弱い自分(リュアン視点)
外勤帰りの夕方のことだった。
「疲れているところすまないが、お前たち……セシリーの姿は見かけたか?」
「リュアン団長、お疲れ様です! 僕は見かけなかったですが、もうちょうど帰るくらいの時間なんで、職員控え室にいるんじゃないですかね?」
「そうか。お前たち、今日もありがとうな」
「いえいえ、団長も早めに休んで下さいよ」
魔法騎士団の敷地内に戻ってきた俺はやれやれと肩を回しつつ、外にいた仲間の騎士たちに声を掛け、魔法騎士団本部の扉を潜る。
ここ数日、小隊を率いて近隣の村へ魔物の討伐に出向いていたが、やっとで後始末まで片が付き、ようやく帰りつくことができた。突然茸型の魔物が大軍で現れ、毒の胞子を村中にばら撒いたのだという。既に多くの村民が倒れ、やむなく救助を優先で行動せざるを得ないようなひどい状況。
対応しようとした村民たちを非難させ、大半は焼き払って駆除したものの、胞子は風に乗って村中に飛散していた。近辺の空気の浄化や毒で苦しむ彼らの治療も必要となり、連日大量の魔力を消費したことで、俺の体と精神はもうくたくただった……。
強い疲労を抱えた体は今すぐ休みたいと訴えるが、同じように奮闘してくれた仲間たちとの食事会がこの後予定されている。団長として彼らを労ってやらないわけにはいかない。
(腕輪が無ければ、危うかったかもしれんな)
俺は左腕の魔法の腕輪に目をやると、短く息を吐く。
中央に小粒のアメジストが輝くそれは、今も大気に満ちた魔力を体の中に集めてくれている。
先日セシリーから貰ったこの腕輪が無ければ、魔法を限界まで使用しても苦しんでいた村人すべてを救うことはできなかったはずだ。日々魔法に携わるものとして、こうした魔道具の情報は欠かさず頭に入れるようにはしていたのだが、まさか彼女が魔道具作成師とまで懇意で、市場にも流通していないような品を贈ってくれるとは思いもよらなかった。悔しいが、これはセシリーのお手柄だと認めざるを得ない。
そうでなくても、最近は何かと机の上に差し入れを置いてくれていたりして、少し俺も評価を改めている。まだあまり自分から話しかけたりはしないが、ちゃんと仲間として彼女を扱ってやれるよう、自分の感情との折り合いをつけようとしているつもりなのだ、これでも。
(借りは返さないと気が済まないからな、それだけだ……)
俺はむすっとしながら懐に手を当て、内ポケットに入れた小さな包みを確かめた。これはセシリーへ渡すつもりで買ったもので、中身は涙滴型のダイヤモンドが揺れる、シンプルな銀のピアスだ。
せっかちな俺は、任務が終わるとすぐに疲れた足を引きずり、彼女に贈るものを探して街をうろついた。しかし相手は商家の令嬢だ。何をあげれば喜ぶかが分からなくて半ば混乱し、大して親しくもないくせに、よりによって装身具などを選んでしまった。女性なら貴金属という、自分の安直すぎる考えには後悔したが、さすがに返品してまで探し直す気力はもう無い。
本部に入り、控え室に向かって廊下を歩く俺は、その時から胸の中に抱いている、ふわふわした感覚の正体にやっと思い当たる。アクセサリー店で真剣に吟味した時からずっと浮かんでいる、妙な感慨……それは。
(そうだ。女性になにかを贈るのは、久しいんだ……)
その考えが、俺を自動的に十年近く前の記憶へと立ち返らせ……ぐらりと視界が揺れる。同時に強く胸が痛み、その場でたたらを踏んだ。
『――初めて作ったお守り? ありがとう……一生大切にするね!』
(またっ……!)
聞こえるはずない声が……耳を閉じ、瞳を塞いでも記憶の中から生々しく蘇ってくる。たった数年ばかりのやりとりが今も脳裏に強烈に焼き付き、決して離れようとしない。
『実はね私……将来は国家に所属しないで家を出て、支援が届かないような町とかを回って困ってる人たちのために力を使いたいんだ』
彼女には夢があった。あんなことが無ければ、今もきっと多くの人を、苦しみから救うことができていたはずだったのに……。
肩がどっと壁にぶつかり、そのまま背中を預け、通路にずるずると座り込む。
その内にも記憶は眩しいほど鮮やかに彼女の様々な表情を照らしていく。
『レイ、私……聖女候補として離宮に入ることが決まったの。大変な栄誉なんだ。喜んで、くれる?』
(止まれ……ううっ、止まってくれ! ……その先は、見たくないんだ!)
俺は激しく息を荒げながら喘ぎ、恐怖した。
先に何があるのは分かり切っている。追憶から逃がれようと一心に頭を振るが、そんなことで一度引きずり出された記憶の流れを堰き止めることはできない。
時を重ねるごとに次第に近づく彼女との距離が、より一層苦しみを募らせる。早鐘のように鼓膜に響く心音は徐々に間隔を狭め、定められた終わりが近づいてくる。
そして血に塗れた腕の中、彼女の瞳から光が……消える。
「――う、ぁぁぁぁぁっ!」
「団長!?」「団長、どうしたんです!」
現実へと引き戻してくれたのは、俺を呼ぶ甲高い悲鳴だった。
柔らかく温かい手が頬へ添えられるのを感じた後、滲んだ視界に大写しになったのは、ひどく心配そうな顔をした、栗色の髪をした女性だ。
「ひどい汗……ね、熱は? どこか、怪我をしたりしたんですか?」
「……ラ……ナ……? 違う……セシリー、か?」
浅い息を繰り返す俺の首筋をセシリーは優しくハンカチで拭ってくれ……後ろにいたラケルが素早く周囲を見渡し駆け出そうとする。
「僕、治療魔法を使える人を呼んできます!」
「……いや、いい。怪我はしていないんだ。ふたりともすまない、任務で少し疲れてしまっただけでな……。少し、休めばよくなる」
「部屋まで送ります」
俺は壁に手を付くとよろめきながら立ち上がる。ラケルは肩を貸し、セシリーも反対側から体を支えてくれた。ゆっくりと自室へと送られるうちに少しだけ気分は回復し、ふたりに礼を言うと俺はベッドに横たわる。
「もう大丈夫だ。情けない姿を見せたな……。俺のことはもういいから、ラケル、セシリーを送って行ってやれ。もう暗くなるだろう」
「ですけど……」
「しばらく、ひとりにして欲しい。行ってくれ」
なおも心配そうにするふたりにきっぱりと告げると、俺は追い払うように手を振り、背を向けた。
「わかりました。……セシリー、行こう」
「うん……ちょっと待ってて」
セシリーが返事をした後、軽い足音がぱたぱたと遠ざかり、すぐに戻る。
そしてコトコトと机の上に何かが置かれ、心配そうな声音が続いた。
「あの……水と、元気が出るお薬だけ置いておきます。ロージーさんに後で様子を見に来て貰えるよう伝えましたから、動けなくても返事くらいはしてあげてくださいね」
「……ありがとう」
どうにかそれだけ返すと俺は、静かに扉を閉めたふたりが遠ざかるのに安堵した。同時に、腹の底から込み上げてくる笑いに身をまかせる……。
「く……くくくくく……。どうしてなんだ、今さら」
自分で問いかけながらも理由はわかっていた。
ここ数年で、急速に迫っている《大災厄》の封印の寿命。それと時を同じくして訪れたセシリーとの出会いが、俺に今まで目を逸らしていた問題と向き合わせようとしている。
あの出来事以来、今まで俺は――今は亡き人の途絶えた意思を継ぎ、想いを遂げる――そんな決意を拠りどころに必死に苦しい日々を乗り越えてきた。キースはそれを強い心の成せる業だと認め、多くの仲間と共に行く道を支えてくれた。そして今、この騎士団の長として曲がりなりにも人々を苦しみから救う力を手にし……弱かった自分も辛い過去も、全てを克服できた。
――そう、思い込みたかっただけだった。
「何も変われていないじゃないか……」
額にかざした手の下、瞼の裏を熱いものが零れていく。失ったものが帰らぬように、心に刻まれた傷は、いくら時間が経とうとも癒えてはくれないのかもしれない。
(……ならば俺は、もうこれ以上強くは……)
それを胸の痛みとして感じながら、俺はベッドの中で蹲る。
どんなに小さくても、あの人の生きた意味を残したかった。このまま進めばきっと、いつかは彼女の望みを叶えてやれる存在になり……犯した過ちは消えなくても再び向き合って、出会えたことを誇れるようになると信じていた。ずっと……そのためだけに生きてきたのに。
「……どうすればいい」
誰に言うでもなく問いを呟くが、もちろん答えは返らない。今まで仲間たちと過ごしてきた時間の中にもそれを見出だすことはできず、俺は暗闇の中でただ、小さな謝罪を呟き目を閉じた。




