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血染めの白亜

それは昼下がりの事であった。まだ寒々しい春の中、その日は日差しが心地よく、綻びかけた花の芽から柔らかい芳香が漂っていた。


カヤテ・グレンデルの処刑が行われる2日前の事であった。


人々は家から足を踏み出して往来は賑やかで、子は街路を駆け回り、大人はそれぞれの仕事に精を出していた。

ケツァルの街は穏やかで、犯罪の気配など微塵も感じられない正午の事。


初めに異変に気付いたのは王城への架け橋で欠伸を噛み殺しながら見張りを行なっていた衛兵であった。


「お?」


衛兵とは反対側の袂に黒い人影が立っていた。


「おい、あれ………」


堀の枯れて黒ずんだ蓮の葉を眺めていた同僚に声をかけた。


人影は異様な風体であった。

全身を黒い衣類で覆い、顔まで隠した人影だ。

人種も国籍も判別できないが、骨格で男である事だけ分かった。


顔には狐を模した黒い面を付けていたが、目の部分が閉じた造形で遠目では瞳の色も分からない。

狐面の男は無手でぶらりと佇んでいた。


気負いのない立ち姿であったが、衛兵2人が受け取った印象は異なった。

圧倒的な殺意。それが黒い霧となって立ち上がるかの如き幻影を見た。


それ程までの悪意が狐面の男から湧き上がっていた。

衛兵2人は仰け反り、片足を引いた。

気圧されていた。

呼吸すら忘れていた。


「………っ何奴!」


思い出した様に槍を構える。

狐面の男は真っ直ぐに異様な雰囲気を纏わせつつ城へ向かい歩み寄ってきた。


「そこの者!止まれっ」


始めに気づいた衛兵が槍を向け声を荒げると、男は首を傾げた。


「1つ質問なのだが」


徐に声を発する。ひどく緩やかな声は小春日和の温かな空気によく馴染んだ。


「グレンデルの女騎士の処刑をどう思う?」


なぜそんな事を、と初めは質問の意味をよく認識出来ないでいた。

疑問に固まった1人目の衛兵の横で2人目が口を開いた。


「売国奴の事か。穢らわしい女だぜ。死んで当然だ!」


槍を握りながら興奮して話す2人目の衛兵に対し、1人目の衛兵は無言を貫いた。

男はグレンデーラに滞在した事があった。何も知らないが、カヤテ・グレンデルがその様な行いをするとは思えなかった。名高いグレンデル一族の副将が。


風が吹いた。

ふと気になり隣を見ると、カヤテを悪し様に罵った同僚の体が腰上で斜めに分断され、上半身が地にずれ落ちた所だった。

続き崩れ落ちた下半身から腸が零れ出る。


「………は?」


狐面の男は無手だ。経を練った気配も無かった。


「ま、まさか……剣も振るわずに、雷光石火を!?」


衛兵は千剣流を身につけていた。位を得るほどの腕では無かったが、幾度か高弟の技を目にした事があった。

他の流派の技を目にしたことはないが、それが千剣流礼位を得る為に必要な技である雷光石火である事はなんと無しに分かった。


そしてすぐ様衛兵は側頭部を殴打され意識を失った。

抵抗の隙は微塵も与えられなかった。


狐面の男、シンカは確たる足取りで歩を進めた。

王城に向け急ぎもせず歩んでいった。


架け橋から王城までの間に衛兵の詰所が存在する。

常時10名が待機している。

怪しげな黒づくめの男に初めに気付いたのは衛兵となって5年目の若い男だった。


「おい」


短刀で爪を切っていた後輩を小突いた。


「あっ!やめて下さいよ!危ないじゃないですか!」


「うるさいっ!見ろ!」


立ち上がり腰の剣に手を掛け詰所を出た。

剣幕に驚いた後輩はぶつくさ文句を言いながらも立ち上がり後に続いた。

衛兵2人の目線の先には悠々と歩く狐面の人影があった。


「止まれっ!怪しい奴め!」


男の威嚇の声を聴き付けて駐在していた残る8名が駆け出た。

王城への道を10人で塞ぐ形となる。

狐面の男は歩みを止めず、衛兵達の目前までやって来た。


「愚かなる盲目たる羊かな。汝等は自らの目で見ることを辞めた家畜と変らぬ」


狐面の下からくぐもった声が聞こえる。衛兵達を馬鹿にした発言であった。


「何かと思えば馬鹿にして!この不審者め!問答無用!」


初めに気付いた若い衛兵が斬りかかった。

振り降ろされた刃を防ごうと、狐面の男の腕が掲げられた。

その腕は無惨に斬り捨てられると周りの者は信じて疑わなかった。


だがそうはならなかった。

掲げた右手で男は刃を萎やしたのだ。


「……は?」


男はそのまま素早く両手を3回動かした。

斬りかかった兵士と、彼に続いて詰所を出た兵士が崩れ落ちた。


「なんだ!?」


「此奴!何も持ってないのに!?」


若い衛兵達が武器に手を掛け騒ぐ中、中年の中隊長は額にじんわりと汗を掻き油断なく狐面の男を見据えていた。


「お前ら、油断するな。この男、無手で王剣流の奥義を使ったぞ。応剣と三突きだ。応援を呼べ!」


隣に立つ部下を押し増援を呼ばせようとする。

駆け出そうとする部下だったが、一歩進んだ後に勢いのままうつ伏せに倒れた。

頸から皮膚を突き破って赤い棘が生えていた。


「行法だ!」


「このっ」


2人が男に向け躍りかかる。振られた2つの刃は男の肘辺りに向かうと力の向きを変えられて逸らされ、手先で喉元を抉られ地に崩れ落ちた。

暫し喉元を抑えながら憐れな呻き声を上げのたうち回っていたが、その内に動かなくなった。


「無闇に攻撃を仕掛けるな!……お前、何が目的だ」


「カヤテ・グレンデルの救済。憐れな女だ。国の為、民の為に尽くし、王家に裏切られた憐れな女だ。無自覚に守られて来た民も兵も、己の権威しか求めぬ輩に陥れられた彼女を何も知ろうとはせず罪人と呼ぶ」


「此奴、売国奴のなかま」


罵った男の首が飛んだ。


「陛下が裁かれたのだ!我等には逆らえぬ!」


「誰が裁いたかなど関係無い。俺にはな」


2人が斬り伏せられ、2人が意識を奪われるまでにそう時間は掛からなかった。

血濡れのままシンカは歩を進めた。王城を守る門扉が近付く。

門前に4人の衛兵、壁の上にも2人が立っていた。

壁の上に立っていた衛兵は近付いてくる怪しげな男を呑気に見つめていた。

仮に男が良からぬことを企む人間であったとして、1人で何ができるものか。

そう考えていた。


4人を立ち所に殺害する迄は。


慌てて矢を番えようと矢筒に手を伸ばすと、右手の先が失われていた。

隣に立つ同僚は首から赤い棘を生やして事切れている。

同じ殺され方をするのに瞬きの隙も無かった。


シンカは門に手を当てると土行の技を行使した。

扉を開けること無く穴を開け、悠々と壁を通過しそのまま王城の門を目指した。

白亜の城の重厚で巨大な鉄扉の前には幅の広い階段があり、16人の衛兵が直立していた。

彼らが不審者に気付くのにそう時間は掛からなかった。

顎を突き出して槍斧を左に持ち石突きを石の舗装についていたが、不審者が目に入るや否や、全員が瞬時に槍斧を構えた。


「そこの者!直ちに止まれ!」


1人が声を張り上げた。

狐面の男の衣類は何かの粘液でぬらぬら輝いていた。

黒い衣類にこびり付いたそれは本来の色が分からなかったが、男が歩んだ後には赤い足跡が残っていた。

怪我をしているのか、返り血かは分からないが、堂々たる歩みから味方を殺し此処までやって来たことは分かった。


1人が腰に手を伸ばした。

彼は連絡係を兼ねており、腰に角笛を下げていた。

それを吹き鳴らせば百を超える増援が駆けつける。


過去、この角笛がケツァルで吹かれたことはない。

クサビナは強大で比類する国家は有史の千年一度として生まれたことがなかった。

無理に他国を侵攻せず、良政を施行して民が奮起する事もなかった。


吹かれぬ角笛はその象徴でもあった。


それに、手を掛けるか逡巡の判断をしてしまったのだ。


青い槍が突き刺さった。


破裂音とともに角笛持ちは吹き飛んだ。

風行の一角により角笛持ちは心の臓を止め死ぬ事となった。

鎧と石床に挟まれて角笛は吹かれる事なくその役目を失った。


潰れて八つの意味をなさない塊に別れたのだ。


15人の衛兵は慎重に間合いを詰めた。

相手は行兵。法を行おうとすれば直ぐ様突き殺すべく油断なく槍斧を構えていた。

問答する気も無かった。


「愚かな王に愚かな家臣、愚かな兵。その血肉は怠惰と強欲で出来ている。己らの過ちを忘れ、同じ所業を繰り返す。その手足は血に塗れ、無為の犠牲に成り立つ砂の城を築き、犠牲から目を逸らし望ましい歴史を騙る」


「……気狂いか?」


「相手にするなっ!」


「愚かな人間共が欺瞞に満ちた歴史を残そうと言うのなら、偽り全てを燃やし尽くし、隠された闇をその業火で照らしてやろう」


1人が突きを繰り出した。

狐面の男は掌で逸らし、そこから白く小さな稲妻を走らせた。

槍斧を伝ったそれは持ち主を痙攣させる。

爪や髪が焼ける嫌な臭いが漂った。


「手練れだ!囲め!」


囲もうとするが、次の瞬間正面の数名が吹き飛び石床の上に転がった。


「戦陣突破だと!」


「此奴剣を持っていないのに!」


階段の上部に移動した狐面の男に3人が息を合わせて攻撃した。

男は槍斧が迫る直前に背後へ飛び左手を振るった。


「藤壁」

男の手が通った空間から垂れ下がる藤の花の様に稲妻が走り、柵の様に進路を塞ぐ。

3人は勢い余ってそれに突っ込み、身体を激しく痙攣させた後に耳から血を流して命を失った。


戦陣突破で吹き飛ばされた4名は2人が気絶していたが、残りは起き上がろうとしている。

そこへ4条の閃光が放たれた。

風行一角を分岐させた行法で起き上がろうとしていた2名も再び地に倒れ臥す。


「は、半数以上もこの一瞬で……」


「くそ!増援を呼べ!」


背を向け駆け出した兵に向け一角が突き刺さる。

勢いのまま4間も吹き飛び再び起き上がることはなかった。


「囲め!城に乗り込まれれば近衛兵の名折れだ!」


「何としてでも此処で食い止める!」


残る6人で狐面の男を囲むべく包囲を縮める衛兵だったが、突如男は向かって左に動く。応じようとした右翼の1人は間に合わず懐に入られた。

男の拳が甲冑の腹部に軽く当てがわれた。

とん、と。

瞬間兵士の背が爆散した。


「ぐあああああああっ」


絶叫をあげて倒れた兵がのたうちまわる。


「な、何が……?」


「駄目だ!俺たちの手に負えないぞ!」


「行法か……?」


「なんなんだ!?何が目的なんだ!?」


「糞っ糞っ!死にたくねぇ!がっ」


1人、槍の穂先を捉えられ軽々と地に叩き付けられる。

その背を突こうとした1人が素手による鈴剣流奥義、背切りで防がれたあげく、目で認識出来ぬ一撃を顔面に突き込まれて派手な音を立てて石床に転がった。


「逆戸切りかっ!?」


「鈴剣流の仁位か!?」


「嫌だ……死にたくねぇ……母さん……」


「彼女も、死にたくは無いだろうな」


男が全身を返り血でてらてらと輝かせながら呟く。


「か、彼女?」


「なんだ?それが目的か?」


「母さん……母さん………」


「お前らにカヤテは殺させはしない。俺の前に立ち塞がる全ての障害を怒りの業火で滅却してくれる。盲目の屑どもめが」


「あ、足が……」


「なんだ?足が動かないっ!」


仲間の血を踏んでいた2人が騒ぐ。

血溜まりが凍り付き、赤い氷が足を伝って這い上がっていた。


「ま、待て!止めろ!」


2人の身体は全て赤い氷に覆われ完全に動かなくなった。


「母さん母さん、怖い、助けて……」


狐面の男は蹲る兵を無視して扉に手をかけた。


昼前の慌しい城内でことは起きた。


城に入りすぐの広間では警備を行う衛兵の他侍女達が何某かの仕事で引っ切り無しに動き回っていた。


常と変わらぬ1日は突如として扉の開く軋みの音と共に終わった。


扉に一番近かった侍女の悲鳴が広間に響き渡った。

黒尽くめの血濡れた人影がぬらりと現れたからだ。


広間に居た侍女や貴族達は蜘蛛の子を散らす様に悲鳴を上げて散り散りに逃げ去って行き、代わりに兵士達が槍を手に集まる。


中には腕に覚えがある貴族が腰の剣に手を掛けてもいる。


「出会え!不届きものだ!」


1人が大声を出した。

その間、狐面の男はじっと佇んでいた。

違う。


「此奴!経を練っているぞ!行兵だ!」


口に出した時には手遅れだった。

男は大きく息を吸い込み、背を仰け反らせた。

手を胸の前で組む。


「水行だ!来るぞ!」


何人かが盾を構えて貴族を庇う。

その瞬間男が体を前傾にし、息を噴き出した。

水飛沫が飛ぶ。

細い一条の水流が右から左に駆け抜けた。


無闇に体を晒していた兵士達は上半身と下半身を断たれて命を落とした。

30に近い兵が一挙に退けられた。

盾を構えた兵士は一命を取り留めたが、盾は鋭利な断面を見せて二つになり、鎧も一文字に鋭く抉れ、胸から血を流して蹲った。


「こ、この様な!下郎!王城でこの様な仕業!ただでは済まぬぞ!」


「下賎な輩め、この私が成敗してくれる!」


「行兵など接近してしまえばこちらのものよ!」


3人の貴族が口々に怒声を上げる。

彼らを守る兵は最早居ないが威丈高な態度は消えていない。

剣を構え1人が駆け寄る。

振るわれた剣に対し、男は槍斧の穂先を腕に合わせた。


「ど、ああああああっ!」


自らの力で腕に刃を突き立てた形となった貴族の男は奇妙な悲鳴を上げた。

狐面の男はそのまま感雷を行なって相手を槍斧ごと打ち捨てた。


「装いのみを整えた醜く歪んだ魍魎め。その心は蟲より歪、その在り方は鬼より酷い。己の望みの為ならば親をも売る魍魎にすら劣る外道供よ。俺はその手を切り落とし、命すらをも取り零す木偶へと変えてやろう」


「なんだ此奴は。気狂いか」


「此れではどこの手の者か聞くこ」


貴族の男の頭部が縦に割れた。


「割波だと?!無手で千剣流を!?」


残る貴族も直ぐに命を断たれた。



赤鋼軍の副将であるセオドール・サフォークは常と変わらぬ1日を正午まで送っていた。

軍の人事関連の書類確認に、事務担当から上がって来た兵糧状況の確認を終え、そろそろ昼食を持たせようとケツァル王城1階の専用執務室で羽筆片手に窓から流れ込む暖かな風を感じていた。


セオドールは30歳手前の伯爵家次男であった。跡取りは長男がいた為に幼少の頃より剣の腕を磨き、武功で立身するべく鍛えて来た。


セオドールは頭の回転が速く、前線で指揮を取りながら剣を振るう内に今の立場まで出世することになった。


子爵位を得て小さいながらも領地を得て、まだ見ぬ子供に受け継ぐものも出来た。

苦労はあったが、順風満帆な生を過ごしていた。


この時までは。


手に持っていた羽筆を筆立てに置くと慌しい足音が扉越しに迫って来た。

貴族同士の諍いでも起こったかと考えながら席を立った。


「セオドール様ぁ!」


部下の1人、アベルがセオドールの返事も待たず、扉を蹴破る様に転がり込んで来た。


「おいおい、嫌な予感がするぞ?何事だ」


肩で息をする若手に声をかけた。

アベルは息を整える間も惜しみ、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「ぞ、賊が城に押し入り暴れております!」


「なにぃ?!このケツァルにか!?大した度胸だが無謀もいいところだな。で、貴族が怪我でもしたか?」


「怪我どころか!貴族の血族が既に7名死亡!兵士に至っては100を超えます!どうか!我々の手には負い兼ねます!」


「なにぃっ!?俄かには信じ難いぞ!どれだけの規模の敵なんだ!」


「それが………」


言い淀むアベルに違和感を覚えた。


「なんだ?」


「それが、たった1人の敵なのです!」


「お前、俺を揶揄っているのか?」


「違います!お願いです!もう3階まで進まれています!玉座の間まで持ちません!」


あまりの剣幕にセオドールはたじろぎ、鵜呑みにはできないもののアベルに付いて広間へ急いだ。


広間はまさに血の海だった。


「これは………酷い………」


五体満足の死体は無い。それが城の入り口からまるで道しるべの様に上の階に続いていた。


「これを1人で?徳位か?いや、人間技では無い。まるで鬼に襲われた様だ」


呟いても疑問は解決されない。

脇で嘔吐するアベルを放置して階段を駆け上がった。


2階、3階と階を上がると闘いの気配が漂い始める。廊下を死体を頼りに進むと、玉座の間で戦闘を行う衛兵達と、全身濡れそぼった黒づくめの男が争っていた。


驚いた事にアベルの言う通り本当に1人だった。

赤鋼軍の兵士達が国王と第一王子の壁となり、立ち塞がっている。


数は50程度。これまでの事を考えれば時間稼ぎにしかならないだろう。


「そこのお方!」


玉座の間に飛び込み声を張り上げた。

国王と第一王子が2人とも弑されれば国が傾く。それだけは避けなければならなかった。


「何故此処に参られた!理由を聞きたい!」


刺激しない様に言葉を選び問いかけた。

半ば駄目元ではあったが、果たして狐面の男は振り返った。


「お前ら!大人しくしていろ!……そこの方。宜しいか」


第一王子が何か喚いていたが無視を決め込んだ。


「カヤテ・グレンデルの身柄を引き取りに来た」


「グレンデル一族の者か?」


「否。あの者達は民と一族の安寧を天秤にかけ、彼女を見限った。こちらの身上を探ろうとしても無駄だ。何の痕跡も出ない」


狂人の類いかと考えていたセオドールの読みは外れた。これ程の闘いをしておきながら、狐面の男の声はひどく冷静で、セオドールは何故か釣りを嗜んでいる気分に陥った。


「では何故カヤテを?」


「彼女が無実であるからだ」


「……だとしても、貴方の行為は残虐に過ぎるんじゃ無いか?」


「俺にはそうは思えんな。彼女の努力でどれ程の民が救われたか。その数に比べれば百や二百の兵の死など瑣末なものだ」


カヤテ・グレンデルの身柄一つで事が解決するなら安い犠牲なのでは無いかと考える自分は政治に疎すぎるのだろうかとセオドールは考える。


「それは流石に暴論だろう?」


「誰がどう思おうが俺には関係ない。俺にとって、彼女の命は数百の兵よりも貴い。そもそも赤鋼軍はアゾクでカヤテ・グレンデルに救われたのではないのか?その赤鋼軍の兵士は此処で何をしている?何故彼女を助けない?」


セオドールは第一王子の元でロボク制圧に参加していた。

アゾクでの第一王子とカヤテとの間で取り交わされた約束を知っている。


カヤテの事をセオドールは政争に敗れた哀れな一貴族としてしか見ていなかった。

思い返せば彼女は自分の恩人ですらあった。

はて、何故自分はそんな事を忘れていたのだろうと考えた。


「人は自身に都合の悪い出来事を忘れ去る。他人を都合よく利用し、不都合があれば葬って来た。それがお前達醜き者共の歴史だ。我等は決して忘れない。ケツァルに住まう醜き者共は我等一族を物として利用し、虐げて来た。我等は知識を継承される折に必ずそれを教わる。お前達が俺に人の道を説くのなら、俺はこう返そう。鏡を見よ」


セオドールには何の事か分からなかった。国王も表情に疑問を浮かべている。

しかし男が人間か、或いはクサビナに対して深い憎しみを抱いている事は読み取れた。

亜人か?桁違いの武力の説明も付く。人の国にこれ程の力を持つ武人はあまり存在していない。


「しかし、カヤテは国を売った。そう言う事になっている」


男の正体を推察しつつ、セオドールは時間を稼ぐために言葉を紡ぐ。


「決めたのは勇敢な兵士達の後ろで縮こまっているそこの2人だ。だから俺は此処に来た」


「待て。判決を覆すには証拠が必要だぞ。カヤテ・グレンデルがマニトゥー大使を殺害していないという証拠はあるのか?」


セオドールが狐面の男を落ち着かせるために頭を回転させ、言葉を選んでいると男は暗くくつくつと笑い始めた。


「何故そんなものが必要なのだ。面白い事を言うな。そんなもの、そこのでっち上げた本人に白状させれば良いのだ」


セオドールは戦慄した。

この男はそれだけの為に王城に討ち入り、城を守る兵士達を打ち倒し、今や王族に後一歩で手が届くところまで到達しているのだ。


力だ。圧倒的で揺るぎない力。


どうやらこの国、いや王族に対して恨みすらも抱いている事に間違いは無いようだ。


額に脂汗が浮く。

安易に武力行使を行えば血の海をまた一つ作るだけだと自制する。


信じがたい事だが、この男は此処にいる全ての人間を相手取って尚、無傷で窮地を脱する事が出来る自信があるのだ。


「カヤテを釈放すれば手を引くのか?」


「なっ!それは赦さぬぞ!」


答えたのは男ではなく第一王子のエメリックであった。


「ほう、やはりお前だったか。分かったぞ。お前はロボク侵攻で力を見せつけたカヤテを恐れたのだな。彼女の機転で敵の罠から難を逃れ、命を救われ、手柄を譲られたにも関わらずそれが明るみに出る事を恐れ抹殺を考えた。世間や父王に知られれば王位の継承に影響をきたす」


「出鱈目だ!陛下!私は決してその様な!」


歯を剥きエメリックは叫んだ。


「脈が激しくなった。顔色もわずかに白んだぞ。図星か」


国王はじっと1点を見つめていた。

考え事をしているのだろう。


「まあいい。では教えて欲しい。エメリックよ。お前の指示でアゾクに部隊が侵入したならば、どうやって砦に侵入したのだ?」


「そんな事か。抜け道を見つけそこから侵入させたのだ」


「その抜け道は何処に?」


「そんなもの私は知らない。抜け道を探させ、見つかった。細かい場所は知らん」


「案内人は?」


「斥候だ」


「ならばその斥候を呼べば分かるな?」


「……さあ、名前までは私は把握していないからな。戦闘で死んだ可能性もある」


「成る程。なら、別の質問をしよう。敵将サムフィン・ギネスを打ち取ったのは誰だ?」


「………」


「おかしいな。敵将を打ち取った者が見当たらない。賞賛されるべき武功だ。教えてやろう。彼を打ち取ったのは、カヤテ・グレンデルの副官、ウルクという千剣流剣士だ」


「………」


「お前は自らの名声を高める為に、代替の者を立てなかった。瑣末で愚かで下らない失敗だ」


「………実際誰がやろうと指揮官は私だ。兵も民も私についてくる」


「そうかもしれないな。……だが、グレンデルは付いてくるだろうか?」


「従わせる」


エメリックが言うと男は実に軽やかに笑った。


「知らないのか。次期当主ミトリアーレ・グレンデルはカヤテを実の姉の様に慕っているのだぞ?」


「なに?」


エメリックのだからどうした、という言葉を遮り口を開いた者がいた。国王だった。


「どう言う事だエメリック」


「陛下。その様な事実、瑣末な問題では?」


「瑣末?何を持ってして瑣末と断じるのだ?グレンデル次期当主が慕う者に濡れ衣を着せる事が瑣末だとお前は考えるのか?………お前はその程度の考えしか持たぬ愚か者だったか」


「お、お待ちください!どういう事ですか!私は!」


「分からぬか。そこの狐男。教えてやれ」


男は楽しそうに笑っている。


「お前が国王になり、またミトリアーレがグレンデルを継いだ時、グレンデルはお前の寝首をかこうとするだろう。しなくとも、その可能性は常に潜在し続ける。グレンデルは国王のお前に対し協力的な態度を見せるだろうか?二公の信頼無き国王を諸侯が軽んじるは必定。内乱にまで発展しなければいいなぁ?」


「馬鹿な!唯の可能性の話ではないか!」


「まだ分からぬか愚か者が!可能性がある事が問題なのだ!」


国王が怒声を上げた。

顔が赤らみ表情険しく、見るだけで怒り心頭である事がわかる。


対し第一王子は父王の横で必死の形相で慌てふためいていた。


「此れだけの大きさを持ち、此れだけの国力を持った国の舵取りがいかに難しいか、お前は学んでこなかったのか?グレンデルを従わせる?一体どの様に従わせるというのだ!」


「勅命にて諸侯にご」


「質実剛健の一族を相手に一体どれ程の領主が参戦するというのだ。兵を挙げた時点で内乱であろうが……。何故言っても分からぬのだ。ロドルファスなら言わずとも分かるのであろうな」


「ま、まさか父上!?」


「手柄の横取りなどどうでも良い。儂はそれも、為政者の必要な手腕の一つと考えている。政敵を追い落とすのも良い。必要な事もあるだろう。だが、建国以前から王家の忠臣であり、朋友でもあったグレンデルに謀叛の濡れ衣を着せるなど。真実であったのなら必要な処置であった。だが濡れ衣を……お前を信じ沙汰を下した儂の顔にまで泥を塗りおって……」


「父上……私は……国の為にと」


「聞きとうない。国の為?己の為の間違いであろうが」


セオドールはふと見渡し気付いた。

狐面の男が居ない。


「き、狐男は何処だ!?」


見回すが玉座の間に姿は無い。


「何処だ?!探せ!?陛下をお守りしろ!」


セオドールは慌て玉座の間を出た。


無闇に駆けずり回っても徒労に終わる可能性がある。

彼の目的はカヤテの救済。ならば目的は地下牢である。

貴族を拘留するのであれば本来はまともな部屋に軟禁を行う。


しかしエメリックはカヤテがグレンデル一族を除名されたのをいい事に、地下の薄汚い牢に拘束した。


通路に行きにはなかった死体が増えている。恐らく居場所を突き止めただろう。


階段を下り、廊下をかけた。背後を幾人かの兵士が付き従う。

一階の広間にもどり、地下牢へと続く階段に辿り着いた。

鎧の擦れ合う音と共に赤鋼軍の兵士が30名程馳せ参じる。


「セオドール様、突入しますか?」


「待て。不用意に突っ込めばやられるぞ。それに奴の目的は女だけだ。攻撃しなければ命を取られることは無いはずだ」


だが、このままでは赤鋼軍の威信に関わる。

たった1人の賊相手にこれ程の醜態を晒せば失脚も十分考えられる。


「武器を構えていろ!だが絶対に此方から攻撃は仕掛けるな!」


地下へ続く階段を扇状に囲み剣を構える。

固唾を飲んで張り詰めながら動きがあるのを待った。

最早鎧の内に来ている肌着は汗でしとどに濡れそぼっている。


軈て階下から足音が聞こえてきた。


赤鋼兵達が一斉に剣を構えなおし、鎧が擦れる音が一帯に響いた。


ぬらりと狐面が現れる。


「いいか!絶対に此方から斬りかかるな!防衛行為しか許さんぞ!」


取り囲んだまま見合う。

もう1人、階下から黒髪の女が姿を現わす。

縛は無い。

そして剣を持っている。


「カヤテの身柄は貰っていくぞ。無実である事は明るみに出た。問題あるまい?」


「待て。今回の事は陛下の決が下っている。陛下から撤回がなされてからでなければ!」


「そんなもの成されるわけがない。王は過ちを認めない」


「セオドール様!同胞を此れだけ殺されては収まりが付きません!」


「顔を隠した卑怯者め!我等たとえ命尽きようともその意思は死せず!」


「止めろ!無駄死にをするな!全力で掛かろうとも傷一つ付けられんぞ!」


その時だ。大勢の兵が場に雪崩れ込んできた。

近衛兵である。その数50。

近衛兵は赤鋼兵を押し退け武器を構える。

近衛兵の背後から剣呑な表情のエメリック第一王子が宮廷行兵15を引き連れ姿を現した。


「赤鋼軍ともあろう者共が怖気付いたか。邪魔である。私が片付ける」


「お前が?出来るかな?」


狐面の男がくつくつと笑う。


「王族を馬鹿にしてただで済むと思うな……汝等さえ始末すれば……父上は私の廃嫡を撤回なされるはず」


「はっはっはっ!お前は廃嫡されたのか!確かにお前の様な愚か者にこの大国は治められんだろうな」


「………許さんぞ!」


ぴりぴりとした緊張感が漂う。

敵は狐面の男に千剣仁位カヤテ・グレンデル

対して此方は赤鋼兵30余、近衛兵50、宮廷行兵15。

そしてセオドール、エメリック、行兵長のルダル・バルカン。

空気がひりついている。

決壊寸前のイブル川堤防を前にしている様だった。


先手は狐面の男が取った。

屈み、地に手を突いた。

同時に赫兵カヤテが右手を振り火行を行う。

近衛兵の中心に白い光の球が浮かぶ。


「下がれ!退け!退けっ!赤鋼兵は後退しろ!俺の部下は下がれ!」


セオドールは張り叫んだ。

西部戦線でこの技を見たことがある。


火行・火岸花。大量殺傷を行う超高火力行法で、カヤテの十八番だった。


この法をもってカヤテは赫兵と呼ばれる。

白く輝く光の球が周囲から熱を奪う。

周囲にいた6人の近衛兵が身体の動きを止めて騒々しい音と共に石床に倒れた。


「盾だ!盾を構えろ!来るぞ!」


赤鋼兵に指示を出す。

向こうで石畳を変化させて土行・岩戸が迫り出し、カヤテと狐男を守っている。


熱を吸い切った光球が一際激しく輝き、吸い取った熱を熱波として放出した。


盾持ちの背後に隠れたセオドールすらも衝撃を受ける強烈な火行が炸裂した。

まだ視野が効かぬ内にセオドールの耳は異音を拾った。


ちりちりと紙が擦れる様な音だ。

目を開けその方向を見遣ると狐面の男が身体に青白い何かを纏い両手を突き出していた。


風行の仕草であるが、何かは知識にない。

男の手先から青白い波動の様なものが迸った。


最前面で衝撃にたじろいでいた兵士7名が身体を痙攣させて崩れ落ちた。

光が完全に消え失せ周囲の様子を伺うと、21もの近衛兵が地に伏していた。


「やれ!」


ルダルが顔色一つ変えずに指示を出し、自らも風行・鎌鼬を行なった。


16人から一斉に風の刃が放たれ、2人の狼藉者に殺到する。

迫り出した岩戸が風の刃を受けて削り取られて行く。


「3人ひと組となり抵抗の隙を与えるな!そのまま削り殺せ!」


じり貧だ。2人は完全に抑え込まれ、岩戸の影から顔を覗かせる事すら出来ていない。


「はっはっはっ、愚か者が!この私を!次期国王である私を辱めた罪を償うが良い!」


エメリックが暗い嗤いを零し、憎しみの篭った瞳で岩戸を睨め付けた。


「堕龍」


ルダルが行法の名を呟き両手を突き出した。

岩戸の上空、天井付近で風のうねりが大蛇の様に蜷局を巻く。

十分に経を練った強力な行法だ。効果範囲が限定的な法で使い勝手は悪いが現状では有効的な一手だ。


避ける事は出来ない。


「苦しめる事が出来ないのが残念だが、いいぞ。散れ!」


傲慢に背を逸らし威丈高に嗤う王子だったが、この男が王になる事はないとセオドールは考えた。

前代未聞の襲撃だった。百を超える兵士がたった1人の賊に殺害された。

この件は恐らく第一王子の革命行為として処理される。


それを彼は理解できていない。


一条の線が岩戸から伸びていた。

細い絹糸の様な線だ。

岩戸から真っ直ぐ伸びたそれは、ルダルの額にまで続いていた。


「………」


言葉一つなくルダルが目を裏返し、崩れ落ちた。

線は燕が舞い飛ぶ様に幾何学の模様を描き行兵達の間を駆け巡った。


水だ。行兵達の背後、石壁が糸によって切られている。


その周囲に水が飛び散っている。

あれは水なのだ。何が起きているのか分からない。


水が石壁を縦横無尽に切り裂いている。

ばらばらと8名の行兵と周囲の兵士6名の体が大小様々な塊に分かれて床に散らばった。


「な……?」


驚きの声を上げた。

行兵達の連携が崩れた。

頭上のおどろおどろしい大気のうねりは霧散した。

岩戸が同じ様に崩れて行くのと同時に人影が躍り出た。


その眼前には巨大な火球が浮かんでいる。


「いかん!守りながらさらに後退!盾から体を出すな!」


赤鋼軍が更に後退する。

火球がもこもこと不気味に蠢く。

来る。


「鳳仙火!」


カヤテが右手を振るった。

大きな火球が分裂し拳大の小火球となると、周辺に無差別に射出される。

悲鳴と共に何人もの兵士が火球を受けて倒れていく。

重厚な甲冑の腹部を貫き、兜を弾き飛ばして兵士を屠る。


軈て法が止む。

騒々しい破裂音が止むと、近衛兵の正面には狐の面があった。

優しさすら感じる緩やかな挙動で甲冑に掌が押し当てられる。

直後、爆音と共にその兵士は吹き飛んだ。


「お、おのれっ!この狼藉者を始末せよ!行兵!何をしている!?」


怖気付く兵達に怒声を飛ばして兵を鼓舞する。


「ま、待て、やめっ、ぐ、ぁぁぅ」


兵が1人袈裟に切り捨てられた。

千剣仁位のカヤテが剣を振り切っていた。


「駄目だ!速すぎる!」


「これが赫兵………」


カヤテは瞬く間に2人、3人と切り捨てて行く。

対する狐面の男は素手で鎧ごと兵の体を貫き、それを打ち捨てて振るわれた武器を躱して掌を胴に当てる。


背後からの攻撃に風行・一角を飛ばし、カヤテの背後に回り込もうとする兵士を氷柱張りで屠り、正面から斬り掛かって来た兵士の体を素手で左右に断ち割った。


赤鋼兵は戦闘から大分遠ざかり様子を窺っていたが、エメリックの顔色は悪い。


カヤテと男は優秀な戦士である。


手練れであり経験豊富であり、何より人を殺し慣れている。


戦場を知り、その中で生き抜く術に長けていた。

彼らは戦士であると共に極めて能力値の高い行兵でもある。


彼らは動けば敵を倒し、止まれば経を練る。

彼らを倒すには躊躇無く集団で囲み押しつぶすしか無い。


そして現状、彼らを押しつぶす程の兵力を赤鋼軍も近衛も持っていない。


そして今のエメリックの様に、たじろぎ隙を見せれば。


「旭火!」


声高らかにカヤテが叫んだ。

セオドールの知らない法だ。

朝の陽光の様に激しく輝く赤味がかった白い球体が崩れた岩戸の前に浮かぶ。


カヤテが右手を振ると人の高さ大の玉が直進する。玉が通った後には何も残らなかった。


抉れた床石の表面はてらてらと輝き、その熱量を推しはからせる。

全てを溶かし、壁に穴さえ空いている。


残る近衛兵は15程。


今度は狐面が大きく息を吸い、足元に向けて息を吐いた。

口腔から白い煙が吹き出されすぐ様空間を覆い隠してしまった。

水行の霧系統の法、鯉霧だろう。鯉の腹のように濃く白い霧が濛々と漂う。


「何処だ!?絶対に逃すな!」


喚くエメリックであったが、濃霧に怖気をなした近衛兵達は様子を窺い動きを止めている。

そうこうしているうちに一帯は白い霧に完全に包まれた。


時折絶叫が響き渡り、それも次第に少なくなっていく。


セオドールは動くことができなかった。元より部下を無駄死にさせるつもりはなかったが、攻撃の意思を一度でも持てば狐男はそれを敏感に察知し、セオドール達赤鋼兵をも標的にする事は明白だった。


近衛兵達の絶叫はじきに無くなり、霧が立ち込めてから四半刻経つと徐々に視界が効くようになってきた。

ポツンと立つ人影が薄くなる霧の中に垣間見えた。


エメリックだった。

それ以外に立つ者はいない。


「……殿下」


エメリックは茫然自失と言った様相で兵達が転がる空間を見渡していた。


手に引っ提げていた雅な剣が無機質な音を立てて石床の上に転がった。

彼は全てを失ったのだ。


「たった、2人に……?俺の近衛兵精鋭が………」


このままでは巻き込まれる。そう考えてセオドールは部下を引き連れてこの場を後にする。


セオドールは部下を死なせていない。

いの一番に報告を上げる事で非難の矛先をエメリックに向けるべく奔走を始めた。




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