4.グレネルの来訪
その二日後――。
ジェニーは、思わぬ人物から、再びスタインズ侯爵家の名前を聞かされることになった。
慌ただしく坂を下りてきた馬車が、ダフィールド侯爵邸の前でぴたりと止まる。
居間で、領地に暮らす両親から届いた手紙に目を通していたジェニーは、少しだけ遠慮がちに玄関扉を叩く音で、誰が訪ねてきたのかすぐにわかった。
手紙を畳んで待っていると、迎えに出たアレックスが、王都警備騎士団の副団長であるグレネルの来訪を知らせに来た。
グレネルは、立ち上がって出迎えたジェニーと型どおりのあいさつを交わすと、なぜかきょろきょろとあたりを見回した。
「おかけになって、グレネル様! お兄様は、朝からお出かけなの。お戻りは、夕方になると思うわ。至急伝えなければならない事があるなら、王宮へ使いを出しますけど」
この日、兄のジェレミーは、王宮魔道士団で定期的に開かれる会議に出席するため、朝から出仕していて留守だった。
ジェレミーは、王家に伝わる古い魔道書を読み解き、今は失われたとされる古代の魔法を復元する研究もしている。今日は、その進捗状況を会議で報告することになっていた。
「そうでしたか――。ですが、今日は、ジェ、ジェニー嬢にお願いしたいことがあって伺いましたので、ジェレミーが不在でも問題はないかと――。まあ、後で彼に許可をもらう必要はあると思いますが――」
「まあ、わたしに御用なの? いったいどんなことかしら? すぐに、クレアに茶の支度をさせるわね。お座りになって、ゆっくりお話をお聞かせくださいな!」
ジェニーがそう口にしたときには、察しの良いクレアは、すでにすっかり準備を整え、ワゴンを押しながら部屋へ入ってくるところだった。
焼きたての菓子が放つ香ばしい牛酪の香りは、一瞬でグレネルに空腹を自覚させた。その結果、ジェレミーが留守ならば出直してこようという選択肢は、彼の心から完全に消え去ってしまった。
ジェニーにすすめられるままにソファへ腰を下ろし、クレアが入れた紅茶を一口飲むと、グレネルは、さっそく話を始めた。
「実は、今朝方さる貴族の屋敷で、ちょっとした騒ぎがありまして――」
「どのような騒ぎかしら?」
「その屋敷で働く少年の兄夫婦が、『弟が命に関わる大怪我をしたという投げ文があった』と言って押しかけてきたのだそうです。屋敷からの知らせを聞いて我々が駆けつけたときも、二人は、『中に入れろ! 弟に会わせろ!』と大きな声で騒ぎ立てていて、屋敷の使用人たちと押し問答を続けていました」
「まあ!」
「お屋敷働きの少年が大怪我をした」と聞いた瞬間、ジェニーは、先日、兄が呼び出された一件を思い浮かべた。どうやら、事件が世間には秘密にされているらしいという点もよく似ている。
おそらく、二つの話に登場する少年は、同一人物だ。
王都といえども、貴族階級に属する者はそれほど多いわけではない。同じようなことが、別々の屋敷で起きたと考える方が不自然である。
「それは、大変だったわね。それで、ご夫婦は弟さんに会わせてもらえたの?」
「いえ、屋敷の執事は、『彼は、人手が足りなくなった領地の屋敷へ手伝いに出された。怪我などしていないが、ここにはいない』と答えていました」
「フフフ……、何だか怪しいわね。そんな話、言い逃れにしか聞こえないわ」
「夫婦もそう思ったようで、『ほかの使用人からも話を聞きたい』とか、『投げ文をした人間はここにいるはずだ。探し出してくれ』とか言い出しました。さらに騒ぎが大きくなりそうだったので、二人には王都警備騎士団の詰所で話を聞くことにしました」
「それで、二人はどんな話をしたの?」
「夫婦の弟というのは、その屋敷で庭師見習いをしているそうです。給金も良く、定期的に休みももらえるので、いい仕事に就けたと喜んでいたようです。二人は、投げ文を見て、大慌てで屋敷へ出向いてきたのですが、弟には会えず、ここにはいないと言われ、どうすれば良いかわからず騒ぎを起こしてしまったと言っていました」
ジェレミーの招魂術や医師の手当てで、少年は一命を取り留めたかもしれないが、毒を盛られて声が出なくなってしまっていては、とても家族に会わせられない。
おそらく屋敷の使用人たちですら、何が起きたのか正しく把握している者はわずかなのだろう。きちんと説明ができる者など、ほとんどいないのかもしれない。
ジェニーの当て推量は、確信へと変わった。
「悲運の令嬢」を抱えるお屋敷としては、おかしな騒ぎで世間の耳目を集めることは避けたいはずだ。それに乗じて、悪意を持った連中に目を付けられても困る。
警備騎士団にすれば、このまま放っておくわけにもいかないが、だからといって、屋敷の言い分を無視して表立って動き回ることは難しい。
ジェニーは、そこまで考えて、グレネルの「お願い」の中身が何となくわかった気がした。




