夜凪
森暦194年秋下月。夏も盛りの炎天下の中、御告げに従い勇者としてアケルエントに選定されたエッカルトは王都ペルポリスの練兵場で今日も王女に剣の稽古を付けられていた。
何度も体を打たれてエッカルトは白茶けた砂地に倒れこむ。
「立ちなさい。貴方は我が国の勇者として地位や名誉と引き換えに自由を失ったのよ。金も、女も地位も得た。それを甘受する貴方が一王女である私にいいように転がされていていい筈がないのよ」
ダーラは冷たく言い放った。
そも、ダーラはこの男を好いていない。
卑俗な男だった。
その見目の良さで器量好しの侍女を誑し込み、靡かぬ女は勇者という地位を嵩に組み敷いている、と報告に上がっている。
彼女達はこの男に手を焼いていた。
確かに才はある。しかしダーラに転がされている様では万の兵を殺すという龍を討てるとは到底思えない。
エッカルトは予言に従い龍を倒す勇者として召し抱えられたのだ。
鍛錬を終えて汗を流したダーラはその足で神殿へと向かった。
王城三階の霊殿前には多数の兵士が詰めていた。
一度エッカルトがカリオピに男女の関係を迫って以来、激怒したウィシュターが兵を増やしてカリオピを守らせていた。
霊媒師は処女を失えばその能力を失う。
そんな事態が起こればウィシュターは勇者を処刑せざるを得なくなる。
男とは愚かだとダーラは思った。
その思いから連想して、ダーラはペルポリスから逃走したもう1人のアガドとシメーリアの混血を思い出す。
あの男は王女であるダーラに裸体を晒し平然としていた不埒な男だ。
陽の高いうちから女を褥に連れ込み卑猥な行いをしていたのだ。
だがその体はエッカルトよりも更に鍛えられていた。
「どうしたのですか?」
欅の周辺を掃き清めていたカリオピに声を掛けられた。
「カリオピ。私にはどうにもあの下衆がお告げの勇者だとは思えないのよ」
ダーラは自らの掌を眺めながら言葉を発した。
その掌には確かにエッカルトを打ち据えた感触が残っていた。
「ですが、混血の男の方はエッカルト様しかおられなかったのでしょう?」
カリオピは小首を傾げて答えた。
アガド人はこの西大陸では珍しい。シメーリア人もアガド人程ではないが珍しい。
況してや常に覇権を争い合う2人種の混血ともなれば珍しいを超えてほぼ無いと言って過言ではない。
「……それが、この前阿保傭兵を連れに行った時に出会ったのよ。少なくともエッカルトよりは見込みがありそうだったわね」
「一目で分かる特徴は有ったのですか?」
「無いわね。見た目は程々に良いと言ったところよ」
「そもそもなのですが、欅様の一目で分かるというお告げは欅様の価値による所である筈です。欅様の一目、とはそのお方の身形を表すものなのでしょうか?」
美しい姿勢で立ちながらカリオピは問いかけた。
「でも私達には見て分かる物なんて見た目くらいよ?」
カリオピの言は理解できる。欅の精が幾ら人に飲み込みやすい様に告げられたとしても欅の精は人では無い以上、言葉を額面通りに捉えている場合ではなかったのかもしれない。
「ギギル様ならもしかすると何か分かったのかも知れませんね」
カリオピが言うギギルとは現在の宮廷行法士長の事である。
先代に勝るとも劣らない優秀な男だ。
「経……。あり得るわね。欅様が気にするなら見た目より経ね。ちっ、あの男」
「殿下?何か心当たりがお有りなのでしょうか?」
「さっき言った男よ。もしあの男がエッカルトと同じ日にペルポリスに訪れていたとしたら?私に嘘の到着日を教えていたとしたら?何か知っていたとしたら?」
「私には分かりかねます。申し訳ありません」
「いいのよ。………調べる必要があるわね。誰か!ディミトリとテオを呼びなさい!」
ダーラが命じて四半刻後に2人は場を謁見の間に移したダーラの元にやってきた。
「参上致しました」
そう言葉にした2人にダーラは楽にする様命じた。
「ディミトリ、テオ。貴方がこの前酒の席を共にしていたあの男。何者か教えてくれる?」
尋ねられた内容が突拍子も無かったのか2人は顔を見合わせた。
「混血の男の事でしょうか?彼ならシンカという名ですが、ダーラ様にお仕えする様、誘いましたが断られております」
ディミトリの口にした言葉にダーラは疑問を覚える。
「仕える様に進めたというの?何故?」
「彼と出会ったのは我々がベルガナの第一次侵攻に参加している時でした。マルンの砦で立て籠もるヴィティア勢を攻める際に彼はヴィティア勢として立ち塞がりました。類稀な戦士であり行法士でありました。彼ならダーラ様のお役に立つのでは無いかと考えまして」
「行法士?」
「はい。見たことも無い強力な土と水の行法を使いこなしていました。一人で雲梯を潰す程、と言えばその力量がお分かりになるのでは無いでしょうか?」
「うちのギギルよりも優れているわね。剣の腕は?」
「……失礼を承知で発言させて頂くと、陛下と殿下がお2人同時に戦っても凌ぐのでは無いでしょうか?」
「………相当ね。………まさかあの男がお告げの……?」
そこでふとダーラは思い至る。
あの男とその連れにダーラは確実に嫌われている。
人を人と思わぬ随分な対応を行った自覚があった。
あの日、ダーラは前夜に出会った混血の男が随分と気になり翌日思い立つや否や彼の泊まる宿を調べ上げて乗り込んだのだった。
其処には遠慮という言葉は無く、兎に角人品を確かめようという気しか持ち合わせていなかったのだ。
思いの外エッカルトが弱かった事やお告げの事態が起こった際の国への影響を考えると居ても立っても居られなかったのだ。
今となってはその焦りは完全に裏目に出てしまっていた。
だからこそ彼は翌日ダーラと顔を合わせる前に街を出たのだ。
「貴方達は彼の行き先を知ってる?」
「コブシに向かうと言っていましたが……」
「!?……国外。……いいえ。行き先が分かっているだけまだましね。ディミトリ、テオ。貴方達に命令よ。報酬は支払います。そのシンカという男を見つけ、客人として王城へ連れなさい」
表面上どの国もあいも変わらず戦を続けていた。
ベルガナは反乱軍をスライから追い出し砦で治療攻防戦を繰り広げ、メルセテでは三つ巴の内乱を繰り広げている。
コブシは三つ巴どころか各地の守護が同時多発的に後継者争いを繰り広げて、都は三日三晩に渡って燃え上がり、以来全国で争いが続いている。
少しでも北の土地を得たいナルセフがオスラクへ派兵し、ガルクルトとリュギルも国境で小競り合いを繰り広げていた。
人はあいも変わらず同種を殺す事に没頭していた。
国どころか人という種の危機に瀕している等と考える者はごく僅かでしかなかった。
シンカ達が幸福に満ち溢れ、煮詰めた蜂蜜の様な甘ったるい生活を送っている頃、コブシは戦乱の真っ最中であった。
元々今のコブシ貴族にはさしたる権力も無く、各地は守護と呼ばれる軍人が其々治めていた。
中央は将軍家であるガウナ一族が治めているはずが、大権は将軍の補佐職である官僚が得ており機能していなかった。100年程前に元々世襲で将軍位を得ていたジウン家を打倒する際、己ら一族の力が足りず各地の守護達の力を借りた。
その為、元々中央の権勢に翳りのある治世であった。
それでも当初は王家に匹敵する権力を持ってはいたが世襲を行う毎に力を失い、管領や各地の守護達が力を増す事となった。
事が起こったのは17年も前の事となる。
大管領の跡目騒動を他家であるホウセン一族と大守護サンメイ一族が其々後押しする事で王の膝下である都で戦乱が勃発した。
都は三日三晩炎上する事となり、以来其々の派閥に分かれて全国で管領や守護による後継者争いが続いていた。
14年もの間内乱が続いたのだ。
その女は薬師であった。
短髪のウバルド人で、目を見張るほどでは無いが整った顔立ちで男の目を引いた。
女はコブシ南東部のイロイ家が治める都市、イラセに居を構えて日々薬師として生活していた。
女の名はシドリと言った。
彼女は旅の薬師でそれ以前はヴィティア、ベルガナ近隣を旅して回っていたが、戦乱に巻き込まれて辛くも逃げ延びるとコブシへ向かった。
以来一年弱の間イラセで生活していたが、其処でイロイ一族の放蕩息子に目を付けられ、到頭街を逃げ出す事となったのだった。
イロイ一族は落ち目であったし、シドリはそもそもモールイド人は恋愛の対象ではなかった。彼女は自身と同じウバルド人が好みであった。
イラセから逃れたシドリであったが彼女には追っ手が掛かった。
コブシではウバルド人はよく目立つ。町や村に立ち寄る事も出来ず、魍魎に怯えながら只管南東のアケルエントを目指した。
衣服は破れ、転んだ拍子にあちこちを擦りむき、挙句肩には射られた矢まで突き立っていた。
森を彷徨ううちにシドリは到頭道を失い、4日もの間彷徨う事となった。内2日は草の根を食べる様な有様であった。
意識が朦朧とする中、シドリは傾斜を登っていた。ふらつく身体を必死で動かし少しでも前に進むべく辛うじて意識を繋ぎとめていた。
「私は、こんな所で……」
コブシは最悪の国だ。
すぐ争い、親でも簡単に殺し、兄弟と争う。
家族間の繋がりも薄い。
だからこの様な無様な内乱が起こるのだ。
だが川や山岳地帯が多く、また戦いに明け暮れるあまり兵が精強でマルケリアも手出しができていない。
狭い国土の中で親族や友人を裏切り骨肉の争いを繰り広げる醜い国だった。
シドリは病に倒れていた所を師に救われて薬師の道を目指した。
まだ満足に人を救えていないのだ。
辺りは暗くなり何一つ見通せない程闇の帳が下りていた。
手元さえも見通せぬ世闇の中でシドリは手探りで進んでいった。
斜面を登りきった時、シドリは幻想を見ていると感じた。
到頭そこまで来てしまったかと。
目の前に広がる光景を棒立ちで暫し眺めていた。
其処には立派な庭付きのコブシ家屋が立っていた。
貴族が住む様な立派な縁側が設えられた美しく風流な家だった。
白砂の庭に形の良い庭木が程よく風靡に植えられ、小川まで流れている。
白砂が月光を吸い取って輝き、家屋を闇の中に浮かび上がらせていた。
悪霊がシドリの命を奪う為に幻覚を見せているのでは無いか。
そう考えた。
深い森のその先、人の出入りの無い山奥だ。
「あ、はははは」
思わず笑い声が口から飛び出した。
この先に進んでは命を失うのでは無いか。こんな山中に家があるはずがない。
そんな考えが脳裏を回り続けていた。
左方では池に水が流れる音が聞こえる。
それだけが唯一の物音だった。
四半刻も棒立ちになっていただろうか。
シドリはゆっくりと池に歩み寄った。
喉が渇いていたのだ。水を飲みたかった。
池に近寄りしゃがみ込んでシドリはそのまま固まった。
「おや。シドリではありませんか。奇遇ですね」
悲鳴を上げなかったのが奇跡であった。
池の中に白髪の女がいたのだ。
友人のナウラであった。
「な、な、ナウ………なんでっ……え?」
「なんでとは?ここは私達の家です。寧ろ私の方こそ貴女に問いたいものです。其処までして私の裸体を見たかったのですか?私は女色の気は無いので申し訳ありませんが」
「ごめん、全然意味が分からない」
シドリが真顔で返すとナウラは無表情で肩を竦め、やれやれと首を横に振った。
腹の立つ仕草であった。
「冗談は兎も角、血の匂いがします。怪我をしていますね。治療しましょう。まずは染みるでしょうが此処に浸かって下さい」
服を剥ぎ取られて池に突き落とされた。
水の冷やかさを覚悟したが、感じたのは温かみであった。
「お、お湯?」
「ええ。温泉です」
「いたたたたたたた!」
肩の傷口が激しく痛んだ。
「自分で身体を洗って下さい。私は傷口を調べます」
薄暗い中ナウラはシドリの背後に回り傷口を確認した。
「運がいいですね。骨は傷付けていない様です。身体を清めたら治療します」
シドリの心中は混乱のあまり掻き乱され、思考は停止していた。
夢なのではないかと今だに考えていた。
湯から上がったナウラは手拭いで身体の水気を拭い綿製の赤地に白い小花を散らせた小袖を着込み、家屋に入っていった。
家屋から戻ってくると着替えを手にしており、シドリの身体を拭うと傷口を避けてそれを着せ込んだ。
「さあ。此方に」
手を引かれて平石を渡って母屋に辿り着くと縁側から上がり、板戸を開く。
「うん。久しいな」
矢張りと言うべきかナウラの伴侶であるシンカともう1人の伴侶のヴィダードに弟子のユタが囲炉裏を囲んで座っていた。
1人初見のアガド人女性もいる。
「……これは現実なの?私、さっきまで死に掛けてたのよ?」
「身の上話は後でいい。まず其処に布を引いたからうつ伏せになれ。ナウラ。処置をしてやれ」
言われるまま横になると麻の貫頭衣に着替えたナウラが現れる。不思議な光沢の手袋を嵌めている。
「少しちくっとします。感覚を麻痺させる薬品を針で打ち込みます」
ナウラは先端に針の付いた筒に何かの薬を込めてシドリの背、傷口付近数カ所に刺した。
少しすると痛みが引いていく。
ごく小さな短刀を無色の酒に付けるとそのまま矢傷の周りを切り開いた。
「ナウラ。分かっていると思うが、身体を切るときは筋繊維を切断するのではなく、筋繊維の隙間を割り開くように切る事だ。その方が再生が容易で早くなる。つまり」
「身体への負担が少なくなります。問題ありません。シドリ。大丈夫です。傷跡無く癒して差し上げます」
「……矢傷は切り傷よりも痕が残りやすいわよ。大口叩いて失敗しても、知らないわよ……」
この人達がとても優秀である事はシドリも知っている。
最早命の心配などしていない。
鈴剣流の女剣士ユタがシドリに水を運んで来た。
「蜜柑の果汁を絞ってあるから美味しいよ」
三白眼で可憐に笑うという器用な芸当をこなし、水の注がれた椀を差し出す。
気が削がれた隙にナウラが矢を一気に引き抜いた。
「あああっ!うあああああ!」
痛みに身体が鈍くなっていたとはいえ十分な痛みだった。
漸く息が落ち着くとシドリは与えられた果汁を飲み干した。
ユタの言葉の通りとても美味で、乾ききったシドリの喉を潤した。
急にユタともう1人の名を知らぬアガド人の女に手足を押さえつけられた。猿轡もかまされる。
「痛みます」
酒に浸された布が傷口に押し当てられた。
「むうおおおおおおおあおおおおおおっ!?おおおおおっ!」
暴れるが押さえつけられて身動きが取れなかった。
激痛が走ったのだ。
「続きます」
何かの粉薬が傷口に振りかけられる。
「おおおおおあああっ!?」
先よりは痛みに劣るが焼けるように傷口が痛む。
シドリは目の前が白く染まり意識を失った。
次に意識を持った時、シドリは仰向けに寝そべっていた。
額に濡れた布が当てられ、ナウラが小まめに顔や身体の汗を拭ってくれていた。
「………悪いわね」
嗄れた声が出た事に少しだけ驚いた。
言葉を聞いたナウラはピクリとも表情を動かさず、
「友人ですから」
冷たい声音で温かな言葉を発した。
シドリは1年前に彼女と共に少しの間過ごし、彼女が情緒豊かで、茶目っ気に溢れ、優しい人柄である事を知っていた。
強くあらねばならないと気を張り詰めて女1人で旅をして来た。
気の緩みからか、シドリは目尻から涙を流していた。
気の緩み。それは言い訳だ。
優しい友人達を持てたことへの喜びの涙だ。
そんな大切な気持ちにまで肩肘張って嘘をつくのは良くないことだ。
シドリが転がり込んできてから数日が経った。
縁側で買い求めた畳表を裁断し、畳床に貼り付けていると背後から気配を感じた。
「漸く起きたか」
振り返る事なく声を掛けた。
「……世話になったわね」
手元の土瓶の中の冷えた水をぼそりと礼を述べたシドリに注いだ。
シドリは大人しくシンカの隣、人2人分ほど合間を開けて腰掛けた。
まだ残暑が厳しいが、蝉の声は少なくなりつつある。季節は既に秋。冬上月に時期に移り変わる。
この辺りは山の名の通り楓が多く、時折銀杏も見られる。冬中月ともなればさぞかし美しい紅葉を見ることができるだろう。
手作りの少し歪な形の湯呑みで冷えた湧き水の水を飲み、庭で組み合って喧嘩をしているナウラとヴィダードを見つめる。
「貴方。今おっさん臭い顔付きだったわよ。娘を見守る父じゃないんだから」
「勿論女としての愛情もあるが、この感情を一つの括りで縛ることはできない。妹の様であり、娘の様でもある」
「でも全員抱いてるんでしょ?不潔ね」
「気持ちが通じ合っているのだから抱かぬ方が失礼だろう。大体ナウラとヴィーは初め俺を薬と酒で潰して押し倒したのだ。俺は寧ろ被害者なのだ」
「あの2人ならやりかねないわね」
暫く2人無言で景色を見つめていた。
庭に引いた小川に小魚が泳いでいたらしくユタが突入した。
カヤテは上半身を肌蹴て腕や腹の筋肉の切れを確認している。少しは羞恥心を持って欲しい。
環境への適応とは恐ろしいものだ。
「こんな山奥に住むなんてね。魍魎とか、大丈夫なの?」
聞かれるが、シドリの声音では恐らく心配などしていないのだろうことが分かった。
「魍魎の嫌う木や草を一帯に植えている。茅葺にも嫌われる匂いの煙を焚き込めた。火を炊く時も薪はそれを使うし、一帯に罠も張ってある」
シドリは興味が無かったのか暫しぼんやりとしていた様だった。
状況を整理しているのだろう。
生命の危機にあり、始めてゆっくり物事を考えるゆとりを得たのだ。
当然だろう。
シンカは畳張りに意識を移し只管に時間が過ぎていった。
外ではヴィダードが暴れる余り転んで膝を擦りむいたのをナウラが処置している。
ユタは魚を追い散らした後、浅い川に仰向けになり、ゆっくりと流されて遊んでいる。口には鹿の干し肉が咥えられている。
カヤテは視線に気付いて顔を赤らめ、服を着込むと素振りを始めた。
伊達に腕が良いせいで時折周囲に小さな旋風が巻き起こる。
「私、死にかけたのね……」
ぼそりとまたシドリが呟く。
「危ないところだった。この家に辿り着かねば十中八九死んでいただろう」
「貴方達にまた助けられたわね。ほんとにありがとう。この恩は必ず返すわ。傷も綺麗に治ってるし」
「礼ならナウラに。あれは口では言わんがお前を大切な友人だと思っている」
「ナウラにもお礼は言うわよ。でもナウラが居なくたって貴方は助けてくれたでしょ?だから、ありがとう」
シドリの真っ直ぐな視線にシンカは気恥ずかしくなり畳に視線を戻した。
「でも、それだけの能力があればもっと沢山の無力な人達を救える。どうしてそうしないの?……責めてるわけじゃないわ。純粋に知りたいだけ」
シドリは以前ヴィティアで出会った時から志が高く弱者に寄り添おうとする聖人の類であった。
彼女がシンカの、森渡りの在り方に疑問を持つのは当然だろう。
「我等が作る薬は矢傷を瞬時に直し、裂かれた腹を合わせ、失われた腕を生やす。戦場でそれはどれ程役に立とうか。それは最早兵器と言えるだろう。サルマ・ベルガナがスライを落とす為に持ち出した大筒と戦に与える影響は遜色ないであろう。国家はそれを得る為にどの様なことでもするだろう」
「………そうね」
シドリは可憐な口元に細い指を当てがい考えた。
「我等はそうして同胞を玩具の様に扱われた過去を持つ」
「ごめんなさい。そこまででいいわ。有難う。貴方は権力が憎いのね」
そう言ってシドリは目を伏せた。
シンカも畳を張る作業を止めず、黙々と手を動かした。
「お前にこれらの薬の知識を教えることもできない。みすみすお前が権力者に狙われる状況に置くわけにはいかん。ナウラが悲しむ」
シンカがそう言うとシドリは揶揄う様な表情を浮かべる。
「あら。貴方は悲しんでくれないの?」
「悲しいさ。友人だと思っている。当然だろう?」
手を止め目を見据えて言うとシドリは顔を赤く染めて照れ隠しにシンカの肩を叩いた。
「貴方も勝手に野垂れ死ぬんじゃないわよ」
暫くの後シドリはシンカ達の家を去っていった。秋も更ければ冬眠の前に魍魎達が活発化する。その前に彼女を送り出した。
ナウラはシドリが泣いて謝るまで雛豆を煮潰したものと焼き上げた麵麭を餞別に食べさせ続けた。
シドリは去り際にこの家に名を付けていった。
夜凪亭と。シンカはとても気に入っていた。
彼女が去ったのは落葉が始まり、楓が色付き始めた頃であった。
シンカ達は戦場や敵中を駆けた記憶をさっぱり塗りつぶしてしまうかの様に緩やかに過ごした。
軈て楓が真っ赤に紅葉して山を一面美しく彩り、所々に目に鮮やかな黄色に銀杏が色付いてもその日々は変わらなかった。
木の実や果実、茸を取り冬に向けて蓄え始める。
ナウラは鳥や獣をユタと共に狩って燻製や干し肉、塩漬けにし、ヴィダードは買い求めた野菜を自作の糠床で漬け始めた。
何処かで話した様に、ヴィダードはコブシの料理が口や身体に合った様で食べる量が増し、少しだけ、ほんの少しだけ肉付きが良くなった。
誤差の範囲内とも言えたが本人がとても喜んでいたので、さしものナウラも無言で憐れみの目を向けるだけで終わった。
夏場から多めに買い集め、少しづつ米も蓄え、狩った鳥の綿羽を集めて厚手の掛布団までこさえていた。
シンカ達は5人で紅葉を眺めながら酒を楽しんだ。
「はぁ。此処でこうしてゆっくりしていると自分が何者であったのか忘れそうになるぞ」
怪しい台詞をカヤテが呟く。
「大丈夫か?身体の筋肉が落ちた分脳が筋肉になってしまったか?」
「そ、そんな事が起こるのか!?不味い。鍛錬を増やさねば!」
カヤテは顔色を青ざめさせて慌て始めた。
「カヤテ。揶揄われていますよ」
「なんだとっ!?騙されたのか!?」
ナウラに指摘され眉を釣り上げる。
「いや、自分の名前も覚えられないと言うから……」
「其処までは言っておらん!」
ほんの数瞬前まで穏やかに庭を眺めていたと言うのに直ぐに姦しくなる。
「……カヤテ………こんなに風情があるお酒の席なんだから少し静かにしようよ……」
先程までナウラと浅ましく摘みの奪い合いをしていたユタがカヤテを窘めた。
お前には言われたくないとシンカは思ったが、賢いので口に出しはしない。
「綺麗ねえ」
ぴたりとシンカの右側に張り付く様に座ったヴィダードが両手でお猪口を持ちながら呟いた。
白砂の庭にヴィダードが植えた形の良い楓も綺麗に色付き庭を彩っている。
「何故だ……まるで私が悪いみたいではないか。シンカが私を苛めた所為なのに……」
「苛める。ふふ。随分と胡乱な言葉が出て来ましたね。にあ」
「言わせぬぞ!私も子女だ。現に苛められて国から落ち延びたではないか。なあシンカ。私は女らしくないのか?」
カヤテは目を努力して潤ませようとしながら上目遣いにシンカへ問うた。
「その様なことはない。ないが、俺が憧れた気高い女騎士は消えてしまったのだな」
「どう言うことだっ!?」
眉を釣り上げてシンカの肩を掴み揺さぶる。
カヤテの手が届く前に素早く清酒を飲み干し酒が溢れるのを未然に防いだ。
シンカがカヤテに揺さぶられるのに合わせて隣のヴィダードも揺られ、彼女の酒がお猪口から溢れた。
本当に穏やかな日々だ。
出自も立場も何の関係のなかった5人がこうして出会い、一同に暮らしている。
意識した事は無かったが改めて考えるととても不思議な、奇跡的な出来事に思えた。
夜になれば5人は皆で露天風呂へ赴いた。
小さな松明をヴィダードが植えたいくつかの紅葉樹の袂に飾り、風呂から照らし出される紅葉を眺めた。
「風流だ。素晴らしい。ミト様にお見せしたい。ミト様と一緒に」
辺りは暗く窺う事は出来なかったがカヤテは泣いている様だった。
彼女にとってシンカは二番手だ。それは分かっている。
伴侶より妹の方が大切で悪い事などない。少し悔しくはあるが、それがカヤテだ。
それでも、一族に居られなくなったという理由であっても好いた女と過ごせる事にシンカは感謝していた。
彼女の一族がこれからどうなるかは分からない。
だがミトリアーレ1人程度ならシンカの腕で守りきる事はできるだろう。
初めて彼女達と出会った時、そうした様に。
カヤテが自分を好いてくれている事は分かっている。
何も無ければ自分とずっと居てくれるであろう事も。
それで十分だ。後は必要な時に自分が間違える事なくカヤテを支えればよい。
「この紅葉が終われば直に雪が降る。雪景色もまた風情なものだぞ」
「雪が。グレンデーラも雪は降るが、あまり積もらんのだ」
「エンディラもです。エンディラは風が強く乾燥しており降っても一寸程度。それも直ぐに吹かれて消えてしまいます」
「………・狩幡は結構積もるよ。でも寒過ぎて直ぐに固まっちゃうんだ。………鈴紀社も冬は出歩けない程で男の人が言ってたけど外でおしっこすると直ぐに凍って出口が塞がって履物にかかるんだって」
「ユタ。淑女はその様な事を話すべきでは無いぞ」
「僕だってみんな以外にはこんな話しないよ?」
ユタが薄暗がりの中淡く笑うのが見えた。可憐さに思わず凝視してしまった。
ヴィダードは直ぐに逆上せてしまい、今は岩の上に腰掛けて脚だけを湯に浸けている。
冷気に晒されて薄桃色の可憐な乳頭が小さくしこっているのが目にとまる。
薄暗闇の中で純白の肌が浮かび上がっている。
ナウラは岩に頭を乗せて足の先まで体を伸ばし、湯に浮いている。
豊満な乳房が水面から顔を出し、滑らかな黒い肌を水滴が伝い落ちる。
思わず手を伸ばして乳房を柔らかく掴んだ。
ナウラは一度片目だけ開けてシンカを一瞥した後再び目を閉じた。
深く体を沈め、天を見上げた。




