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終わりと始まり



ベルガナの王都ダルトとこのウルマは一月以上の距離があるが、気候はさして変わりない。


蒸し暑い夜だった。直に秋が訪れるとは思えない。


風も無く、燭台の火に照らされる影を見詰めながらスライの造りを脳裏に浮かべる。

高い壁、背後の急勾配。

背面の山から攻め入る事は難しい。


ラクサス対策の足場とする以上過度な攻撃で街を壊滅させるわけにもいかない。

遠くで低い唸り声が聞こえる。


数は少ないがこの辺りには小型の虎が生息すると言う。


1番危険な魍魎が虎であり、それ以外は毒を持つ爬や蟲が多いとのことで、シルアによりそういった魍魎を遠ざける薬を兵達は与えられていた。


サルマは固く閉ざされたスライの門を簡単に開ける事が出来るここに至っても思索を繰り返している。


シルア達が忍び込む事は容易いらしいが、潜入した者の調べによると門前は常時緊張状態で隙を見て開門をする事など不可能という事であった。

当然だろう。


湖を渡る為に小型の舟を多く用意させているが、壁からの射撃でかなりの損害が出る事だろう。


潜入したシルアの部下、山渡り達を使って内乱を誘発させることが出来ないか試行錯誤を繰り返してはいるがあまり良い結果は出ていない。


ただし、サルマが前線に身を置いた影響でベルガナ兵達の士気は高い。


犠牲を厭わなければスライを落とす事は可能だろう。


机の上の見取り図を睨むのを止めると杯を取り乾燥した口を水で潤した。

僅かに絞られた柑橘の香りが気分を爽快にさせた。


部屋の南側に位置する縁窓は部屋から中空にせり出しており、ヴィティアの樹海を望むことができる。


日差しを遮る為の薄布がゆらりと風に揺れた。


それにしても蒸し暑い。


刺繍の施された汗拭き布で頸の汗を拭い、深く椅子に腰かけた。


窓からは半月の浮いた闇夜が見受けられる。

月の高さから見てそろそろ日を跨ぐ頃合いだろう。


燭台を持とうとしてサルマは動きを止めた。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が変わらず部屋の中を照らしている。


変わらず。


靡くことなく。


遮光布は風に吹かれたというのに。


羽根筆を再度手に取り机上の見取り図を見直した。


しかし実際は図に記された道や山など何も見ていない。


考えるのはスライの防御でもその先の統治のことでもない。


今のこの部屋の事だ。


遮光布は風に揺れたのに燭台の明かりは一度たりとも揺れなかった。


それはつまり、この部屋に風が吹き込んではいないと言う事だ。


サルマの肌が感じなかっただけなら微風だったからと考えることが出来る。


だが、部屋の中のいくつかの蝋燭が1つ足りとも揺らめかなかったのなら、それは風が吹いていないと断じても良い。


では何故布は揺れたのか?


人だ。


この部屋に人が入り込んだのだ。


縁窓は地上からかなりの高さに位置する。

普通の人間が侵入できるのであればシルアが対策を講じる。


彼女等ですら侵入は有り得ないと断じた為、そこに護衛がいないのだ。


声を上げ、部屋の外に控える女の山渡り2人に危険を知らせるべきか?


いや、声を上げ助けが駆けつけるよりも侵入者がサルマを害する方が早いだろう。


気取られぬよう見取り図を見ている振りをして頭を巡らせる。


まだ何もなしていないのだ。

ここで命を失うわけにはいかない。


しかし、一体どうやって。

この領主館の警備は堅い。

サルマよりも怯えているルドガーが昼夜問わず山渡りと近衛兵に厳戒態勢を敷かせているからだ。


敷地内に踏み入る事も難しければ、館に入る事も難しい。

ましてや此処は3階で、足の踏み場もない縁窓からの侵入である。


精霊の悪戯か?

違う。精霊は概念。世に在りはしない。


「中々機転の利く女王だな」


男の低く滑らかな声が背後から聞こえた。

背筋に雷が走ったかのように反射的に体が動き、立ち上がると鉱石で出来た文鎮を振り向きざまに投げた。


反射的な動きで意図したものではなかった。

振り返った先は寝室へと続いていたが、執務室と寝室を遮る扉がいつのまにか開いていた。


最後に見た時には確かに閉まっていたはずだ。

サルマの予想を裏切り背後には誰も居なかった。

帳の降りた寝室の闇が見えるだけだ。


初めは勘違いかと思った。


声は空耳で、此処に人など居ないのだと。


直ぐに首を振る。

そんなはずは無い。


何故なら、聞こえないからだ。


投げ放たれた文鎮が壁や床にぶつかる音が聞こえないのだ。


寝室をサルマはじっと見つめた。


闇を見通すべく目を細め、そこに人影を見出そうとした。

全身から脂汗が吹き出ている。

額から流れた汗が目に入り滲みる。

喉は張り付くほどに乾き、唾を嚥下する事すら出来ない。


やがて寝室の闇からじわりと人影が浮き出た。

音も気配もなく人がこちらに向けてゆっくりと歩み寄り等々その姿を現した。


奇形かと思った。


特異的な頭部に一瞬見えたが、何のことはない。

闇から滑り出てきたのは頭に被った笠であった。

顔は見えない。


体は足首まで覆う外套を纏い、手袋を嵌めたその手にはサルマが投げた文鎮が持たれていた。


「お前は間違えたのだ」


男が告げた。

くぐもった声だ。口元が布に覆われており、肌色すら窺えない。


「……何を、間違えたというのでしょう」


掠れた声がようやっと絞り出せた。


「味方に付ける者、敵にする者の選択だ」


味方といわれ何人かの顔が浮かぶ。

サロメ、リーチェ、ヒューイット侯、ブランド将軍、ルドガー、シルア。

様々な者の顔が浮かぶが誰を示すかは分からなかった。


代わりに口を突いて出たのは全く別の言葉だった。


「何故、声を掛けたのですか?」


それが無性に気になった。

黙って殺せば良かったはずである。


「勘の良い女だ。俺に気づいて居たことは分かった」


サルマは自然に装えて居たはずである。汗などはかいていたがこの蝋燭の灯りで気付けるとは思えない。


「何故………」


「何故、お前が俺に気付いた事を俺が気付いたか。か?確かに外見上は変わりなかった。お前は機転の利く肝の座った女だ。だが、俺には今も聞こえているぞ。お前の激しい心臓の動悸が。緊張による発汗も鼻で嗅ぎ分けている。机上を見つつも気配を探っている事も感じ取れた」


「………人間ですか……?」


この通り、と男は笠を傾けた。


白磁に近い肌色に茶の目。

シメーリア人とアガド人の混血か。


確かに人間なのだろう。だがサルマの問いは見た目の事を言っているわけではない。


彼の能力が余りに人間からかけ離れている事を言っているのだ。

それを分かってか分からずかは兎も角、男はその深い茶の目を瞬かせる事なくサルマを見据えていた。


「……敵………」


「そう。お前は我等を敵とし、害を加えた。報復は正当な行為だ」


王族に手にかけるなど許されることではない。

などと考えるサルマではない。

人は身分や老若男女に関わらず容易く死ぬ。

自分が特別だとも考えていない。


「……貴方は、山渡りと、敵対している………」


掠れた声しか出ない事が情けない。

男が発する抜き身の鋭い剣のような殺気にサルマの足は震え、立ち竦む事しか出来なかった。


「奴等が始めた事。我等を捕え、知識を得て質を取って戦力とする。……絶対に許さん」


「わ、私は……」


「ほう?お前が指示したわけではないと言いたげだな。うん。そうか。その様だな。お前に害意は……無いのか。山渡り共とはどの様な関係だ?同盟関係か?うん。そうか。一体誰がお前と山渡りの橋渡しをした?山渡り自らか?……これは違う様だな。ならばその人物が我等に害意を持つわけか。その人物はこの建物内に居るか?……うん。居る様だな」


男はサルマの瞳を覗き込み疑問を口にしては自己完結していった。

そしてその自己完結は何1つとして誤りはなかった。


自分の心を読まれているのだ。

隠し事すら出来ない恐怖にサルマは思考すら停滞する。


男はすんすんと鼻をならす。


「嗅ぎ覚えのある臭いが残っているな。……男。シメーリア人。……あの腐れ優男か。成る程」


間違いない。サルマは何も話していないのにこの男はルドガー レジェノに迄辿り着いたのだ。


絶対に敵わない。

この時サルマは本能でそれを感じ取った。

大きく息を吐くと先程までかけていた椅子に座り直した。


「貴方に頼みが有ります。貴方の望みを何でも叶えます。ですから私を生かしておいて欲しいのです」


男はサルマに答えなかった。

だが肩が僅かに動いている事だけ分かった。

笑っているのだ。


「出来ればルドガーも殺さないで頂きたいのです。彼はまだ我が国に必要です。替わりに貴方方を害さない様厳命すると共に貴方方が望み、私が用立て出来る全てを差し上げます」


「本当に大した女だ。…………いいだろう。お前を殺さないでおいてやろう。代償は、スライの中に住む薬師達の安全だ。1人でも怪我をすれば………どうしてやろうか。……そうだな。アラン ヒューイットという男がいたな。あれは悪戯に人々を殺めた害悪だ。あれを白昼堂々殺める事にしよう。約束を違えればお前も同じ命運を辿ると心しておけ」


「………それは、私にとって悪い話では有りません。ですが、私の手と疑われるのは些か……」


隠し事も何も無い。

素直に思った事を口に出す事にした。


「お前が疑われようと俺にはどうでも良いが、考えておいてやろう」


言われ、漸く体から力が抜けた。

ふと気がつくと股座が湿っていた。

恐怖のあまり粗相をしていたらしい。だがサルマは恥とは感じなかった。


恐らくサルマはこの男に気に入られたのだろう。でなければ条件など出さずに情報を抜き出した後に、つまり既に殺されていた事だろう。


であれば、此方もこの機会を指を咥えて逃すつもりはない。


「どうでしょう、貴方がよければ私の下で働きませんか?先の通り何でも用意致します」


サルマの言葉に男は反応しない。

笠の下から垣間見える焦茶の瞳だけでは彼の感情を推し量ることはできない。


「お前は俺に何を差し出せると言うのだ」


「そう言われるということは権力もお金も要らないのですね。では、女ならどうでしょう?」


「間に合っているな」


そうかもしれない。これ程の力を持つ彼が女に困るとは思えない。

ルドガーに制御されている山渡りではなくサルマ直下の優秀な戦士が喉から手が出るほどに欲しかった。


「私でも駄目ですか?私はドルソ人の中でも見た目に優れていると思いますが」


この男になら体を差し出しても良いと考えていた。


どの道サルマは婚姻する気は無い。


婿を取れば王権に対する要らぬ混乱を招くからだ。


後継はサロメの子供と考えていた。

サルマはドルソ人らしく胸と尻が張り出し、腰はそれでいて細く、顔も整っている。


しかし目の前の男からは邪な視線は一度として感じられなかった。


「要らぬな」


案の定一言で切って捨てられる。

些か苛立つのは致し方ない事だろう。


「では、何を差し上げれば私の元に来てくれますか?土地、武器等はどうでしょう?」


「要らぬな。間に合っている」


身動ぎ一つしなかった男が右手に持っていた文鎮を放った。

慌ててサルマはそれを受け取る。

新鮮な感覚だった。

常に敬われて来たサルマは男の態度を新鮮に感じていた。


隠し事すら出来ず相手の感情や思考を慮って相対しなければならない。


世間一般では当たり前の行いであるが、サルマにとっては初めての体験だった。


「いいか。忘れるな。お前は我等を敵に回したのだ。これからこの国で同胞が消えたなら、必ずお前の前に現れる。必死で守る事だ。お前とルドガーとやらの命はしばしお前に預けておいてやろう」


男が右手を伸ばすと手のひらから何か光の様なものが迸りサルマの視界を白く染めた。

視界を失い暫しして目を開けると男の姿は無かった。


そんな気はしていたが足音どころか衣擦れの音さえなく忽然と姿が消えていた。


「おい!どうした!?」


扉の外から男の声が聞こえた。

聞き覚えのある声。シルアの部下の1人だ。


「陛下!陛下ご無事ですか!?」


護衛の交代が何かを見つけたのだろう。

恐らく常に2人扉の前に立っている護衛が倒れていたのだろう。

男はサルマが叫んだとしても問題が無いよう予め護衛の交代時間も把握しておりその時間内で全ての片を付けたのだろう。


「何事だ!」


シルアの声が部屋の外から聞こえる。

サルマは頭を抱えると寝室に入り衣類を替える事にした。



女王が滞在する旧領主館で騒動が起きた翌日、ウルマの街は軍備を整える為の慌ただしさに包まれていた。


兵達は緊張に張り詰め武具の整備や攻城兵器の点検に精を出し、将兵は雑兵達を怒鳴りつけて指示を出している。


そんな中を護衛に囲まれて歩く1人の男がいた。

アラン・ヒューイット侯爵である。


第1師団の師団長である彼はその軍勢の半数を自領から捻出しており未だ基盤の弱いサルマ王政にとっては無視のできない高位の貴族であった。


アランは新生王政において影響力を拡大すべく苦労して兵を捻出し、その兵力を持って強引に先鋒の総大将としての立場を得た。


サルマの命を無視し、敵地にて略奪を繰り返して強引な徴兵に対し補填を計画した。

その影響によりスライを落とすことができず立場の悪化を招いたが自分を罰せる筈も無しと強気な態度を崩すことは無かった。


現に若輩の女王サルマは自分を罰することが出来なかった。


暗殺を考慮して護衛も多く付けている。

アランは自軍の消耗を避けるためにスライに対して積極的に攻撃を仕掛けることはなかった。


サルマは確かに兵や民からの信奉厚い王ではあるが、所詮は小娘。

頭も回る。だが自分程の大貴族を。況してや現在の筆頭格である自分を排除する事など出来ない。

そう考えていた。


今後は更に影響力を高め、息子と婚姻させ外戚としての発言権を得ようと考えていた。


先の内乱時、メルセテの侵攻の防衛に当たった第一王子はその戦いで傷を受け、それが悪化して他界した。


その後は水面下で王弟と第二王子の勢力争いが繰り広げられることとなる。


アランは当時、何方の勢力にも可能性を感じず中立していた。

前王が崩御すると、途端に勢力争いは血を伴う物に変じた。


第三第四王子や前王弟の外戚など多くの者が不慮の死を遂げ、アランの元にも両勢力からの勧誘が辟易する程訪れた。

両派閥に属さなかったのは暗愚な二者では直ぐに派閥を維持できなくなると考えた事と、遅れて参陣しても良い立場は得られないと判断した為だ。

そこにサルマが現れた。

賢く、強かでその目は力に満ちていた。

それは強い光だった。


継承権は二桁の娘であったが、彼女であれば上り詰めるとすぐさま感じた。

それを支え、立場を不動のものとする。

そう考えて従い、支えて来たのだ。


アランの観察眼は正しかった。

サルマは国内を統一し今や隣国の王都まで手を伸ばしている。

翌翌日の開戦で王都を1番に制圧し立場を不動とする。


アランは20もの護衛を引き連れ軍備の視察を行っていた。

日差しが強く、滴るように汗が流れていた。


「なんだ?」


兵士の1人が遠くを見やって呟いた。

ウルマの街北側の外壁から郊外にて着々と支度を整える自軍を見下ろしていた所だった。


「ヴィティア兵か?」


「そうだな。ヴィティアの皮鎧だ」


余程視力に優れているのだろう。

遠方、街から北に5町の位置、森と森の狭間、赤土の道を確かに砂つぶ程度の大きさにしか見えない人影が3つウルマに向けて南下する様子しかアランには見て取れなかった。


「敵兵か?降伏?」


砂粒のように小さい人影を見分けるなど大したものだ。

アランはそんな感想を抱いた。


「あー、1人はドルソ人。女か。残り2人は外套で分からないな」


「ん?何か構えてないか?」


「ああ。弓だな。何するつもりだ?」


5町も先から弓を撃ったとしても此処には届かない。

長弓であっても精密射撃を行うのであれば半町が良いところ。

遠くから何かが破裂する音が聞こえた。


「撃ったぞ。こっちを狙ってる?届くわけが」


次の瞬間アランの意識は暗転し、全てを喪失した。

どうと倒れ伏したアランの眉間には半寸程度の丸い穴が穿たれていた。

小さな、血液すら流れていない綺麗な傷口だった。


だが反面、後頭部は醜く破裂し脳やら血液やらが混ざり合って石材にこびり付いていた。


惚けた顔が何処と無く嫌悪感を催させる醜い死に様であった。



森暦193年秋中月、2の週緑の日

この日の出来事は歴史上最も名高い戦争の一つとして後世に語り継がれる。

前年のクサビナ ロボク戦線アゾク大要塞の攻略と合わせ、動乱の幕開けとして多くの書物に記録が残る。


自然の要害に囲まれたヴィティア王都スライ。籠城する兵数は15000。


対するベルガナ軍は25000の兵力でスライの東から南にかけてを包囲し流通を遮断するが、豊富な資源を持つスライは籠城を苦としなかった。


そも、籠城戦に於いて攻め手は4倍の兵力差を必要とするという通説が存在する。


ベルガナはスライを陥せず撤退を余儀なくされるはずであった。


この戦争で、歴史上始めて大砲という兵器が登場する。


国王サルマ・ベルガナ自らが出陣し、それまで全く普及していなかった火薬を用い、弾を撃ち出す兵器を用いてスライの外壁を打ち破ったのだ。


スライの南の壁は風穴を穿たれ、容易にベルガナ兵の侵入を許す事となった。


王族は殺害され貴族達は領地を転封される事となった。


大砲の轟音に元々練度の低かったヴィティア兵は戦意を喪失し、碌な抵抗も無いまま王城まで制圧された為、街は戦火を免れ市民への犠牲もほとんど出なかった。


ベルガナによるヴィティア統治は一部の抵抗を除き円滑に進み、軍事力や経済力は三大国には及ばないものの広い国土を有し技術大国としての道を歩み始める事となる。



その晩は明るい月夜であった。

日中は茹だる様な暑さが引くことはないが、夜はやや気温が下がり小虫の鳴き声がよく聞こえる様になった。


ヴィティアの王城、旧ヴィティア王族の部屋がサルマには与えられ、統治の為の業務に日々追われていた。

この日も夜半まで書状の認めやヴィティアの過去の財政の確認を行っていた。


無事に戦争が終わった安心感からかサルマの表情は幾分か安らいでいた。


心地の良い虫の軽やかな鳴き声を耳に、燭台の火をぼんやりと見つめていると火が僅かに揺れた。


「……約束は守りました」


サルマは静かに言葉を紡いだ。

サルマの呼気で灯火が更に揺れる。


「そうだな。今は殺す気は無い。だが、この国で同胞が消えればお前の命は無い」


「……分かりました。気を付けます。ヒューイット侯の様にはなりたくありませんからね。あれは助かりました。ヒューイット侯がヴィティア兵に殺された事で兵達は士気を上げました。加えて軍の中で私の動きを邪魔する勢力が力を大幅に落とした為、軍を纏め上げることもできました……ですが、一体どうやって?到底弓など届き得ない距離だったと聞きます」


サルマは武術や行法に詳しくは無いが、それ程の距離を射抜く弓の類など聞いたこともない。

シルアに確認しても分からない。出来ない。という答えしか得られなかった。


「強弓で射た。それだけだ」


「……弓で射る……だけ?よく分かりません」


「分からせる心算も無いがな」


「……やはり貴方方の力を私は欲しいです。私の元に来てはくれないのですか?」


山渡りを上回る力。ルドガーを御す為にも是が非でも欲しい人材だった。


「分かっていない様だな。お前は敵だ。お前の配下は俺と仲間を襲い、俺の伴侶に瀕死の重傷を負わせた。本当なら、今すぐ、お前を絞め殺したい。何故絞め殺したいか、分かるか?お前の命が失われる瞬間をその手で感じたいからだ。だがそうはしない。何故か分かるか?」


男は一言一言言葉を区切りながらその意思を告げた。深い憎しみを感じた。


「ルドガーを制御する為……いえ、それなら殺せばいい。私への利用価値?それもありませんね。貴方方は恐らく権力など無くとも自分達の力で全てを切り抜けられる……分かりませんね」


「お前を殺せばベルガナとヴィティアが乱れるからだ。伴侶は死ななかった。だから瀬戸際の所で自分を抑えている。無辜の民が苦しむのは忍びないからな」


山渡りを配下として様々な知識を得、彼らを諜報活動や破壊、調略、暗殺工作にまで用いて来た。

彼らの存在がなければここまで辿り着くことは出来なかったと断言できる。


だが、目の前に手持ちの札より魅力的な札が現れれば欲するのは人の摂理と言える。

何を間違い自分は彼らを手に出来なかったのか考えた。


今迄の情報、会話の断片を拾い出し整理していると見えてくるものがある。


「ルドガー……彼と貴方方には諍いがあるのですね。ルドガーは貴方方を貶め、利用しようと考えていました。ただ利用しようとしているのだと考えていましたが、貴方は彼と面識がある様ですね。ルドガーが恨みを抱き、山渡りを諭して貴方方への攻撃を仕掛けた。そういう事ですね?」


言うと男はくつくつと笑った。

肯定だろう。


「もとはその様な男、我等にとっては路傍の石と何ら変わらなかったがな。お前もあれには手を焼いている様だ。あれの出自を知っているか?」


「いえ、詳しくは。ロボクの貴族の子息であったとしか……」


「あれと遭遇したのはアゾクでの事だった」


「アゾク!?そうですか。貴方方があの戦いに関わっていたと言うのであれば、容易く世に名高い大要塞が陥落した事も納得がいきます」


アゾクはスライなど目ではない程に堅牢な要塞である。

サルマが山渡りから火薬の存在を知り、考案した大砲でもあの要塞の外壁を破砕することは出来ないだろう。


「あれは策を巡らせクサビナ軍を壊滅させようと企んでいたがそれは叶わなかった。我等が要塞に乗り込み手練れ同士の乱戦となった時、あれは隅で縮こまり同胞を助けようともしなかった。情けない男よ」


男の言葉を聞いて得心がいった。

ルドガーは前線へ赴くことに難色を示していた。

訝しんではいた。


原因はアゾクで前線に赴き九死に一生を得たからだろう。

心的外傷を負っているのだ。


「ありがとうございます。有用な情報でした……それで、何を代償にしても良いですから貴方方、いえ、貴方だけでも私の元に来て頂きたいのです。私が憎ければ死なない程度であれば何をされても構いません……顔を傷つけるのも避けて欲しいですが。目立ちますので。欲しい物は何でも、時間が掛かっても用意します。如何ですか?」


王族としてみれば屈辱的な言いだろう。

だがサルマは王族としての誇りなどとうに捨て去った。

母国を富ませる事。それ以外は瑣末な事であった。


「お前には俺が欲する物など用意できはしない」


「そうでしょうか?仰ってみて下さい」


頭は切れるとは言えサルマは20なったばかりの少女でしかなかった。


その上努力をすれ結果が必ず付いてくる環境にあり、目の前で手を伸ばせば届く位置にあるこの男が手に入らない可能性など微塵も考慮していなかった。


「自由と平穏」


言われサルマは考えた。

自由とは何か。平穏とは何か。


どちらもサルマの配下になる事で失う物であった。


「…………」


サルマは押し黙った。

ルドガーを制御出来ていればこの男を手に入れることが出来たのか。

つらつらとそんな事を考え目を閉じて息を吐いた。


再び目を開けた時、男の姿は掻き消えていた。

しかしそれを不思議に思う事はなかった。


本当に男が実在したか分かる確証は何も残っていなかった。



これより暫くして薬師組合より滅亡したヴィティア及びベルガナ王国に対して薬師達を戦争に巻き込んだ事に対する抗議が行われた。


ベルガナ王国は抗議を受け止める事はなかった。

その結果、いつの間にか多くの薬師達がベルガナ王国から出奔する事となった。

ベルガナ王政はそれを阻止する事は出来ず、長らく薬不足に苦しむ事となる。


ヴィティア、ベルガナ王国で何が起こったのか長らく解明される事はなかったが、クサビナ王国のグレンデル一族末裔の蔵書より彼の国での一部始終を記した書物が見つかる。


何故グレンデル一族がヴィティア、ベルガナ戦線の詳細な経過と顛末を記録できたのかは定かではない。



秋の始め、ヴィティアの滅亡を乗り切った薬師達は近隣の寒村へ避難していた。


村は半ば森に飲まれており村はずれは疎らに木々が生えている有様であったが、朽ちかけた廃屋を修繕して過ごしていた。


夜半。

皆が寝静まった頃1人の男がするりと家屋を抜け出て森へと歩みだした。


気配を殺しするすると森を歩んでいく。

その足取りには迷いは無く明確な目標があった。

男はしっかりと薬師の旅装で身を固め、村に戻る気がないことが分かる。


浅黒い肌は闇によく馴染み彼の姿を月光からも隠していた。

男はビッツと名乗っていた。


スライに潜伏した山渡りの1人で立場を偽り情報収集を行っていた。

森渡りと思しき連中に気付かれずに同道出来たのは運が良かったが、此方も隊の長と連絡が取れなくなり罠に嵌める事は出来なかった。


彼らは薬師達をこの寒村に匿うと何処かへ消えてしまい、戦争が終結した今漸く姿を見せた。

そして今機会が訪れた。

別部隊の者が偶々近くを訪れ、合図が行われたのだ。


木々の間からモールイド人の男が現れた。


「……今まで何をしていた。お前の部隊は何処へ消えた?」


「分からない。コリンとモリスはポルテで討たれたのだと思う。残りは1人ずつ連絡を断ち残るのは俺だけだ」


「それよりも数人の森渡りと思われる者が村にいる。やるか?」


「何人だ」


「4人。いけるか?」


「……赤土が半数以下の森渡りに返り討ちにされたのだぞ。今は俺とお前だけだぞキリル」


後から現れた男が告げるとキリルと呼ばれた男は僅かに顔を顰める。


「絶対に手に入れたい女がいる。美しいドルソ人の森渡りだ」


「下らん。お前が求める女の為に俺の命を危険に晒せと言うのか?」


「赤土の行方を知っているかもしれないんだぞ?」


キリルの言葉にもう1人は深く考え込む。


「一理あるが、人手が足りない」


「奴等は漸く戦地から抜け出て油断している。揃いも揃って寝こけている。寝込みを襲えば………あ?」


キリルと話していた男が声も無く倒れた。


「は?何?」


振り返り素早く茂みに体を隠した。

月光を頼りに周囲の様子を窺った。

魍魎か、敵か。

音はなかった。爬か蟲か。


伏して辺りを探っても気配は見つけられなかった。


動くものはない。


蒸し暑い空気にじっとりと脂汗をかいた。

森の陰影を明確に見取れるようになるとキリルの目に奇妙な物が映った。太い幹の樹木に何かがぶら下がっている。


見たことの無い形状だった。

それが何か目を凝らして確認した。

猿では無い。蛇でも蝙蝠でもない。

確認して戦慄した。


人だ。


人が枝に足を絡ませて逆さまにぶら下がり弓を番えていた。

羽織った衣類が逆さまに垂れ下がり異様な輪郭を見せていた。


雲に隠れていた月が顔を出し、輪郭を照らした。

キリルの知った顔だった。


殺そうとしていた森渡り。シンカと言う男だった。


その目は月光を反射し炯炯と輝き、真っ直ぐにキリルを射抜いていた。

番られた矢は寸分違わずキリルの額を狙っていた。


「あ、まっ……」


音も無く射られた矢はキリルの頭部を目指し、脳幹を破壊した。



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