表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/137

切欠

秋が訪れ紅葉が始まり気温が徐々に下がり始める頃、シンカ一行はルーザーズ王国の王都ヘンレクを訪れていた。


ヴィティアから出奔した後薬師達は思いの儘、散り散りに各地へ足を向けていった。

森渡り達も冬籠りの為大半は里へ向けて旅立って行った。


ソウハは執拗にシンカを里へ連れ帰ろうとしていたが、応じられることはなく渋々、半泣きでジュナと共に旅立った。


リンメイは再会初期の刺々しさは鳴りを潜め、暫くナウラ達と共にシンカに修行をつけられていたが麦の収穫が終わった頃、1人でふらりと南へ旅立っていった。


ヨウロはロランと共に秋の中頃に里へと歩を向けた。


彼は何かを察したのかシンカを里へ同行させようとはしなかった。


センヒは誰にも何も言わずに森へと消えて行った。


ナウラが友誼を結んだシドリとダレン、シャールの夫婦と共にヘンレクに訪れたシンカ一行だったが、そこでの生活は怠惰の一言に尽きた。


ルーザースはクサビナ南、アガスタ北の小国である。

クサビナに追随し国難を逃れる国だがそれ故に歴史も深い。


戦争に巻き込まれ無事薬師達を逃し、ヘンレクに辿り着くまで張り詰めた毎日を送っていた。

その反動で4人はだらけた毎日を過ごしていた。

暴飲暴食に観光で既に一月を費やしていた。


古い宮殿や精霊を祀る壮麗な霊殿をいくつも巡っていた。


この日は趣向を変え森の中にひっそりと湧く美しい湖を訪れていた。


最後の夏日とでも言うように日差しが照っており、シンカ達4人は湖畔で日光浴と水遊びに勤しんでいた。


この湖には魍魎が住む痕跡もなく、また流れも弱い為泳ぐ事に支障はなかった。

湖を獣の様に泳いでいたナウラが立ち上がり水滴を垂らしながらその豊満な肢体を晒した。


「少しは隠せ」


シンカ木の幹に下履きだけを身に付けた状態で座りながらもたれ掛かっていた。

褐色の美しい肌を伝う水滴が陽の光を照り返している。


「隠す様な粗末な体は持ち合わせていないものですから」


無表情で乳房を組んだ腕で持ち上げた。


「相変わらず無駄が多い身体ねぇ。私の無駄の無い完璧な身体を見なさいな」


対抗して全裸を晒すヴィダードの身体は起伏が乏しく性的な魅力にはかけていたが、自分で言うだけありその身体は美しい。


僅かな脂肪すら見受けられない身体は芸術品の様に見える。


「美しいのは認めるが、見ていて性欲は沸かないな」


ぼそりと呟くと棒立ちのまま固まった。


「シンカの事は私が満足させます。ヴィーは身体を成長させる為に毎日早く眠るのがいいでしょう」


ヴィダードは奇声を上げてナウラに飛びかかった。


「……2人とも裸で恥ずかしく無いのかな………」


下履きと布の胸当てで全裸を免れているユタが呆れた様に暴れる2人を見て独言る。


「お導きという特質のせいか、異性に裸を見られる事に抵抗が無い」


「えっ、それ、危なく無いの?」


「無論同族に限定される様だが。人と違い男も裸の女を見ても興奮しないとの事だ」


「……良いのか悪いのかよく分からないね」


首をかしげるとユタは手に持っていた塩漬肉を齧り始めた。

腹が空いているのか6つに割れた腹筋を撫でさすっている。


食べる為に腕を動かす度、皮下脂肪の上からでも分かる上腕二頭筋が微動している。

腕は太いというわけでは無いが筋肉質でよく鍛えていることが分かる。


「何?僕の身体、そんなに見て」


「良く鍛えていると思ってな」


言うとユタは目付きが悪いながらも嬉しそうに、少女の様に笑った。


「そうなんだ。見て。この肩。三角筋。きれてるでしょ?」


肩に力を入れると筋張って筋肉が浮き上がる。


「甘いな」


負けじとシンカも肩に力を入れる。


「凄い。でも鈴紀舎にはもっとごりごりした人沢山いたけど、みんな君程強く無い。どうして?」


「密度の問題だな。食べる物に気をつけ、筋の一筋一筋を意識して鍛える。行法を使わなくとも二回り太い腕の男を腕相撲で抑える事ができる」


「何と無く分かるよ。シンカに教えを受けてから前よりも力がついたもん。腕は同じ太さなのに」


「それに、森渡りとしては筋肉の付け過ぎは致命的となる。筋肉は付けるほど代謝が上がり使えばより熱を発する。蟲や爬は熱を感知する事ができるからな」


再び食事に戻ったユタを尻目に目前の湖を見つめる。

濃い鮮やかな青色の水面に赤く紅葉した木々が映える美しい光景だ。

シンカには絵の心得は無い。

この景色を記憶にしか留められない事が悔しくて仕方がなかった。


幻想的な景色の中2人の女が戯れている。

まるで絵画の様に感じられた。


はしゃぎ疲れたのか濡れた体のまま2人が湖から上がってきた。


ヴィダードは体温を失ったのか唇が青く凍えていたが、ナウラは適度な脂肪がついている為かまるで堪えた様子は無い。


「シンカ。私と向こう岸まで泳ぎませんか」


表情は変わらないがシンカの下履きを摘み、引く力は強い。


「止めぬか。脱げる」


歯を鳴らすヴィダードの身体を拭き、外套を肩から掛けてやりながら下履きを上げる。


「ヴィーはここで見守っているわぁ」


「乾いたら服を着ておけよ」


シンカはナウラに連れられるがまま湖に足を踏み入れていった。


「ナウラ。この湖の水は鉱石の成分が溶け込んでいるから青いと言うわけでは無い。太陽光の具合で色合いが変わる。だから水遊びも出来るが、全ての水が同じわけでは無い。体を溶かす湖もあれば飲めば死ぬ湖もある。判断は魍魎の生息具合で行う」


「心得ています」


水に浸かるとシンカは優雅に顔を出したまま泳ぎ出した。

一方ナウラは無闇に足をばたつかせており効率が悪い。


「なんだ?その格好の悪い泳ぎ方は」


「森渡りは泳ぎ方まで教わるのですか?」


「当たり前だ」


「では当然、私にも教えてくださるのですよね?」


言われナウラの手を取り足の使い方、手の使い方を文字通り手取り足取り教えていった。

それを岸で見ていたヴィダードが騒ぎ出したがユタに取り押さえられている。


取ったナウラの手は大きい。

狩幡で拾った時には見当たらなかったたこも見受けられる。

ふと女の手にその様なものを作ってしまって良かったのかと淡い後悔の念を覚えた。


ナウラはぎこちないながらも泳ぎ方を覚え、2人で反対岸まで遊泳した。


気温は時折思い出したかの様に強い日差しを記録するそんな秋中月であったが、水温は夏の名残で未だ冷え過ぎず心地よいもので、仰向けに泳ぎ空や湖を囲む樹々を眺め、潜って鱗の美しい魚を見つけてはナウラに指し示していた。

そしてそれらを食い入る様に見詰めるナウラの横顔を眺めた。


反対岸に着くとナウラは小さく見えるユタとヴィダードに手を振った。


シンカは濡れた髪をかきあげ、ぼんやり水面を見つめた。


「戻りましょう。ヴィーが痺れを切らしています」


再び湖に浸かるとナウラが背中から覆い被さり首に腕を回してしがみついてきた。


豊満な乳房の柔らかい感触が背に伝わる。

冷やかな水温に触発されたのか乳頭が硬く痼っているのが分かる。


「なんだ」


「駄目でしょうか」


「いや」


ナウラを背負ったまま湖を泳ぎ始める。

変わらず水は冷やかだがナウラの体温が背から伝わり気持ちは充足していた。



またある日は王都を見渡せる丘に夕方から訪れ夜景を見ながら酒を嗜んだ。


無論森を抜けた先の小高い丘である為、魍魎対策は万全に行わなければならない。


全ての魍魎を遠ざける対策を施し、満月と燈が煌めく王都の夜景を肴に酒を飲んだ。


「ねえシンカ。流石にこれは背徳的だと僕思うな」


目元を酒で赤らめさせたユタが言う。


「悪い事など何もしていない。誰にも迷惑もかけていないが」


「……そうだけど………でもみんなが怯えて生きてるのにこんな………」


森に覆われ逃れる様に生きる人々。

夜は勿論昼すらも村や町から出ることを恐れている。

小さな村であれば家の中ですら魍魎に怯える生活を送っている。


「力無い人々皆を救う事は出来ない。救えないから彼らの生き方に合わせる必要を俺は感じない。自然と共に生きて自然と共に死ぬ。我らとて精霊と共にある事に変わりはない」


「そうだけど……」


「気に入らなければさっさと何処へなりとも消えていいわよぉ」


シンカに酒を継ぎ足しながらヴィダードが揶揄した。


「やだよ。僕だって今に満足してるもん。ただ、急に疚しくなったんだ。いいのかなって」


ナウラはやはり食い入る様に夜景を見つめている。


旅をし、目にしたものを余す事なく記憶せんとその目は何時も開かれている。


甘えて胸板に顔を擦り付けてくるヴィダードをあやしながら、果実酒を少しづつ舐める。

あまり強い酒を飲むと翌日まで酒の匂いが残るのでこの程度の酒に留めておく。


「シンカ達って本当に仲が良いよね。見てて胸焼けするし、腹立たしいよ」


「お前も早く男を作れ」


「だから、僕は強い男の子を孕みたいんだ。今のところシンカより強い男には出会ったことないもん。何回も言わせないでよ」


やや不機嫌な様子でユタは答える。


「ユタも本気じゃないだろう?そのくらいは俺も分かる」


「…………」


口を噤み手元の杯をユタはじっと見つめた。

月光を反射し煌めく瞳をシンカは伺う。

力を求める理由。過去の出来事。それをシンカは尋ねる気はない。

この時勢に力を追い求める理由など掃いて捨てるほどにある。


ユタの心に燻るそれが燃え尽き綺麗に消えた時、きっと初て彼女と真に向き合うことができるのだろう。

或いはその火種を共に消したいと打ち明けられたのなら、シンカはなんの躊躇いもなく協力するだろう。


しかし、ユタはそれを望んでいないのだ。


全て一人でやり遂げる。

その為に彼女は鈴剣流を修め、後にシンカに師事している。


ユタは助けを必要としていない。それは分かっている。

彼女は危うい。地に足は着かず、心は常にこの場に無い。


彼女が今目前にいると感じられるのは戦っている時だけだった。

それでもシンカはユタを好ましく思っていた。

心ここに在らずでは有りながらも剣を持たぬ時のユタは穏やかで情が深く、会話をすれば癒された。


師弟として深く関わり彼女の奥深くに潜む強固な何かに対する執念に気付き、そしてそれを1人で抱え最後まで突き進む意思を理解しながらもシンカは口を開いた。


「ユタ」


「……何?」


「黙って居なくなるなよ?流石に不義理だぞ」


「…………」


「………それと、言いたくなったら俺に相談しろ」


ヘンレクの燈をぼんやり眺めながらそう言葉を発した。

踏み込むべきでは無いのか何も分からないが彼女が黙って消え、ある日亡骸を目にするよりは遥かに良いだろう。

ユタはくすりと笑う。

目付きは悪いが穏やかな表情だ。


「シンカって、本当に良い人だよね」




森暦193年冬下月2周目、人々が長袖の上に薄手の上着を重ね着し始め、少し経った頃。

黒の鎧に赤い騎士用の外套を纏った集団がグレンデル一族が治める領都グレンデーラを訪れていた。


集団を率いるのは30手前の無精髭が目立つアガド人の男であった。

集団は赤鋼軍の精鋭部隊で、その数は100。率いる男は副将セオドール サフォークである。


赤鋼軍がグレンデーラに迫っていると聴いたグレンデル一族達は一族の長たる領主コンドールを始めとし、皆が嫌な予感に捕らわれた。


グレンデーラを攻めるのであればその兵数は少な過ぎる。


先触れもなく領都を訪れ、多くを語る事なくコンドールへの面会を求めた。

面会にはコンドールを筆頭に次期当主ミトリアーレ、前代領主の弟で青鈴軍将マトウダ、副将のカヤテとネス。マトウダの長男カズラとその娘ダフネ。コンドールの弟でカヤテの父であるカネラ。さらにその弟のガリア。


一族の血の濃い者達が軒並み揃っていた。


謁見の間にはそれ以外にも分家のグレンデーラ家、グレン家の名だたる者が集い赤鋼軍の副将を待ち受けた。


皆アガド人特有の抜けるような白い肌を持ち、グレンデル一族特有の直毛の黒髪に、青や緑の瞳を持っていた。


皆が腰に剣を帯刀し油断なく広間の入り口を見遣っていた。


その中には1人だけ濃い褐色の肌をもつ目付きの鋭い男の姿もあった。


やがて兵卒が人を伴って重い扉を開け、現れた。


「お初にお目にかかります。赤鋼軍副将セオドール・サフォークと申します」


グレンデル一族から見てもセオドールはよく鍛えている事が分かる身のこなしであった。


重心は安定し全方位への意識を割いている事も分かる。

剣は謁見前に預けているものの何かあれば即座に対応するだろう。


特鍛錬された武闘派のグレンデル一族の中にあって尚堂々とした態度は好感が持てるものであった。


「コンドール グレンデルだ。よろしくお願いする。………回りくどい話をする気は無い。突然の兵を率いての来訪。些か無礼且つ物騒では無いか?」


「然るべき理由があります。此方をご覧下さい」


セオドールは懐に手を差し入れる。

咄嗟にコンドールの前にネス・グレンが、ミトリアーレの前にカヤテ・グレンデルが立ちはだかり剣の柄に手を当て、いつでも抜き放てるように体を低くした。


セオドールは一度ぴくりと動きを止めたが直ぐに懐より厚みの薄い木箱を取り出した。

繊細な細工の施された木箱であった。


セオドールは木箱を丁寧に開く。

そして中より一葉の便箋を取り出した。

目敏いものは便箋の蝋印鑑を見て驚きに表情を変えた。


「此方は畏れ多くも国王陛下がしたためた下知状である。何方か蝋印鑑を確かめられよ」


コンドールが弟のガリアに視線をやる。

ガリアはセオドールに近寄ると携えた書状を手に取った。


「確かに国王陛下の蝋印です」


「ふむ」


「では、封を解き読み上げる。………先のロボク、マニトゥー戦線の原因と成りしマニトゥー大使を暗殺し、悪戯にクサビナ国民を混乱に陥れた罪によりカヤテ・グレンデルの身柄を拘束し、王都ケツァルへ連行するものとする」


一族達は唖然とした。


ロボク戦線の後、アゾク要塞を陥落させる策を提案し、別働隊を組織してロボクの首脳を壊滅させると言う手柄を立てたカヤテ・グレンデルに対し国は何の恩賞も与えなかった。


カヤテは特に恩賞に手柄を示さなかったから良かったようなものの、他の貴族にこの様な仕打ちをすれば内乱の温床となる事は間違いない。


その上で無実の罪を着せようと言うクサビナ王に対し皆が愕然とした。


「どの様な根拠でカヤテを連行しようと言うのですか?」


静かに、だが怒りを湛えてミトリアーレが言葉を紡いだ。


「マニトゥー大使を殺害した短剣を入手している。ロボクの国印があしらわれた物です。付着していた血液は古くはあったが殺害されたマニトゥー大使の物と一致しました。確認は当然熟練した土行兵に経を浸透させて同一のものであることを確認、念を入れて飼い慣らした地狼にも匂いを嗅がせて確認を取ってあります。同時に柄の部分からはカヤテ・グレンデルの匂いを地狼が嗅ぎ取りました」


「カヤテの匂いがその短剣から嗅ぎ取れるのは当然の事。その短剣は私がカヤテより受け取りフランクラ・ベックナート殿に送ったものだ。ロボクの者がマニトゥー大使を殺害した物証としてな。カヤテはマニトゥーで大使を殺害した者と出くわし戦闘となった。それを返り討ちとして凶器を持ち帰ったのだから、匂いが付いているのは当然の事」


コンドールが答える。

しかしセオドールは顔を顰める。


「卿より送られたものである事は宰相より聞き及んでいます。しかしながら疑問が。ロボクの者がマニトゥー大使を暗殺するのであればロボクの国印が刻まれた短剣など使うものでしょうか?これはあくまで私の疑問ですが。王政府はカヤテ・グレンデルがロボクに攻め込む口実として行った行為であると考えています」


「何を!私達がどれだけの犠牲を払って領土を守ったか!何人もの血族を失い!兵を失ったか!」


ミトリアーレが目を剥き唸る様に声を上げた。

普段は理知的で物静かな彼女の変貌を一族は驚きながら見つめた。


「ミトリアーレ様。私も職務で来ております」


セオドールに何を言っても変わりはないと言う事だ。

カヤテは表情一つ変えず背を伸ばしミトリアーレの脇に佇んでいる。


ロボク戦線でグレンデルはさしたる功績も所領も得ることは無かった。


それはグレンデル一族の気質に由来する所もあるが、当時の第一皇子の功績占有が大きい。


自領の安堵を第一とし、また自己主張の少ない彼らは混成軍の中で功を主張せず、僅かな金銭程度の褒賞を得たのみで名声すら得られなかった。


そしてそれを気にすらしない一族であった。


第一王子は巧みに立ち回りアゾク要塞並びにロボクの王都を陥落せしめた武功甚だしい王太子としてその名を大陸中に響かせた。


カヤテは何一つとして主張しなかった。

今も何一つとして主張しない。

自身の力を使い主人、民、土地を守る。

何一つとして過ちを犯してもいない。


その自負から背筋を伸ばし、凛とした佇まいでただ真っ直ぐにセオドールを見つめていた。


だがミトリアーレを始めとした一族の者達の想いは異なる。

特にコンドール・グレンデルは大まかな流れに気付いていた。


そもそも、マニトゥー大使殺害はグレンデルの力を殺ごうとした国内の何者かと南の領土を欲するロボクとの間で仕組まれた犯行だろう。


その予測はロボクの軍勢が南下して来た折に増援が中央より無かった時点で気付いていた。


短剣の国印についても恐らくこの流れとなる事は見越していた。

だが国土が失われず、況してやアゾク要塞を落とし、ロボクを属国とせしめた今国内の一大派閥の一角を担うグレンデルを敵に回す様な動きを王政府が許すとも思えなかった。


なまじ千余年もの間、安定した統治を行って来た訳ではない。


グレンデルやファブニルを含めた貴族を纏め上げ、舵を取って来たクサビナ王家がこの様な手に出るとは予想だにしていなかった。


加えて、何故会談に大使として赴いていたミトリアーレではなく同道していたカヤテが対象となったのかも解せない。


ファブニル辺りは憎きグレンデルの力を削ぐ為なら何をしでかすか分からない。

現にロボクと内通し、マニトゥー大使を殺害した国内貴族はファブニルだろう。


だがファブニルなら、カヤテという一指揮官ではなく次期当主であるミトリアーレを排除したがる筈である。


であればカヤテを陥れようとしているのはファブニルではなく、王家そのものとなる。

王家はカヤテを恐れているのだ。


ならばその人物は共同戦線を行なっていた第一王子エメリックであろう。


「一晩時間を頂こう。我らとしても寝耳に水。カヤテ本人から事実確認もしておきたい」


「なりません。即時連行する様申しつかっています」


「私はカヤテを引き渡さないとは言っていないが?」


「王命であれば当然でしょう。従わねばグレンデルは王家に逆らう者として然るべき報いを受けることとなりましょう」


「その様なことは分かっている。だから我らも明日になればカヤテを引き渡すだろう。だがその前に、私は!明日まで待てと言っているのだ!大方その書状に即日などと言う記載はされていないのであろう?何処の王子が其方に申し付けたのかは知らぬが………。自惚れるでないぞ、セオドールとやら!我等がこの様な侮辱!この様な無礼に何も感じていないと思うてか!?如何してもカヤテを即刻引き渡せと言うのなら、良いだろう。だが必ず無礼を働く其方に然るべき報いを受けさせるだろう。我等にその程度の力も無いと努努思うまい?」


「…………明日の朝には身柄を引き渡して頂けるのであれば」


セオドールは全身に汗を掻いていた。

立国当初より王家を支え続ける大貴族の当主。

立場に見合った貫禄は初めより存在した。


同時にグレンデルの者だけあり嗜むだけでは無い確かな武の手並みを有り有りと感じさせる威圧であった。


セオドールはその威圧に折れた。



王家からの使者が退室し、コンドールは直ぐに自身の執務室へと下がった。

執務室にはミトリアーレ、マトウダ、カネラが呼ばれ、最後に渦中のカヤテが入室した。


「カヤテ………」


ミトリアーレが弱々しい声音で名前を呼んだ。


「早速だが」


執務椅子に掛けたコンドールが口を開く。

マトウダとカネラは固く口を閉ざし声を発する気配もない。


「カヤテ。お前は器用では無い。暗殺などという行いを行える人柄でも無い。それは分かっている。……だが、王命だ」


「分かっております。私に後ろ暗い所は有りません。拒むつもりは有りません」


「いや、お前は分かっていない。お前は二度とこのグレンデルの地を踏む事は無くなるだろう」


「………お父様」


ミトリアーレが左手で顔を覆った。

ミトリアーレにも分かっていた。


「カヤテ、お前の何が気に障ったのかは分からん。いや、分からなくも無い……か。お前は愚直だ。清く正しく、同時に強い。私はお前を常々、強い光の様だと思っていた。光は希望だ。概ねはな。だが闇を抱える者にとって強い光は害となる。第一王子はお前を疎んじたのだろう」


「……力を尽くしたつもりでしたが」


「カヤテ。貴女に恥じる所はありません。貴女が努力する所を私は常に見て来ました」


ミトリアーレは涙を流していた。


「王家は貴女を裁くでしょう。ここを出れば貴女は裁かれる。貴女が何をしていなくとも、貴女は罪を捏造されて裁かれる。貴女は……処刑されます」


「……………」


カヤテの表情に変化は無かった。

暫し室内は沈黙で満たされた。


「ミトリアーレ。お前はカヤテを実の姉の様に慕って来た。同時にお前は次期当主でもある。だからこそ、私はお前の口から告げるべきだと考えている」


「………」


ミトリアーレは自身の胸を強く押さえつけた。グレンデル岩を砕いて作った染料により染められた美しい青白色長衣の胸元が皺になっている。


「ミト様。私も、出来るならばミト様の口からお願いしたいと思います。一族の為、土地の為、何よりもミト様の為の礎となる事が出来るのであれば、それは本望です」


ミトリアーレは苦しげに胸を押さえたまま口を開かない。

ミトリアーレは何故この様な結末になってしまったのか考えていた。


権力の代償。

その言葉が一番しっくりと来た。

大貴族の次期当主として勉学に励み、同年代の友人など持てるはずもなく傍の姉がわりと共に過ごして来た。


当主の座など必要としていない。だが後継者問題のつけを払うのはいつでも無辜の民である。

直系の第一子が後継するという規則、家訓を逸脱し例外を設ければ必ずいつの日か御家騒動は起こる。


ミトリアーレは選択しなければならなかった。

姉の様に慕う従姉妹1人の命か、領土に住まう多くの民や兵達か。


カヤテを差し出さねば戦争が起こる。

王家は王命への叛逆者としてグレンデルを攻め滅ぼすだろう。


幾ら精強な兵を持っていたとしても、国内全てを敵に回せば生き残る道は一つとしてない。

この地は有象無象の手により切り取られ、民は虐げられるだろう。


「か、カヤテ………貴女を、一族から追放します………。これより、グレンデルの名を、名乗る、事は、許しません……」


ミトリアーレは最早滂沱の如く涙を流しており、言葉を紡ぐ事すら容易では無かった。


「カヤ、テ」


「ミト。辛かったですね。それでいいのです」


カヤテは幼い頃そうしていた様に泣き噦るミトリアーレの頭を優しく撫でると腰より短剣を取り出した。


ある薬師に渡されたカヤテの瞳と同じ色をした短剣だ。


「もし彼がこの街を訪れる事があれば、これを渡してください。それから……」


胸元を弄ると首飾りを取り出した。

母から受け継いだ首飾りだ。


「どうかこれを……。ミトに私と同じ瞳の娘が産まれたら、これをあげてください」


2つを手渡すとカヤテはコンドールに向かう。

腰の剣を鞘ごと抜き、掲げて手渡す。


「うむ。今迄大義であった。部屋に戻り明日の朝まで謹慎せよ」


「分かりました」


踵を返し重厚な扉を開いた。

部屋から出て戸を閉めようとするとミトリアーレが張り裂けんだ。


「カヤテ!私は!御免なさい!カヤテ!御免なさい!愛してます!私のたった1人のお姉様!」


カヤテは最後にミトリアーレに微笑みかけて部屋から去った。


残された部屋にはミトリアーレのしゃくり上げる声だけが続いていた。

コンドールも、カヤテの父カネラも口を開く事はない。


マトウダは眉間に縦皺を寄せて目を閉じている。

軈て泣き止んだミトリアーレが弱々しい動作で涙を拭き取った。


目元の化粧が落ちて黒い筋を頰に作っている。

瞼は晴れ上がり、白目が充血していた。


「ミトリアーレ。良く、決断した」


コンドールは立ち上がるとミトリアーレの肩を抱き寄せて頭を撫でた。


「カネラ。お前も、本当に済まない。お前の娘を守る事が出来なかった」


カネラは無言で首を振った。


「お父様。私、王家が憎くて堪りません」


「ただ土地を守り民を守り、王家を支えて来た我等一族へのこの仕打ち。無論許すつもりは毛頭ない。エメリック王太子。必ずこの屈辱を返して見せよう。今は自身の力に奢るが良い」


「お父様が出来なければ、私が。悪事の報いを必ず受けさせます。私の姉を奪った!この恨み!決して只では済ませません!」


翡翠色の短剣を強く握りしめてミトリアーレは決意を固めた。



自室に戻ったカヤテは戸を閉めるや否やその場にへたり込んだ。


実感は湧かない。

だが自分は死ぬ。

家名を失い、名誉を失い、命を失う。


誇りだけは失わんと気丈に振る舞っていた。だがそれも自室に戻り人目がなくなり体からするりと気概が抜け出てしまった。


一族の為、領民の為。

何より幼くも重い宿命を背負った大切な、可愛い妹の為に。


全てを投げ打って努力して来た。

齢10にして戦場に出て、雨も風も雪も無く鍛錬し、父に勘当されながらも常に何かを守り続けた。


その終わりの何と呆気ない事か。

よろよろと立ち上がると鎧を脱いだ。


鎧に付いた傷を撫でる。

この鎧を纏う事ももう無い。

必要な物は、もう無い。


机の腕の筆やら書類やらを整理し、引き出しを開けた。

そこでカヤテは便箋に目を留めた。


恋い焦がれた男から贈られた手紙だった。


内容は何度も読み返していた。

諳んじられる程だ。


少し微笑んでそれを手に取ると暖炉にくべた。

燻る炭が直ぐに便箋を燃やし灰へと変えた。

寝台に腰掛けグレンデーラの街並みを窓から眺めていると戸が叩かれた。


「どうぞ」


短く告げると扉を開けてカネラが入ってきた。

カネラと口を利くのは実に9年ぶりであった。

子女らしく過ごさず、剣を振り続けるカヤテを9年前にカネラは勘当した。

それ以来のことであった。


「………カヤテ」


名前を呼んだきりカネラは口籠った。

何度か開閉した後言葉を探しながら、言葉に詰まりながらゆっくりと話しをした。


「こんな事になるのでは無いかと、お前が初めて戦場に赴いた時より俺は考えていた」


「…………」


まだカヤテとカネラに親娘としての交流があった頃、カネラは戦場に出ようとするカヤテと良く口論をした。


「俺は娘の親として、女として当たり前の幸せを得て欲しかった。好いた男と結ばれてその子を産んで育てる。その生活が不幸な筈がない。だが、お前は自分の幸福を選ばなかった。お前は、いつも誰かの為に自分を擦り減らしていた」


「後悔した事はありません」


「そうだろう。お前はそう言う娘だ。お前の母親と瓜二つだ」


カヤテの母はカヤテを産んで直ぐに他界した。

父カネラは後妻を娶らず、カヤテは乳母に育てられた。


父は不器用で娘に剣を教える事でしか意思疎通を図る事ができなかった。


育ての親とでも言うべき乳母は夫をラクサスとの会戦で失い、失意の果てに倒れ他界した。


そんな折にミトリアーレが産まれたのだ。

カヤテには不器用な父と剣と、幼いミトリアーレが全てだった。


ミトリアーレが3歳の頃、ロボクのアゾク要塞奪取を企んだラムダール3世の軍に従軍しコンドールが重症を負った。


一命は取り止めたものの、コンドールは陰嚢を失いミトリアーレが次期後継者となる事が確定した。


カヤテは戦場に立ち、ミトリアーレを守る事に決めたのだ。


「懸命に為すべきを為して来たつもりです。まだ、ミト様をお支えしたく………思いますが……」


「俺は彼奴に何と詫びれば良いのやら。彼奴が命を賭して産み落とした娘を、俺は……」


「父様は何も悪く有りません」


「子が先に死ぬのは須らく親のせいだ。俺が至らなかったのだ」


「………」


カヤテは親不孝であることを自覚していた。

カネラがカヤテを勘当したのもカヤテの為であることをカヤテは知っていた。


カヤテは強力な武技を持ち、1人で戦の流れを変える事すらできる。


その上類稀なる美貌をも持っていた。


カヤテを欲しがる他家の貴族は多かった。

カネラはカヤテを勘当し自身から遠ざける事にし、婚約等柵を受け付けない独立した立場を与える事としたのだ。


ミトリアーレを支えたいというカヤテの強い意志を貫徹させる為に。


「私の命1つで多くの者の命を無為に失わずに済む。……ですが、親より先に死ぬ事は、この上ない親不孝だとは、分かっています」


「……お前は、俺の誇りだ……。素晴らしい娘に育ってくれた。聡明で美しく強い。何よりお前の生き方は気高く、意思は尊い。……父親であるにもかかわらず、そんな娘を俺は守れない。済まない……」


その後2人はぼそぼそと何時迄も話を続けた。


一族の事。当主の事。次期当主の事。街の事。戦の事。母の事。好きな男の事。


それは明け方を迎えても終える事はなかった。


そうして日が昇るとカヤテの身柄は赤鋼軍に引き渡される事となった。

カヤテは犯罪者だ。


除名され、誰一人として見送る者は居なかった。いや、居てはならなかった。


だがその人柄を惜しみ、屋敷の窓には人々が鈴生りに寄って彼女を見送った。


カヤテは一度として振り返らなかった。後ろ手に手枷を嵌められ、行法も剣も振るえなくされた姿をグレンデル一族は目に焼き付けた。


20日程の後、クサビナに一つの噂が出回り、瞬く間に国境を越えて伝聞した。


ロボク王国と共謀しクサビナの国土を切り取ろうと企んだ元グレンデル一族の赫兵カヤテがその企みを第一王子に暴かれ拘束されたと。


そして春下月の最終日にその首を落とされる事が決まったと。



その日もルーザースの王都ヘンレクでシンカは平穏な日々を過ごして居た。


毎日朝に鍛錬を行い、昼過ぎまで勉学や調合を行う。

夕刻の頭に宿を出て散策した後に食事を取り、日によっては酒を飲む。

更に日によっては睦み合う。


そんな生活を送り、本格的に冬が始まった。


ルーザースのヘンレクは冷え込むが雪が降る程冬も厳しく無く過ごし易い。

朝シンカはナウラの乳房を握りながら目覚め、その後暫くその弾力を楽しんでから体を起こした。


「私の胸で遊ぶのを止めてもらえるでしょうか?」


当然と言えば当然だが目覚めていたナウラが苦言を呈する。


「ナウラが嫌だと言うのなら止めるがな。ただ、寝ている女の乳房を触るのは自分の女であるという所有欲が満たされて気分が良いのだ」


「そう言う事なら続けて頂いて結構です」


「あ、そう」


どうやら良いらしい。よく分からないが。

宿の裏手の広い裏庭で稽古をする。

身体の使い方、武器の振り方、そして秘伝の純粋な経を身体に馴染ませる術。


3人の弟子は日々技術を吸収して強くなっていく。

3対1で取り組めば稀に負ける事もある程だ。


ユタは水行法を徐々に身に付けつつ有り以前より格段に強くなった。

稽古を終えて井戸で汗を流す。


見物していた宿の他の客を追い払い、体を清めると宿の朝食を取る。


金を払い黒麦の麪包を仕入れさせ、乾酪や油酪、薄切りの野菜を好きに挟み込む。


食にうるさいヴィダードが気に入った朝食だ。

ナウラは腸詰ばかりを大量に挟んでいる。


そんな食事をその日も終えると部屋に篭り魍魎や薬の知識に歴史を教えていく。

歴史はそろそろ語る事も無くなり、ナウラに至っては薬について教えるべき事ももう殆ど残っていない。


昼になるとまた宿の食堂でルーザース料理を食べる。

この日は芋の団子と玉菜の挽肉包み煮。

挽肉の包み煮はヴィダードが好みで無く、肉を包んだ玉菜の葉を剥がしてそれだけを食べる。

シンカは自分の玉菜の葉を剥がしてヴィダードに与え、代わりに汁の中に散らばった挽肉を貰う。

騒がしい食堂内でも4人は目立つ。

美しい女3人に取り留めのない見た目のシンカ1人では悪目立ちもするが、それももう慣れた。


「暖かくなれば今度はどう致しますか?去年は戦争に巻き込まれて秋の月を楽しめませんでしたので」


「そろそろコブシに行こうか。天然の温泉が湧いていて、魍魎の少ない場所を知っている。そこに自分で家を建てて過ごしたいと思っていた」


「貴方様とヴィーのお家ですねぇ」


「僕もいるよ」


「勿論私も居ります」


「コブシの四季は美しい。俺が見つけた場所は麓の村の住人が向かいの丘に植えた桜林を望むことが出来る。お前達は桜を見た事は無かったと思うが、あの樹は小さな薄桃色の花を一面に咲かせる。その樹の林ともなると、山の一面が全て桃色に輝く事になる」


「凄い。見てみたいな」


呑気な会話をしているとシンカの耳に気になる会話が聞こえて来た。


「まさかあのグレンデル一族から裏切者が出るとはな」


「ロボクにクサビナを切り取らせてその一部を得ようとしたって事か?」


話しているのは中年の男二人組だ。

喧騒の中であってもシンカの耳は過不足無く会話を広い取った。


「俺達ルーザースはクサビナの同盟国だ。ま、国の力は鬼と小鼠ほども違うが」


「小鼠は言い過ぎだろお前」


「俺も10年かそこら前にはオスラクとの戦に従軍してたが、その時の事は忘れねぇ。クサビナからの増援で来たちっこい女の子が凄え行法でオスラクの野郎どもをみんな追い返しちまった。俺の娘と同じくらいの娘っ子がだぜ?その子が………なぁ」


「赫兵カヤテと言やぁ俺達ルーザース民にとっても英雄だったもんな。そのカヤテが裏切者とはな」


「春下月の最終日には白のケツァルの皆んなの前で首を刎ねられるって話だ。俺に教えてくれた商人は大層怒って裏切者って罵って、俺も見に行って石を投げるって息巻いてたぜ」


「20ちょっとの若い姐ちゃんだろ?石まで投げるか?」


「わかんねぇよ。クサビナの奴らにとっちゃ許せない事なんだろうな」


シンカは自分が聞いた内容を俄かには信じられなかった。


カヤテは紛う事無き英雄であった。


後ろ暗さや疚しさの欠片も無い清く正しい人品卑しからぬ武人であった。

良く覚えている。忘れるはずもない。


陰謀に巻き込まれ、多勢を相手に主人を守ろうとした姿を。

あれが彼女の仕出かした事だとは信じられない。

ロボクに攻められても命を賭して闘い最前線で暴れまわっていた。


あれ程民の為に心身を賭していた彼女が謀叛?

その彼女に石を投げる?


気付くと右手に持っていた木匙が砕け、木片が掌に突き刺さっていた。

3人が心配そうにシンカを見詰めている。

手と足が震えている。

強い怒りがシンカの胸中を渦巻いていた。


「行くのですか?」


ナウラがシンカの目を見て口を開く。


「今の話からすれば場所は王都。私は王都に行った事はありませんが、兵も多いはずです。捕えられているのは王城ですよね?」


「シンカなら忍び込める?」


「………」


指先が震え、怒りに思考も纏まらない。

クサビナ王家。

彼等は建国前、只のラムダール一族であった折りに森渡りを捕え家畜のように使い潰した一族だ。

1000年以上前の話であるが、森渡りは権力に近付く代償としてこの話を必ずする。


その彼等がまた醜い行いを成そうとしている。

あれ程までに気高い女を貶め、民に石まで投げさせようとしている。


守られていた民もその恩を仇で返そうと言う。


「忍び込むものか」


血の気の多い一族の者なら同意もするだろう。

何故隠れなければならないのだと。


「グレンデルの一族も、除名して家名を取り上げたって話だ。ま、俺も家名なんて無いけどな。只の農民だからなぁ」


「あんなに活躍した家族を追い出しちまうのか?お貴族様は厳しいんだな。俺なら最後まで側にいてやりてえけどな」


「若い姐ちゃんがぼろぼろになるまで石投げられて、虫の息の所を首切られて、そのまま晒されるって可哀想だよな」


「そうだなぁ。俺の娘がそうなると考えると、辛えよ」


「お前!泣いてんのかよ!?赤の他人だろ?」


「俺ぁあの子に助けられたんだ。転んでやられそうになった時、火の玉で助けられたんだ。ちょっと遠かったけど、忘れねぇよ。俺の為に火の玉放ってくれたんだ。あんな小ちゃな女の子がよ………」


シンカは食事を止めて自室に戻った。

手を組み額に当てて考え込んでいると3人が連れ立ってやって来た。


「シンカ。月の終わりまで後10日。猶予はありません」


「他所の女を助けると思うと乗り気では無いけどぉ。貴方様の為ならヴィーは付いて行くわぁ」


「私もシンカの力になります。それに、カヤテとは知らない仲でもありません」


「駄目だ。許さん。これは俺の問題だ。ケツァルは建国以来只の一度も外敵の侵入を許して来なかった。危険すぎる。お前達はここに残れ」


「やだよ。僕だって付いて行く。シンカには世話になってるもん。そのシンカが困ってるなら助けるのは当たり前だよ」


「駄目だ。それならお前達の師として命じる。付いて来る事は許さん」


「そこまで仰りますか。何故拒むのですか?」


「俺はお前達の師だ。その生命を守る義務がある。明確に危険があると分かっていて連れて行く筈がない。況してやこれはお前達には関係のない事」


シンカは手で弄んでいた丸薬を口に入れ噛み砕く。

苦い生薬の味が口内に広がる。


「ヴィーは何処までも付いていきます。もう置いていかれるのは嫌なのよねぇ」


「私はシンカの伴侶です。常に共にあります」


「これまでとは訳が違う。数万の敵の中に味方は居ない。お前達では生き残れない。守りながら戦う余裕は無いだろう」


左手に隠し持っている粉末を少しずつ撒く。気付かれることが無いように。


「俺はお前達を失いたく無い」


「巫山戯ていますか?それは私達とて同じです」


「僕だってシンカが居なくなるのは嫌だよ?ねえ、一緒に行こ………あ、あれ?」


ユタが身体をふらつかせて膝を突いた。


「まさかっ!?」


ナウラが口を掌で覆うがもう遅い。

興奮して流れが激しくなった血流はシンカが撒いた粉末状の薬剤の成分を全身へと届けている。


「悔しい……悔しいよ………僕は、そんなに頼れないの?」

へたり込んだユタがべそをかきながら独りごちる。


「貴方様……か、身体が………」


ふらつくヴィダードの身体を支えると寝台に横たえる。


「嫌です!ヴィーはずっと一緒に……」


ヴィダードは睡魔と闘い、寝台から起き上がろうとする。

シンカはそんなヴィダードの頭を撫でて寝かし付ける。


「帰ってくるよ」


ナウラはふらつきながら扉へ向かっている。

そんなナウラを捕まえて腰抱きにする。


「シンカ……伴侶の私に、薬を………薬を……」


「ナウラも以前俺に使ったからこれで相こだな。そして、教訓だ。この様に薬を使われた時のため、いつでも解毒剤を所持して居るべきだ」


「……分かり、ました………。二度と私にこの手は効きません……。こ、心、して………」


「済まない」


全員が寝入った。

ナウラの身体を彼女とヴィダードの部屋へ連れて行き身体を横たえる。

続いて座り込んだまま寝入ったユタを彼女の部屋に寝かせる。


薬は半刻も有れば抜ける。彼女らは薬にある程度耐性がある。

身支度を整えると痕跡を残さぬ様にシンカは宿を去った。


ヴィダードが眠り続けるシンカの部屋はまるで初めからヴィダード1人しか存在しなかったかの様に片付いていた。


半刻と少し経ちナウラが覚醒した。

荒い息を吐きふらつく身体を引きずって背嚢まで辿り着くと調合済みの粉末を鼻から吸引した。

立ち上がり、それでもふらつく身体を壁に寄りかかる事で支えると隣室のヴィダードの元へ向かった。


「ヴィー。起きなさい。ヴィー」


シンカの寝台で眠りこけて居たヴィダードを揺すり起こす。


「貴方様はっ!?」


「やられました。匂いも消しているようです」


「ナウラ。嫌な予感がするの。とても嫌な予感よ」


「ユタを起こしましょう。急ぎます。私達の足では距離を離されます。少しでも早く、手遅れになる前に」


3人は進路を北に取りケツァルを目指す。


シンカの移動した痕跡は見当たらない。

極力魍魎をさけて逸る気持ちと共に北進した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 自分は既に幸せであるということに気がついた。生まれたときから平和と平穏があることが当たり前であるが、それこそが自分の目指すものだと気が付き、そしてそれは既に手に入っているのだと知ることができ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ