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Distort×Disorder  作者: 一木 樹
結段

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結段 --- 永浦永輔①



 鹿隠山ろくいんさん寂浄寺じゃくじょうじ

 埋芽市から車で2時間ほど走った山中に幽玄とそびえる、ある宗派のお寺だ。

 昨今では写経や精進料理などのライトな修行体験ができるレジャー的な寺が増えている中で、この寺では荒行と呼ばれる本格的な修行が行われていた。

 1日に何度も寒水で身を清め、1日2回の白粥のみで命を繋ぎ、法華経を読誦することで仏祖三宝・諸天善神のご加護を頂く。余った時間では座禅を組み、心の裡から染み出す煩悩と静かな戦いを続ける。

「あなたがこの寺に来て30日です。座禅の形も幾分か様になってきましたね。霧崎さん」

 和尚が警策と呼ばれる木の棒をもって菖蒲の背後に立つ。

 菖蒲が少し口角を上げたところで、そっと彼女の肩に警策が添えられた。

「乱れ」

「ハイ……ごめんなさい……」

「妖刀とんじんの三毒から派生した煩悩は根深くあなたの身にこびり付いている。一朝一夕でそれが簡単に失われるとは思わぬことです。楽をせず1日1つずつ、時間をかけて功徳を積み煩悩を噛み潰すことで、ようやく山を下りることが許されます」

 和尚は妖刀に支配された菖蒲の精神汚染を浄化するため、彼女の祖父からの依頼で修行の管理を請け負っている。

「煩悩への対策を学び終えても、付き合いは一生。怠ればまた、飲み込まれますよ」

「……わかっています。その覚悟で使ったので」

 その真剣な表情は、和尚が見てきた修行僧と比べても遜色はなかった。

「いいでしょう。では次は滝行に入りますよ」

「ハイ!」

 立ち上がろうとしたところで、痺れた足が膝から崩れる。

 それでも彼女は負けじと体制を立て直し、和尚の後をついていく。

 過酷な修行ではあるが、彼女は妖刀の力を使った代償として受け入れており、自分が日常に戻るため必要だと納得していた。

 煩悩の数になぞらえて108日。3ヵ月と約2週間。

 霧崎菖蒲と妖刀の関係は、それだけの日数をもって清算されるに至った。




 ◇◆◇◆◇




 霧崎道場では門下生たちが慌ただしく駆け回っていた。

 広間にはご馳走と酒器が並び、宴会の準備が進められている。

 そこに怒号と誰かが暴れる音が響いていた。

「おい、いい加減にしろよジイさん……!」

「観念せんか、永輔……!」

 隣の道場で取っ組み合いをする二人。

 それを見守る門下生たちは、どっちに味方しても後からシバかれる可能性を考慮して、遠巻きに囲むことしかできなかった。

 その取っ組み合いに気を取られていたことで、全員が次期当主の帰還に気づくことなく、霧崎菖蒲は突然道場の扉を開いてその現場に現れた。

「……何やってんの?」

 全員の視線が冷ややかな表情の菖蒲へと集まる。

「あっ、おいどうすんだよ帰ってきちゃったじゃんか!!」

「おおお!! 戻ったか菖蒲! よくぞ修行を乗り越えた!」

 取っ組み合いを続けたまま会話が始まる。

 菖蒲の目線から見ると、永輔のジャージが半端に脱がされており、祖父の手には霧崎家の家紋入りの袴が握られている。

「3ヶ月振りに帰ってきたのに、お出迎えもなく喧嘩ね。二人はずいぶん仲良くなったんだ」

「どう考えても仲良くねぇから!」

 永輔が祖父の身体を投げ飛ばし、老体とは思えない洗練された受け身で快音が道場に響く。

「見るんじゃ菖蒲、この強さ! やはり当主となるお前に相応しい婿はこの永輔しかおらん!」

「バカ言うなよ!! お前らが今日、菖蒲のお帰り会やるっていうから来たのに、いきなり紋付袴着せようとしやがって! 順序が狂ってんだよ!!」

「確かに、順序がおかしい」

 菖蒲にとって頑固者の祖父の奇行は慣れているのか、それとも修行により動じない心を手に入れたのか、彼女は至極冷静に声かけた。

「おじい様」

「うむ」

 その雰囲気に祖父ですらやや圧倒される。

「あまり身内が先走って騒がないで欲しいかも。本人が乗り気じゃなくなったら。おじい様のせいだからね」

「うぅむ?」

 疑問符を浮かべた祖父に、永輔の声が続く。

「本人が、乗り気じゃ、なくなったら……?」

 菖蒲は取り合わず道場を後にした。

「シャワー浴びてくる。ここまで遠かったし、久々に石鹸じゃなくて、いい匂いのシャンプー使いたいから」

 宴の主役が居なくなった道場で、永輔と祖父は顔を見合わせた。




 ◇◆◇◆◇




 宴会は大いに盛り上がった。

 霧崎家の人間と門下生、関係者を含めて20人近い人間が食事と酒を楽しみながら、菖蒲の修行について根掘り葉掘り聞きだしている。

 まだ埋芽市の大暴動についての記憶も新しく、永輔に対してあの日何があったのか聞き出そうとする門下生も散見された。

 霧崎家にとっては菖蒲が一本の妖刀を手にしてしまったことから始まった一連の騒動が、この日をもってようやく終わりを迎えることになるのだった。

 宴の隙をついて、菖蒲は永輔の隣に座った。彼は大事な伝言を思い出して話しかける。

「テレーズがお前に会いたがってたよ」

「そうだ、行きたかったなぁお見送り。そういえばちゃんと渡してくれた?」

「ほら、証拠写真」

 永輔はスマホを取り出して、菖蒲しょうぶ柄の鍔を手に持ち、嬉しそうに笑うテレーズの写真を見せた。

 それを確認して、彼女は安堵して小さく笑う。

 直後、祖父や門下生から話しかけられて、二人は再び別の会話に巻き込まれた。


 宴会が盛り上がる中で、騒がしさに疲弊してきた永輔は用を足しに席を離れた。

 長い廊下を歩いてトイレを済ませたあと、何となく屋敷を見回って時間を潰す。

 満月の月明りが縁側に差し込んでいた。

 その光景を見て、彼は初めて菖蒲と出会った日のことを思い出していた。

「おでん屋で襲われた日も、たしかこんな月の明るい夜だったな」

「あの時は殺し損ねたね」

 飛び上がって振り返ると、そこには悪戯っぽく笑う菖蒲がいた。

 その姿は殺意に満ちたあの夜とは程遠く、年相応にあどけなく笑う女子中学生だった。

「戻ってこないと思ったら、何してるの?」

「みんなお前が帰って嬉しいんだろうけど、テンション高すぎて疲れたわ」

「ごめんね、付き合わせちゃって」

「……まあ、ごちそうになってるし、いいけどよ」


 2人は宴会の喧騒を遠くに聞きながら、縁側に腰かけた。

 言葉は無く、揃って満月を見上げている。

 菖蒲もまたあの夜のことを思い出したのか、こんな質問が口をついて出た。

「ねえエースケ、何回私に殺されかけた?」

「なんだよ急に。もう3ヵ月も前だぜ、忘れたよ」

「うそ。死にかけたくせに忘れるわけないでしょ。ちゃんと数えて」

 食い下がる菖蒲に対してめんどくさそうな顔を見せながらも、永輔は指を折り始めた。

「えーっと、おでん屋台で初めて会ったとき。病院のあと墓地で暴れたときに2、3回だっけか」

「それと最後の夜ね。エースケは操られてたから覚えてないかもだけど、幽霊マンションの瓦礫の頂上で1回」

 菖蒲は修行を通して、それらの光景を鮮明に思い出していた。妖刀の殺意に支配されて、霧がかっていた記憶がはっきりとわかったのだ。

 そこで彼女は、改めて自分の罪と向きあった。

 勇気を出すために、隣にいる永輔の手に、自分の手を重ねて握る。

「だから、責任を取るの」

「……はい?」

 話についていけない永輔は、気の抜けた返事をする。

「これからは、わたしが命を懸けてあなたを守る」

「あ、菖蒲……? もう、血十字も妖刀も終わったんだし、命を懸けるとかいらねえよ」

「でも、恩返しがまだ終わってない。わたしが永輔のことを守りたいの」

 菖蒲の視線はまっすぐに永輔を射抜いている。

 その剣幕に圧されて、彼女が相当な頑固者であることを永輔は思い出していた。

「守るって……いつまで?」

「死ぬまで」

 それは実質的なプロポーズに近い発言だ。

 冗談を言っていないことは、その目を見れば明らかだった。

「永輔が断りたいとか、迷惑だって言うなら、いつでも破棄していい。でも私はあなたを守りたいって言う気持ちは本当なの」

「死ぬまでとか、破棄とか……それって、そういう意味……?」

 永輔が恐る恐る顔を覗き込むと、自分の発言の恥ずかしさに気づいた菖蒲の顔が真っ赤に染まった。

「き、聞き返さないでよ! 殺すよ!」

 腕を振って永輔を追い払う。

 彼は心の中で呆れた。

(ダメだこのお転婆、修行の成果が全く出てない)

 しかし彼女の発言を野放しにすることはできない。永輔は勘違いを正すべく菖蒲に詰め寄った。

「あのな、俺はお前に守られるほど弱くないし、守られるべき善人でもない。ただの職業不定不良だぞ?」

「わたしにとっては恩人だから、エースケがどんな人間でも関係ない」

「勝手に罪悪感で人生預けてくんじゃねぇよ、こっちが困るわ」

 確かに罪滅ぼしの側面があることが図星だったこともあり、菖蒲はムキになって続けた。

「わ、わたしは自分なりにこの3ヶ月間修行しながら悩んで、考えて……それでこれが一番納得する答えなの!」

 永輔は一目でわかった。菖蒲はいっぱいいっぱいだ。彼女にとってこれまでの人生で一番大きな決断なのかもしれないが、3ヶ月悩んだ程度でこれからの人生を決めるなんて馬鹿げている。

 彼は菖蒲の決意を一蹴した。

「まだ高校生にもなってないガキくせに、いっちょ前の答え出すな。ずーっと悩んでやがれ。そんでもって、学生終わる頃には忘れてるよ」

 霧崎菖蒲は妖刀から解放された。そのあとに自分のようなただの不良が彼女を縛り付けるなんて、永浦永輔本人が納得できない。

「この、わからず屋……ノンデリ不良……ダサジャージ……」

 菖蒲が悔しそうに涙ぐんで悪態をつく。

 この時ばかりは、自慢のジャージを馬鹿にされた永輔もそれに反論しなかった。

 しばらくして、涙をこらえた菖蒲が顔を上げる。

「じゃあ、高校卒業まで待ってて。悩んだまま持っておくから」

 その表情は再び闘志を取り戻している。

「待てるよね?」

 有無を言わさないその剣幕に、永輔は首を縦に振るしかなかった。




 しばらくして廊下に突っ伏していた祖父が発見される。

 聞き耳を立てていた彼は、孫娘の逆プロポーズを聞き、想像以上のダメージに気絶したらしかった。



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