第三章:4 『【世界樹】の湖』
「んん……やっぱりおかしいよね」
路地裏を出たあたしたちはエルミニの家へ向かっていた。ぬあぁ……めんどい。
またあの山道を登らないといけないというめんどくささに駆られてやる気ゼロなのに、なんでだろう……子どもたちがすっごくやる気だ! 元気よすぎて逆に気が滅入る。
いや、それをおかしいなんて思ったわけじゃない。
むしろこの子たちの元気の良さを、つい昨日、そして今日知ったはずだ。だからおかしいなんて思うわけがない。
じゃあ何がおかしいのかと言うと、ずばり『時間』だ。
この山を越えるためにはそれなりに時間がかかっていたような気がしたんだけど……まあ、大体30分くらいはかかったような……。それが、なんと今日はほんの数分で着いてしまったのだ。もちろん、あの化け物との戦闘を抜いて、だ。
いや、昨日は昨日だし、やっぱりあたしの時間の感覚がおかしいのかもしれない。うむぅ……今日起きたのもみんなよりもずっと後だったし……あれ? あたしの頭、ピンチ? もともとピンチだからそれ以上はないか。
「はぁ、いまこの場であたしを嘲笑ってくれる人がいないなんて……」
「「「あはははははは!!」」」
「笑いの合唱が始まったよぉ……」
こんな元気な子たちに囲まれてると、なんだかあたしの存在がかすれてくるなぁ……。日のあるうちに月は昇らないのだ。あたしはどっちだろ?
ていうか、そんなことどうでもいいや。
それよりも今はエルミニのところへ行こう。
あたしは子どもたちと一緒にボロ家の中に入った。鍵なんてものはないので「おっじゃましまーす!」という掛け声とともに中に入った。
相変わらずの穴だらけの家に日の光が射していた。空気中に舞った埃が光を反射してキラキラと輝いている。床の木は朽ち、ギシギシと不快で不安になる音を発していた。いつ床が抜けてもおかしくない。
埃だらけの部屋は、古書室のように息苦しく感じた。これは埃のせいだけではないだろう。キノコの胞子も飛び交っているのだ。風が吹いていないのでこの空間に蟠って動こうとしなかった。エルミニには悪いが、こんなところに長く居たくない。すぐに帰って紅茶を飲みた……
「あ、ティーセットがある」
……さて、事案発生です。
飲みますか? 飲みませんか?
でもここはやっぱり我慢しかないか……早くエルミニに会って話したいことがあるのに……。あ、エルミニに会ってティータイムを……。
でも――
「………………ん?」
エルミニはいなかった。
「あ、あれ!? ぼさりんが倒れてる!?」
少女の声――確かこの声はピポルだったかな? あの耳に細いピアスの……あぁ、なんだかどうでもいいや。紅茶飲みたい。
「大丈夫? ぼさりー……」「ぼ、ぼさりんの霊圧が下がっていく……」「「「な、なんだってーーっ!?」
「いや、その茶番はいいよ」
子どもたちは「やったー! 起きた!」と喜んでいた。ま、この子たちの笑顔が見られただけでも良しとしよう。うん。かわいいよ、この子たち。
さて、現状はそう言ったところだ。つまりはエルミニがいなくてあたしの紅茶がぁぁぁぁ!! というわけなのだが、しかし居る場所の予想がないわけではない。朝ニボシがいなかったから、きっとエルミニはニボシとあそこに行っているのだろう。予想が当たったなら、これからすることは下山だ。
――いこーる――
「めんどくさぁぁあぁああぁいいぃ!」
「ぼさりんがまた倒れたっ!?」
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嘆いても仕方なかったので、さっさと下山した。ちなみにテーセットにはカビが生えていてとても使えるものではなかった。やっぱり王城で用意してもらうしかないのか。その場合、あの王様にへりくだらないといけない。あんな奴に頭を下げろというのか!? お前らは鬼か!?
いえ、鬼でも何でもないですね。ただのあたしの妄想です。
とか何とか。
頭の中でバカなこといっぱい考えていると、あっという間に目的地に着いた。
うろ覚えだったが、よくこれたなぁ、と自画自賛したい気分だったが、濃霧のため、足元への注意が先だった。露草はとても滑りやすいし、服が空気中の水分を吸って少し重い。疲れた体では足元もおぼつかない。あたしがそんな状態だというのに、子どもたちは元気なもので、この空気を楽しんでいるようだった。
子どもたちは今はゴーレムの状態なので、水には弱いと思ったのだがそうでもないらしい。むしろ元気いっぱい。元気百パーセント。今なら忍者学校だって入れそう。それ勇気100パーセント……。
そしてあたしたちよりさらに後方で、歌音が息を潜めて周囲に睨みを効かせていた。歌音はもう忍者ではなくて獣である。獣666……は違うか。黙示録だよ、それ。
歌音がいるから化け物の心配はいらないだろう。いや、ゴーレムのおかげであの化け物は今のところ一度も現れていない。だから、やっぱり歌音は不審者でしかなかった。いつ襲われるかという恐怖……わくわくするね!
もちろん、こんなわくわく感を堪能したくなかった。変態って大変。大変態はもっと大変。
いや、それはいいんだ。
いや、変態はブタ箱に入るべきだとは思うけど。
あたしは正面を見た。濃霧であまり見えないが、確かにそこは昨日来たところに間違いなかった。
「……湖」
ニボシとエルミニはきっとここにいる。
視界は悪いけれど、辺りを見渡してみた。右を見て、左を見て……さてどこにいるのだろうか、と足を前へはこ――――
――ボシャン
落ちた。
冷たっ。
「あqwせdrftgyふじこlp (ごぼごぼ)」
「「「ぼさりんが沈んでくっ!?」」」
子どもたちの声も聞こえなくなっていき、意識が暗転した。
そして学習した。
あたしって泳げないんだなぁ……。
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「むにゃむにゃ……紅茶どのも悪よのぅ……っは!」
起きました。
あれ? 今なんて言ったあたし?
ま、いいや。さて恒例(?)の現状確認。
「あ、ミーちゃん起きましたか?」
「えと……おはよう。何してるの?」
「膝枕」
あー、納得。
確かにこの柔らかな心地よい感触は太ももだ……。
「……もう少し、このままでもいい?」
エルミニは頷いてくれた。ああ、女神よ!
変なことになったが、とにかくエルミニに出会うことには成功したらしい。髪が濡れているので、エルミニには悪いが、もう少しこのままでいたい。そしてエルミニの香りを……(はぁはぁ)。
あたしたちがいるのは木陰だった。エルミニは足を延ばして座って、視線を前へ向けている。エルミニの隣には歌音が腹を見せて「撫でて撫でて! 撫でてください! 撫でてくださいお願いします!!」と必死にアピールしていた。犬か!? それを軽く無視し続けるエルミニもエルミニだが。
エルミニの視線の先――そこには子どもたちとニボシの姿があった。ニボシが子どもと遊んでいるのはなんだかほのぼのとしてくる。
相変わらずの濃霧で、ぎりぎり見える範囲にいるようだった。それはニボシがいつでもエルミニを守れるということの証明だろう。エルミニの一番近くには歌音(犬)がいるから多分大丈夫だけど。
それにしても……。
「……」
アスタはどこに行ったのだろう。
あたしはてっきり路地裏に行っていると思ったが、アスタはあそこにいなかった。歌音ほど気配を隠せるとは思えないので、いたらすぐにでもばれそうだったけれど……。いや、あいつの場合、空間でも捻じ曲げてそう。そうなったら歌音以上、人間を越えてるね☆
あり得そうでとても怖かった。
子どもたちははしゃいでいる。その中にいるのはニボシだけで、アスタはいない。
何だろう、この気持ち……寂しい? いや、違う……
「イライラする」
「え……?」
エルミニが驚愕の事実! と言わんばかりに目を開いて顔をのぞきこんだ。い、いや、エルミニのことじゃないからね? むしろこの太ももの感触はとっても気持ちいい。それはもう眠ってしまいそうなほどに。あたしはついに毒されたようだ。
弁解を、と口を開こうとしたが、エルミニは聞いていなかったことにしてすっと前を向いた。弁解させてよぉ……。人の話を聞く、これ大事。
変態病。
あたしはそれにかかったのかもなぁ、とか思ってエルミニの顔……その向こうの空へと視線を上げた。と言ってもこの濃霧で何も見えないのだが。
なんとかエルミニの顔が認識できる、そのくらいの濃霧だった。
そっと、エルミニの口が開いたのが見えた。
「ミーちゃん、あの子たちのこと……どこまで知っていますか?」
エルミニの表情が少しだけ憂いていた。
あたしは子どものたちの事情を知っている。あたしが他人に彼ら彼女らのことを話すとしたら、エルミニと同じ表情をしただろう。子どもたちのことを話すのは、この国ではどうも憚られるように感じた。
エルミニは優しい。だから子どもたちのことをしっかりと思っている。
あたしも、エルミニみたいに子どもたちのことを思ってやれるのかなぁ……。
「――子どもたちが路地裏のゴミ山で暮らして、親が超嫌な奴だった……そのくらいかな?」
「そう、ですか」
「そうですよ」
あたしはエルミニの顔を見上げたまま言った。エルミニもこちらを見下ろして、見つめあう形になる。
「わたくしは、あの子たちのことなんて全く分からないのですよ。こんな足だから、誰かから間接的に聞くことしかできない……でも、その苦しみだけは分かってやりたいのです」
「そんなの嫌だよ。エルミニまで苦しむなんて……それに、彼らは『かわいそう』じゃないんだってさ」
「どうして?」
「あの子たちのボスが言ったのよ」
あたしはあの生意気なガキを思い出しながら言った。
「妹がいて、面倒見が良くて、自分たちのことをちゃんと弁えてる……この国であった人の中で一番大人だったかな?」
ま、シスコンだったけど。
「子どもなのに大人、ね……皮肉が聞いていいですわ」
「事実よ。みんな何かと争って……特に男なんて馬鹿ばっか。何であんなに怪我したがるのかな?」
あたしは先日のアスタとニボシの喧嘩(にしては鬼気迫るものがあったが)を思い出していた。あの日、あたしはアスタが怪我をすること……喧嘩を禁止した。ま、あの変人がどこまで言うことを聞くかななんて分かんないけど。飼い犬の手綱も取れないなんて……ホント無力だなぁ。
「ふふっ、男なんてそういう生き物ですよ」
膨れっ面のあたしを宥めるように続ける。
「大切なもののためには自分の怪我なんてどうでもよくなるものですよ。そうじゃなくても、きっと何かのために喧嘩をするのです」
「大切なもの、ねぇ……」
はたして、アスタにそんなものがあるのだろうか。
んん~……見当つかない!
「誰かを助けたり、守ったりする……そうすることで自分の背中の大きさを強調したいだけなんですよ」
「バカね」
「ええ、バカです」
ふふっ、とあたしとエルミニは笑った。
そしてエルミニは正面を向いた。その先にはニボシと子どもたちがいるはずだ。今は見えないけれど、たぶんニボシの目ではこちらが見えていることだろう。
「……で、そんな子どもたち、みんな子どもだけどこれはそこにいる子どもたちね、がどうかしたの?」
「いえ……あの子たちのことを聞いてミーちゃんはどうするのかな、と思ったりしただけです」
ちょっとした好奇心です、とエルミニは照れながら言った。
あたしは、今朝の会話を思い出して、エルミニに言うべきかを迷った。
あの路地裏に、あたしはある魔法をかけた。
そうすることで彼ら彼女らが救われると思ったから。
あの子たちを救うって決めたから。
エルミニにそのことを言うのは余計だろうか。でも、エルミニになら――。
「……あたしはあの子たちを救うよ」
ド直球で投げた台詞。エルミニにはどう響いただろうか。
「そうですか」
「そうですかって……なんか調子狂う返事ね。ま、いいけど」
エルミニはあたしを見つめてにっと笑った。
「して、ミーちゃんはどうやって子どもたちを救うのです? やっぱり魔法ですか?」
「うーん……そうね。でもどうやって救うかなんて見当つかないや。でも、一つだけ確信してることはあるよ」
一つだけ。
一つだけ、子どもたちを救うかもしれないことがある。
「―――【世界樹】を倒す」
あたしの最大の目的であり、最終の目標……【世界樹】を倒してしまえば、貧困で苦しむ子どもも動物も救えると思ったからだ。【世界樹】の周囲では草木はならない……だから農耕もできないし、水も作られないから暮らすこともできない。
この国に来て最初に見た【世界樹】。あれが本物なら、あの周囲は赤い焦土だったはずだ。あれでは人間も動物も生きていけない。しかもそれが現在進行形で成長中だ。このまま世界が呑みこまれてしまうかもしれない。そうなる前に【世界樹】を倒さないといけない。
そして、その場所はこの国の王が知っている。
イコール、この国に加担してしまうことになるから、あたしはその決断が出来ないのだけれど。いつかはあれを倒す日が来る。今はそれの準備中と言ったところだろうか。そんなこと言ってべ、別にサボってなんかいないんだからねっ!! なんだこのツンデレ。デレてないよ…。
あたしがそんな決断をしたことに、エルミニは無謀だと笑うだろうか。そう思ってエルミニを見ると、なぜか目を輝かせていた。
「すごいです……すごいですよ、それ! あの『悪魔の木』を倒せたら、ミーちゃんは英雄ですよ!」
『悪魔の木』は【世界樹】の別称で蔑称だ。
「わたくしも……出来れば手伝いたいものです。世界を救うための希望の光が、いまここで膝枕していると思うと、とても光栄です」
「大げさだよ。それに、まだ倒してない」
そしてその決断もまだ、だ。
エルミニはそんなこと関係ない、と言わんばかりに瞳を輝かせていた。やっぱりエルミニは誰よりも優しい。この瞳に影を落としてはならない、あたしは直感でそう思う。こんな綺麗な瞳がいつまでも輝いていればいいのに……。
あたしが希望の光なら、エルミニは太陽の光だ。
その瞳は、身体が妬けそうなほどに温かい。だから彼女を救わなければならないと思う。
「大丈夫。ミーちゃんになら出来ますよ」
「その台詞って、大概適当よね」
「いえ、これは本心です。ミーちゃんに希望を託しました。これであなたは希望の光なんですよ」
「うぇぇ……なんかめんどそう……」
「ふふっ、期待してます」
エルミニの笑顔が眩しい。目がぁ……目がぁぁぁぁああっ!! って、あれは木屑が目に入ったからだっけか?
「……ま、めんどいけど、やれるだけやってみるよ」
「はい。きっと」
エルミニが小指を出してきた。何をするかは分かる。だからあたしも小指を絡ませた。寝ているのでとてもやり辛い。
なんとか体勢を整えながら、あたしはエルミニの細い指に絡ませた。
「――わたくしはみーちゃんの健闘を祈ります」
「――あたしは【世界樹】を絶対に倒すよ。だから……」
「「指きった」」
友情の証のようにそれは行われて、お互いに笑顔になった。笑いあえることって素晴らしい。
そして、その数秒後に霧が晴れた。強い風が吹いたのだ。
あたしは乱れた髪を押さえて身を起こした。湖のほうを見ると、子どもたちがニボシに遊んでもらっていた。とってもほほえましい光景❤
濃霧が晴れたことで、昨日は見えなかった湖の全容が見て取れた。
広さはかなりあって端まで見えない。太陽の光に輝いて反射し、魚のうろこがきらきらと光っていた。水は透明で、底まで見える。その湖の周囲には木が生い茂り、まるで湖を守っているかのようだった。
自然豊かなこの森で、こんな綺麗なものが見れたのはとても幸せなことだ。それをエルミニと一緒に見れたことはとてもいい。ちなみに歌音はいまだに撫でられ待ち。焦らしてるな、エルミニ……。
しかし、そんな湖なのだが、一点だけ気になるものがあった。
それは湖の中央。そこに島のようなものがあった。けれどそれが島ではないことは明らかだった。
そう。
あれはまるで……。
「……根っこ?」
巨大な木の根っこがそこにあった。
この近くに、そんな大きな木は見当たらない。けれど、あれは根っこなのだと思う。
すると、エルミニもそれに気付いたのか、ああ、と呟いた。
「あれは【世界樹】ですね」
「【世界樹】っ!?」
【世界樹】って根っこだったのか!? ってそんなわけないでしょ!!
「……あれが、【世界樹】の根っこだって言うの?」
「はい、おそらく」
この国から【世界樹】の様子は見れなかった。つまり、視界の範疇に【世界樹】はないということなのだが、根っこはある。
その大きさは如何ほどなものか。
それを想像して、あたしは唾を飲み込んだ。
(あはは……いきなり心配になってきたぞぉ……)
その大きさは分からないが、それでもかなり巨大なことは分かる。そんなものに手を出そうとしたのか、あたしは。なんて恐れ知らずなのだろうか。
こうなっては笑うしかない。多分無理だ、と。
「――大丈夫ですよ」
しかし諦めることを許してくれない存在が隣にいた。
「ミーちゃんになら、出来る」
「エルミニ……」
エルミニがあたしの手を握った。
彼女の気持ちが痛いほどに伝わってきて、胸が苦しくなる。
エルミニは信じてくれているのだ。
あたしは希望を託されたんだ。
だから、この苦しみを解放しよう。
「あたし……」
どうせあたしにしかできないことなんだ。
だから。
「――【世界樹】を倒す」
決意、した。
その瞬間。
ボシャン
と、ニボシが湖に滑り落ちた。
あたしとエルミニは顔を見合わせて笑った。
ニボシは悠然と湖から出てきた。無事だったようだ。いやぁ、それにしても照れたニボシもなかなか見えるもんじゃないなぁ。
ニボシは子どもたちにからかわれてますます顔を赤くして。。。それをあたしとエルミニは笑った。
濃霧の晴れた綺麗な湖で。
みんなで笑ったこの日を。
あたしは一生大事にしようって――決めた。




