第四章:13 『焔に灼かれる国』
黒紫に怪しく光る鱗。体長10メートル以上、翼は6メートル以上ある巨体。鋭い牙は白く、血色に光る瞳を炯々とさせ、地上の人間を睥睨している。その様はまるで怒っているようだった。
その『怒り』の姿が名前の由来になったとされるドラゴン――『ニーズヘグ』は上空を旋回していた。
北欧神話にて、多くの神や怪物が命を落とした神々の最終戦争『ラグナロク』でニーズヘグは死んだ者を運ぶ役割があり、それと同時に、その戦争を生き残った。このことから、ニーズヘグには不死性があるとされている。
普段はフヴェルゲルミルという泉に住み、泉に浮かぶ死肉を貪り、血を啜り、世界樹の根をかじっている。鷲姿の巨人――フレースヴェルグと仲が悪く、同じ世界樹に住むリス――ラタトスクが2人の間を行き来して会話 (罵倒?)している。
「――俺が知っているのはこれくらいかな? あはは、本物はやっぱり貫禄が違うね」
「不死性って……どうやって倒すのよ、あいつ」
「本来は人間が戦うような奴じゃない、いや、人間と敵対しないはずなんだ。それでも今はピンチだね。ほら、怒って今にもブレス噴きそう」
と、アスタが言った次の瞬間、
――ゴゥォォォオォオオ!!
ほ、ほんとにブレス噴きやがった!!
「きゃぁ!?」
劫火に舐められるガスタウィル皇国……黒紫のドラゴン――ニーズヘグが来てから数分も経っていないのだが、どういうわけか、すでに住民の避難は済んでいたらしい。
情報が流れるのが早すぎだ。
数万人はいるこの国のすべてがすでに避難済み……まるで、こうなることを察知していたかのようだった。もしくは、あたしが【世界樹】を倒したところを見ていたか。
いずれにしても、ニーズヘグの被害が少ないほうがいい。すでに避難済みなら、あたしだっておもいっきり強い魔法を放っても文句言われないだろう。とはいえ。
はぁ、また兵器作るのか……。
仕方ないけど、気が引けるな……ニーズヘグがどれほど危険物なのかは分からないが、あれでも生きている。ならできれば傷つかせたくなかった。でもどちらにしろ――
「……あの鱗じゃ絶対、あたしの魔法なんて効かないよね」
たとえ本気の魔法をぶっ放しても、傷一つつかないだろう。悠然と飛んでいるあの格好さえも変えさせられないかもしれない。
あいつは【世界樹】よりも強いぞ!!
ごくりと唾を飲み込むと、恐怖におびえる足を無理やり前へ動かした。
向かう先はエルミニの家だ。
あそこはこの国でも高い場所にある。そのため、空を飛んでいるニーズヘグに魔法が当たりやすくなるだろうという……希望的推測。【世界樹】よりも堅いだろう鱗に傷を入れるには、できるだけ近づいたほうがいいしね。
空は暗い。
ニーズヘグがこの国へ来たと同時に、空にあったはずの太陽が逃げて、月が出てきたのだ。どうりで【世界樹】を倒した時に夜だったのに、ここに戻った時は昼だったわけだ。
暗いので、山道は特に気をつけないといけない。
非難を済ませた人たちがどこにいるのか、それは分からないが、残っているのがアスタとセピア、ヒナ、あたし……そしてエルミニということは分かっている。兵士は一緒に避難したのだろう。いなかった。
ガスタウィルはいるにはいたが、王室にこもったまま出てこない。まあ、王様が出てきても邪魔なだけだけどね。だからカウントしない。みごと、がすたうぃるくんはいないことになりました!
炎に包まれているのに悲鳴一つないという奇妙な光景を視界に入れながら、あたしたちはエルミニの家へと走っていく。街を抜け、山を登り、何度も放たれる劫火に苦痛を滲ませながら、たどり着いた家の扉をバンッと開け放った。
「きゃあっ!? ……ミ、ミーちゃん?」
「はぁ、はぁ……よかった。なんともない? エルミニ」
相変わらずベッドにいたエルミニは、どういう状況か分からないといった風に困惑顔を浮かべながらこくりと頷いた。外で何が起こっているのかさえも知らないのだろう、この人間貯金箱は。
「どうしたのですか? そんなに慌てて……」
「ちょっとね……ラスボス倒したら実はそいつはラスボスじゃなかったから真ラスボスが出てきた、っていうクソゲー的展開なんだよ」
「え、ええと……つまり?」
「つまり……」と、何も知らないエルミ二にことの一抹を話した。【世界樹】を倒したことについてはやはり喜んでくれたのだが……その結果、ニーズヘグに襲われていることを聞くと、顔を強張らせた。そして、恐怖からか体を震わせている。
すべてを話し終えると、部屋が少し暑くなってきた。近くまで火が迫っているのかもしれない。
早くなんとかしないと、と焦燥に駆られていると、エルミニがあたしの服の袖を引っぱった。
「……ごめんなさい、ミーちゃん」
「え? 何が……?」
「これは全てわたくしのせいなのです。なぜなら、わたくしは――」
しかし、言いかけたところで。
――ゴオォォォォォォオオッッ!!
「エルミニッ!!」
「きゃあっ!?」
「ッ!!」
突然吹いた風が、バキャバキャと家を薙ぎ倒した。
ベッドに横たわったままのエルミニは倒れた壁に押しつぶされそうになった。それをぎりぎりで防いだのは、アスタだった。
木の壁に押しつぶされないように右手で壁を押さえながら、ベッドに左ひじをついた体勢のまま……額に血を流してエルミニに「大丈夫?」と聞いている。エルミニも壁に押しつぶされかけていたが、アスタのおかげでできた壁の隙間に挟まって助かった。
しかし、油断はできない。
アスタが特に危機的状況だったが、それよりも今吹いた風は――
「おい、ぼさぼさ! あいつだ……ニーズヘグだっ!!」
「っ! ……やっぱり」
今吹いた風はニーズヘグが山に沿って上昇してきたからできたものなのだろう。
黒紫の翼を広げて、上空を飛ぶニーズヘグは、その血色の瞳であたしたちを睨みつけてくる。
――まるで、あたしが【世界樹】を倒したことを知っているかのように……
……って、その目は知ってるでしょ!?
「なんなのよ……あんた……」
睨み上げるが、ニーズヘグは答えない。
代わりに、ゴォォっと息を吸い込み始めた。
これは……ブレスの予備動作!!
でも逃げられない。
セピアはともかく、アスタは壁を支えていて、エルミニはそれに潰されかけている……無防備な2人を守るのは、あたししかいない!!
(簡単な魔法しかできないけど……)
あたしは肩にかけたままだった鞄から巻物と羽つきペンを取りだし、宙で広げた。そのまま空中で魔法陣を描き上げると、その面をニーズヘグに向けた。
――触媒は空気……!
「吹け、靡け、虎の風!!」
巻物が白く光り、風が息を吸い込み続けているニーズヘグの口元へ向かった。すると勢いよく空気を吸い込んだせいで、げほっと空気を吐き出した。
ブレスを止められたせいか、その血色の瞳でさらに強く睨みつけてくるニーズヘグをよそに、あたしはアスタに近寄った。
もうすでに家の屋根は吹き飛ばされ、後に残った壁がアスタとエルミニを押しつぶしている状態だ。
あたしはニーズヘグに使った魔法を今度は壁に向かって放った。壁は強い風に飲まれてばらばらになりながらどこか遠くへ飛んで行ってしまった。そのおかげで2人は助かった。
2人は額を切ったり体中を打ちつけたりしたものの、軽傷だ。
それに安堵しつつ、空に浮かぶニーズヘグを見上げた。
「ニーズヘグ……さて、どうやって倒すかな……?」
額に一筋、汗が流れる。
「あれは……そう、ですか……アスタ様、この剣を使ってください。これは先日ニボシが置いていったものです」
そう言って、かろうじて残ったベットの下にあった一振りの両手剣を指さした。さすがニボシが使うものだけあってとても大きい。しかもあたしの魔法が掛かっていない。ここに隠していたのか……。
アスタの背丈ほどある剣は、全体的には銀色なのだが、刃先がうっすら金色に輝いている。鍔は銀の金属光沢が見られ、柄の部分は白い包帯のようなものが巻かれている。その包帯がかなり擦れていて……これが相当使いこまれたものだと分かる。
この剣が、あの黒紫の鱗に通用するとは思えないが、アスタの武器はこれしかない。アスタは魔法を作れないし、徒手空拳なんてもちろん効かない。今のアスタには十分な武器だ。
大きさもあって、一目には使いにくそうだが、予想に反してアスタは、エルミニが一生懸命取り出そうとして力尽きたそれを片手で軽々と持ち上げてみせた。こいつもなかなかに力があるらしい。
さて、その剣でどれほど時間を稼げるか……。
あたしの不安を悟ったように、アスタはあたしを見て、
「ナルちゃん、頑張って時間稼ぐよ。できるだけ早くお願い」
「うん。分かってる。けど……絶対、怪我しないでね?」
「あはは。もう怪我したからペナルティかな?」
「うん。当たり前だよ。アスタのばか」
あはは、と笑いながら、アスタはゆっくりとあたしの隣を通り過ぎぎわに、
「じゃあ、今度は誰も傷つかせないから」
と言って、ニーズヘグに向かって跳びあがった。
ニーズヘグはそれほど高く飛んでいない。あたしの足ならともかく、アスタのジャンプ力なら、あれくらいは軽々届くだろう。3メートルはあるけど。
その予想は的中し、アスタはニーズヘグよりも高く飛んで――5メートルくらい跳んだ――両手で持った剣を振り下ろした。
しかし、ニーズヘグが翼を打つと、アスタの体勢が崩れてそのまま落ちてしまった。そこへ追いうちのように細長い尻尾が鞭打つ。アスタは剣を横にしてそれを防ぎ、もう一度跳ぶため、足を折りたたんで溜めを始めた。
前転しながら尻尾を振ったニーズヘグは少し高く飛んで退避――それを見越して足を踏み出したアスタがもう一度跳ぶ寸前……
グルァァァァァァアアア!!
ニーズヘグの溜め無しの咆哮が耳を劈いた。うっと唸ったアスタに一瞬の隙が出来てしまう。
そこへ飛びながら体を回したニーズヘグの尻尾がアスタを嬲った。
「ぐぁっ……!!」
横っ腹に直撃し、アスタは5メートル吹き飛ばされ、そこにあった木にぶつかってしまう。喀血しながら立ち上がると、あたしのほうを見て済まなさそうにしている。
――ああ、もう。これ以上怪我したら本当にダメなんだからね!!
視線に怒りを込めて放つと、アスタが時間稼ぎしてくれている間に活路を見出そうと瞑目する。なにか……方法があるはずだ。
敵は一匹。
堅い鱗に包まれた巨躯を持ち、細長い尻尾で攻撃もしてくる。ブレス……確認できているだけで炎と煙を吐く飛竜で、翼で生まれる風は強力。普段は人間と敵対しないはずのドラゴン。しかし、『ニーズヘグ』という名称の意味は『怒り』だ。あたしが【世界樹】を倒してしまったせいで怒ったのかもしれない。
「……って、全然解決法じゃないじゃん……」
【世界樹】を倒したことを怒っている? ……でも、それはあたしたちにはどうすることもできない。倒してしまったものはもう戻らないのだから。
それとも、ニーズヘグは食料を求めているのか? だからといって、人間や動物の死肉や血をあげるわけにはいかない。あいつは死肉を喰らい、血をすすって生きているからね。
それ以外に、どこか活路があるはずだ。
それを見つけないと……。
ニーズヘグはあたしが【世界樹】を倒したことで出てきた。【世界樹】に守られて生きてきたのだろうが……でも、この強さがあるのに何で守られなければならなかった?
【世界樹】は……普通の木としておかしいところが幾つもあった。
【世界樹】はただの木なのに人は狂うし、その幹もうっすら光っていた。伸びた根や枝葉が延々と続いていたが、普通の植物ならそれはあり得ない。あんなに広く伸ばす前に枯れてしまうからだ。
人間の兵器も通用しないし、魔法だって効かない。焚火をした時もそうだったが、熱にも強い。【世界樹】の下では風が吹くし、なにより寒い。
「……あっ!」
「? どうした、ぼさぼさ」
「……わかっちゃった……あいつの弱点!!」
「はぁ!?」
最終戦争を生き残ったドラゴンは、不死性を語られてきた。
でも……これが本当に弱点なら――殺すことはできなくとも、撤退くらいはさせられるかも!!
「セピア、手伝って! 急いで魔法を作るわよ!!」
「はぁ? どういうことだよそれ……俺がやるよりもぼさぼさがやったほうがいいんじゃねえか?」
「いや、あたしにだってできないことくらいはあるよ……例えば、『連立式』とかね」
「っ!」
セピアの身体が強張った。そりゃそうだ。だって、あの魔法はたまたまできたようなものなのだから。
それでも、あの魔法以外でニーズヘグに傷つけることが出来ることなんてできない……だからどうしても作らないといけないんだ。
魔法を作りながら魔法を発動し、それを制御して飛びまわるドラゴンにぶつける――それは、これまで作った魔法のなによりも難しい。あたし一人じゃそんな高難度の魔法、作れない。
セピアはまだまだとはいえ、魔法を学んだ身だ。独学だけど、その条件はあたしと同じだ。あたしだって独学みたいなものだから。
二人なら、きっとできる――しかし。
「そ……そんなの無理だ! だ、だって、俺はまだ魔法をあまり知らないし……」
セピアは弱気だ。
自分にはできないと、謙遜でなく、本気で思ってる。
「俺にはできない。そんな高度な魔法……俺には作れるわけがない!!」
「作れない? でも作るの。あまり知らないからなんて、そんなの理由じゃないよ。セピアは自分から魔法を作りたいって願った。だからあたしもあんたに賭けてる」
嫌がるセピアの肩をつかみながら、目の高さを同じにして。
「【世界樹】を倒したのは、あたしたち2人の魔法だよ? そんな奇跡が起きたんだから、きっと無理じゃないよ」
「あれは、俺が作ったわけじゃないんだよ……あれを完成させたのは、お前だろ!」
「それでも、セピアならできる。だって、あんたヒナのお兄ちゃんだもん」
「ッ!!」
ヒナの名前を聞いて、息を呑んだセピアの頭を抱き寄せた。
「ヒナを救うために魔法を作りたかったんだよね? 人間を守りたいとか、そんなことよりも、何よりも……でもその思いだけあればいいんだよ」
――魔法は思い。
セピアの妹を思う気持ちは、あのドラゴンよりもきっと強い!
ねぇ、セピア。
あんたは妹のために命を張れる、立派な兄だよ?
少し自分に自信がないことがいけないけど……ヒナのためなら、そんな弱気さえも吹き飛ばせるよね?
セピアは強いんだよ。
ヒナを思って、魔法を作りたいなんて思ったんだから。
セピアならできる――だから、あたしは。
「あたしは、セピアを信じる!!」
妹のためになんでもする兄はそのとき、こくりと。
「うん。……やってやんよ! あの城にはまだ、ヒナも残ってんだからな!!」
頷いた。
「で、あいつの弱点はなんだよ? 魔法で作れるものだろうな?」
「ああ、そうだったそうだった」
早く魔法を作ってやらないと、アスタがいつまでももわけじゃないしね。早くしないと。
セピアを離すと、あたしは立ち上がり、周囲を見渡した。
街は焔に灼かれてしまって、原形をとどめていない。あたしたちの周囲にもその炎が迫ってきている。でも、好都合だ。
それは……ニーズヘグの弱点はよく考えてみればすぐに分かることだ。
ニーズヘグは火を吐き、煙をまき散らす……でも、そのとき必ず、空を飛んでいる。
それに【世界樹】。ただの木であるはずのそれは、耐火性に優れていた。
【世界樹】の下には風が吹き、気温が低い。
――まるで、火を恐れているかのように。
そのことから、推測した、やつの弱点は――
「――火、だよ」




