リルルとラケル②
――王都に来て数年が経ち……ラケルが立派な魔法使いになっていたかというと、もちろんそう簡単なものではなかった。
夢に見た魔法使いの基礎修行というのは厳しいというか……じっと座って瞑想したりとか、魔力によって生み出した小さな火をそのまま何時間もを一点に留め置くとか、この頃の活発な子供には辛い内容が多く、中々修行に身が入らなかったのだ。もっとこう、ラケルとしては派手な魔法を撃ち合って戦うとか、空を飛び回り速さを競うとか、そういった楽しいことがやりたいのに……。
他に課されたのも、師匠の作る薬の下ごしらえの工程――つまり、魔力を使って薬草を延々とすり鉢で擦り下ろしたり、抽出した薬剤を瓶詰したりといった、とにかく地味に尽きる作業ばかり。最初の方は徐々にできることが増える楽しみはあったものの、四年も五年も同じことばかりをやっていて、さすがにラケルは飽きてしまっていた。
しかし、さりとて諦めるわけにはいかない。こんな状態で家に帰ってもがっかりされるか、もしかすると敷居すら跨がせてもらえないかもしれない。なんせ一緒にリルルまでついてくる……ふたりの帰還は貧乏農家の生活費をさぞ圧迫してしまうだろうから。
――ちなみにジョンは、リルルのことを初めて見せた時、ラケル自身と出会ったときよりも驚いていた。
彼いわく……リルルは魔物でも普通の動物でもなく、もしかするとどこか特別な地域や人を守っていた精霊なのではないかという。稀ではあるが、長い時間をかけて大地や物に自然とたまった魔力には自我が芽生えることがあり、それが周りにいた生き物の形を真似て、意思を持って行動するようになると、精霊と区分されるのだそうだ。彼らは高い知性を持ち、自らが攻撃されなければ、襲ってくることは無いらしい。
「通常、精霊は自分が生まれた土地をあまり離れたがらないものなのだが、リルルはその中でも特殊な個体なのかもしれんな」
師匠がリルルの頭を撫でて言ったが、ラケルにとってはリルルが誰かに害を及ぼすようなものではないと分かっただけで満足で、何者であるかはどうでもよかった。共に暮らすうちに、すっかり兄弟のようになっていたのだ。
「……行ってくるよ、リルル」
「ワウ!」
ラケルは屋敷の敷地内に小屋を構えてもらったリルルに言葉をかけ、顔をわしゃわしゃ撫でくりまわしてから街へと繰り出した。今日は師匠から頼まれて、いくつかの店に魔法薬を卸しに行くのだ。
「ええと……《我が身に宿りしは、古き巨いなる人の力》! よっと……」
今では週に一度あるこの時だけがラケルの気晴らしになっていた。彼は腕力を強化する魔法を掛けると、一抱えもある木箱をいくつか持ち上げ、商店をまわり出す。
いくつかの宅配をこなすかたわら、ラケルは王都を眺めた。活気がある街並みの中には、ところどころに魔法の力で動く道具……人の手に寄らず、夜になったら灯る魔道灯や、声を大きくし遠くまで響かせる拡声筒などが置かれている。
ラケルが住んでいた農村部ではこんなものはほとんど見なかったので、もし魔物に襲われることが無ければ、ああいった物がとても高い値段で取引されていることなど知る由もなかっただろう。彼が今運んでいる魔法の薬も、一瓶が金貨十枚もする、売るだけでひとりなら一月も暮らしてゆけそうなくらいお高い物なのだ。
(僕も将来こういうのを作って、お金持ちになって暮らすんだろうか)
木箱を開けて一瓶薬を摘まみ上げてみたが、どうもしっくりこない。お金の大切さは知ってはいるけれど……やはり魔法が使えるとわかった時のように、期待感のようなものが湧いてこなかった。つまらなそうにそれを木箱に戻し、さっさと残りの配達を終えてしまおうとしたラケル。
「――誰か、そいつを捕まえとくれ!」
その目が……視界の端っこに映った人物に急速に引き寄せられる。
通りの奥で倒れた老婆が叫び、鞄を奪った男を指差したのだ。
髭面の男はいやらしく口を歪ませると、物凄い速さで人混みを抜け、ところどころでは飛び越えてゆく。男が纏った緑色の光を、すぐにラケルは魔法の輝きだと悟った。
常人では対処しきれない。未熟なれど自分が動くべきかと、ラケルは迷う。その内に男は大きく膝を曲げて舞い上がり、壁を蹴って家の屋根に飛び移る。
ああなればもう、今の自分では追えない。そう思ったラケルの隣で、誰かが軽やかに地を蹴った。
「ぬあっ――――!?」
間抜けに口を大きく開いた男は、次の瞬間もう打ち据えられて気絶していた。突如現れた黒い制服の青年が、地面に落ちそうになった男と財布を抱え、魔法を使って軽やかに着地する。彼は重さを感じさせない足取りで老婆に歩み寄り立たせると、手に鞄を握らせた。
「ああ、ありがとうございます……」
「いえ、これも我々の仕事ですから。怪我も無さそうでなによりでした……では、失礼」
青年は紫の目を細めて老婆に微笑むと、強盗を抱えたままさっとその場から身を翻した。颯爽とした姿に町娘たちから黄色い声が降り注ぐ。
(す、すごいや……!! 格好いいっ!)
ラケルは感動のあまり、残っていた配達も忘れるほどの勢いでジョンの屋敷に戻ると、青年のことを尋ねてみた。
「お師匠様、僕すごい人を見たんです! 街中で魔道具を使って悪さをしている奴を、あっという間に捕まえて……。黒い制服で、左胸にこの国の紋章を付けてて――」
「ほう、それは珍しいものをみたな。きっと魔法騎士とかいうやつだろう」
激しく興奮するラケルに、古文書から顔を上げたジョンは詳しく説明する。この国の騎士団は、近年になりふたつに別れたらしい。元々の主流派であった正騎士団と、その一部署から独立した魔法騎士団。彼らは近年増加傾向にある魔物の被害に対抗するための組織で、人数は少ないが、全てが魔法と武芸を両立させた戦闘の達人だということだ。
(そんな人たちがいるだなんて……)
その日から、青年のことを思い出すたびラケルは修行も手伝いもまったく手に付かなくなってしまった。注意を受けても上の空で、目を盗んでは町へと出たがる彼を見かねたジョンは、仕方なく彼の意思を確かめる。
「お前、もしかして魔法騎士になりたいとか思ってはいないだろうな?」
「……え~と、その。……すみません、実は僕、魔法使いに向いていないと思ってしまって」
図星を突かれたラケルは、申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。そんなラケルにジョンは懇々と、彼にちゃんと魔法使いとしての才能があることと……それは長い年月をかけて育てるもので、華々しい活躍を望むのなら、今の内に土台を固めておくことが重要であると説いた。
そして、魔法騎士と言う仕事が、魔物相手で命のやり取りを含む、とても危険な仕事であるということを……。
しかしそれでもなお、ラケルは自分は魔法騎士になりたいのだと、強く訴えた。魔法使いとして日々書物や道具と向き合い、己と対話しながら一歩一歩孤独に歩むよりかは……仲間と語らい励まし合って、共に目指す目標へと向かう道の方が、自分には合っているのではないかと。
ならば仕方無い、試してみろと……ジョンはラケルに騎士学校というものが存在することを教え、同時に来たるべき入学試験に合格したならば、そこに通うことを認めると約束してくれた。
彼からすれば移り気なラケルのこと、もし入学試験で手も足も出ないなら、失望し途端に興味を失くすだろうと、したたかにも思っていたに違いない。
しかしラケルはあろうことか、入学試験を突破してしまった。今更ながら約束を違えることは師としてできず、ジョンは渋々ながらもラケルの三年間の学費を立て替え、通いの弟子として魔法の修練を続けることを条件に騎士学校寮へと送り出してくれたのだ。
騎士学校での三年間は、厳しくかつ充実したものだった。平民であり、騎士としての訓練を積んだこともなかった彼に周囲からの風当たりは強く、嘲りを受けることも多かったが、それを除けば体を動かすことが好きなラケルにここでの生活は合っていたし、ジョンから指導を受けた魔法も大きく彼を助けた。
いつしか、生来の明るい性格もあって多くの仲間を作った彼は、卒業試験を優秀な成績で突破した後、念願であった魔法騎士団への所属が決定した。満面の笑顔でそれを報告しに来た弟子に、ジョンは頭を抱えながら苦笑すると、愚痴を漏らす。
「こっちはお前を一人前の魔法使いに育てようとあれだけ苦心してたというのに……。まあよいわ、本日をもってお前は我が弟子から卒業とする。これを持って行くがよい」
彼から渡されたのは、一本のごく短い杖だ。伸縮式で手のひらサイズに収まるそれは、口頭で詠唱するのと違って魔法陣を描き魔法を起動するのが苦手なラケルに、修練を欠かさぬようにという戒めの意味が垣間見えた。
「お師匠様、ありがとうございました! またリルルと一緒に時々伺います!」
「学費は必ず返しに来るのだぞ!」
そんな一言を背に受け、入団式の当日ラケルは長い間世話になった師匠の屋敷を後にし、魔法騎士団の本部へと赴いた。
入団式は魔法騎士本部の一番大きな部屋である作戦室兼会議場で執り行われた。
同輩と共に希望を胸に秘め、立っていたラケルはそこで仰天した。なんと、団長として激励の挨拶で壇上に立ったのは、ラケルが魔法騎士を志すきっかけとなったあの黒髪の青年であったのだ。年齢的にまだ入りたてだったはずのあの若い騎士が、数年で魔法騎士団の団長へと登り詰めているなんて……。
「俺を見れば分かる通り、この団では年長者に敬意は抱けど、役職を差別することは無い。実力のある者は若かろうがどんどん上に上がってもらう……。だが、それは決して競争が目的ではなく、我々の本懐……より多くの魔物に苦しむ人たちを救うためだということを肝に銘じてくれ! 弛まぬ鍛錬を続けながらも周囲の仲間を尊重できる、そんな人材を選んだつもりだ……。君たちのこれからの活躍と、いつか団の担い手として成長してくれることを願い、敬礼!!」
団長の言葉に唱和し、左右に別れていた団員が揃って綺麗に片手を振り上げた。憧れの騎士を改めて目にし……ラケルは胸に誓う。
(いつか……僕もきっと団長のように。多くの人たちの期待を背負えるような人になるんだ!)
――やや間があって、彼は俯けていた瞳を上げ、少し照れた様子で笑う。
「ごめんね、後半から僕の話ばっかりになっちゃった。つまり、リルルはちょっと特別な存在らしいんだ……けどセシリーにはとっても懐いてるから、今まで通り仲良くしてあげて欲しいって、それだけ」
当時のことを思い出したか、含みのない笑みを向けたラケルに応じて、セシリーも得意気に自分の胸を叩いた。
「言われなくなって私、これからもっともっとリルルと遊ぶんだから! だからラケルもたまには付き合ってよね」
「あはは……出来る限りは。でも僕も早く団長に追いつけるよう頑張らなきゃ。団長とキース先輩は本当に凄くて……並の騎士が百人いたって倒せっこないような魔物を、ひとりでやっつけちゃうんだよ。どうしたら、何を思ってあの人たちは、あんなになるまで……いや、今も――」
努力を続けていられるんだろう……続いた彼の言葉は力なく弱々しいもので、表情にも翳りが見える。憧れの人と間近に接したことで、よりはっきりと自分との差を感じ、自信を失っているのかもしれない。
「……大丈夫だよ」
「セシリー……?」
セシリーは彼の手をそっと握った。そこには、目標に近づこうと必死に訓練した証が見えたから。
「だって、見たらわかるくらい、こんなしっかりした手になるまで努力したんだから。それにラケルにはいいところ、一杯あるよ? いつも元気で明るいし、困ってる人を放っておかないくらい優しいし。団長とかみたいに強くなれるかはわかんない。でも、このまま進めばきっといつか、ラケルにしかできないことちゃんと見つかるよ」
セシリーが手のひらをぎゅっと握ると、ラケルは再び自然な顔で微笑んでくれた。
「そう……だよね。ありがとうセシリー」
「いいんだよ。あのふたりだって悩んで苦しんで、失って……お互いの手を借りて立ち上がったって言ってた。なんでも相談してよ、そのための仲間じゃない? 私もラケルの役に立てたら嬉しいし!」
「そう……だよね。ここはそのための場所だった。誰かと、肩を支え合うための……」
「あっ」
急にセシリーはあたふたし始めた。気づけば食堂の時計は、昼休憩の終わりを示している。
「も、もうこんな時間!? 私ロージーさんに頼まれて、お昼から受付係しなきゃならないの!」
「それじゃ片付けは僕がしておくよ。ご馳走になったしね」
「ほ、本当!? ごめん、それじゃお言葉に甘えちゃう! またね、ラケル! わわっ……」
「気を付けて!」
食堂の椅子に引っかかってこけそうになりながらセシリーは走っていく。
(僕にしかできないこと、か……)
ラケルはそんな彼女を見送った後呟くと、握られた手をしばらくの間嬉しそうに見つめていた。




