第32話「盗賊団が来た」
地脈の振動が、いつもと違った。
◆
まだ、夜が明けきっていなかった。
ネアが俺をポケットに入れて、家を出た。風が止まっていた。日差しはまだなかった。空気の冷たさだけが、布越しに伝わってきた。
俺はネアのポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
廃都の中の足音は、いつもどおりだった。フリンの家のほうは、まだ静かだった。乳鉢の音は、まだ始まっていなかった。井戸のほうも、静かだった。最初の汲み手は、まだ、来ていなかった。
タロの家の方角は——動いていた。
タロは、もう起きていた。いつもより、ずっと早く。
地脈の振動で、それが分かった。
タロの足音は、家の中ではなかった。家の外。それも、弟妹じゃない子どもの足音と一緒に動いていた。複数。少なくとも3人。それぞれが、別の方角に短く動いて、また戻ってきた。何かを、配っているような動きだった。
ヴェラの店の方角に向かう足音もあった。タロのものだった。短く何かを伝えて、戻ってきた。
ヴェラの足音は、いつもの仕込みの動きじゃなかった。窯のほうではなく、店の戸口のほうに、立ったまま、動かなかった。聞いている、立ち方だった。
『……ネア』
「うん」
『タロ、動いてる』
「……うん」
ネアが、足を止めた。歩幅はいつもどおり保ったまま、止まった。
◆
タロが、市場の入り口で、待っていた。
市場の角ではなかった。入り口の死角だった。子どもが3人、タロのうしろに立っていた。
タロが、ネアの方を見た。
「ネア」
タロの声は、低かった。腹から出る声では、なかった。昨日と同じ、考えている時の声だった。
「うん」
ネアが、短く返した。
「来た」
タロが、それだけ言った。
ネアの足が、止まった。短く、止まった。
地脈の振動を、俺も、確認した。
廃都の北の端の方角。昨夜の松明が、まだ消えていなかったあの方角。動いていた。1つ、2つ、3つ。それ以上。足音が、地脈の中に増えていた。
武装の音もあった。金属が鞘に当たる音。革が擦れる音。重い荷を肩に背負った時に出る、布の擦れる音もあった。馬の足音は、なかった。徒歩で、来ていた。
歩幅が、揃っていた。
1人ひとりは、ばらばらに歩いているように聞こえた。でも地脈の振動で数えると、全体が同じ速度で廃都に入りつつあった。慣れた、入り方だった。
数えた。
20人を、超えていた。
◆
「家、戻れ」
タロが、うしろの3人に、言った。
「ヴェラのとこか、フリンのとこ、行け。1人で行くな。3人ずつで固まれ」
子どもたちが、頷いた。タロが、指でどの順番でどこへ行くかを、軽く示した。3人が、別々の方角へ走った。地脈の振動で、それぞれ違う家に入っていくのが、分かった。
タロが、ネアを見た。
「ネア」
「うん」
「お前は、フリンの家、行け」
「……うん」
「石、置いてけ」
ネアの足が、止まった。
「目立つから」
タロが、低い声で、続けた。
「あいつら、石を持ってる子ども、見たらまずい。ポケットに何が入ってるか、調べてくる」
タロが、それ以上、説明しなかった。
でも地脈の振動で、タロの呼吸がいつもと違うのが伝わった。落ち着いていた。考えてあった。昨日決めたことを、今、実行していた。
タロの足元に、砂の山は、なかった。蹴った跡も、なかった。考える時間は、もう、終わっていた。
ネアが、ポケットに手を入れた。
俺を、握った。
しばらく、握った。
◆
『……ネア』
俺は、念話で送った。
「うん」
『タロの言うとおりに、しろ』
「……うん」
ネアが、しばらく、答えなかった。
それから、ネアの足が動いた。雑貨屋の方角へ、向かった。仕分けの台の、奥の棚。布の下。いつもネアが仕事の合間に、半分齧ったパンや拾った布切れをしまっておく場所だった。誰も、覗かない場所だった。
ネアの指が、俺を布の下に、置いた。
布の繊維は、薄かった。光は、わずかに、通った。地脈との接触面は、台の脚を1本だけ、感じた。それだけだった。
布越しに、ネアの指の温度が、しばらく残っていた。
いつもより、長く、置いてあった。
指が、一度、戻りかけた。
それから、ネアが手を、引いた。
走り出した。
◆
ネアの足音が、市場を抜けた。フリンの家の方角へ、向かっていた。
地脈の振動で、それが分かった。
最初は、はっきり聞こえた。
でも、ネアのポケットの中ではなくなっていた。地脈との接触が、薄くなっていた。
ふだんはネアの体温が、ポケット越しに伝わっていた。今日は、ない。
仕分けの台の奥の棚は、地脈との接触面が、台の脚を1本だけだった。ふだんの感度の、半分以下だった。
地面との接触が薄いと、地脈の広がりも、鈍くなる。
ネアの足音が、地脈の中で、薄くなっていった。
まだ聞こえた。聞こえてはいた。でも、いつものはっきりした足音では、なかった。
『……ネア』
俺は念話を、送った。
「……」
返事が、なかった。
念話は、送れた。届いたかは、分からなかった。
地脈の振動だけが、薄くネアの足音を、運んでくれた。それが、唯一の、繋がりだった。
◆
市場のほうの地脈が、ざわついた。
20人以上の足音が、市場に、入ってきた。武装の音も、入ってきた。
タロは、もう、市場の入り口に、いなかった。地脈の振動で、タロの足音は、別の方角へ動いていた。ヴェラの店の裏か、フリンの家の手前。住民を、避難させているらしかった。
雑貨屋の店主の足音は、いつもどおりだった。布の下に、俺だけが、いた。
武装の足音が、雑貨屋の前を通った。
止まらなかった。
通り過ぎた。
布の下で、俺は、動かなかった。
動けなかった。
動けない、というのは、初めて知った気がした。
でも、今日は——。
ネアの足音が、地脈の中で、もっと薄くなった。
『……ネア。どこにいる』
「……」
『返事を、しろ』
「……」
地脈の振動で、ネアの足音は、まだ感じた。フリンの家の方角。動いていた。でも、念話の届く範囲を、超えていた。
俺は、布の下で、動かなかった。
◆
市場のほうの地脈が、もう一度、ざわついた。
武装の足音が、市場の中を、歩いていた。何かを探していた。
地脈の振動で、それが分かった。
でも、雑貨屋の仕分けの台の奥の棚の、布の下。誰も、来なかった。
雑貨屋の店主は、店の戸口で武装の連中と何か話していた。短く何度か頷いていた。声は、聞こえなかった。
武装の足音は、布の下までは、来なかった。
布越しに、薄い光が入ってきた。市場の朝の、最初の光だった。布の繊維の隙間から、少しだけ、漏れた。
俺は、動かなかった。
ネアは、フリンの家のほうで、動いていた。地脈の振動で、それは、分かった。
フリンの足音は、ネアと、何人かの子どもの近くで止まっていた。誰かに何かを飲ませている動きでは、なかった。聞いている、立ち方だった。
武装の足音は、市場の中で、動いていた。
俺と、ネアの間に、距離があった。
念話は、届かなかった。
ネアは、生きていた。
地脈の振動で、それは、分かった。
でも、ネアの呼吸の細かい上下は、もう、感じられなかった。指の力の、入り方も、抜け方も、感じられなかった。
◆
(動けたら)
盗賊団が、来た。
——届かない。
俺は、よく分からない。
石だが。
☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。
ネアがあまり喋らないので、代わりに何か言ってくれると助かる。
次回「廃都が動く」もよろしく。
俺じゃ、なかったらしい。
——石より




