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訳あり魔法騎士団長様と月の聖女になる私  作者: 安野 吽
第一章 セシリーと魔法騎士たち

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舞踏会を控えて

 丁度大体の仕事が片付いた夕方前、セシリーは魔法騎士団本部の屋上から広い敷地を見下ろしていた。


(今日も多いなぁ。あっ……)


 高い壁で囲われた敷地の東西南北四方には門が有り、そこには今日も多くの婦女子がお目当ての騎士たちを一目見んと詰めかけている。


 骨付き肉を前にしたリルルのような目つきで胸に飛び込まんとする彼女たちを掻い潜り、今日も無事帰りついたリュアンの姿を見つけると、セシリーは階下に降り笑顔で出迎えた。


「リュアン様お帰りなさい! あの、キースさんがお手すきの時、第三訓練室の方へ集まってほしいって」

「ああ……わかった。すぐに行こう」

「お願いします……?」


 その丁寧な口調に違和感を抱きながら、セシリーは気のない返事をする。


 やはり、最近のリュアンはどこか弱々しく、人が変わったように柔らかく接してくるようになったというか、別人のように怒りや苛立ちと言った感情すら見せてくれなくなった。悪いことばかりではないのだが、セシリーにとっては何だか物足りない。


「あの……。ラケルから貰ったお薬、ちゃんと飲んでます?」

「ああ、元々調子は悪くないんだ。心配かけたな……」


 帰った早々キースから呼びつけられたのに文句のひとつも出てこないし、セシリーの質問にも、前みたいに無視するようなことはない。落ち着いていると言えば聞こえはいいが、どうも元気がないように感じる。やむなくセシリーは自分から話を切り出した。


「団長……私あなたに何かしませんでした? ご飯に変な物入ってたとか、大事なものを壊したとか」

「うん? いいや……セシリーはよくやってくれているよ」

「そ、そうですか……」


 この反応は絶対におかしい……そう思うのに、何から聞き出せばいいのかもわからない。これならば、以前のように喧嘩腰で来られた方がまだましかもと、心配で胸がちくちく痛む中、セシリーは訓練室の分厚い両開きの扉を潜る。


「お待ちしていましたよ、ふたりとも」

「団長もセシリーもお疲れ様です!」


 広い室内にいたのはキースとラケルだけで、いつも響いている威勢のいい掛け声や鍛錬する騎士たちの姿はどこにもない。一体に何をするつもりなのか疑問に思ったセシリーに、キースはすぐ教えてくれた。


「そもそもセシリーさん、あなたをこちらにお迎えしたのはクライスベル商会との友好を結ぶため、という理由もあったのですが、もうひとつ、別の目的をメイアナの喫茶店で話していたのは覚えていますか」

「ああ、そうでした! たしか、節刻みの舞踏会……でしたっけ?」


 すっかり忘れていたセシリーは、他ならぬキースから先日頼まれた内容……団長と節刻みの舞踏会へ出るように言われたのを思いだし、ぱんと両手を打つ。王都に来てまだ日が浅いセシリーは、あまりこの行事に付いてよく知らない。

 

 数百年前の大いなる災厄を封じた聖女たちに敬意を表し、始められたとされるこの舞踏会は、年に二度、王都の中心に立つ時計塔にて行われるらしい。国中から集まる多くの貴族たちが王都に落とす金額は膨大で、それ目当てにわざわざ出向く行商もいると聞くような大きな催し。


 そこで騎士団長と踊れなどと言われるのだから、大勢の注目を浴びるのは間違いない。以前なら、リュアンを嫌っていたこともあり絶対にお断りだったが……騎士団で働く内に彼にもよいところがあるのは分かってきたので、今までできなかったことに挑戦するというのなら、背中を押してあげたい気持ちもある。


「もう後一月程の時間しかありませんから、セシリーさんの承諾がいただけたのなら、一緒に練習を初めて貰いませんとね。ラケルには演奏を頼もうと思ったのですよ」

「へへ……一般的な舞踏曲くらいなら演奏出来ますから、お役に立てるかと」


 ラケルが取り出したのは黒塗りのフルートで、彼は指を走らせ軽快に音を鳴らし、調子を確かめて笑う。


 それに頷くと、キースは動きの鈍いリュアンの肩をセシリーの方に押し出し、ラケルに一番動きの緩やかな曲を奏でさせた。


「そこまで完璧なものは期待していません。とりあえず楽曲と周りに合わせ、場の雰囲気を乱さない程度にステップを踏めていればよいですから」

「あ、私この曲なら知ってます……!」


 セシリーも一応淑女の嗜みとして、いくつかの円舞曲(ワルツ)に合った動きくらいは覚えている。中でも馴染みの多い一曲を聞かされ、頭の中で動きを反芻しながらリュアンをちらりと見る。


 しかし、彼は向かい合うまではしたものの、セシリーの方と目を合わそうとはしない。


「リュアン様……?」


 訝しそうな顔でセシリーは首を傾け、一度目の演奏が終わる。


「では、セシリーさんの動きにリードしてもらいながら一度、動いてみてください。ラケル、もう一度演奏を」

「は、はい……」


 その様子に戸惑いを感じつつも、ラケルが二度目の演奏を開始する。


「ええと……リュアン様、手をつなぎましょ?」


 緩やかに序奏が終わる中、おずおずと手を差し伸べたままセシリーはリュアンを辛抱強く待った。フルートの音響が広まり空間に満ちるが、華やかな幾つもの小節は無為に流れるだけで、その中心にいるふたりの距離を一歩も縮めてはくれない。


 そして、演奏が終わるまで、彼がセシリーの手に触れることはなかった……。


「リュアン様……?」

 

 信じるように、その場に立ち続けていたセシリーにリュアンは、重たい口を開く。


「……あんたとは、踊れない」

「え……っ」

 

 その直接的な言葉に、セシリーの手が胸の前に引っ込められる。

 そのまま無言で、リュアンはなにかをこらえるように立ち尽くす。


「……や、やだぁ、天下の魔法騎士団長様ともあろうものが恥ずかしがるなんて、らしくないですよ? まさかぁ、あんなに動けるのに、ダンスの心得だけ無かったりして……」


 セシリーはくだけた口調で軽く挑発してみたが、それでもリュアンは冷めた瞳を俯けているだけで、憎まれ口のひとつすら帰してくれない。嫌な沈黙が続いてセシリーは迷ったが、キースは強い視線でこちらを見据えており、リュアンがこの先も団長を務めてゆくならば、これは避けては通れないことなのだと感じた。


「ほら、ゆっくりやってみましょ。怖がることないですよ、こんなのただの練習で――」


 仕方なく勇気を出し、セシリーは自分から彼の元に歩み寄って再度手を伸ばす。しかし……。


「――止めてくれっ!」


 真横に振り払われた手が、指先を弾き飛ばす。静かな広間に軽い音が鳴った後、目の前のリュアンが上げた顔は……苦痛に歪んでいた。


「嫌なんだ……」


 胸を押さえ、か細くだがはっきりと拒絶するリュアン。

 そんな彼の行動に表情を固めた後……やがてセシリーの口から漏れたのは、冗談みたいに明るい声だった。


「そ……うですよね! 私なんかとじゃ、踊れませんよね。綺麗じゃないし、可愛げも無くて、取柄とか……なんにもないんですもん! 笑っちゃいますね……あはは、はは」


 笑顔になったセシリーは、恥ずかしそうに赤くした顔をゆっくりと下げていく。声は徐々にかすれ、視線が前髪で隠れる。緩い弧を描いた唇は、微かに震えていた。


「っ……すみません。何か今日はちょっと疲れちゃってて! 他のお仕事も終わってるから、帰り、ます!」


 それでもこぼれそうな涙の粒は隠し、最後まで言い切って頭を下げるとセシリーは身体を返し、その場から走り去る。


「セシリー! ちょっ……先輩、なんで止めるんですか!?」

「あなたは大人しくしていなさい」

 

 追おうとしたラケルの腕を強引につかんで止めた後、キースはリュアンの前に立ち、顔を見下ろした。


「団長……いえ、リュアン。あれでいいのですか? セシリーさんはいい子だ。気丈にも自分の苦しみを隠し、あなたを傷つけまいと自分から去った。あれもまた、人を思いやる強さでしょう……。そんな優しい人を、自分の痛みと向き合いたくないがために拒絶し悲しませるのが、騎士たる者のすることなのですか?」


 リュアンは何も言わず、肩をびくっと震わせる。


「あなたが何を考え苦しんでいるかは、なんとなく予想できますよ。失ったあの女性とセシリーさんをどこか重ねて見てしまい、忘れていた自分の心の傷と、弱さを思い出したんでしょう……?」

「言うな……ッ!」

 

 リュアンは言葉を聞くまいと後ろを向こうとしたが、キースはそれをさせなかった。彼の肩をしっかり掴み、普段秀麗な顔を渾身(こんしん)の想いで歪めると……キースはリュアンの頬を強く張った。


「いい加減にしなさい……! そのままずっと目を逸らし、仮初の強さで自分を鎧ったまま、傷に背を向けて生きていくつもりなんですか! 別にあなたに女性を愛せるようになれなどと言うつもりはない。しかし、弱さからずっと逃げていては駄目だ! 手を差し伸べてくれている人がいるなら……それから目を背けるな!」


 そして彼の胸倉をつかむと、きつい眼差しで射すくめる。


「あなたが本当にセシリーさんを嫌っているのなら……もう私はなにも言いません。でも、そうではないんでしょう? これだけ経っても痛みから向き合うことをせず、逃げるために彼女の手を拒んだと言うなら……! 弱いままでいようとするあなたを、私はもう団長とは認められない。それでいいんですね……?」


 リュアンは拳を握り締めたが何の声を上げず、秒を追うごとに沈黙は重くかさなってゆく。それが十を数えたところでキースは彼を掴んでいた手を緩め、冷たい声で言った。


「……失望しましたよ、あなたには」


 そして突き放すと、苛立った様子でその場を後にする。


「……団長。僕、セシリーの後を追ってみます。あのままだと心配ですし……」


 悲しそうな顔をしたラケルもまた、そう一声かけ、うなだれている彼を残し走っていった。


 リュアンはその場にどっと座り込むと、膝の間に顔を埋める。

 セシリーがどんな顔をして去って行ったかは見なくても、声でわかっていた。

 

 過去の記憶が甦ることを恐れていたとしても……仲間として、団長として自分を認めてくれていた女の子を傷つけた。取り繕うことすらせず拒み、泣かせた。


「お前の言う通りだ……キース」


 こんな自分勝手で弱い人間などに、人の上に立つ資格など無かったとリュアンは実感する。今まで辛いときに支えてくれた団長となるまでの実績や、努力の過程も……ここへ来て、彼の立ち上がる力とはなってくれなかった。

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