第37話 食事のお話し
その日の夕食のメニューはイノシシ肉の地方料理だった。なんでも、ライムが村に出現したイノシシを手にした石で返り討ちにした結果だという。
そう肉を届けに来た村人に聞かされ、グレンは対応に困った。
ライムからはイノシシ討伐に関わったとしか聞いていない。確かに石で攻撃したとは聞いたが、本人の言い方では遠くから投石にて援護したかのようにしか聞こえなかった。
そこまで無茶な事をしていたとは聞いていない。
その場に居合わせた村人はライムの無謀とも言えるような行動を賞賛し、グレンは曖昧に相槌を打った。
なんとか彼を丁寧に追い返すと、ライムには後で詳しく聞いておかねばならないとグレンは思った。弟子の無謀な行動には頭が痛くなってくる。
幸いな事に今回は何の問題も無かったようだが、自分が人ではないと証明しかねない行動を率先して取るとはどういう事かと。
けれど、文句を言う訳にもいかない。ライムが立ちふさがらなかったら、アリティアがイノシシに襲われて居たというのだ。
イノシシというは危険な動物だ。口からつきだした牙でカチ上げられれば重傷を負いかねない。ソレに、イノシシというは鈍重そうな見た目とは裏腹に、とても機敏な獣だ。真っ直ぐにしか進めないと思って寸前で避けるような真似をすれば、瞬時に進路を変更して突っ込んでくる。
そんな獣相手にライムが立ちふさがり撃退したからこそ、アリティアは怪我を負うことはならずに済んだという。
――魔法使いの弟子のくせに撃退方法が握った石での殴打とは何事かと。
弟子を非難することもできず、グレンはそんなどうでも良い感想を懐くいた。
ライムに感謝し、賞賛するべきか。それとも無茶な行動を注意し叱責するべきか。それはひとまず棚上げして、グレンは孫と共に料理をすることになったのだ。
ちなみにライムは戦力外として居間の方で自習中だ。
◇ ◇ ◇
気合を入れたアリティア主導のメニューとなった夕食は、美味く作る事のできたラヴァトーヅ風イノシシ肉煮込みを皆で堪能した。
食事中の話題でイノシシの事は出たが、グレンはライムの行動についての言及はしなかった。どうにもライムがアリティアに口止めを頼んだようだと、グレンは察した。
その事にグレンが言及したのは、夕食後、自分の書斎に呼び出した時だった。夕食後にライムを書斎に呼ぶのはいつもの事だ。レポートの添削指導などを行う時はライム一人だけを呼び出す。なので、呼びだされた事自体はアリティアもライムも気にした様子も無かった。
そうして書斎にやって来たライムに、グレンは頭を下げた。
「ライムありがとう。アリティアを守ってくれて」
ライムは恐縮する。
「あ、いや、そんな! 当然の事をしただけですから……!」
「それでも、感謝はせねばならんだろう。
おかげでわしは孫も失わずにすんだ。オオカミに襲われていた所をたすけられた事といい、おぬしには孫を助けてもらってばかりじゃな」
「えっと……。当然の事をしただけですから師匠がそんな頭を下げる事は無いですよ」
照れた様子で、パタパタと手を振るライムに、グレンは一つ安堵の息をもらす。
「そうか、そう言ってくれるとこちらとしてもありがたい。注意の方も言いやすくなるからの」
「え……?」
「何故だか知らんが。ワシはおぬしやアリティア本人からでは無く、イノシシ肉を届けに来てくれた者から、この話を始めて聞いたのだが……。
これはどういう事じゃろうな? 危険な事があったら師匠で有るワシに報告するのが筋であるとワシは思うのじゃが?」
「あ、あの。その、あとで報告しようと思っていて……」
「それでは何故すぐにワシに報告しなかったのだ?」
「それはその……!」
焦って目線をさまよわせる。けれど何を言っても言い訳になるとライムは悟り、素直に頭を下げる。
「すいません……」
そんな弟子を見て、グレンは呆れたように溜息をつく。
「まあよいわい。
聞いた所によると、それ以外に方法が無かったようだしの」
「まあ、とっさの事でしたから。
それより、イノシシというのは村に出てくるものなんですか?」
「ん? まあ、そうだな。たまに出てくる。
獣避けの呪符を使っている者も多いから他の村に比べると獣が出てくる事も少ないと聞くが……。
それ以外にも畑の周りを柵で囲っている所もあるからな。森から獣が出てくる事自体が少ない。
しかしそうじゃな……。ライム、イノシシとはどこで出会ったんじゃ?」
「村の中央からカイロスの木へ向かう道ですね。その途中の畑の辺りです」
「ふむ、あの辺りか。そこならばたまにあるな。あの辺りはあまり獣避けの呪符を使ってはおらんから、イノシシが迷い出る事もあるだろうな」
「ひょっとして……。師匠は誰が呪符を使っているか、全員を把握しているんですか?」
感心した様子のライムに、グレンは苦笑しながら首を振る。
「いやいや。さすがに誰が使っているかまでは分からんよ。
結構な量を卸しているからな。雑貨屋が誰に売ったかなんて把握はしておらん。
ワシが分かるのは『呪符が何処で使われているか』じゃな。
そういう術が陰陽魔法には有る。何処でどのような魔法的な影響が出ているのか、魔法を行使する際には知っておく必要がある。
魔法的効果がある場所で繊細な魔法を使おうとしたら、どのような結果をもたらすかは想像がつかん。
それを防ぐ為にもその場の魔法的な効果を読み取るという魔法が創り出されたのだ。上手く魔法を行使するためには、必要な事だからな
いずれライムにも教えるから楽しみにしておきなさい」
「は、はあ……」
その魔法が使えるようになるまでどれほどの期間が掛かるのだろう。
相当、先の話だとライムは思う。
それは今まで習った魔法のさわりの部分から、容易に想像がついた。
始めに学ぶもっとも易しい魔法系統である四大魔法だけでも、膨大な知識を要求されるのだ。
続いて五行魔法があり、その後に陰陽魔法を学ぶ事になる。陰陽魔法に属する魔法を教わるのは相当先の話であることは明白だ。
遥か先の事よりも、ライムには直近に解決しなければならない問題がある。
「あ、その、師匠に頼みたい事があるんですが……」
「なんだ?」
「森で狩りをする許可をいただきたいんです」
「ふむ。食事は足りていないか?」
「はい……。私の体は今、少しずつですが小さくなっていってます。
体が小さくなってしまうのは不安になってしまってしょうがないんです」
森の中でサバイバルをしていた後遺症だろう。小さな体では生存に不利だという事を痛感している為だ。
ここでいう体の大きさというのは人間の少女へ擬態している姿ではなく、擬態を全て解いたスライムとしての体の大きさだ。
「うむ、そうか……。食事は足らないと言う事だが、ライムは普段に空腹は感じてはおらんのか?」
食事が足らないというのならば、規則正しく食事をしていたとしても、普段から空腹に苛まれるはずだろう。その事を心配してグレンは問いかける。
「空腹は感じています。けれど、少しでも食事をそれば収まりますし。我慢できる程度の強さしかありません。
体がこれ以上小さくなっていけば、いずれこのままの食事量でも十分になるくらいには釣り合うとは思います。
けど、体が小さくなるのは体が削られるみたいで……。不安になるんです……。
だから狩りに行かせて欲しいんです」
切実なライムの頼みに、グレンはため息をもらす。
「しかない……。いいじゃろ。というかそんな事を聞かされて反対したらワシはひとでなしになってしまうではないか」
「あ、すいません」
そんな事は考えてもいなかったライムは頭を下げる。
「狩りに行くという話だが、いつに行うつもりじゃ? 明日の昼も休みにするかの?」
「いえ、それはありがたいんですけど、できることなら今から行ってきてもいいですか?」
「なに? 今からか?」
グレンは目を丸くする。
「今からと言っても、外はもう真っ暗じゃぞ?」
「明るさの問題なら大丈夫です。私は夜目も利きますから。
それに夜の方が、私の姿を見られる心配が減ります。昼間では他の人に見つかりやすいですから」
「たしかに昼間では森に入る者も居るだろうが、見られる事の何が問題なのだ?」
今のライムの姿は髪の色が違えどもアリティアのモノだ。昼間ならば森で見られたとしても大して問題は無いように思う。グレンの疑問に、ライムは戸惑った後に答えた。
「あ、えっと……。私の狩りの時の姿は、人のそれではありませんから……」
ライムの言葉にグレンは顔をしかめる。
「人の姿で狩りはできないのか?」
「それはちょっと無理です。
一度、人の姿で狩りをやってみたんですけど、あまりに効率が悪すぎました。人の姿のままだと獲物から自分の姿を隠し切れないんです」
「む……。それならしかたがないか……」
グレンは狩猟の専門家ではないが、狩りの際には獲物にいかに気づかれないかが重要であるかは承知している。
「それに私が夜に狩りをしたいのは、夜の方が獲物を見つけやすいんですよ。獲物のほとんどが夜行性ですから、昼間だと物陰に隠れたままだったりしますし」
「分かった。いいじゃろ。気をつけて行くんじゃぞ?」
「はい、ありがとうございます。お土産もできれば持って返って来ますから」
「あまり気にせんでも構わんぞ」
「では行ってきます」
一礼して、ライムは家を出て行く。一応アリティアにも一言声をかけて行こうかと思ったが、彼女はリビングには居らず自分の部屋へと戻っているようなので諦めた。