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思ひ過ぎめや苔生すまでに


シンカに抱き付いていたリンファは一通り泣いて涙から鼻水までを一通り擦りつけるとそのまま家を駆け出していった。


身を切るような寒さの中、細く長い階段を小走りに下った。

辺りはもう薄暗い。1年で1番日が短い日を越して数日。もう直ぐ年の瀬を迎える。


今にも雪が降りそうなどんよりとした暗い雲が天を覆っていたが、リンファの内心は雲1つ無かった。


帰らなくなって2月半程のリンレイ家に息も荒く駆け込んだ。

扉を開けてまず広がる広い居間にはカイナが居た。


カイナは雪が降る直前にイーヴァルンから婚礼衣装用の布と糸を得て戻って来ている。


「母さん!」


何事かと此方を窺うカイナに目もくれずリクファの自室に突撃した。


「何?いい歳してはしゃぎ過ぎよ」


自室で繕い物をしていたリクファは眉を顰めて顔を上げた。


「これ!指輪っ!」


「………あら」


突き出した掌を見てリクファは顔色一つ変えずに小さく相槌を打った。


「長かったわね」


ふん、と鼻息を吐いたリクファにリンファは突進し抱き付いた。

リクファは全身の筋肉に経を纏わり付かせ、その衝撃を耐えた。

胸元で泣くリンファの頭を口元にほんの少しの微笑を湛えて優しく撫でた。


騒動を聞き付けて家族がわらわらと集まってくる。

妹弟達は普段気の強い姉が取り乱し泣いている様子を見て何事かと戦々恐々と見守っていた。


年嵩のいった者達は義理の兄と何かがあったのだと分かったが良い方か悪い方か分からず固唾を飲んでいた。


「で?この子はいい歳して何を泣いてるわけ?」


機織りの手を止められて苛立ったクウルがつっけんどんに尋ねた。

しかしリンファは目から鼻から口から体液を染み出させて泣き喚いており答える事は出来ない。


「シンカと指輪を交換したそうよ」


淡々とリクファが告げ、一同は暫し無言になり考え込んだ。

次の瞬間家の中が音で爆発した。


「やった!やったぞ!」


幼子を抱いたままリンブは家から駆け出て里の上空に巨大な鳳仙火を打ち出し爆発させた。


走って追いかけて来たダゴタ出身の妻アレタに殴られて引き摺り戻される。


「良かったですね、リンファ」


「あー下らない」


シャラはにこやかに微笑みリンファを背から抱き、クウルは悪態をつきながらも軽く微笑んで頭を撫でた。


兄妹達が楽器を持ち出して調子の良い演奏を始め、各自が蓄えていた酒を持ち出し瓶ごと振って泡を撒き散らし始めた。


「こらあんた達馬鹿な事辞めなさい!」


怒鳴り散らすクウルの背後に現れたカイナがその頭上から泡を湯水の様にかける。


「何すんのよっ!?」


「クウル。私に感謝しなさい。ちょっと泣いてたの隠してあげたんだから」


「それをあんたが口にしたら何の意味もないでしょうが!」


カイナは怪しく笑って瓶の中身を喇叭で飲み始めた。

そして一息に飲み干して口を開く。


「宴よっ!」


困った表情でセンコウが騒ぐ大きな子供達を宥める。


「それじゃあ宴の準備をするから家を出た子達にも声をかけて来て貰える?」


何が起きているかよく分からないが場の雰囲気に流されてはしゃぎ家の中で小さな炎弾を破裂させていた10代前半の弟達がクウルに蹴り出されてお使いに出かけて行く。

残った女達は一斉に宴の支度を始めた。


「姉さん、本当に良かった……」


偶々嫁ぎ先から戻っていたリンスイが目尻を擦りながら姉を抱きしめる。


「あーあー。狙ってたのになぁ。私の方が若いのに。シンカ兄さんは年増好きかぁ」


リンドウがつまらなさそうに口に出した。


「………」


泣き腫らした目で睨みつけ、リンファはリンドウの周りに靄を起した。


「さっ、さむさむっ、お母さーん、姉さんがぁ」


腕を抱いてリンドウは慌てて逃げて行った。

どんよりした寒空の下、リンレイ家だけは陽気な音楽を垂れ流し、子供が剽軽に踊り、いい歳こいた男達が家の中で祝砲を上げていた。


叫び続けるリンブを妻のアレタが背後から羽交い締めにして押さえ付けている。

次男のリンハンは生真面目に宴の準備の為の円卓を妻ジーンと整え、三男のリンドは足で打楽器を打ち鳴らしながら小堤琴を顎で挟んで軽快にかき鳴らしている。


それに合わせて三女のリンゼイが陽気に歌を歌う。


10歳のカイナの子供が鳳仙火を起こして室内で破裂させていると扉が空き出かけていたリンレイが現れた。

鳳仙火の一つがリンレイに向かって飛び爆発した。


あまりの騒動に固まるリンレイにリンファが駆けて抱きついた。


「父さんっ!これっ!これっ!」


30歳を控えて泣き噦るリンファの頭を撫でる。


「そうかい。皆んなに祝って貰えて良かったねリンファ」


この騒動の中さらりと和かに笑って言うリンレイは矢張りあの母達の中心に立つに足る人間だとリンファは考えた。


つまりこの人もおかしいという事だ。

6歳と5歳の男児2人の襟首を掴みながらクウルが居間に顔を出した。


「あら、あんた帰ってきてたの?じゃあもう聞いた?」


「ああ。目出度いね」


「宴会よ!やっと行き遅れが売れたわ」


暴れる両手の子供を離すと一発ずつ拳骨をくれて解放した。

16歳のクウルの長男リンツが横笛を持ち出して現れる。


「母さん、彼女呼んでいい?」


「トウリちゃん?いいんじゃない?」


「やったっ!」


クウルに許可を得た横笛を吹きながら外へ出て行った。


到頭騒動は家から溢れ出た。




雪蔵で冬を満喫する4人組のモールイド人がいた。

男3人、女1人の4人組である。


男は1人が垂れ目で兎に角丸い男、1人は長身痩躯で不気味な程細長い。

そして最後の1人は純朴そうな若い男だ。


「思ったんですけど、サブリさん雪蔵の中で火を焚いたら上の雪が溶けますよね?」


「えっ?でも森渡り達も餅を焼いたりしてるよ?」


「規模が違うでしょうが!豚の丸焼きをする人がいますか?!」


若い男ニルスが怒鳴り散らす。

早速溶け始めた水滴がニルスの鼻に滴った。


「サブリさん。これ、その内崩れますよ?」


「待って!もう少し炙りたい。ニルスなんとか保たせて」


騒ぐ3人の横で元隊長レミは茶を啜った。

因みに捕虜となった9人の山渡りの内ハンス、コリン、モリスの3人の男は此処で妻を娶って家で新婚気分を味わっている。

エミルも森渡りの男と恋仲になって皆今更白雲の里には帰る気は無い。

1人だけ相手を見つけられなかったカラだけは鬱々とした日々を過ごしている様だ。


レミはと言えば茶を啜りながら1人の男の事を考えていた。

31にもなり男と手も握った事も無かったレミに春が来ていた。

なので真冬の吹雪に吹かれようともレミは寒く無い。


しかし彼は今年も冬籠りに帰ってこなかった。次に会った時は名前を聞こうと思っていたのにそれすらも叶っていない。


レミは知的な彼の眼差しを思い出していた。

彼と出会ったのは捕らえられて移送され、この里で暮らし始めた年の冬だった。


雪が降り始めた最初の日にレミが炭小屋の火の番をさせられている時、ふらりと里の入り口から現れた彼を見かけたのだ。


鋭い眼差しを遠目で見ていると気付けばレミの胸は高鳴っていた。

レミはそれが恋だと初めは気付かなかった。


以来彼を見つければ目で追うようになった。

彼は何時も1人だった。あまり人目につかない場所にある岩に座り何時も夕日を眺めていた。


彼の透き通る横顔をレミは見続けていた。


年を越し身を切るような寒さのある朝、レミは小川の側をなんとも無しに歩いていた。

レミはふと屋根の上に座り遠くを見つめる黒い狐を見つけ、その姿に意識を奪われた。

そうして足元の拳大の石に躓き態勢を崩した。

あわや川に落ちんとした時その身体を抱き留め支えるものがあった。

レミはその人物を見上げる。彼だった。


「気を付けて」


初めて聴いた彼の声は耳障りの良いもので、レミは暫し身動き一つ取ることが出来なかった。

彼はそっとレミを元どおりに立たせて薄く笑う。


「里の人じゃ無いんだね。誰かの恋人?」


年の頃は20半ばから後半だろう。森渡りの人々は皆若々しく歳を判別しにくい。

かく言うレミもこの里に来てから肌艶が若返るのを感じていた。

食べ物が良いらしい。


彼の問いにレミは首を振った。

純粋な乙女の様に彼の存在に縮こまりレミは言葉を紡げなかった。

いや、レミは純粋な乙女だった。31だが。


この里では結婚した者は必ず指輪をする。

彼の指に指輪が無いのを見て取ってレミは内心小躍りした。


「あの、何時もあの岩に座っていますよね?何をされているのですか?」


勇気を振り絞りレミは話しかけた。


「僕達はこのままで良いのかって考えてるんだ。何かをしている訳じゃない」


何処か決意に満ちたその表情にレミは見惚れた。


以来その男とレミは度々話をする様になった。

他愛の無い会話ばかりだったが2人は何時しか手をつなぐ様になり、口付けまで交わした。それはたった一冬の出来事だった。


春になり彼は旅立った。以来戻らぬ彼をレミは待っていた。


一方でウジンとサブリはいつも通りだった。

サブリは食事の美味いこの里が気に入り、ウジンは腐れ縁のサブリに付き合っていた。

ニルスは好意を抱いていたレミに男の気配を感じ悲しみに暮れていた。


そうして迎えた3度目の冬、すっかり慣れた山渡り達は随分と気軽にこの里で暮らしていた。


今にも雪が降りそうな曇天の下雪蔵で豚を丸焼きにするくらいである。

と、懸念していた通り雪蔵の天辺が溶け崩れてニルスの頭を強打した。


「もうやめて下さいよサブリさん!どう考えても頭おかしいですよ!そもそもなんで僕を誘うんですか!?」


切れたニルスが怒鳴り散らした。


「え?森渡り特製の飼料で育てられた高級豚だよ?要らないの?」


「合同の調理場でも出来た筈です!雪蔵でこんな勢いの焚き火を起こすなんて馬鹿じゃ無いですか!?」


「いや、雪蔵は俺が勧めた」


答えたウジンにニルスは口を半開きにして唖然とした。


「貴方も狂っていたんですね」


その言葉を聞いたレミがぼそりと呟く。


「2人とも可笑しくないと一緒には居られないわよね」


その通りだとニルスは考えた。


「おい肉団子。何か音が聞こえないか?」


「お?」


耳をすますと何かが爆発する音が聞こえた。


「戦か?」


ウジンが疑念を顔に出し雪蔵から出た。


「えっ!?まだ肉焼けてないのに!」


到頭レミがサブリの頭を引っ叩いた。

雪蔵から這い出してかかった雪を払い落としたニルスが耳を澄ます。

と、突如男の雄叫びと共に大きな鳳仙火が打ち上がり遥か頭上で爆散した。


「様子がおかしいですよレミ様」


「何かしら?」


千穴壁から顔を出して様子を窺う森渡り達がちらほら窺えたがさしたる反応無く家に引っ込んで行く。

微かに風に乗って陽気な楽器の調べが聴こえた。


「祭か?」


「聞いてないよっ!」


ウジンの呟きに何故かサブリが激怒した。


「いえ、そう言う訳では無いと思います」


「音楽に歓声か」


ウジンとニルスが議論していると口から肛門まで杭で貫通させた豚を携えたサブリが雪蔵の入り口をぶち壊しながら目を吊り上げて現れた。


「祭があるなんて聞いてたら大事な豚は焼かなかったっ!」


「ねーよっ!話聞け豚!」


「絶対あげないからねっ!」


騒いでいると千穴壁の上の方からはっきりと横笛の調べが聞こえ始めた。

白い装備を着込んで小隊戦の訓練をしていた子供達が駆けて来てサブリに集った。


「おい団子!肉寄越せ!」


「食べてばっかいないで働いて痩せろ!」


「そうだぞ!修練積んで痩せろ!」


「黙れ糞餓鬼!」


集った子供達が一斉に散るとサブリの手に持つこんがり焼けた豚の姿焼きは骨を残すだけとなっていた。

集った子供達がそれぞれ短剣で剥ぎ取って行ったのだ。


「僕の豚!?」


頭を抱えるサブリを指差してウジンが笑った。

そうこうしている内に笛の音色に釣られて大人達が千穴壁を見上げ始める。


「あれはリンツか?」


「リンレイのとこの三男か。何事だ?」


「何か慶事でもあったのかしら?」


「あの家で慶事?」


「シンカか?」


「シンカなら確か4人の女と結婚するのよね?」


「それなら今更だろう?」


「結婚?」


「リンファ?」


「シンカとリンファ?」


歓声が上がった。


「馬鹿!お前が叫ぶと鳥が来るぞナンム!」


「いやぁ目出度い!嫁ぎ遅れのリンファが到頭結婚か!」


「ちょっと32歳独身の私の隣でよくそんな台詞を!」


騒いでいると老人が2人、人集りに向かって来た。

五老のリクゲンとウンハだ。


「何を騒いどる!」


「この寒空で元気だのぉ」


のそのそと現れた2人の老人に皆が向き合った。


「長老!どうもシンカとリンファが結婚する事になったのでは無いかと皆で噂をしておりました」


1人が老人達に説明を行う。


「なっ、なんじゃとっ!?」


リクゲンは驚愕に眼を見開いたかと思うとその場に崩れ落ちた。


「ひょっ!?」


それに驚いたウンハも腰を抜かした。


「そ、それは誠なのか皆の者!儂はもう娘に理不尽に、もとい行き遅れた孫娘が到頭っ、ぅぅぅ、美味い酒が………誰ぞ連れて来い!」


リクゲンの剣幕に数人が走り出し、暢気に横笛を吹きながら恋人の実家に向かったリンツの姿を猟犬のように追った。数人は土行を行い崖を這い上っていく。


僅かな時間でリンツとその恋人トウリが引っ立てられた。


「何するんだ糞爺!」


暴れ狂って右眼から熱線を撃ち出したリンツを複数人の氷壁で抑え込む。


隣で楚々とした見た目のトウリが下着が見える事も考慮せず、鋭い足技で抑える男の延髄に蹴りを入れて昏倒させ、慌てて更に4倍の人員で漸く取り押さえた。


「ちょ、ちょっと何してるの?!そんな手荒な真似すると儂が娘に怒られるんじゃけど!」


動揺して視線を彷徨わせる老人を尻目に中年の男が口を開く。


「リンツ。大事な話だ。お前は何故笛を吹いていた?」


「知れた事!俺の嫁ぎ遅れた姉が漸くシンカ兄さんと指輪を交換したのだ!姉の慶事を喜んで何が悪い!」


怒鳴るリンツを前に森渡り達はリクゲンを見遣った。


「………宴じゃああああああああああああああああああああああああっ!」


老人の叫びに周囲の森渡り達は雄叫びを上げた。


「そう来ると思ったぜ!」


「だな!リンツを逃せば酒が遠退くと思ったんだ!手荒にして悪かったな!」


「冷える日には酒だよな!………所でお前の彼女、大分凶暴だけど……大丈夫か?」


口々に謝罪を受けたリンツとトウリは機嫌を直して実家に帰って行く。


残された森渡り達は瞬時に広場を宴会場を作り上げ、酒や料理を持ち込み楽器を演奏し始めた。

陽気な騒ぎ声や音楽に次々と春の新芽の様にぽこぽこと穴から顔を出した里の者達が宴会場を目に止め、一度家に引っ込むと楽器と酒を手に走って向かい始める。

千穴壁は齷齪と働く蟻の巣の様に人が溢れておまけに楽器が鳴らされていた。


「………こいつら、こんなに暢気でいいのか?………こんな山奥で………」


ぼそりとウジンが呟いた。

彼の相方のサブリは既に食べ物に向かい突撃していき隣にいない。

ニルスが肩を竦めた。



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