第四章:12 『【世界樹】の守護竜』
もっと早くに気付くべきだった。
月明かりが照らす夜の空。
浮かぶように、一匹の巨大トカゲがいた。
黒紫色のうろこをもち、鋭く光る瞳は血色の赤。金色にうっすらと輝く体表はさっき倒した【世界樹】の幹のよう。ならば、月のように巨大な翼はさしずめ枝葉と言ったところか。
「って……そんなこと考えてる場合じゃ、ない……!!」
ふたなりの月を背景に、黒紫色のドラゴンは翼を一つうった。その一動作で激しい風圧が地上にいるあたしたちを襲った。
「ぐっ……!」
「くそっ……全体、反撃ィッッ!!」
「やめてっ!! あれに係わっちゃダメ!!」
ニボシの慟哭を阻止しようとしたが、早とちりな兵士たちはすでに空に向かって弓矢を放っている。
黒紫のドラゴンは、迫ってきた矢を鼻息だけで吹き飛ばしてしまった。これほどまで力の差があるなんて……それに、もし矢があの鱗に届いたとしても、きっと傷一つ入れられない。つまようじで鉄板をつついているのと同じなんだ。
黒紫のドラゴンは息を大きく吸い込むと、一瞬息を止め。
――ボフォ!
黒煙を吐きだした。
「きゃっ!?」
黒煙はあたしたちを包み込み、辺りを見えなくさせる。単なる目くらましのようだったが、この状況からして効果は抜群だ。兵士たちが慌てているのが足音でよく分かる。
下手に剣を振りまわして火花でも散らしてみろ……粉塵爆発だって起きかねない。それを兵士たちは悟ったのだ。なかなか頭がきれる。
早く反撃をしなければ――でもこの黒煙が晴れるのを待たないといけない……そんなもどかしさに襲われつつ、リールの言葉を思い出していた。
――まだ、ナルティス・ミリンには【世界樹】を倒すのは早すぎる――
確かに早すぎた。
あんな化け物、あたしじゃ倒せない。
それにここにいる兵士たちの武器も問題だった。彼らの武器は、あたしの魔法がかけられており、つまり、何者も殺生できないのだ。おかげでこちらの攻撃が全く通用しない。
いや、後悔するのはそこじゃない。
あんな化け物でも、やっぱり殺したくない。だから魔法をかけたことを後悔するのは何か違う。
それに、魔法が掛かっていなくともきっとあいつには効かないだろう。
きっと、あの鱗はとんでもなく固いだ。
その上、ドラゴンの神々しさは、近づくのさえも躊躇わせる。
ドラゴンは天空を飛んでいて近づけないけど……ここから一刻も早く立ち去りたいのは確かだ!
「……それが出来たらみんな動いてるって」
頬に冷たい汗が流れた……その時。
黒煙が晴れてきた。変則的な風が吹いたおかげだ。
天を見上げたがそこにドラゴンの姿はなかった――今の風もきっとあのドラゴンが作った――が、しかし辺りを見渡すとすぐに見つかった。
ドラゴンは一直線に飛んでいたのだ。それも、最悪な方向へ。
「……あっち、ガスタウィル皇国の方角だ。あいつ……まさか、攻撃するつもり!?」
どういうわけか、ドラゴンはあたしたちが来た道を逆走していた。
しかも速い。
馬車の何十倍も速く飛んでいったドラゴンは、ほぼ同系色の夜に紛れてすぐ見えなくなってしまった。あの調子だと、今からじゃ追いつけない……。
「どうする、ニボシ……」
「……」
ニボシを見上げると、苦悶の表情で額に手を当てていた。それもそうだろう。彼はガスタウィルを守るための兵士を束ねてきたのだから。その主人がピンチなのに自分は何もできないと、現実的に助けることが無理なのを、察したのだろう。
しかしずっとここにいるわけにもいかない。ガスタウィル皇国は自分たちが狙われることを知らないのだ。
できたばかりの国で、隣国から反感も持たれていない……だから他国が攻めてくることはないだろうと高をくくっていたので、ろくな戦闘員が残っていないこの状況……。
【世界樹】に負けた兵士たちは国に戻った。しかし、あのドラゴンを前に【世界樹】に負けた奴がどうにかできるとは思えない。
だから、もっと早く気付くべきだった!!
そもそも、【世界樹】にはおかしいところが幾つもあった。
でも今それを後悔している場合じゃない。どうにかして国の人たちにこのことを知らせないと……!
考えるあたしの隣で、ニボシは眦を決してこちらを見下ろした。
ニボシの唇が開き、
「ナルティス様。どうか、彼女を許してください」
と言った。
「え? 彼女……誰のこと?」
しかしニボシはあたしの言葉に耳を傾けず、つらつらと語った。
「ええ。彼女はまだ国のことが分かっていなかった。だからあなたを利用して、結果、見事【世界樹】を倒した。でも、その先を考えていなかった。いや、彼女にはそれを予想できる術、頭を持っていなかった」
意味不明なことをいいつつ、ニボシは腰に下げた剣に触れた。
「正直、こうなることは想定外でした。彼女は必死だったのです。だから――親友であるあなたを裏切ったことを、利用したことを、深く悔やんでいた」
「待って……彼女って誰!? ていうか、そんな話している場合じゃないわよ!! 早くなんとかしないと――」
「関係あるんですよ、私と彼女――エルミニ様にはっ!!」
「っ!!」
エルミニ。
ガスタウィル皇国の皇女にして、ガスタウィルの娘である彼女。
足が動かず、毎日ベッドの上で縫い付けられている状態にある彼女。
湖で遊ぶ子どもたちが好きで、いつも優しい笑顔でそれを見守っていた……彼女。
そして、ニボシは腰の剣を抜いて、地面に何かを描き始めた。これは……魔法陣?
それと認識すると同時、周囲が淡い光に包まれた!
「うわっ!!」
「……ナルティス様、彼女を責めないでやってください。そして、できるならば国を救ってください」
「待って……ニボシ、あんたは一体――」
「答え合わせは、後でしましょう」
そして、ニボシは笑顔になり、
――視界が暗転した。
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太陽の光の眩しさに目を細めたあたしは、いつの間にか寝ころんでいた。
そっか……もう昼なのか。
「……って、ええっ!?」
異常な光景に、目を見張った。
そして視線を上げると、正面に石の壁があるのに気がついた。
これは……ガスタウィルの城だ!
現状を確認しようと周囲を見渡す。しかし、そこには相変わらず何もなかった。ただダイヤの軌跡を描いて消える光があるだけ。
頭上から注ぐ太陽は一番高い所にあるので、今は昼だということが推測出来たけど……いまいち信憑性に欠ける。
あたしが【世界樹】を倒したときは夜だった。月が赤い大地を照らし、それを背後に黒紫のドラゴンが飛んでいたのを覚えている。だから今は夜のはずだ。
しかし太陽が頭上にあることも確かな事実。
なら、【世界樹】があったところから戻ってきて……でもそれはあり得ない。
だって、【世界樹】のあったところからここまでは3日かかったのだ。
それだけの時間があれば、あの場から飛び去ったドラゴンが今頃この国を壊し回っている。
目の前の城は傷一つなかった。つまり戦闘は行われていないということ。そして、ドラゴンが飛び去ってからの記憶が――ニボシが描いた魔法陣以降の記憶がない。
ということは、あたしは魔法をかけられたということだ。
それも、意外な人物に。
「まさかニボシが魔法技術士だったなんてね」
あたしは、この国にはいないといわれていた、否。そう思わされていた本物の魔法技術士、ニボシに魔法をかけられたのだ。それも、ガスタウィルが持っていた【世界樹】の魔法と同じ魔法で。
でも、なんでわざわざ隠す必要があった?
……いや、いまはそれを考えている暇はない。
一刻も早く、みんなに伝えないといけないんだ。
――黒紫のドラゴンがこの国に迫っていることを。
城に入ると、そこには誰もいなかった。
閑散とした冷たい空気に身を震わせ、あたしはまず自室へ向かうことにした。
部屋に着くと、中にアスタとセピアがいた。その周囲の床には古書庫の魔導書が散らばっている。どうやらあたしが依頼したことをちゃんとしているようだ。
「……あ、ナルちゃん!」
「……んぁ、ぼさぼさ」
部屋の扉の前で中の様子を窺うあたしを見つけ、2人は座ったまま手を上げた。
「おかえり。思ったよりも早かったね」
「うん……思ったよりも、めんどくさいことになったけどね」
「? どういうことだ? 魔法は……成功、したのか?」
瞳を潤ませて心配そうに見上げてくるセピアに、弱弱しく笑顔を向けると、一つ頷く。
「うん、成功したよ」
「そ、そっか! ……ま、まあ、別にあれはぼさぼさの魔法だったし、俺には関係ないけどな!!」
「ふふっ。でも、あれはセピアのおかげだよ。セピアのおかげで、【世界樹】が倒れた。ありがと」
「ふんっ。礼なんかいるか」
と言いながら顔を赤くしているところは本当に可愛いなぁ。
あたしはセピアの頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
やめろ! と言いながら、セピアはうれしそうに笑っていて……これから話すことが言い辛くなってしまった。それでも伝えないといけない、ある種の罪悪感に囚われながら、話し始めた。
「でも、大事なことに気が付いていなかったんだ……」
「回りくどいなぁ。つまりどういうことだよ」
もう一度セピアに頷くと、【世界樹】を倒した時に起こったことを話した。
2人は【世界樹】が倒れたことに喜んでいたが、黒紫のドラゴンの話をすると、顔をしかめた。そりゃ、やっとの思いであの『悪魔の木』を倒したのに、さらに巨大な危機が迫っていると聞かせられれば、嫌でもそんな顔になるだろう。
「……黒紫の、ドラゴン」
「うん。あれがどういうものか知らないけど、このまま放置していていいものじゃないことくらいは分かるよ。そんな危険な奴がこれからここに来る。あたしはニボシ……この国の魔法技術士に送ってもらったけど、あたしだけじゃあんまり意味ないしね」
「でも、ナルちゃんは、あの絶対に倒されないとされた【世界樹】を倒したんだ。だからきっとなにかできるはずだよ」
「なにか、か……」
しかし残された時間は少ない。
あの魔法でどうやって昼になったのかは分からないが、刻一刻とドラゴンが近づいてきているのは確かなんだ。
いつ来るか分からないタイムミリット内で、あたしはどこまで抗える――?
「……なんか良くわかんねぇけど、一体何なんだよ。そのドラゴン」
「正体は分からない。でも、【世界樹】に何かあるという前兆はあったんだよ」
「前兆?」
うん、と頷くと、セピアの目を見た。
「前兆、というよりはおかしいとこだよ。何で【世界樹】は近づいただけで人が狂うのかとか、陽光も届かないくらいに枝葉に覆われていたはずの【世界樹】の下で竜巻が起こるのかとか、【世界樹】の幹が光っていたとかね」
「……つまり、人が狂うのも、【世界樹】の下で竜巻が起こるのも、幹が光っていたのも……全部その黒紫のドラゴンのせいということか?」
「そ。こう考えれば分かりやすいかな。『【世界樹】は黒紫のドラゴンの卵』ってね」
「っな!?」
【世界樹】が黒紫のドラゴンの卵なら、その硬さにも頷ける。
卵は中にある生命を守るためのもの……鶏の卵なら人間の手でも潰せるが、なら人間が蟻になったとすればどうだろう。強靭な顎をもつ蟻でも、その殻を破ることは難しくないだろうか。
要はそれの人間版だ。
対人間のために、兵器も魔法も通じない殻を作ったのだ。それが1500年たった今、孵化した。そして最初に被害を受けるのがこの国――ガスタウィル皇国ということだ。
もしかすると、あたしたちは『倒した』と思ったが、ドラゴンからすると孵化を『手伝って』もらったことになるのかもしれない。そう考えると、これまで人間たちがしてきたことは全て無駄だったということになる。
(リールが止めたかったわけだ……)
結局彼女の正体は分からないが、彼女はこのことを知っていたのかもしれない。あの時冗談のように言っていた『私は【世界樹】の精だ』というのもあながち嘘でないかもしれない。
「……時間がない。だから、このことをガスタウィルに話したいんだけど……」
「うん。あいつなら今、王室にこもってるよ。何か別の危機を察したのかもね」
「あぁ、そっか。あたしがあんたたちに頼んだあれのこと……」
半分忘れかけていたことを思い出し、床に散らばった『北欧神話に関する概要』と書かれた本を拾い上げた。
ぱらぱらとページをめくると、うわぁ。何この文字……よく分かるなぁ、こんな言葉。
あたしが古書庫で見た魔導書よりもさらに難解な言葉が書かれていて読めなかった。多分これは異国の言葉だ。何でこんなものがあるのよ、この国。できたばっかでしょ。
パタンと読むのを諦めて閉じると、アスタに「結果はどうだった?」と聞いた。アスタは頷いた。
「ナルちゃんが思ってた通りだよ」
「……そう」
自分で聞いておきながら言うのもなんだが……聞きたくなかった。
だって、その事実はあまりにも……残酷だから。
「――歌音の親は、この国にはいない」
騙されて、利用され続けただけの歌音は――
そのこと、知らないのだろう。
彼女は今もこの国で利用され続けている。
ダメなクズ王に事実を語られず、自分の駒として操られる。
糸を垂らして、壊れるまで人形劇を演じさせられる。
台本はないけど、でも壊れるまで物語を紡げさえすればそれでいいやぁ、あはは。
客の入りは上々。
さあ、金だ金だ!
王が望む限り、求める限り、全てのものを与えろ!
駒は知らなくていい。
そんなの、無駄だ!
駒は駒として永遠、王に従え。
人生を蹂躙し、歌音と言う駒を飽きても使い古す――
――お前に自由はない。
嘘を餌に、さあ動け。駒!!
お前の人生を、王にささげろ!!
……。
…………。
「はぁ、あたしの想像力って、どうしてこうまで残念なのかな」
泣きたくなるよ。
さて、この事実を歌音に伝えるか否か……。
しかしどうにもおかしい。
歌音に親がいない……それはあまりにもできすぎている。
もしかして、この事実って――
その時――
グルォォォォォォォォォォオオオッッ!!
「「「来たっ!!」」」
来る危機の咆哮が上がり、
「――決戦の開幕だ!!」
あたしたちは外へ出た。




