第44話 月下の遭遇、白狼族の姉妹と夜のキャンプ
幻想的な森『深緑の幻影の森』を覆っていた夕闇が、ゆっくりと深い藍色へと変わっていく。
ゲーム内時間の夜。
空には人工の星々が瞬き、俺たちが設営したキャンプサイトの中心では、魔導コンロの青白い炎が静かに揺らめいていた。
「……ふぅ、今日も濃い一日だったな」
俺は丸太で作られた簡易ベンチに腰掛け、両手を軽く組んで息をついた。
昼間に起きた激しい戦闘の余韻、そして何より、あの痛々しい傷を負っていたカーバンクルの『ルビー』を正式に仲間として迎えたこと。 様々な出来事が走馬灯のように頭を巡る。
足元では、そのルビーがふかふかの草の上で丸くなり、スヤスヤと心地よさそうに寝息を立てていた。ときどきぴくぴくとおおきな耳を動かすその姿は、見ているだけで心の底から癒やされる。
「ルビー、あったかいか?」
そっと頭を撫でてやると、ルビーは「くぅ……」と愛らしい寝言のような声を漏らし、俺の靴の上に小さな鼻先をすりっと押し付けてきた。その無防備な可愛さに、思わず口元が緩んでしまう。
今日は俺が夜番の担当だった。
シオンやティアナ、そしてライムの三人は、明日の長丁場な探索に備えてテントの中ですでに深い眠りについている。静まり返った夜の森には、時折遠くで響く夜行性魔獣の鳴き声と、薪がパチパチと爆ぜる音だけが響いていた。
……よし、夜食でも作るか。
昼間に手に入れた上質な魔獣のロース肉を、錬金術のコンロで丁寧に焼き上げる。ジューシーな肉汁が鉄板の上で弾け、香ばしいスパイスの香りが周囲の夜気にふわりと広がっていく。絶妙な焼き加減に仕上げた肉をナイフで一口大に切り分け、皿に盛り付けた。
ふと、その美味しそうな匂いに釣られたのか、ルビーがパチリと目を開け、鼻をヒクヒクと動かして起き上がってきた。
「お、起きたか。お前も食べるか?」
「きゅいっ!」
ルビーが嬉しそうに尻尾をピンと立てて小さく跳ねる。
その愛らしい反応に笑いながら、俺は一口サイズに切った肉を専用の小皿に取り分けてやった。
ルビーが夢中でそれを頬張るのを眺めながら、自分も串に刺した肉を一口かじりつく。
美味い。
肉汁の旨味が口いっぱいに広がり、夜の冷えた空気に火照った身体に染み渡るようだ。
【うわああああ、夜中にその飯テロ映像はずるい!!】
【ルビーちゃんが美味しそうに肉食べてるのガチで天使すぎんだろ】
【ユウくんの深夜の男飯スキル高すぎて毎度お腹が鳴るわ】
【シグレ:わーっ! お肉美味しそう……! 私もそのキャンプに混ぜてーーっ!!】
【灰かぶりうさぎ:夜更かしして大正解でした。満天の星空の下、ルビーちゃんとまったり夜食を食べるユウパパ(※主夫)の図、尊すぎて全私が泣いた】
一緒に起きている物好きな視聴者たちの賑やかなコメントが視界の端を流れていくのを横目に、俺は静かな夜のひとときを楽しんでいた。
その時だった。
ザッ……、と。
静寂の森の奥から、乾いた草を踏みしめる微かな足音が聞こえた。
「……っ?」
俺は瞬時に身体をこわばらせ、手に持っていたフォークを置いて立ち上がった。
ルビーも危険を察知したのか、「きゅっ……!」と俺の足元に素早く身を隠し、警戒するように耳をピンと立てた。
キャンプサイトを囲む木々の影から、ゆっくりとその姿が現れる。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
そこに立っていたのは、驚くほど小柄で華奢な少女だった。
頭の上には、ピンと立った真っ白な獣耳。背中には、同じくふさふさとした純白の尻尾が揺れている。そして、夜闇の中でひときわ異彩を放つ、燃えるような紅い瞳。
見事なまでの真っ白な毛並みを持つ、亜人種の少女だった。
まさか、このプレイヤーの少ない孤島のような未開のエリアに、野生の獣人がいるとは。
想定外の遭遇に、俺の思考がほんの一瞬だけフリーズする。
少女はボロボロの旅装束を身にまとい、あちこちに擦り傷を負っていた。
そして、目の前にある焼き肉の香ばしい匂いと、俺の姿を交互に見つめながら、おずおずと口を開いた。
「……お……お兄ちゃん、なにしてるの……?」
その声はどこか怯えているけれど、底知れない空腹感を隠しきれていない様子だった。
警戒しているはずなのに、彼女の視線は完全に俺の手元にある焼きたての肉に釘付けになっている。
俺は驚きを何とか鎮め、できるだけ穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「あぁ……夜食に肉を焼いてるんだよ。……君、こんな夜中に一人でこんなところでどうしたんだ? 危なくないか?」
「お肉……お肉、焼いてるの……?」
少女の紅い瞳が、期待に潤んだようにキラリと光った。
警戒心よりも食欲が勝ったのか、彼女は一歩、また一歩とキャンプの明かりの中へと足を踏み入れてくる。
「うん、そうだよ。良かったら、君も食べるか? 焼きたてで美味いぞ」
「ほんと……? 食べていいの……?」
「ああ、遠慮するな。ほら」
俺はお皿に盛った肉の串を一本取り分け、彼女の方へと差し出した。
少女は恐る恐るそれを両手で受け取ると、我慢できないといった様子で小さくかぶりついた。
「っ……! ……おいし……、とろける……っ!」
彼女の表情がぱっと明るくなり、幸せそうに頬を緩ませる。
その無邪気なしぐさに、俺は思わず笑みをこぼした。
と──。
「シュテル、だめでしょ、お姉ちゃんの傍を離れちゃ──っ! 貴様、シュテルから離れろ!」
凍てつくような殺気と、切迫した少女の怒声が夜の森を切り裂いた。
「──お姉ちゃん……っ!」
突如として飛び込んできた影が、肉を食べていた少女を庇うように私の前に立ちはだかった。
それはよく似た、少し年上の白銀の髪を持つ少女だった。
彼女の紅い瞳には激しい怒りと警戒の色が宿り、その手には荒削りだが鋭い短剣がしっかりと握られている。
「シュテルに何をする気だ、人間! 妹に手を出そうものなら、ただじゃ置かないからね!」
「まっ、待てって! 違うんだ、俺はただ──」
「お姉ちゃん、待って!」
俺の弁解を遮るように、シュテルと呼ばれた小女が、慌てた様子で彼女の服の裾をギュッと引っ張った。
「このお兄ちゃん、怪しい人じゃないよ! 美味しいお肉をくれたの! ほら、すごく美味しいんだよ!」
シュテルが必死に首を横に振る。
その横で、お姉ちゃんと呼ばれた少女は、俺と、俺の背後で警戒しているルビー、そして手元に残された肉の皿を交互に見比べた。
数秒間の沈黙がキャンプサイトを支配する。
やがて、お姉ちゃんのピクピクと動いていた獣耳が、すうっと気まずそうに垂れ下がった。
彼女は握り締めていた短剣の力を抜き、ガタガタと震える声で頭を下げた。
「……ご、ごめんなさい……ッ! てっきり、その……シュテルに危害を加えようとしている変質者か悪党かと勘違いして……!」
「いや、いい。落ち着いてくれ、俺は君たちを襲ったりしないからさ」
俺が苦笑いを浮かべながら両手を上げて見せると、彼女はますます気まずそうな顔をして、真っ赤になった耳を隠すように両手で頭を覆った。
【安倍ノ家:白狼族の姉妹の登場か。ゲームのロア的には、亜人集落の生き残りの可能性が高いな。フラグの匂いがプンプンする。実に興味深い】
【シグレ:わぁっ、獣耳の女の子たちだ! しかもお姉ちゃん、めちゃくちゃ美人さん……! ユウくん、ナンパしてる場合じゃないよーーっ!(笑)】
【灰かぶりうさぎ:急に美少女姉妹がキャンプに乱入してきたんだが!? お姉ちゃんの不審者を見るような目からの平身低頭ギャップが可愛すぎる件について】
「……あの、ごめんなさい。私、ニベアって言います。こっちは妹のシュテルです……」
恐縮しきった様子で名前を名乗ったお姉ちゃん──ニベアは、深々と頭を下げた。
その物腰や言葉遣いから、彼女たちがただの野生の獣人ではなく、しっかりとした知性と理性を持った者たちであることがうかがえる。
「俺はユウだ。こっちは……まあ、色々あって一緒に旅をしている仲間たちのテントと、新入りのルビーだよ」
俺がそう紹介すると、ニベアは私の後ろからひょっこりと顔を出したルビーを見て、目を丸くした。
「か、カーバンクル……!? そんな高位の幻獣を連れているなんて……やっぱり、あなた、ただの人間じゃないね……」
「はは、まあ色々あるのさ。それより、ニベアたちも立っていないで座りなよ。夜は冷えるし、肉ならまだたっぷりあるからさ」
俺の言葉に、ニベアは戸惑いながらも、空腹に耐えかねたようにおずおずとベンチの端に腰掛けた。
シュテルはすっかり俺に懐いたのか、隣にちょこんと座り、再び美味しそうに肉を口に運び始めた。
ニベアに温かいスープと焼きたての肉を差し出すと、彼女は最初こそ遠慮していたものの、一口食べた瞬間に目を見張り、夢中で平らげ始めた。
よほど過酷な逃避行を続けていたのだろう。 その姿は、先ほどまでの殺気立った戦士の面影をすっかり消し去っていた。
「ふう……ごちそうさまでした。こんなに美味しいお肉、本当に久しぶりに食べたよ……」
スープを飲み干したニベアが、少し落ち着いた表情で息をつく。
俺は焚き火の光を浴びながら、彼女にそっと問いかけた。
「それで、ニベアたちくらいの白狼族が、どうしてこんな森の奥深くにいるんだ? ここは魔物も多いし、子供だけでいるには危険すぎる場所だろ」
俺の問いに、ニベアの表情が急に曇り、その紅い瞳に切なげな影が落ちた。
シュテルも小さく肩を震わせ、姉の衣の端をぎゅっと握りしめる。
「……私たちはもともと、この島の少し離れた場所にある、小さな白狼族の村で両親と暮らしていたの……」
ニベアは震える声で、悲劇の始まりを語り始めた。
「平和に暮らしていたんだけど、一月ほど前……夜の闇に乗じて、突如として凶悪なオーガの群れが村を襲ってきたの。村の男たちが必死に応戦したけれど、奴らは数も力も圧倒的で……村は一瞬で火の海に包まれてしまった」
「オーガの群れ……」
「ええ。私は何とかシュテルの手を引いて、村の裏手にある森の奥へと逃げ出したの。でも……後ろを振り返ったとき、お父さんとお母さん、そして村の仲間たちが、あの巨体どもに次々と捕らえられていくのが見えた……」
ニベアの拳が、ガタガタと震えながら固く握りしめられていた。
「奴らは生き残った村人たちを拘束して、どこかの拠点へと連れ去っていった。……おそらく、奴らの奴隷として、過酷な労働を強いられているはず……!」
悔し涙が、ニベアの頬を伝ってポロリとこぼれ落ちた。
シュテルも我慢できなくなったのか、「お姉ちゃん……っ」と小さく泣きじゃくりながらニベアの胸に顔をうずめる。
その切なすぎる告白に、キャンプサイトの空気が重く沈んだ。
【これは……完全にメイン級の重いサブクエストの導入だわ……】
【オーガに村を焼かれて両親が奴隷にとか、王道の胸熱展開すぎて応援したくなる】
【ユウさん、絶対ここで「助けに行こうぜ」って言う流れじゃん……! 惚れるわ】
その時、テントのカーテンがさっと開き、ガヤガヤと物音がした。
どうやら、外の話し声や私たちの気配に気づいて、シオン、ティアナ、そしてライムが目を覚まして起きてきたようだ。
「どうしたの、ユウ? 何か話し声が聞こえたけど……ってあら?」
一番に出てきたシオンが、白い耳と尻尾を持つニベアとシュテルを見て、パチパチと目を瞬かせた。
続いて、目をこすりながらライムとティアナも姿を現す。
「うわっ……! 獣人さん……ですか? こんな夜中に、一体……」
ライムが驚きながらも、すぐに怯えているシュテルの姿に気づいて優しく微笑みかけた。
彼女はポケットから小さなキャンディを取り出すと、シュテルに向けてそっと差し出す。
「ほら、これ甘くて美味しいやつだよ。怖がらなくていいからね」
ライムの柔らかな物腰に、シュテルは少しだけ緊張を解き、おそるおそるキャンディを受け取って「……ありがとう……」と小さく呟いた。
その様子を見て、ライムはホッとしたように穏やかな笑みを浮かべる。
「ライム、ありがとね。……で、状況はだいたい掴めたけど、この子たちは一体……?」
ティアナも状況を察したのか、そっと杖を傍らに置き、ニベアたちのそばに歩み寄った。
「お姉様、この子たち……何か大変な事情があったみたいです。あちこちに怪我もしているし……」
ティアナが瞬時に『ヒール』の魔力を込め、ニベアの腕にあった擦り傷に優しく手をかざした。
淡い聖なる光が包み込み、ニベアの傷口がみるみるうちに塞がっていく。
「あ……痛みが消えていく……。あなたたちは……?」
「私はティアナ。こっちはシオンさんとライムちゃん、そしてそっちにいるのが私たちのリーダーのユウさんだよ。安心して、私たちはあなたたちを傷つけたりしないから」
ティアナの穏やかな声色に、ニベアは少しだけ警戒を解き、ホッとしたように息をついた。
シオンは事情を聞き終えると、美しい眉を険しくひそめ、許せないものを見るような目で遠くの闇を睨みつけた。
「一月前にオーガの群れに村を襲われて、両親が奴隷として連れ去られた……ってことね。なんて酷いことを……!」
「……助けたいのは山々なんだろうけどさ」
俺はため息をつきつつ、頭をかいた。
「相手はあのデカいオーガが『二十体以上』もいるんだろ? ニベア一人の力じゃ、到底太刀打ちできないどころか、下手したら全滅しかねない危険な状況だ」
俺の言葉に、ニベアは悔しそうに歯噛みし、俯いた。
「わかってるわ……! そんなこと、頭では分かってる……! でも、両親を見捨てるなんてできない! 私一人でも、何とかしてあいつらのアジトに乗り込んで……!」
「無理よ、そんなの無謀だわ!」
シオンが強い口調でニベアの言葉を遮った。
「二十体以上のオーガの群れなんて、正規の騎士団だって容易には手を出さない大軍勢よ。あなた一人で突っ込んでいったら、ただ犬死にするだけだわ。そんなの、残されたシュテルちゃんが悲しむだけよ!」
「お姉ちゃんの言う通りですよ、ニベアさん」
ライムも真剣な表情で言葉を継ぐ。
「私たちも力になるから、一人で無理をするのは絶対にやめましょう。ね?」
「でも……! じゃあどうすればいいの……!」
ニベアの声が泣き声混じりに裏返る。
テントの周囲が再び静まり返った。
みんなの視線が、自然と俺のほうへと集まる。
シオンも、ティアナも、ライムも、そしてルビーまでもが、じっと俺の決断を待っている。
俺は立ち上がり、ふうっと小さく息を吐いてから、ニベアのまっすぐな紅い瞳をしっかりと見据えた。
「そういうことなら──」
俺は片側の口元をニヤリと歪め、自信に満ちた笑みを浮かべて言い放った。
「俺たちが協力しよう。 二十体のオーガの群れの討伐だろうと、奴隷の救出だろうと、まとめて全部きれいに請け負ってやるさ」
その言葉を聞いた瞬間、ニベアは驚きで目を丸くし、シュテルはぱっと顔を輝かせた。
シオンたちは「もう、ユウらしいんだから」と呆れたような、しかし頼もしいものを見るような笑みを浮かべる。
【キタキタキタキタ!!! 主人公の圧倒的イケメンムーブきたぁぁぁ!!!】
【オーガ二十体とか余裕のフルボッコ不可避で草】
【安倍ノ家:白狼族解放クエスト、正式に受注完了だな。ユウたちのチート戦力ならオーガの群れごとき一瞬でスクラップだろう】
【シグレ:ユウくんカッコいいーーっ!! オーガ狩り頑張ってーーっ!!】
【灰かぶりうさぎ:もうやだこの主人公イケメンすぎて全私が妊娠した(幻覚)。シオン様とのアイコンタクトも完璧だし、今夜はもう結婚式でよくないですか??? おめでとうございます!!!!!!(大号泣)】
こうして、俺たちは夜のキャンプサイトで新たな仲間たちと出会い、奴隷となった彼女たちの両親らを救出するための新たな戦いへと身を投じることになったのだった。




