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転生したのに動かない!?——でも、なぜか世界が少しずつ変わっていく【1章完結】  作者: シラフ
廃都編

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城下町が見えてきた


火のにおいが草から薄く抜けたあと、ネアは荷を肩にかけ直して、まだ白い道を歩き出した。


昨夜の小さな火は、朝には黒い点になっていて、タロのいない荷は少し軽いはずなのに、ネアの足音は昨日と同じ速さで土を踏んでいた。俺は袋の奥で揺れを数え、地脈の細い温度はまだ届いている、とだけ確かめて、それ以上は追わなかった。


追えば、廃都の奥に残したものまで触れられる。タロの小さな揺れも、石の間に残った熱も、触ろうと思えば指先のない俺でも拾える。


拾わない。


「……今日は、雲、ない」


ネアの声が、肩の上から落ちてくる。返事はできないが、袋の布越しに彼女の首が少し上を向いたのがわかった。空を見ているのだろう。俺には見えない。だから、ネアが何を見て、どこで足を止めるかだけが、今の道の形だった。袋の外で布がこすれるたび、彼女の肩の向きだけが少しわかる。


昼は長かった。道の右側に背の低い草が続き、左側には、乾いた土が何度も踏まれて固くなった広い跡があった。人が通る道だ。ネアはその跡を避けたり、乗ったりしながら歩き、たまに袋を押さえて、俺が外へ転がらないようにしてくれた。


「石、多い」


その声に、少し後ろで小さなものが砂をこする音が混ざった。


ぐりは離れてついてきていた。ネアが振り向いたときには、道の端の影に入って、また距離を取った。


   ◆


夕方になって、道がゆるく上がりはじめた。


ネアの歩幅が狭くなる。疲れたからではない。足を置く場所を選んでいる音がする。石の多い坂道を越えるときの、靴底の引っかかり方とは違った。前に何かがある。まだ近くはないが、ネアがそれを見つけてから、息を吸う位置が少し変わった。


「……ひかってる」


俺は地脈を広げなかった。


広げれば、下の土地に何があるか、道の先にどれだけ石が敷かれているか、人の足がどれだけ地面を叩いているか、輪郭だけならつかめるかもしれない。けれど、それを先に拾えば、ネアが今はじめて見ているものを、俺の都合で言葉に変えてしまう。


「遠く」


ネアはそこで止まらず、数歩だけ進んだ。袋の中で俺の位置が傾き、彼女の手が布の上から押さえる。坂の上に出たのだろう。風が、草の上を通る音ではなく、広いものに当たって戻ってくる音を混ぜてきた。


「火がいっぱい」


廃都の火は、拾った枝の先にひとつだけあった。昨夜の火も、ネアの手の届くところに小さく置かれていた。だが今、彼女の声が指している火は、数えられる近さにない。


「……上にもある」


上。


城壁か、家の窓か、見張り台か。俺にはわからない。わからないまま、袋の底で黙っているしかない。動けない俺がここでできるのは、ネアの言葉の邪魔をしないことと、便利な感覚を広げないことだけだった。


「横にも」


ネアの指が袋から離れた。たぶん、前を指している。


俺は返事をしたかった。どのくらい遠い、どんな形だ、廃都とどこが違う、と聞きたかった。けれど、まだ聞かない。ネアが短い言葉を自分で置いていく間は、それを追い越さない。


   ◆


坂の上には、古い道標が立っていたらしい。


ネアはそれを読むことはできない。ただ、手で触って、角が欠けているところをなぞり、何かが刻まれている石だとだけ確かめた。俺も地脈を広げれば、石の根がどちらへ沈んでいるかぐらいは拾えたが、やめた。道標はネアの手の下にある。俺の下にはない。


「……ここ、道がわかれてる」


ネアは右を見て、左を見て、また前を見た。


前から音が来ていた。


最初は風かと思うほど薄かった。だが、しばらく黙っていると、音は草のあいだでほどけず、そのまま重なって届いた。車輪が土を押す低い音。どこかで金具が鳴る音。人の声。笑い声に似た高い声。別の声がかぶさり、その奥で、また別の声が短く切れる。


廃都では、音は石に当たって戻ってきた。誰もいない広さが、戻ってきた音の端を冷たくしていた。


ここでは、音が消えない。


「……多い」


ネアはそれだけ言って、道標から手を離した。


多い、という言葉が、前に置かれた。火が多い。声が多い。道の跡が多い。たぶん、人も多い。ネアはそれをひとつずつ数えようとして、どこから数えればいいのか迷っている。俺はそれを感情の名前にしない。名づけるには早い。


「あれ、動いてる」


荷車だろうか。


「ちいさい火も、動く」


松明か、手に持った灯りか。夜に近づくほど、火は増えて見えるのかもしれない。俺には見えない。見えないまま、ネアの言葉だけで街の遠景が少しずつ組み上がる。間違っていてもいい。今は、ネアが見ている街でいい。


地脈の奥で、廃都の音は切れていない。


タロのいるあたりから届く細い揺れが、道のこちら側で薄くなりながら、まだ俺の下に残っていた。俺はそこへ深く触れなかった。残したものを確かめるために、今ここでネアの観察を奪う必要はない。


「……石の町?」


(たぶん、城下町だ)


声にできない言葉を、内側に置く。


城というものを、俺は見たことがない。前の記憶にある街の形も、この世界の石の積み方も、どこまで使えるかわからない。けれど、遠くの灯りが集まり、道がそこへ向かい、人の声が消えずに重なる場所なら、そこはもう、ただの廃墟ではない。


(始まりだな)


その言葉を置いた瞬間、ネアが袋を抱え直した。


「始まり?」


俺は声に出していない。けれど、彼女は俺が何か言ったときのように、少しだけ袋を見た。石の俺には顔がない。目もない。首を振ることもできない。だから、ネアは自分の見たものを、俺が拾える形にしてくれる。


「……イシル、見えないんだよね」


ネアはゆっくり言った。


その確認は、今まで何度もあった。俺が石であること。動けないこと。見えないこと。触れられるものが、ネアの手の届く範囲と、地面の奥を通るわずかなものに限られていること。だが、今その言葉が出たのは、目の前の灯りが多すぎるからだ。


「あのね」


ネアは前を向いたまま、言葉を探した。


「下のほう、火がならんでる。道みたいに。上のほうは、ばらばら。黒いのが、間にある」


黒いの。家の影か、壁か、木か。


「人、ちいさい。たぶん。動くのが、たくさん」


彼女の声は、長くならない。見えたものをつかんでは置き、またつかんでは置く。俺はその間に地脈を広げたい欲を二度、押し戻した。人の数を先に知っても、城門の位置を拾っても、今のネアの言葉より正しいとは限らない。


「音も、いっぱいいる」


音がいる、か。


ネアらしい言い方だった。声が聞こえる、ではなく、音がそこにいる。廃都で戻ってきた音とは違い、前の音は前に残り続け、別の音を押しのけずに増えていく。灯りも声も、まだ遠いのに、こちらの夜へ少しずつ入り込んでくる。


「怒ってる声もある」


ネアは首をかしげたらしい。袋の口が少しだけ横へずれた。


「でも、すぐ、べつの声になる」


ひとつの声を追う前に、別の声が重なる。笑ったのか、呼んだのか、荷を降ろせと言ったのか、俺には区別がつかない。ネアにも、たぶん全部はわからない。ただ、わからないまま目を離さず、消えない音の中から拾えたものだけを俺に渡している。


それでいい。


俺が先に地面の奥から人の数を拾えば、便利ではある。便利だが、街の初めての形が、数字と揺れに変わってしまう。ネアの短い言葉が置かれるたび、俺は広がりかけた感覚を袋の内側へ戻した。


   ◆


坂を下りるには、もう少し暗くなるのを待つ必要があった。


ネアは道標のそばに腰を下ろし、袋を膝の上に置いた。遠くの灯りを見ながら、足の土を手で払う。俺の下で布が温まり、彼女の指が袋の口を確かめる。結び目はほどけていない。


「ぐり、いない」


ネアが後ろを見た。道の端の暗がりに、石をこする小さな音だけが一度残り、すぐに街から来る声の中へ紛れた。


「……来るかな」


返事はできない。来ても、来なくても、俺たちはここで決められない。


前方では、火が増えたらしい。ネアの膝が少し持ち上がり、袋が傾く。彼女はたぶん、見える範囲の変化を追っている。俺はその傾きで、街の灯りが一列ではなく、厚みを持っているのだと知った。


「あっ」


ネアが小さく声を出した。


「火、消えた。……また、ついた」


窓を誰かが閉めたのか。人が灯りの前を通ったのか。遠い街の小さなひとつの変化に、ネアが気づいた。廃都で石の割れ目を見ていたときと同じ声なのに、そこに返ってくるものはまるで違う。


「ねえ、イシル」


袋の布が、指で少し寄せられた。


「もっと、言っていい?」


その問いに、俺はすぐ返事をしたかった。言ってくれ。全部言ってくれ。見えない俺に、街を渡してくれ。けれど、俺は石だ。声は届かない。だから、内側で言葉を並べるだけになる。


(俺には視覚がない。全部ネアの観察頼みだ)


(……ネア、詳しく教えてくれ)


城下町が見えてきました。まだ門には着いていませんが、遠くの灯りと消えない音だけで、ネアの世界が少し広がった回です。イシルは相変わらず動けず、見えず、だからこそネアの観察に頼るしかありません。

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