛や囃す声がわいわいと響き、窓から顔を出したロージーがすぐさま引っ込んだ。他にも多くの団員がこちらに詰め掛けて来そうだ。


「ほら煩くなってきた……ああ、もう! 来い!」

「わぁっ! どこ行くの!?」

「言っただろ! 帰ってきたら旅に出るって……。どうせならこのまま行ってやる。リルルも着いてこい、ラケルに会わせてやる!」

「ウォン!」


 リュアンはセシリーを抱きかかえたまま走ると、厩舎に繋がれていた馬に手際よく鞍を乗せ、セシリーと一緒に乗り込むと鞭をくれた。


 勢いよく厩舎から走り出した馬に、騎士団員たちは驚き道を開けたが、そこへ両手を広げて立ち塞がったのがロージーだ。彼女は泣き笑いの顔で叫んだ。


「団長止まりなさいよっ! セシリーッ! 皆ずっと、ずっと待ってたんだからーっ!」


 しかしリュアンは彼女を傷つけないように馬を高く跳躍させ、降り立つと大きく後ろへ手を振る。


「悪いなロージー! 皆も、しばらく不在だけどよろしく頼む! 婚前旅行だ!」

「任せとけ!」「ずりーぞ団長!」「早く帰って来いよーっ!」


 わいわい騒ぐ皆の姿が懐かしくて、嬉しくて……セシリーはリュアンの身体にしがみ付きながら必死に思いを声に乗せた。


「ただいまロージーさん、皆! ごめんなさい、この人、待ちきれないみたいだからちょっと行ってきます!」

「「「お帰りセシリー!! 気を付けてね!」」」


 そんな声に背中を押され、風を切って馬を走らせながらふたりは大声で笑う。その後ろから彼らを追走してしてくる騎影があった。


「おっと、大先輩に挨拶も無しですかリュアン? セシリーさん、お元気そうで何より……!」

「キースさん、正騎士になったんですか!?」

「キース! お前どうやって着いて来た!?」


 白馬に乗ったキースの姿に、セシリーはついはしゃいでしまい、リュアンは渋い顔をする。だが彼は朗らかに笑いながら、小さな袋を投げ渡した。


「はっはっは、私の地獄耳を舐めてもらっては困るんですよ。リュアン、忘れものです。ほーらっ」


 リュアンが器用に片手を離してそれを掴むと、中には結構な額の路銀と、セシリーの髪留めが入っている。そこで彼は馬を止めた。


「彼らの面倒は正騎士団とまとめて見てやりますよ! ですから、心置きなく行ってきなさい。女性を喜ばせるのは何にも代えがたい男の使命ですからね。ではセシリーさん、楽しい旅行を――!」

「キースさん……」「お前って奴は……」


 満足した顔で敬礼をし、後ろに遠ざかるキースにふたりは「ありがとう!」と叫んだ。キースはいつだってリュアンの無茶を聞いてくれた。そんなもうひとりの兄のような彼がいてくれたから、リュアンは何事にもいつだって全力で立ち向かってこれたのだ。たまに苦々しく思う時はあっても、彼と出会わせてくれた幸運は神に感謝するほかない。


 ――ゴーン、ゴーン、ゴーン……。


 小さくなる彼の背後にそびえていた時計塔が三回、大きな鐘を鳴らし、祝福を告げるような音色にセシリーは目を細める。するとリュアンはこう教えてくれた。


「あの鐘、もしかしたらお前の友達が鳴らしてくれているのかもしれないぞ?」

「えっ?」


 ティシエルは、友人であるセシリーがいなくなったことと、魔道具作成師としての将来が絶たれたという二重の苦境に一時期相当に沈み込んだようだ。だが彼女はまた立ち直ると、新しい道を進むために今回の件で知り合った時計技師に弟子入りしたらしく……今はまだ魔力を供給されて動いている時計塔を、やがては工学の力のみで動かせるように作り直し、国の象徴として保存していくというのを当面の目標に掲げているそうな。


「そっか……」 


 余韻に浸るように、セシリーは眩しそうに時計塔を見つめている。

 ふたりと一匹はそのまま騎士団を出てあちこちで旅支度を整え、馬車道を単騎で駆け抜けると王都の外へ旅立つ――。






 夕日が沈むのを横目に街道を進み、次の街までもう少しというところの小高い丘で、先に降りたリュアンにセシリーは馬から下ろしてもらう。本日最後の休憩だ。


 もう辺りは薄暗く、夜空には煌々と光を放つ満月が輝いている。


 リルルに馬の見張りを頼むと、ふたりは少し離れた場所で、リュアンが地面に敷いたマントの上に横並びで座り、星空を見上げる。


「綺麗……。よかった、帰って来られて」

「ああ……。俺の一生で一番嬉しい日だ」


 セシリーは彼の横顔を少しだけ覗く。瑞々しい闇色の黒髪も、気品のある紫の瞳や透明感のある白い肌も、今や月に照らされ内から光を放つようで……先程あれだけ触れたのに、見れば見るほどその感触を感じていたくなってしまう。


「いいよ、触れても。もう俺はお前のものなんだから」


 それを察してくれたかのように、彼はそっとセシリーの手を取ると、自分の頬に当てた。


 涼しい風がさわさわと撫で、少し薄着だったセシリーがくしゃみをすると、彼は自分の上着を脱いでセシリーの肩に掛けようとしてくれる。しかしそこで思い出したように懐のポケットから取り出した何かを、こちらに差し出した。少し色あせているが、丁寧に包装されたふたつの小箱がそこにはある……細長いものと四角いもの。


「開けてくれるか?」

「ええと、それじゃ……こっちから」


 それらを手渡され、セシリーはまず細長い方に手を付ける。もしかしたらという予想は当たり、かつてリュアンが手掛けていた楕円形のブローチが、そこには納められていた。無地だった場所にも、精緻な細工の慈しむように目を細めた女性の横顔が彫られていた。


「これって、もしかして……ラナさん?」

「ああ。お前のおかげで……ちゃんとラナの顔を思い出すことができたから。ガレイタムに行ったら、彼女の生家にある墓を尋ねて、捧げてやりたい。一緒に行ってくれるか?」

「もちろん!」


 セシリーは否応なしに頷く。ラナは彼女にとっても恩人であり、全ての幕が下りたことを報告を自分の口から報告しなければならない。意気込む彼女にリュアンは小さく感謝を告げると、もうひとつの小箱を開くよう促す。


「さあ、次はそっちだ」


 勧めに応じ、セシリーは包みをゆっくり剥がして行く。すると現れたのは手触りのいい、濃紺の小箱だ。せっかくのサプライズなのだ。セシリーは問いたい衝動をこらえ、ゆっくりとそれを開ける。


「これって……」


 すると露わになったのは、柔らかなブルーの光を帯びる、小さな月長石が乗ったプラチナの指輪だった。滑らかに波打つような優美なデザインは、月の光を受け入れて美しく輝いており、なによりも嬉しいのは裏側の刻印に『最愛の人 セシリーへ』と彫られていたこと。


 リュアンは頬を掻きながら、恥ずかしそうに俯く。


「……俺が作ってみたんだ。も、もし気に入ってもらえなかったら、その……何度でも作り直す――」

「嫌っ! これはもう私のだもの! 何言われたって絶対に返しませんっ!」


 そんなことを許すものかと、セシリーはそれをバッと胸に抱いて庇う。これは彼女にとってたったひとつの、世界で最高の宝物だ。たとえ天変地異が起ころうとも絶対に手放すまいと心に決める。その反応を受けて、リュアンは職人冥利に尽きるというように晴れ晴れしい笑顔を見せた。


「そんなに気に入ってくれたんだな……なら、付けさせてくれるよな」

「え、ええ」


 セシリーがおずおずと差し出した小箱からそっと指輪を抜くと、リュアンは彼女の左手を支えるように持ち、ゆっくりと薬指に白金の指輪を通した。それは丁度いい位置でぴたりと納まり、セシリーは目を丸くする。


「すごい……サイズはどこで?」

「お前がいなくなるずっと前に、エイラさんに聞いたんだ」

「エイラが……」


 少しだけ不安が表情に出てしまったのか、リュアンはセシリーの目を見て聞いた。


「会いたいか?」


 会いたい。そう声を大にして言えたらどんなに良いだろう。でも、彼女が自分自身をもし強く責めているなら……。再び自分と会うことを恐れているならば、少し待つ時間が必要になるのかも知れないとセシリーは思い直した。


「うん……。でも彼女が、納得できるまで待ちたいと思うの」

「心配するな。いつかきっとまた、笑い合える日が来るように、俺も手伝うよ。俺だって、お前たちのおかげでそうすることができたんだから……」


 リュアンが肩を抱いてくれて、優しい体温に包まれながら付けてもらった指輪をセシリーは空へと翳す。――お月さまがふたつになった。そんな感想をセシリーは抱く。


 なんとはなしにセシリーの口からこんな言葉が零れた。


「私ね……願いが叶ったんだ」

「どんなこと?」

「たいしたことじゃないの……。でも、ずっと思ってた。こんなちっぽけで、なんにも出来ない私を必要としてくれる人なんて、ただのひとりもいない。こんな自分のままじゃ、幸せになれないって……いつもそんなことばかりを」


 自分が自分でなかったらと、何度思っただろう。もっと強く美しく、人に価値を認めてもらえる存在であったなら、どれだけ幸せなのだろうと……。幸せになりたいという望みはあるのに、踏み出すのが怖くて胸の奥に仕舞い込み、何もせずに無理だと諦めていた。


 そんな想いに言葉を詰まらせながらも、セシリーは自分の中に生まれた変化を少しずつ言葉にして紡いでゆく。


「あの時リュアンが助けてくれて……皆と一緒にいるうちに、やっと気付けたの。自分の中にもちゃんと誰かを笑顔に……幸せにできるもの、あったんだって。ちょっとした言葉や気遣い、誰かのためを思ってすること、皆やってる……当たり前で大切なこと。それを頑張ってたら、皆ちゃんと返してくれてた。気づいてなかっただけで、たくさん幸せ、貰ってたんだ……」

「ああ……わかる気がするよ」


 リュアンが愛しそうに頭を撫でてくれ、セシリーはそれをせがむように、できる限り体を近くに寄せた。


「もう、私の中に女神様はいないから魔法なんて使えないけど……。大好きな人たちのために、何かをする、そんな普通のことが魔法みたいに素敵なことだってわかったから。きっと私、もっと幸せになれると思う。あなたや……皆と一緒に」

「当たり前だ。俺がいる以上、どんな不幸も寄せ付けない。力の限りお前を守るよ。なんせ俺は――」

「魔法騎士団長様……でしょ?」

「その通りだ。よくわかってくれてるじゃないか」


 息を合わせてふたりは楽しそうに笑うと、正面から顔を近づけた――。


 日々の大きな出来事に埋もれがちになっている小さな幸せを、やっとセシリーは見つけだせた。手に取る本の隙間や、何気ない食事や交わす会話、普段行きかう道に咲く花……多くの人に気付かれずとも、それぞれが今もささやかな光を放っている。


 ふと忘れても、これからはきっと夜空を見上げれば月がそれを思い出させてくれる。なんといっても隣には、やっと出会えた最高のパートナーがいるのだから……。


〈おしまい〉

以上で完結となります。

最後までお付き合いいただき本当に感謝です……長い物語を書き上げられたのも皆様方の応援のおかげです、本当にありがとうございました!

もし少しでも楽しんでいただけたなら、ブクマ、感想、下の☆などで評価していただけると今後の励みになりますので、どうかよろしくお願いいたします。

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