第19話 三人が望む、俺と暮らす三通りの未来
北から帰って六日後、三人が揃って村へ来た。
近くの町や中継地での仕事に合わせ、三人で空く晩をそろえたという。泊まる場所は、借り続けている隣家だった。
「先生に相談があるの!」
アカネは挨拶より先にそう言った。
シロは一枚の絵を、エメルは大きな紙を持っている。アカネの脇にも丸めた地図があった。
「三人で?」
「はい。今日は最後まで聞いていただきたいんです」
エメルまで真剣な顔だった。
「先生、私たちの国、全部来てくれたでしょ」
アカネが俺を見た。
「誰と暮らしたいって思った?」
鍋をかき混ぜる手が止まった。
「……誰と、か」
「うん。先生が帰ったあと、私たちも考えたの」
「今すぐ学校を辞めて、来てほしいというお話ではありません」
エメルが続けた。
「ですが、いつかどんな暮らしをしたいか、先生にも考えていただきたいんです」
俺は四人分の夕食を作っていた。鍋を炉から下ろし、食卓の端を空ける。
「分かった。まず座ってくれ。紙はこっちなら濡れない」
シロが隣へ座り、アカネは反対側へ回った。エメルは正面に腰を下ろす。
十年前と同じ食卓だった。だが、三人が広げた紙には、俺の知らなかった部屋や道が描かれていた。
「私、先生に見せたいものがある」
シロが絵をこちらへ向けた。
「棚、できたの」
北の城で泊まった部屋だった。二人で大きさを決めた棚が、窓の下に描き足されている。
「もうできたのか。ちゃんと地図も置けそうだな」
「うん。先生の本、ここに入れた」
指したところには、置いてきた本の題名まで書いてあった。
「続き、読んだ?」
「まだ。先生と読むから」
隣に座って本を開いた夜を思い出した。俺も、早く続きが読みたかった。
「じゃあ次に行ったら、まずあれを読もう」
シロは頷いたが、絵を畳まなかった。
「もっと本を持ってきてほしい」
「ああ。あの棚、俺も使いたいよ」
「……次だけじゃなくて」
シロが顔を上げた。
「先生が、いつもそこにいる部屋にしたい」
俺は絵から彼女へ目を戻した。
「朝、一緒にご飯を食べて。私が仕事へ行って、帰ってきたら先生がいるの」
机の横には椅子が二つ描かれていた。
「先生が読んだところを聞いて、私も隣で読む。……そんな毎日がいい」
俺もあの部屋で彼女の帰りを待った。足音がするたび、顔を上げた。
「いいな。それ」
自然に口から出た。
「お前が帰ってきたら、一緒に飯にしようって言いたいな」
シロの顔が明るくなった。
「……うん」
「シロだけ先に決めないでよ!」
アカネが地図を広げた。
「先生、私のも見て!」
山の城と竜舎の先に、赤い道が伸びていた。大きな湖の岸には宿が二軒描かれている。
「朝日がきれいだって言ってた湖か」
「そう! 私もまだ朝は見てないの。先生と初めて見たい」
「竜で行くのか?」
「途中の村まではね。そこから歩いて、宿に泊まるの。早起きして、一緒に湖まで行こうよ」
道の途中には小さな印がいくつもあった。橋、市場、崖の上の見晴らし台。アカネが俺に見せたい場所だった。
「全部寄ったら、なかなか着かないな」
「だから泊まるんだってば。先生は橋を見たら、そこで止まるでしょ」
「そうかもしれない」
「私も見たいものがあるから、お互い待つの!」
山で彼女と歩いた日を思い出し、笑ってしまった。知らないものを見つけると、アカネは俺より先に駆け寄ることもあった。
「楽しそうだな」
「でしょ。でも、遊びに来るだけじゃ嫌なんだ」
アカネは城を指した。
「私の家にも先生の部屋を作りたい。仕事が終わったら竜を見に行って、次の休みにどこへ行くか相談するの」
「お前でも、まだ行ってない場所があるのか?」
「いっぱいあるよ! 私の知らないところにも、先生と行きたい!」
地図の外へ指が動いた。
「帰ってきたら次の地図を買おうよ。毎回、先生が村へ帰る日を数えるんじゃなくて」
俺はもう一度赤い道を見た。
「……それもしたいな」
アカネは嬉しそうに笑った。その勢いで続きを話しかけ、エメルが紙を押さえているのを見て座り直す。
「分かってる。次、エメルね」
「ありがとうございます。先生、こちらも見てください」
商都の家の間取りだった。
窓の多い台所の横に、小さな机が二つある。
「前に見せてもらった部屋か?」
「はい。少し変えました。先生が授業の準備をする机と、私が持ち帰った仕事をする机です」
「隣同士なんだな」
「お茶を淹れたら、すぐ渡せる距離がいいと思いまして」
エメルは微笑み、台所を指した。
「仕事から帰って、今日は何を食べましょうかと相談したいんです。一緒に作って、食べながら今日あったことを話すんです」
「夜市へ行かない日も?」
「はい。毎晩あんなに食べ歩いては、先生も困るでしょう?」
「困るな。うまかったけど」
エメルが笑った。
「特別なことのない日にも、一緒にいていただきたいんです」
商都で帰りを待っていたときのことを思い出した。仕事を終えた彼女と歩き、食べ物を分け合った。帰るのを延ばしてでも、あの夜を一緒に過ごしたかった。
「俺が先に帰って、茶を用意しておくのもいいな」
「……そんなふうに迎えていただけるんですか?」
「ああ。お前の仕事の話も聞きたいし」
エメルは少し顔を赤くした。
そこでアカネが声を上げた。
「先生、さっきから全部いいなって言ってる!」
「北も山も商都も、どれも住みたいってこと?」
答えようとして、三枚の紙を見た。
シロが帰ってくる部屋。アカネと旅の支度をする朝。エメルと夕飯を作る台所。どれも手放したくなかった。
「……そうだな。三人それぞれと暮らしてみたいと思った」
「だったら、私のところに帰ってくる先生も、考えてよ」
アカネは地図の端を押さえた。
「休みに遊びに来る先生じゃなくて。次の朝も、その次もいる先生」
俺は地図に描かれた山の城を見た。
帰りの荷をまとめた部屋に、自分の本や服が増えていく。アカネが帰ってくる音を聞いて、読みかけの本を閉じる。
そんな毎日を思い浮かべると、嬉しくなった。
だが、次の朝の学校はどうするのか。
子供たちの顔が浮かび、言葉が止まった。
「……そこまで、考えてなかった」
シロの指が、絵の棚の上で止まった。
「私は、考えてた」
「ああ。見れば分かるよ」
「先生と暮らしたいから、描いたの」
俺はもう一度、三枚の紙を見た。
そこには、俺の服や本を置く場所まで描かれていた。
「冬の休みなら、もう少し長くいられるかもしれない」
そう言ってから、続けかけた。
「同僚と相談して、それぞれの国へ同じくらいずつ――」
「湖でもう一晩いたくなったら?」
アカネが遮った。
「シロの分が減るから帰るの?」
言葉に詰まった。
「次のところへ行くまでの部屋には、したくない」
シロも言った。
「私といたいから、来てほしい」
「……すまん。泊まる日を増やせばいいって話にしたな」
エメルが膝へ置いていた手を、間取りの上へ戻した。
「今夜、どちらのお家へ移るか決めていただきたいわけではありません。でも、先生はどんな毎日を望んでいるのか、それは知りたいです」
「三人とも一緒にいたい。それは本当なんだよ」
「うん。そこは聞いた」とアカネ。
「シロと本を読んで、アカネと知らない場所へ行って、エメルと飯を作りたい。三人それぞれと、帰るのが寂しくなるくらい楽しかった」
アカネの手が地図を少し引き寄せた。
「だから、私だけと暮らしたくなってほしいの」
「……今は、まだ一人には決められない」
鍋の蓋が、小さく鳴った。
シロは俺を見たままだった。エメルも間取りを畳まなかった。
「三人の話、嬉しかった。でも、これからも今みたいに会えたらって、俺はそればっかり考えてた。自分がどう暮らしたいか、もう少し考えさせてくれ」
シロの指が、俺の手に触れた。
「考えるとき、私の部屋も忘れないで」
「忘れないよ」
「私の湖も」とアカネ。
「はい。台所も、お願いいたします」
エメルが間取りをこちらへ向け直した。
俺は三枚とも、鍋の湯気が届かない場所へ移した。
「先生、今日の分は、もう食べたい」
アカネが鍋を見た。
「冷めちゃう」
「そうだな。今よそう」
立ち上がると、エメルも椀を取ってくれた。
四人で食べた。湖へ行く途中にある宿の話をすると、アカネは教えてくれた。シロの本棚には、絵に描いたより棚板が一枚多いらしい。
ただ、三人とも今夜は、いつもより静かだった。
帰り際、シロは絵を食卓へ残した。
「持ってて。ここで、先生が帰ってくるのを待ちたいから」
「ああ」
アカネも地図をその隣へ置いた。エメルは間取りを重ねず、三枚が見えるように並べた。
「おやすみなさい。今度は、先生のお話も聞かせてくださいね」
三人を見送って戻ると、椀は四つとも空になっていた。
洗おうとして、もう一度紙へ目を戻す。
北の部屋で、山の城で、商都の台所で暮らす自分。そのどれにも、隣に一人の顔が浮かんだ。
俺は自分の家の鍵を、紙の脇へ置いた。
三人に会ったあと、俺はどこへ帰りたいのだろう。
椅子へ座り直した。鍋を洗う前に、もう少し見ていたかった。




