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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
結段

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結段 --- 永浦永輔②


 宴もたけなわとなり、永輔は霧崎家の玄関にいた。

 振り返って見送りの菖蒲へと声をかける。

「じゃあお先な。あ、桑島と梨々香の結婚式の日はまた迎えに来るから。絶対空けとけよ。俺はともかくお前が来ないと梨々香怒るぞ」

「わかってるよ。絶対行くから。梨々香さんのウェディングドレス見たいし」

 お互いに手を振って、永輔は敷地を抜けて、大きな門をくぐった。


 満月の下で夜道をひとり歩く。

 空を見上げて、縁側での会話に頭を抱えた。

「菖蒲のやつ、とんでもないこと言い出しやがる」

 命をかけて守られるほどの価値が、自分には無いというのが永浦永輔の考えだった。

 だからその申し出を受けるわけにはいかない。

 きっと彼女が高校を卒業して、大人になったからと言って、約束を交わすことはないだろう。

 どこか寂しさも感じながら、それが妥当だと彼は理解していた。

「そんな柄じゃねえな」

 誰も聞いていない夜道でつぶやく。

 直後、彼のポケットの中でスマホが鳴った。

 自分のスマホはマナーモードにしてある。取り出したのは、テレーズから預かっていたスマホだった。

「おい、何で今更……テレーズはとっくに帰っちまったよ」

 呆れ顔でメッセージを開くと、そこには予想通り『香坂明』という差出人の名前があった。

 だが、驚くべきことに内容は永輔宛てだった。


『初めまして永浦永輔くん。テレーズから話を聞いたよ。霊園での一件のあと、テレーズに力添えしてくれてありがとう。これは僕からの個人的な感謝の気持ちだ。』

 続けて書いてあったのは、暗証番号という文字と6桁の数字だった。

『珠逢通りにある臨時休業中のバー『Sophia』は僕の本拠地だった場所だ。そのスタッフルームの奥に金庫があってね。そこには、僕がある神父から巻き上げた汚い金の一部が、リスク分散のため現金の状態で保管してある。

僕にはそれを回収する隙が無かったので、お礼として君に贈呈しよう。ぜひ君の人生に有効活用してくれ。』

 文章の最後には、保管されていると思われる金額が記載されていた。

 高級車が一括で購入できるほどの大金だった。

 スマホを持つ永輔の手が震える。

 彼の思考は目まぐるしく回転した。

 これだけの金額があれば、しばらくは遊んで暮らせるだろう。

 今まで迷惑をかけた分、家に金を入れれば家族にも顔向けできる。バイク壊したことで梨々香が文句言ってたのも解決だ。アイツらの結婚式の祝儀だって奮発してやれる。日雇いのバイトともお別れだ。

 一人の不良少年が目が眩むには十分な魅惑だった。

 その金を手に入れることで、自分を含む周りの人間が全員ハッピーになれる。みんなが笑顔で永輔に感謝する未来が想像できた。

 見知った顔ぶれが過ぎ去っていった先に、一人のセーラー服の少女が浮かぶ。

 霧崎菖蒲に、笑顔は無かった。



「…………じゃあ、ダメだな」



 自分を信じてくれた少女に軽蔑されるくらいなら、いらない。

 あそこまで言ってくれた菖蒲は軽蔑しないかもしれないけど、顔向けできなくなる気がする。

 タダでさえ価値の無い自分が、本当に底値まで堕ちるのではと錯覚する。

 永輔はそう判断して、メールを閉じた。


 今度は自分のスマホを取り出して、友人へと電話をかけた。

「よう細川」

『あんまり本名で呼ぶなって。久々だな永輔』

「いや久々じゃねえよ 事件が終わったあとネットカフェまで報告に行ったろ」

『もう3ヶ月も前だ。それで、面倒事か?』

「そうだな、面倒事だ。事後処理でも報酬でもない。ただの厄介な話だよ」

 永輔はたったいま自分に届いたメールの内容を、友人へと告げ口した。

『香坂のやつ、あれだけ絞られておいてまだ隠し種があるとは太いヤロウだ……で、なんで取りにいかない? 永輔宛てのプレゼントだろう』

「この事件が起こる前だったら、いやもし昨日だったとしたら……喜んで飛びついたかもな。でも、もう面倒事はごめんだし、俺にはそんなあぶく銭に惑わされるよりも、よっぽどやらないといけないことがある」

『賢明な判断だな。最悪の場合識名新太郎から追われる可能性がある……それで、何やら忙しそうだけど、今度は金より大事なことに巻き込まれてるってハナシか?』

 嫌に鋭い友人の言葉に驚く。

 だが、今回ばかりは渡りに船だ。

 永輔は友人に感謝しながら別件の相談を始めた。

「……ああ、そうだな。一生モノの面倒事かもしれない」

『いいぜ、乗ってやるよ。また前払いの報酬をたんまり頂いちまったからな』

「それじゃあ、前言ってた働き口の紹介、頼んでもいいか?」

 一瞬の沈黙が流れる。

 電話口の彼が、その言葉の意味を十分に吟味して、高揚した声色を返す。

『そいつはつまり、定職に就くってことか?』

「……何を喜んでんだよ」

『言っただろ、お前に不良は似合わないってよ。やっぱり間違いなかったな。待ってろ、金庫なんか後回しにして、最適な求人を送り付けてやる。履歴書の書き方から面接対策までフルサポートだ』

 そこからは乗り気になった友人にされるがまま、彼は送られてくる求人票を羅列を見つめた。

 ちょうどバス停に差し掛かったところで、道路の奥からこちらに向かってくるバスが見える。

「やべ、バスに乗るから切るぞ。今度このいらねえスマホ預けにいくから、そのときに就職支援よろしくな」

 停車したバスに乗り込んで、彼は南薙市から埋芽市へと戻っていく。

 バスに揺られて、流れゆく景色を眺めながら、彼は目を閉じた。


 テレーズが教えてくれた聖書の言葉を思い出す。

 『あなたの手に善をなす力があるならば、これをさし控えてはならない。』

 菖蒲が意を決して伝えてくれた気持ちを思い出す。

 『これからは、わたしが命を懸けてあなたを守る』


 溢れる気持ちのやり場がなくて、握ったこぶしを自分の手のひらに打ち付ける。

(何が善を成す力があるだ。何が命を懸けて守るだ)

 手のひらがヒリヒリと、じんわり熱くなっていく。

(どいつもこいつも勝手に永浦永輔オレを高く見積もりやがって。じゃあやってやるよこんちくしょう)

 永浦永輔は、血十字事件を経て、長年の腐れ縁だった桑島勇誠との因縁を晴らし、霧崎菖蒲にこれからも振り回されるにあたって、今度は不良少年である自分と、決着をつけることに決めた。

 もし菖蒲が高校卒業まであと3年待っててくれるのであれば、そのときに自分が彼女に守られるべき価値のある人間に成れていたのだとしたら、一緒に生きていけるのかもしれない。

 


 歪んだ役者たちの狂宴は終わり。

 どこにでもある味気のない日常が始まり、無秩序に続いていく。

 その日々の中にある幸せを掴もうとする権利は、誰にだってある。

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