第二章:9 『変態性理論と仲の悪い二人』
朝食は昨日よりも殺伐としていた。
昨日と同じ食卓にはさまざまな種類のパンが並んでいるが、別にそのパン争いが起きているわけではない。もちろん、パン食い競争をしているわけでもない。
それは、トラのようにあたしを狙う少女が、今後ろに立っているからだ。
あたしの正面にはアスタが座り、相変わらずにやにやと笑っている。しかしアスタの後ろにもニボシがいたので、そう目立つことはできない。
あたしは細い息をつきつつ、寝起きに起きたことを思い出す。
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「……歌音……」
猫耳の少女はあたしの上からどかずに自己紹介をした。そしてまたあたしの顔を舐め始める。そして胸を触られる。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!! そ、そこだけはだめぇ……」
しかし、その叫びも虚しく空回りした。
どうやらアスタはいないらしく、この状況を見られていないことだけが幸いだった。いや、なにも幸せじゃないけどね。これが幸せならこの少女――歌音と同じじゃん。
歌音は猫人族だ。
絶滅寸前の戦闘種族だと聞いたことがあるが、その一人が今、猫の如くあたしの顔を舐めまわしていた。いや、どちらかというと犬なのだけれど……って、そんなことどうでもいいよ!
「うぅ、重いし、顔かぴかぴだし、胸は触られるしぃ……」
テンションはダダ下がりだった。
どうせなら目覚めないほうがよかった……ってそれじゃあ永眠じゃん! 永眠したいわけじゃないから、起きてよかったけれど、まさか寝起きに悪夢が見られるとは思わなかった。あたし、起きたんだよ?
とにかく、今すぐにでも顔を洗いたい気分だった。このまま人前に出ると、あたしが涎垂らしてたみたいだしね。寝ている間にこれだけ涎垂らして、こいつの唾液はどうなっているんだ……とか思われたくないし。何より汚いし。
なんだか、そう考えると腹が立つような……だって、無償であたしの顔が汚されているのだから。
歌音は退く気配がないので、ここはビシッとはっきりと言わないと、これが癖になったら困るしね。うん。
あたしはそう決心して口を開く。
「歌音……あたし、こういうの嫌だから退いて」
「……そのうち……慣れる……」
「そんな慣れ嫌だ!?」
そう叫ぶも、歌音は「大丈夫」と平坦で無情な声で言ってなめ続けた。なんだか変な気分になるけれど……べ、別に好きだから舐められてるわけじゃないんだからねっ! って何だこれ。
歌音の声には覇気がなく、どこか感情が抜け落ちているかのようにも思えた。
だから恥もないのか……って、そんなわけもないよね。それで認めちゃったらただの変態という生物になっちゃうよ。
多分、これが歌音の本性で性格だ。
この変態性を認めるには、少々時間がかかることだろう。
「って、歌音、何であたしをなめ続けてるの?」
すると、やはり感情の抜けたような平坦な声で言う。
「……可愛い子……可愛い、から……」
可愛い子……というのはあたしのことか? いや、別にそう呼ばれるのは嫌じゃないけれど、なんていうかこう……ちょ、ちょっとだけ恥ずかしいかな。
って、いやいやそんな感傷に浸っている場合じゃないよ! 今現在進行形であたしの貞操がピンチなんだよ!実際に犯されかけてるんだよ!?
悠長にしていられない――そう思って、あたしは無理やり起き上がろうとした。
「……ダメ……」
「あぅ……」
さすがは戦闘種族。ものすごい力で押し返された。
その後、あたしは歌音の気の済むまでなめられ、触られ続けた。
時間にして約一時間。長いよ……。
その間、ずっと歌音の裸体に触れ続けないといけず、舐められるのと、触られるのと、緊張で、あたしの精神力がかなり削られてしまっていた。
「ぐぅ……」
「……明日も……しよ……?」
「嫌だよッ!」
強く拒絶したけど、きっと明日も歌音に押し倒されるんだろうなぁ。この子、めっちゃ力強いし。
【鳥籠】であまり動かなかった身体だから、あまり筋力はない。もちろん、体力にも自信はない。だから、明日も来られたら、あたしは歌音の気の済むまでおもちゃにされるだろう。そのことは容易に想像できる。
あたしは肌蹴た服を正して、歌音を眺めた。
白くて健康的な肌。それを包み込むように長い真っ白な髪。
そして、巨乳とまでは言わないまでも、ずっしりとある胸。あたしの貧相な胸とは大違いだが、歌音的にはどうやらストライクゾーンらしい……。
これ、あれだな……ロリコン確定! ……って、それじゃあ自分をロリータ認定しちゃっているけれど……まぁいいや。
歌音はとんでもないほどの美少女だ。
その少女が、こんな変態だなんて……あたし的にはがっかりだよ。
しかし、問題はなぜこんなところに裸体でいるか。その上、あたしをなめ続けていたか、触り続けていたのか、ということになるわけなのだが。
まだ裸のまま、あたしをボーっと眺めている歌音に、あたしは尋ねる。
「……何で、あたしの上にいたの? 何か用事があったから、この部屋に来たんじゃないの?」
「……用事……用事……?」
歌音は考えるように首を傾げる。そのちょっとした仕草も可愛らしく、つい見とれてしまった。本当に可愛いのに、性格だけは残念すぎて悲しい気分になってしまった。
歌音はしばらく考えると、何か思い出したように手を打ってこちらを見つめた。
「……朝食……」
「それ、早く言ってくれませんかね……」
というか、一時間前にそれ言ったほうがよかったんじゃないの? アスタが今いないことを視野に入れると、きっともう朝食を食べに行ったに違いない。くっ、薄情者め! まぁ、知ってたけど!
アスタのニヤニヤ顔を思い浮かべ、あぁ、殴りてぇ……と拳を握ってみるが、どうせアスタにさえも力では及ばないので止めておく。でも、叶うならば一度冥界へ行ってはくれないだろうか。閻魔大王さまに舌を抜かれないだろうか。
アスタのことは頼みましたよ、閻魔さま。
「……可愛い、子……」
「ん?」
歌音が怪訝そうにこちらを見ていることに気がついた。
「……早、く……しないと……ご飯……冷め、ちゃう……」
「時間を無駄にしたのは歌音だけどね」
素っ気なく返事すると、歌音はまた、構ってー、と言わんばかりに飛びかかってきた。
もう諦めるしかないのか……?
その後、三十分ほど歌音のおもちゃにされたのち、今に至るわけである。
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「はぁ……」
「あはは、お疲れだねぇ……ん?ナルちゃん、ちょっと顔汚くない?」
「……ちょっと、ね」
もうアスタにまともな返事をする気力もない。
だから自然と素っ気なくなってしまうのは仕方ないよね。うん。
「……ところで、この城の家主は?」
家主、というより王様である。あの尊敬するに値しない王である。
絶対に『様』なんて付けてたまるか、とちょっとした決意をしつつ、ニボシを見た。歌音にまともな返事ができるとは思えないので、頼りはニボシだけである。
真後ろにいる歌音は、表情こそ変えないが、きっと内心ではショックに違いないだろう。ざまぁ見ろ。今朝あたしをこんな顔にしたから悪いんだ。だからあたしは悪くない。
ニボシはこちらを見つめると、腕を組みながら言った。
「ガスタウィル様は、ほかの用事で王室におられます。おそらく、今日一日中は王室から出られませんね。あの調子じゃあ……」
ニボシが残念そうに小さく息を吐いた。
「……出来れば私もそちらに加勢したいのですが、ガスタウィル様にあなた方の世話をするように頼まれましたので、私はそれを全力でこなしたいと思います」
そう言って拳を握るニボシの目は、太陽よろしく輝いていた。
それほどまでに、ニボシはガスタウィルに見惚れ、忠誠を誓っているのだろう。だからニボシの前ではあまりガスタウィルをいじることはできないなぁ。ちょっと残念。
「あーあ、いじめて泣かしたかったのに」
「ナルちゃん、声出てるよ?」
おっといけない、いけない。これじゃあ、あたしのイメージがガタ落ちではないか! おほほ。別に構わなくてよ? そんな好かれたいなら歌音に抱きついてるわ。
後ろでは歌音が首を傾げ、正面ではニボシの眼光があたしを射抜いていた。こわいこわーい。
失言をリセットするように、んんっと咳払いをすると、再びニボシに向かって言った。
「……で、ガスタウィルはいないとして。あなたたちは具体的に、何をしてくれるわけ?」
曲芸でもしてくれるなら、是非マジックが見てみたい。けれど、どうやら違うようだ。
「この城内を案内いたします」
「えー、つまんなーい」
正直な感想を述べると、ニボシが困った顔になった。いいぞ。悩め若僧、大志を抱け。BYフラーク。多分違うけれど。
「っと、言ってもですねえ……ガスタウィル様にはそう仰せつかっているので」
「つまり、自分では決められない、と。あはは。まるで操り人形だぁ」
アスタが笑うと、ニボシの眼光がさらに鋭くなった。あー、怖い怖い……。
めっちゃ睨まれてるアスタはそれを気にしないかのように笑い続けていた。その笑顔がどこまで本気なのか、それともぺテンなのか……本当にアスタの感情が読み辛くて困る。
と、突然肩をたたかれ、あたしは振り向いた。無論、そこには歌音がいる。
歌音はあたしの耳に近付けて、囁いた。というか、歌音いい匂いしすぎ。
「……あの、変な……人?……」
「一応、人ね」
補足すると、歌音は一つ頷いて続けた。
「……ニボシ……怒らせて、る……?」
それに、あたしは首を振った。そう。別にアスタはニボシを怒らせているわけではないのだ。それはあたしが長年付き合っていたからこそ分かるのだろう。
「いや、ただ楽しんでるだけだよ。……あいつ、かなり悪趣味だから」
主に、自分よりも立場が上の人間をからかって遊ぶことが趣味。一応、あたしのほうが立場的には上なのに、あたしは遊ばれていた。
「ただ単に、アスタは自分が見下されるのが嫌いなだけなのかもしれないけどね。あの集落のこともあるし……」
「……集落……?」
「いや、何でもないよ」
あたしは笑顔で取り繕う。
この情報にはムラがあるようだ。
ガスタウィルは知っていて、多分ニボシも知っているが、歌音は知らない。
ここまで歌音は自分の立場を明かしていないが、おそらく、あまり高い位置にはいないのだろう。
この情報は、今の歌音に知られないほうがいいか、とあたしは決断する。
アスタを見ると、笑いながらもあたしに視線を投げかけてきていることが窺えた。
あたしは小さく頷くと、ニボシに向かって言った。
「ま、何であれ……城内の案内、よろしくね」
「はい」
ニボシは素っ気ないとも受け取れる平坦な声で頷くと、歌音を見た。
「ええと……彼女の紹介がまだでしたね。彼女は歌音」
「そこまでは知ってるよ」
ついでに変態だということも知ってるよ。
「そうですか。彼女はガスタウィル様唯一の近衛です」
「ッ!……へぇ」
驚きを隠すように、机に置かれたお茶を一啜りする。
歌音が近衛なら、それなりに地位は高いのではないか? それに、唯一の、とニボシは言った。こんなところにいてもいいものなのか? それとも、王室はそれほどに安心できる場所なのか……。
いくつかの疑問が出てくるが、今聞いても仕方ないと判断し、首を振った。
歌音は一つお辞儀をすると、あたしの肩に手を置いて、頬ずりをしてきた。
「むぎゅぅ……後にしてぇ……」
「……可愛い子……パワー……充電……」
それが原動力で動いているのだとしたら、とんでもなく燃費が悪いなぁ。全然エコじゃないぞ。
とか、そんな軽口はどうでもいいので、あたしは食事を再開した。
――しばらくして。
「……ええと、次が剣闘場ですね」
ニボシの先導の下、あたしたちは城内を歩き回っていた。といっても、案内されたのは廊下と部屋ぐらいなもので、とてもどうでもよかったです。まるで社会科見学のように、本当にどうでもいい。
あたしはあくびをかみ殺して、ただひたすらニボシの後を追った。
ニボシ、アスタ、あたし、そしてその背中に歌音、という順番でRPGの如く、並んで歩いていく。途中、何人かメイドとすれ違い、そのたびに『ごくろうさま』『大変ねぇ』といった憐れみの目を向けられた。そう思うなら、背中のこれをどうにかしてほしい。マジで。
そろそろ疲れて息が上がりかけたころ。
「ここです」
と、ニボシが立ち止まった。
その先に天井はなく、外に続いているようだった。
足場は赤のカーペットが途切れ、白いレンガが視界の限り続いていた。その中央はクレーターのように窪み、辺りは花が咲き誇っていた。色とりどりの花々はどれも美しく、見とれてしまいそうになる。しかし、視線を上に向ければ、そこには仰々しい石像が建っていた。その数は6つ。上から見れば六芒星になるように、それらが並んでいた。
「うはぁ……」
感激の吐息を漏らすと、ニボシが苦笑する。
「実はここで、我が軍、『バリスタ兵軍』が日々鍛錬しているのですよ」
あたしはしばし記憶をめぐらし、その『バリスタ兵軍』が、ニボシの所属している軍隊だということを思い出した。たしか、ニボシはその軍隊長だったか。
すごいなぁ……って、そんなすごい奴にアスタは喧嘩吹っ掛けていたのか!?
「あはは、すごい広いなぁ」
「それはそうですよ。なんたって、20万以上の兵士がここで剣を振るうのですから」
それは本当なのだろう。
遠くで剣のぶつかりあう音が聞こえてきた。
というか、早くここから立ち去りたい。こんなとこにいたって、争いの醜さが表れるだけなのだ。だから早急に立ち退き――
「いいね。剣の手合わせをしてみたくなるよ」
このバカぁぁぁぁ!! と叫ぼうと思ったが、
「いいですよ? ……吠え面かかせてやりますよ」
この男もやる気だった。というか殺気立った。
っていうか、ニボシの目的ってただ吠え面かかせてやりたいだけなんじゃないかな……?
かくいうアスタも万円の笑顔! もうどうだっていいよ……。
二人の仲の悪い喧嘩は、こうして実現することになり、あたしはただただ重いため息を吐くしかなかった。
「ほんと……男ってバカ……」




