熱帯夜
ポルテ砦陥落
齎された報に周囲の高官達は喝采を上げた。
しかし玉座に座りそれを聞いたサルマ・ベルガナは僅かにも表情を変える事はなかった。
それは立場故の感情制御では無く、遅過ぎる報に喜びの感情など微塵も湧いていなかったからだ。
侵攻開始から一月半。予定では半月で王都を抑え、今頃は残存勢力を個別に潰している筈だったのだ。
夏が終わり秋が近付いている。予定を超える軍事作戦は兵糧を食い潰し今後の財政悪化に繋がるだろう。
そもそもは途中の町村の略奪を行った第1師団長アラン・ヒューイットに責がある。
彼が略奪にかまけている隙にヴィティア軍はスライに立て籠もる態勢を整えてしまった。
「陛下。如何いたしますか?」
重臣の1人に声をかけられていることに深く考え込んでいたサルマは気付かなかった。
「そうね」
このまま冬までスライを落とせないという事はないだろう。
だが兵も糧も悪戯に費やされるだろう。
ヒューイット伯爵にこのまま任せていてもあまり良い結末にはならないだろう。
サルマは立ち上がる。
「皆の者。私が スライへ行きます」
サルマの声を聞いた重臣達は暫し唖然とした後に口々にサルマの言葉を撤回するべく声を上げた。
内乱を収めたばかりの国内、いつ矛先を向けるか分からぬ隣国、森で蠢く魍魎。
だがそれは今に始まった話ではない。
周辺諸国はベルガナが遠征で弱るのを待っている。
長引けば長引くほど危険は増す。
「サロメ。あなたが残り本国に対する万難を排しなさい」
見目麗しいドルソ人の青年に声を掛ける。
サロメはサルマの実の弟である。
穏やかな性格で武勇には優れないが後を任せるだけの政治能力は持っている。
「はい。陛下。恐れ入りますが、万が一の場合に備えてリーチェを軍事顧問に据えたいのですが」
「許可します。リーチェ。問題ありませんね?」
「は。ベルガナ国土は必ずしや守ってみせます」
リーチェは幼少の頃よりサルマを護衛してきた。
サルマが内乱時に挙兵した際には優れた指揮により常に勝利を収めた。
サルマの下知をよく理解し堅実な戦を行う。
同時にリーチェ マテアスはサロメの想い人でもある。
官位は軍事補佐官という名称であるが軍事指揮権を持たせている。
サロメはこの麗しいドルソ人の軍人を信頼している。
2人に任せればエンリケが仮に攻め寄せたとしても守り切るだろう。
「陛下、本当に行かれるのですか?」
丞相のルシウスが懸念を滲ませる。
サルマに何かがあればベルガナは瓦解し兼ねない。
貴族から平民に至るまでの信を得て第三勢力として台頭し、他の2勢力を戦や交渉を経て打破して通例では考えられない速さで国内を統一した。
今のベルガナの民意の根源とも言えるのがサルマの存在だ。
「この戦争はメルセテやラクサスの緩衝としてヴィティアの国土を得て列強国にベルガナが直接侵略されることを防ぐ意図があります。ヴィティアは長らく戦争を経験していない軍事弱小国です。大国が攻め入れば直ぐに靡くか滅ぼされてしまうでしょう。大国クサビナが到頭北のロボクを制した以上ラクサスが動き出すのは必定。我等に眼が向けられていなかったこの時分に素早く侵略し国力を増強する必要があります。このまま長引けば他国に付け入る隙を与えます」
重臣達が重々しく首を垂れる。
第1師団長の欲や傲慢さが全てお膳立てされた成功して当たり前の行軍をここまで長引かせている。
更迭確実の大失態だった。
サルマは200の軍勢を率いて3日後に王都ダルトを出立する事となった。
サルマは神算鬼謀を尽くしてベルガナの内乱を平定した。
その記憶はまだ色濃く人々の記憶に残り、女王であれば直ぐ様ヴィティア王都を陥落させるだろう。自分が赴くよりもサルマが赴いた方が安全で速やかに終わるだろうと重臣達が皆考えた。
その為に女王が敵国に赴く運びとなった際に押し留める者が数少なく、また強い反対に至らなかった。
その夜、サルマは執務室にて人を呼んだ。
侍女も下がらせた後に現れたのは参謀官の若い男と40代の引き締まった身体つきの女だ。
若い男はシメーリア人でルドガーと言う。
女はモールイド人でシルアと名乗っていた。
入室した2人は王に対する作法を取った後にサルマが向かう樫の重厚な執務机の前に立った。
ルドガーは流麗な面差しの男でベルガナ貴族の女と多く関係を持っていると侍女から聞いている。
サルマが見るにその瞳の奥には権力に対する野心が渦巻き、サルマを足掛かりにしようという企みが透けていた。
だがサルマとてそれは同じ。
ルドガーという男は謀に秀でた男で、敵の思考を読み罠を仕掛ける事を得意とする。
弁も立ち老練な貴族相手に口論にて黙らせる事も出来る。
彼の目的は読みやすい。
権力だ。
ベルガナに身を寄せ1年。既に女王であるサルマと別個に顔を合わせるほどの立場を得た。
ヴィティアの攻略も上手くサルマを焚き付けて自分が行わせたと考えているのだろう。
そう思いたいのなら思わせておけばいい。
サルマはルドガーの才を利用し自国の安寧を得る。
大国メルセテとの戦争に疲弊しきった民が平穏で人間らしい営みを送ることができるように。
内乱勃発直後、継承権争いを繰り広げる兄達とその傘下で利権を巡って争い合う貴族の手から逃れる為、サルマは弟とリーチェと幾人かの信頼の置ける者達と共に辺境を彷徨った。
メルセテの略奪に合い、魍魎と野党に脅かされて日々を過ごす人としての尊厳を損なった人々。
路を辿れば食い荒らされた骸が至る所に転がり、鬱蒼と茂る木々の傍で誰にも弔われる事なく朽ちていた。
村の民達は食べるものも無く雑草を食み、家を失った者は木陰で寝起きする。
サルマにはその光景こそが地獄の物であると思えた。
兄や貴族の影に怯える惨めな自分は旅の終わりには綺麗に消え去り、全てとは言わずとも自国の民だけでも人間として生活できるよう手を尽くしたいと考えた。
それがサルマ・ベルガナの動機だった。
弟とリーチェにしか告げた事のないサルマの志ではあるが、その彼女の周りに集う者は女王の様に清廉ではない。
旗揚げ当初から共にあった、サルマを慕う者、その崇高な志を感じ取り同調した者は重臣達の半分にも満たない。
残りはサルマに利権を見出した者だ。
そのような者に軍を預けるから命令を無視して略奪を始めるのだ。
爵位と人間性は全く比例しない事がよく分かる出来事であった。
ルドガーは自身の流麗な風貌を誇示するかの様に前髪を掻き上げた。
その行為をサルマの目前で行うという事は、サルマに対し自身の風貌を用いて心酔させようと考えている。
命を狙われて辺境を彷徨う前のサルマならいざ知らず、今のサルマは顔程度で絆される小娘ではない。
サルマを手篭めとして彼女の持つ権力を気儘にしようという思惑も有るのだろうが、然しそれとは別の熱も感じる。
サルマの陣営、ダルトの居城にはドルソ人だけでは無くモールイド人やウバルド人、シメーリア人も少なからず姿を見る事ができる。
だがルドガーが手を出すのは決まってドルソ人だ。
それだけではない。奇妙な習性報告をされている。
関係を持った女の髪を怪しげな薬を使い色を変えていると言うのだ。
薬自体は無害なものの様で、洗い落とせば直ぐに色も戻るとの事だったが、2度目以降に女を抱く時はその薬を使い髪を灰色にするそうだ。
サルマの女としての感情は吐き気がするほどの嫌悪感を抱いていた。
一方のシルアは寡黙で好感の持てる女だった。
腕も立ち、森に関する知識も豊富であり内乱平定から始まりヴィティアの攻略までその知識に頼ってきた。
シルアは初めからルドガーと共にあった。
サルマが兵を挙げ辛くもいくつかの勝利をもぎ取った頃、ふらりと2人で現れたのだ。
ルドガーの慧眼とシルアの知識ふたつが有れば内乱平定も国土の安定も夢ではないと直ぐに分かった。
以来2人を重用して来たのだった。
シルアの目的は明瞭だった。
一族の復興である。
山中の隠れ里に住まう一族を再び日の当たる場所に連れ出す。
行く行くはメルセテに在する先祖伝来の失われた土地に返り咲く事。
嘗ての栄華を取り戻す事。
その為の力添えと引き換えに知識と力を持つ強力な戦士を影働き、工作活動に充てがう。
分かりやすい契約だった。
サルマはベルガナに土地を与える事は可能だが、メルセテまで手を伸ばす事は難しいと告げたがそれでも良いという事だった。
貪る様に権力を欲するルドガー。
サルマの権能が及ぶ範囲で報いればよいシルア。
シルアとその一族は以降も手元に置いておきたい考えがあったが、ルドガーとは何れ雌雄を決する必要があるだろう。
そしてサルマがそう考えている事を分からないルドガーでも無い筈であった。
「サルマ様。ヴィティアへの遠征、誠に大義で御座います」
耳心地の良い声音で優雅な仕草。
若い女が夢中になるのも無理はない。
宮廷内でもその活躍は覚えめでたく賢者ルドガーと呼ばれ始めてもいる。
「何を言いますか。貴方も参陣するのです」
サルマはルドガーの顔を見ながら口を開く。
「……私も、ですか」
ルドガーを同道させるのには二つの意図が有る。
1つは単純に彼の能力を戦地で活用する為。
1つはサルマ不在のダルトでサルマを陥れる為の調略が行われるのを防ぐ為だ。
そうした思惑の下の発言ではあったがルドガーは顔を引きつらせた。
慇懃無礼な態度を微塵も崩さぬ彼にしては珍しい態度だった。
「何か問題はありますか?」
暗黙下に強制の意思を含ませた発言にルドガーは問題ございませんと返す。
いつも通りの緊張を孕んだ会話をシルアは興味の無さを押し隠し、黙して窺っている。
彼女とその一族達、それとルドガーの関係はサルマが窺い知れない物事の1つである。
そもそも自国のすぐ側に彼らの様な得体の知れない一族が隠れ棲んでいた事自体が都合の良すぎる事象の1つであるとサルマは考えている。
然しシルアも、彼女が偶に呼び出して伝令伝達を行う部下達もメルセテ、ベルガナ訛りが散見される事から、他国の間諜として疑う事を控えている。
「レジェノ卿。貴方の助け無くして迅速にスライを落とす事は出来ないでしょう。頼みますよ」
良く良く考えてみればルドガーがサルマの陣営に加わってからと言うもの前線にその身を置いた事は一度もない。
戦う力が無い事は分かるが、それはサルマとて同じ事。
戦場を恐れているのだろうか?そんな人間が戦場での策略を練っていると言うのか?
さり気なくルドガーの顔を見るが、涼しげな笑みを浮かべておりその心情を窺い知ることは出来ない。
「シルアは私の護衛をお願いできますか?他にも女性の部下がいるのであれば付けてください」
シルアは無言で首肯した。
シルアは彼女の一族の中でも3本の指に入る程の手練れだという。
同じ女としてサルマは彼女を尊敬していた。
武など何も分からないサルマをもってしてもシルアの肉体は力に満ち、振るえばさぞ強かなのだろうと感じさせた。
「思いの外ポルテの攻略に手間取りましたね。指揮官を暗殺すればヴィティア程度鎧袖一触と考えていましたがね」
「………部隊が1つ忽然と消えました。1人だけ残して忽然と」
「奴等ですか?」
ルドガーが対象を隠した物言いをする。
「奴等とは何ですか?」
「ええ。彼女の一族と対立している一族です」
「その様な一族が……その者たちもシルアの様に優秀なのでしょうか?」
「まさか!彼女達に敵う者は居ませんよ」
ルドガーは飄々とした物言いだがシルアの表情は暗く硬い。
「どうしましたか?シルア」
「……敵対など、元々していません……でした。ルドガー。あなたの指示で」
「その話はいいでしょう」
「良くはない。手練れの部隊が2つも消されているのに。貴方は人を駒としか見ていない」
「何を今更言うのですか。私の提案に乗ったのは貴方達です」
ルドガーとシルアが険悪な空気を纏い始める。
「止めなさい。それよりも、どういう事ですか?説明しなさい」
2人の口論を遮るとシルアを見て問いただす。
「元々奴等とは出会えば知識を交換する程度の、良好とは言わずとも同業として最低限の付き合いをする間柄でした。ですが、彼等は我等よりも遥かに長い年月森を渡り歩き、その知識を継承している。ルドガーは我等の長に我等の復興には彼等が邪魔になると説いた。それどころか」
「陛下の耳を汚す話ですよ。奴等を捕え、質を取る事で知識と武力を得ようとしているのですよ、陛下」
「確かに汚い話ですね。ですが、国民を守る為には何かを犠牲にするしかありません。それはヴィティアであり、その一族であるという話でしょう」
「陛下っ!奴等を甘く見ては!万全の状態で4人を8人で待ち伏せたのです!地の利もこちらにあった!ですが!」
「止めよ、シルア。次はもっと多くの人数で当たれば良いではないですか。それよりもスライの攻略ですが………」
サルマとルドガー、シルアは夜が更ける迄ヴィティア戦線について議論を交わした。
森歴193年のベルガナ・ヴィティア戦線は長らく均衡を保って来た大陸史において戦乱が巻き起こる要因となった事で名高い。
それまで明瞭な記録に載ることもなかったサルマ・ベルガナが女王として君臨し、早々にヴィティアへ侵攻を行った事は彼女の能力を推し量る重要な出来事の1つである。
拙速を尊ぶを体現した迅速な先行で王都にまで迫り、攻略難しと見るや自らが参戦する固定観念に囚われない思考は後世で高く評価される。
王族を護るにしては少な過ぎる兵数でスライに向かったサルマはウルマで本隊と合流した。
第2師団の7割をメルセテ、第3師団の6割をラクサスの抑えに残し、残りでヴィティア王都スライを囲んだ。
スライは背後を山に覆われた、西側を湖に覆われた要害の地である。
ヴィティアに過ぎたるものが2つあり。堅き王都に穏やかな森。
政治、財政、軍備が杜撰なヴィティアであるが比較的穏やかな森が広がる為食料豊富であり、要害スライに立て籠れば容易に侵略を凌ぐことができる。
だからこそサルマとルドガーは入念な準備を行い雷撃的にヴィティア侵攻を行った。
だが第1師団長のヒューイット侯は略奪を行い機を逃した。
彼を処刑したいが共鳴者が多く責めようにも庇われる始末。
暗殺を恐れてか警備も厳しくシルアですら手が出せないという。
軍規を、王の命令を犯した者を留め置く事はできない。
サルマはスライの攻め手とアランの処遇を悶々と考え悩んでいた。
ルドガーは戦地についてから片時もシルアの部下である4人の屈強な戦士達から離れず護衛をさせている。
その日もサルマはウルマの領主館の最上階である3階に3日間寝泊まりし、3日後の総攻撃に向けて自室で思索に耽っていた。
それはサルマのありとあらゆる価値観を崩す一夜となった。
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