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君と勇者のいらない世界へ  作者: きびだんご


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1/14

魔王に花を供える村

初めてのジャンル、、笑

 魔王を倒して六日目、僕は魔王のために手向けられた花を見た。


 白い、小さな花だった。

 道端にも咲いていそうな花が、石造りの台の上に並んでいる。根元を濡らした布で包み、萎れたものだけを抜き取ってある。今朝も誰かが手入れをしたのだろう。


 その前で、ひとりの少女が膝をついていた。


 灰色の外套。後ろでひとつに結んだ栗色の髪。組み合わせた指の節には、細かな傷がいくつも走っていた。


 僕は足を止めた。


 戦いが終わってから、弔いの場には何度も出会った。

 崩れた砦の前。焼けた荷車のそば。名前の代わりに、使い込まれた靴だけが置かれた墓もあった。


 だから、ここでも同じように頭を下げようとした。


 石の台に刻まれた名前を読むまでは。


 ヴァルゼン。


 六日前、僕が胸を貫いた相手の名だった。


     *


 村を見つけたのは、偶然だった。


 王都へ続く街道の一部が崩れていると聞き、僕は迂回路の確認を引き受けていた。ガレスたちが負傷者を連れて進む道とは、山をひとつ隔てている。


『見るだけだぞ。崩れてたら戻れ。お前ひとりで山まで直そうとするな』


 出発前、ガレスは僕の荷物を指で叩きながら言った。


 彼の左腕には、まだ厚い包帯が巻かれていた。

 その腕で最後まで盾を支え、僕を魔王の前まで送り届けてくれた。なのに見送るときまで、心配されるのは僕の方だった。


 腰の水筒を確かめ、坂道を上る。


 昼前、尾根から細い煙が見えた。


 地図を広げたが、該当する場所に集落の印はない。古い採掘場を示す黒い四角と、使われなくなった道が一本描かれているだけだった。


 野営の煙にしては数が多い。

 山火事なら、あまりに細く、まっすぐだった。


 僕は地図を畳み、草に埋もれた道へ入った。


 やがて、斜面に畑が現れた。

 豆の蔓を支える棒。水を引くための浅い溝。畑の端には木の桶が置かれ、柄の短い鍬が立てかけられている。


 そこから先には、暮らしがあった。


 屋根はどれも低く、ところどころ継ぎ当てられていた。軒下では薄切りにした根菜が干され、遠くで金槌の音がする。煙突の煙には、煮炊きの匂いが混じっていた。


 道の脇に、腰ほどの高さの石柱が立っていた。


 表面を細い溝が巡り、その奥で淡い光が動いている。結界の設備らしかった。砦で見たものより、ずっと小さい。


 石柱の横を通り抜けた途端、頬を刺していた風が和らいだ。


 思わず振り返る。

 外では乾いた草が激しく揺れているのに、こちら側の木の葉は静かだった。


「そこ、踏まないで」


 声の方を見ると、道の先に少女がいた。


 石の台に膝をつき、白い花を整えている。

 彼女が指さした僕の足元には、小さな芽が並んでいた。


「ごめん」


 靴を引く。


「花壇だったんだ」


「花壇に見えなかった?」


「……道の続きかと思った」


 少女は僕の靴についた泥を見て、それから顔を上げた。


 僕と同じくらいか、少し年下だろうか。

 目の下に薄い隈がある。左手には布が巻かれ、その端に黒い染みがついていた。


「旅の人?」


「王都へ戻る途中なんだ。煙が見えたから」


「この道は王都には続いてない」


「地図には、道があるんだけど」


「三年前に落ちた橋の向こうならね」


 僕は鞄に手をかけ、やめた。

 地図を見せても、橋が戻るわけではない。


「水を分けてもらえないかな。代金は払う」


「井戸は広場。飲むなら東側の桶から」


「ありがとう」


 彼女は再び花に目を落とした。

 萎れた一本を抜き、手元の籠へ入れる。その仕草があまりに丁寧で、僕はその場を離れそびれた。


「誰か、亡くなったの?」


 少女の手が止まる。


 僕は、石の台へ視線を移した。


 刻まれた文字の溝は新しかった。周囲に細かな石の粉が残っている。

 名前は長くない。読み違えようもなかった。


「ヴァルゼン……?」


「知ってるの」


 腰に下げた剣が、急に重くなった気がした。


「同じ名前の人を」


「たぶん、その人」


 少女は立ち上がった。


「魔王ヴァルゼン。ここは、あの人を弔う場所だから」


 返事ができなかった。


 魔王の名を口にするとき、人は怒るか、怯えるか、そのどちらかだった。

 僕が通ってきた町では、ずっとそうだった。


 城壁に貼られた犠牲者の名前。

 戻らない兵士を待つ家族。

 魔王軍が来るという噂だけで、戸を閉ざす店。


 その名前の前に花が並ぶことを、僕は考えたことがなかった。


「あなた、兵士?」


 少女の視線が僕の胸元へ下りた。


 外套の留め金。

 王国の紋章の下に、剣を囲む三本の線が刻まれている。


 出発するとき、ガレスに外しておけと言われた。

 目立つと休めないぞ、と。


 僕はその忠告を、半分冗談だと思っていた。


「その印」


 少女の声から、さっきまでの調子が消えた。


 彼女は今度は僕の腰を見た。

 布を巻いていても、聖剣の白い鞘は隠しきれない。


「勇者……?」


 否定すればよかったのかもしれない。

 水をもらって、ただ通り過ぎれば。


 でも、目の前に刻まれた名前を見ながら、それはできなかった。


「アルド」


 僕は言った。


「僕の名前は、アルドだ」


 少女が一歩、後ろへ下がった。


 踵が石の台に当たる。

 手に持っていた花が落ち、僕は反射的に屈みかけた。


「触らないで」


 指が止まった。


 少女は自分で花を拾った。

 折れた茎を、巻き布のない方の手で支える。


 長い沈黙のあと、彼女は僕を見た。


「あなたが殺した人は、私たちを生かしてくれた」


 風の音がした。


 遠くで鳴っていた金槌が、いつの間にか止まっていた。


     *


 広場へ行くまでに、僕のことは村中に伝わったらしかった。


 水桶を抱えた女性が立ち止まり、僕の剣を見る。

 戸口にいた老人は何も言わず、家の中へ戻った。


「ほんとに?」


 井戸のそばにいた少年だけが、近寄ってきた。


「ほんとに勇者?」


 頷くより早く、後ろから伸びた手が彼の肩を引いた。


「こっちへ来なさい」


「でも」


「いいから」


 母親らしい女性は、僕と目を合わせなかった。


 僕は空になりかけた水筒を持ったまま、井戸の前に立った。


 水を汲んでいいのか、もう一度誰かに聞くべきか迷った。

 聞いたところで、相手を困らせるだけにも思えた。


「東側って言ったでしょう」


 振り返ると、花を供えていた少女がいた。

 片手に道具箱を持っている。


「その桶は洗い物用」


「ああ……ごめん」


 言われた方の桶から水を汲む。


 彼女は僕を見張るように、井戸の柱に背を預けた。

 いや、違う。立っているのがつらいのかもしれない。道具箱を下ろしたとき、指が小さく震えていた。


「手、怪我してるの?」


「あなたには関係ない」


「手当てなら、少しできる」


「自分でできる」


 そこで会話が切れた。


 水筒の口から水があふれ、慌てて柄杓を上げる。

 指が冷たかった。


「魔王は」


 口に出してから、続きを選び直した。


「この村に、何をしたんだ?」


 少女は目を細めた。


「何をしたと思う?」


「分からない。だから聞きたい」


 彼女はしばらく黙っていた。


 やがて、道の向こうを指さす。


 村の外れに、石積みの小屋があった。屋根の上から細い金属棒が伸び、先端に青白い光が灯っている。


「結界を造った」


 彼女は言った。


「部品を運んで、直し方を教えて、動かすための魔力を送ってくれた」


「王国の設備じゃないのか」


「王国の人が、この村に何かを届けたのは、私が覚えている限りでは今日が初めて」


 胸の留め金に、彼女の目が向く。


 僕はそこを隠したくなった。

 けれど、今さら外すこともできなかった。


「その前は?」


「嵐が来るたび、坑道へ逃げてた」


 広場の向こうで、女性が洗濯物を取り込んでいる。

 子どもの服が二枚、大人の服が一枚。


「何日も出られないことがあった。水を取りに行って帰らなかった人もいる。畑が駄目になった年は、種にする豆まで食べた」


 少女は道具箱の取っ手を握り直した。


「結界ができてからは、外で眠ってしまった子を叱れるようになった」


 僕は広場の端を見た。

 さっきの少年が母親の服を引っ張り、何かをねだっている。


 その足元には、削った木の輪と棒が転がっていた。


「……知らなかった」


「そう」


 責める声ですらなかった。


 だからこそ、その先を言えなくなった。


 知らなかった。

 僕は、魔王軍に焼かれた町なら知っている。崩れた家の下から、人を運び出したこともある。助かった人に手を握られ、ありがとうと言われた。


 あの人たちが嘘をついていたわけじゃない。


 けれど、この村の花も、嘘には見えなかった。


 どちらかを否定できる言葉を探している自分に気づいて、僕は口を閉じた。


「リシェ」


 石積みの小屋から、年配の男が顔を出した。


「北の目盛りが、また落ちた」


 少女が顔を上げる。


「戻してから、どれくらい?」


「半刻も経ってない」


 彼女は道具箱を持ち上げた。

 その拍子に左手の巻き布がずれ、掌の赤く擦れた皮膚が見えた。


「待って。僕にも何か――」


「王都へ帰るなら、南の道を使って」


 彼女は僕の言葉を遮った。


「西はもう通らないで。風が強くなる」


 僕の横を通り過ぎ、足早に小屋へ向かう。


 追いかけかけて、止まった。

 今の僕が近づいて、何を手伝えるのか分からなかった。


 結界の知識は、ほとんどない。

 敵が来れば剣を抜ける。でも、さっきのように目盛りが落ちたと言われても、何を意味するのかさえ知らない。


 広場にいた人たちが、次々に空を見上げた。


 つられて顔を上げる。

 青空には、薄い雲が広がっているだけだった。


 それなのに、誰も安心した顔をしていなかった。


     *


 夕方まで、僕は村の南端にいた。


 空き小屋の軒下で、崩れた道の様子を地図に書き込んだ。村の位置にも印をつけたが、名前を聞き忘れていた。


 誰かに尋ねようとして、やめる。

 そんなことを、何度か繰り返した。


 帰れば報告できる。

 地図にない村があること。魔王の結界で暮らしていること。


 でも、王都で話を聞いてもらい、誰かがここまで来るのに、何日かかるだろう。


 石積みの小屋には何度も人が出入りした。

 金属を打つ音がして、途中で止まり、また始まる。


 僕は剣を膝に置いた。


 柄の結晶には、まだ光がある。

 決戦以来、刃に力を流せば応えてくれたが、新しい魔力を吸うことはなかった。魔王の城を出る前、隊に同行していた術師は、内部の吸収機構が壊れていると言った。


 戦いは終わったのだから、王都へ戻ってから調べればいい。


 そのときは、僕もそう思った。


 鞘に触れた指を離す。


 守るべき人がいると思って、ここまで来た。

 剣を振るうことには迷わなかった。


 今は、花を一輪拾ってよいかさえ分からない。


 足音がして顔を上げると、昼間の少年が立っていた。


「母さんが」


 それだけ言って、布に包んだものを差し出す。

 小さなパンが二つ入っていた。


「もらっていいの?」


 少年は頷いた。

 僕が礼を言うと、すぐに走っていった。


 食べてみると、硬かった。

 少し酸っぱく、噛むほどに穀物の甘さがした。


 二つ目を包み直した、そのときだった。


 かん、と鐘が鳴った。


 一度だけ。


 僕は顔を上げた。


 村の人たちが、手を止めていた。

 洗濯物を抱えたままの女性。薪を下ろしかけた老人。


 二度目が鳴った。


 石積みの小屋から、リシェが飛び出してきた。


「全員、家の中へ!」


 声が、広場を横切った。


「窓を閉めて! 火は消さなくていい、外にあるものは置いて!」


 人が走り始める。

 さっきまで慎重に運ばれていた水桶が、道に倒された。


 僕も立ち上がった。


 風が変わっていた。


 村へ入ったときには感じなかった冷たさが、頬を擦る。細かな砂が外套に当たり、乾いた音を立てた。


 空を見た。


 何もなかったはずの青に、細い白線が走っている。


 端から端へ。

 目で追っている間に枝分かれし、村の上へ広がっていく。


「リシェ!」


 小屋から男が叫んだ。


「西が持たない!」


 彼女が振り返った。


 その視線の先で、西の石柱の光が消えた。


 澄んだ音がした。

 薄い氷を踏み抜いたときのような、あっけない音だった。


 村を覆っていた空が、割れた。


 亀裂の向こうは、同じ空ではなかった。

 濁った灰色が渦を巻き、砕けた光の隙間へ押し寄せている。


 僕は剣の柄を掴んだ。


 そのとき、広場の向こうから女性の叫びが聞こえた。


「うちの子が、まだ外に!」


 西の畑。

 倒れた柵の向こうに、小さな人影があった。


 昼間、僕にパンを届けた少年だった。

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